イブの子孫 南アメリカまで7万年の旅

多くの仮定の上に立つ勝手な話〜第6話〜

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 このページはアフリカで20万年前に誕生した
ミトコンドリア・イブの子孫、すなわち私の直系の先祖達が、アフリカから南アメリカの先端まで、8万年で到達可能であったかどうか、考えてみることにしましょう。
 なぜ南アメリカかといいますと、ヒトが到達した最も遠い地点が、南アメリカ大陸の先端だからです。
 地球一周が赤道を回って約4万キロ、正確にはもう少しだけ長いそうですが、この勝手な話はすべて概略ですませます。アフリカ東部からベーリング海峡を経て北アメリカまで、ほとんど最短距離の大円を描きますが、その後一直線に南下したとして全行程を
6万キロします。この6万という数字は当たるとも遠からずだろうと思います。

 ミトコンドリア・イブの子孫の増加率を計算したときに、8000世代目あたりから急激に人口が増加したことを確認しています。
 この毎世代15年あたりの増加率0.15%は、1万4000世代を通しての数字です。常に一定だったとは夢にも思っていません。一世代の間に50%人口が減ったこともあったでしょう。 20%増えたこともあったはずです。長い期間、停滞したこともありました。環境に恵まれ。急激な人口増加となった期間も数多く経験したはずです。
 しかしある程度の人口のプールが出来たとき、具体的には成人女性の人口が100万人を越える時点で、人口増加率は急激に上昇していきました。
 ヒトにおいては、人口の増加は社会性 (この言葉がいいかどうかは別ですが) を発達させ、生き残り成人となる機会を増やしたでしょう。 もとになる数字はわずか0.15%です。 しかし先住人に比べれば
10:1とその増加率は圧倒的に大きいものでした。 氷河期がありました、コレラやペストなど壊滅的な病原菌にも対面しました。その中でミトコンドリア・イブの子孫は人口を増やし生存空間を広げたのです。人口が増えるほど生存率が高まり、人口の増加に寄与したことはほとんど間違いないと信じます。

 8万年前ミトコンドリア・イブの子孫一族(以降イブの子孫と呼びましょう。)が世界各地に拡散を始めました。そして1万年前に、南アメリカパタゴニア地方に到達したとしましょう。
 7万年かけて6万キロの移動です。一年平均860メートルの移動です。一世代に直すと約13キロの距離になります。10世代では130キロです。 ここで考えなければいけないのは、イブの子孫は、すでに世界中に住んでいた先住人の道を辿ればよかったのですから、その移動速度は驚くほど速かったということです。

 イブの子孫は先住人との間に子供を残したのでしょうか。

 私はイエスだと思います。ミトコンドリア・イブ自身、先住人との間に子供をもうけました。イブの子孫達も、男女とも先住人とも交わりながらその血統を広めていったのです。イブの子孫長命でした。先住人の女性も、イブの子孫の血を受け継ぐことを望んだかもしれません。

  しかしアフリカから離れるほど、先住人との間の子孫の誕生に困難を伴うようになったことは確かです。原住地から遠く離れたもの同士は、先祖の分岐の時期も古かったのですから、遺伝子の配列の食い違いが大きくなっていたはずです。 
 現代人は、すべてわずか20万年前に分岐したのですから、ほとんど同じ遺伝情報を体内に持っています。 2001年2月11日付の報道によれば全ヒトゲノム(遺伝子の配列)の解読に成功し、遺伝情報の数は約3万、
人種による一致率は99.99%と発表されました。 これは現世人類共通の祖先が、ごく近年であることを証明しています
 共通祖先から分岐した時期が、200万年前だったとしたらどうでしょう。 発掘されたヒトの化石は、200万年も同じ形態でいたヒトの存在を否定しています。その子孫同士は交配可能でも、不妊かもしくは生殖力を持たない子供が誕生したでしょう。ラバやレオポンに見られる現象です。
 イブの子孫もおそらく東南アジアや東アジアに到達したとき、一緒になっても子孫を残せないヒトを発見することになったのかもしれません。それはジャワ原人や北京原人の子孫だったでしょう。

