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       洗髪の歴史

     
   

<古代の洗髪>
古代日本では、習慣としての洗髪は行われていませんでした
日本に限らず古代では 洗髪の意図は 宗教的意味合いを多く含んでいました
洗髪の歴史は「沐浴」の歴史とともに始まります
沐浴の動機や目的には 宗教上の儀式、傷病の治療、保健衛生、娯楽などがあげられます
中でも宗教的動機が大きかったことは 東西をとわず共通しています
原始宗教では 一般に「けがれ」の観念が強く、病気、災害、犯罪なども、等しく「けがれ」として
外面的にとらえられていました
そして、それらの「たたり」から免れるために、水、火、煙、香料、化粧などによる浄めが行われ
なかでも 水による浄めが多く行われていました
「斎戒沐浴」という言葉があります 「斎戒」というのは神仏に祈ったり 神聖な仕事に従ったりする場合に
飲食や行動を慎んで身を清めたりすることで 「沐浴」というのは髪 身体を洗い清めることです 
古代の洗髪 沐浴の目的は 文字通りこの斎戒沐浴であり 宗教的な意味合いを持つものでした
日常一般の生活の中で 洗髪、入浴などが行われるようになったのは 近年のことで 古代には
めったに洗髪をすることは ありませんでした

   


   

<中世の洗髪>
西暦538年(552年の説もあります) 百済から仏教が伝来すると
仏教に奉仕する者を洗い清める目的で 寺院に七堂伽藍のひとつとして 浴堂が設けられました
これを機に 水での洗髪が影をひそめ 湯を使うようになりました
さらに 湯を使って初めて利用できる「ふのり」や「さいから」「むくろじ」などの
植物の果皮を湯で浸出した液を 髪に利用するようになりました

奈良・平安時代の上流階級の女性たちは 綿に丁字の油を含ませたものを油壺に入れておき
髪につけていました
平安朝の女性たちにとって 丈なすみどりの黒髪は誇りであり 美人の証でした
しかし大垂髪の貴婦人は 髪洗いに手数がかかり たびたび洗えなかったので 「ゆする」という
米のとぎ汁を 櫛につけて髪をすき 香をたきしめたりしていました
また 髪の臭気を消すために 寝るときには「香まくら」を用いていました
箱形枕のなかに 小型香炉をおいて 白檀(びゃくだん)などの香料をたき 髪に香煙をしみこませたのです
入浴回数が少ないため 衣類にも香を炊き込めていました
髪洗いの古い記録としては この時代の『宇都保物語』(953〜984)に
七夕に髪を洗ったことが書かれています

平安時代の洗髪は年に1回ていどでした
『枕草子』に、「心ときめきするもの」として「かしら洗いけそうして・・・」とあげられています


<洗髪料>
この時代の洗髪料としては 『延喜式』(927)に「さいかち」「そう豆」「ゆする」の名があげられています
「そう豆」というのは 古代中国で使用されていた 洗浄料で「小豆粉」のことです
日本には経典とともに伝わったということです
「さいかち」「そう豆」は どちらもまめ科の植物でサポニンを含み洗浄力があります
『延喜式』には 洗髪に用いた「沐槽(かしらあらいのふね)」という 長さ3尺、幅2尺1寸の
槽の記述もあります
『本草和名』(918)には 「あかざの灰」「さいかち」があげられています
『赤染衛門集』には「灰汁(あく)」
『源氏物語』では「ゆする」と「木灰」が出てきます

   


   

<近世の洗髪>
江戸の女性の洗髪の頻度は 月に1、2回程度でした
洗髪の場所は縁側、勝手の土間、井戸端などだったようです
江戸では火事が多かったため 内風呂が規制され 相当な規模の商人でも内風呂のある家は
なかったようです
『守貞漫稿』によると 江戸の女性は必ず月に1、2度髪を洗い 夏季には回数が増えたようです
(匂油を用いたり 香をたきこめることはない・・・・とあります)

京阪の女性や江戸の御殿女中は あまり髪を洗わず 「