 現代人は何処の国でも平均寿命は女性が長くなっています。 戦争等の要因を除いても確かなデータのようです。寿命遺伝子が、X染色体(女性はX染色体を2本持っています。男性はXを一本とYを一本持っています。)に載っているか、あるいは特殊な女性ホルモンで活性化されるとすると、寿命の長いことに納得がいきます。ミトコンドリア・イブの寿命遺伝子は、ミトコンドリア遺伝子と同じく女系遺伝をすると考えると、イブの子孫の男からは、人口を増やす要素となる遺伝子は、他部族の女性には伝わらないことになります。 さらに勝手な憶測をすれば、女性が長命というのは、現代人の種としての特徴なのかもしれません。
 子孫を残せる確率が相対的に10倍も高いイブの子孫の女性が何人か、他氏族集団に入り込み子孫を残せば、いずれその集団は
イブの子孫ばかりにならざるを得なかったのです。 
 この勝手な話の推理によれば、先住人とミトコンドリア・イブの子孫の出会い、交代には暴力的背景は必要ありません。 場合によっては、利害を争ったこともあったかもしれませんが、ほとんどの地域では数百世代の間に、結果的にイブ族だけがその血統を伝えることになったのです。ここで一つ注意しておきたいことは、イブ族が知能の高さによって繁栄をしたのではないという事実です。先住人イブ族(旧人と新人)は、その起源から推測してもおそらく同じような知的能力を保持していたと推測しています。(第5話参照)

 べーリング海峡からパタゴニアまで1万5千キロとしましょう。 ここは前人未踏の地でした。 しかしイブ族は、アフリカからアジア東端までの長い旅の間に蓄積された知識を持っていました。3万年前にベーリング海峡を渡っていれば、1万年前にはアメリカ大陸南端に到着していることは可能でしょう。平均1年に750メートルの平均速度でアメリカ西海岸を南下したのです。

 7万年から3万年をひくと4万年になります。
 アフリカを8万年前に出発したヒトは、4万年ほどでシベリアに到着し、マンモスハンターとして名を残し、3万年前アメリカ大陸に足を踏み入れ一挙に南下したのでしょう。

 この時期はウルム氷期にあたり海面が100メートル近く低下し、ベーリング海峡は陸続きであったとされていますが、シベリアにはマンモスやナウマン象など豊富な動物相があり、比較的温暖であったと推定されています。

 では日本に来たのはいつでしょうか。勝手な計算ではアフリカを出てから3万年、今から5万年前には到着し、3万年前には自然と先住人と入れ替わってしまったのではないかと思っています。

 一方、オーストラリア大陸には先住人が到達した痕跡がないそうですし、ヒトの遺跡は5万年ほどだけ辿れるようです。東南アジアそしてニューギニア島まで、アフリカから2万5000年ほどで拡散し、5000年かけてオーストラリアに渡ったとしてみたら、勝手な計算は成り立つような気がします。

 これで私の「多くの仮定の上に立つ勝手な話」シリーズは一応終了します。
 ヒトが現在の生態的位置を占めるまでには、様々な進化の過程があり、多くの突然変異を経験し積み重ねてきました。しかしそれらは化石や石器などごく一部の「もの」以外、証拠としては残りません。幸いにも近年の自然科学の知識の集積は、まったくの素人の私に想像の楽しみを与えてくれました。
 我慢強く読んでくださった方々に感謝申し上げます。ご感想など頂ければ幸いです。

 

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 原人はインドで生まれた 〜第1話〜    

 100万年前日本に原人がいた 
         〜第2話〜  

 ミトコンドリア・イブ 〜第3話〜

 イブの子孫の増加率 〜第4話〜

 イブを襲った突然変異〜第5話〜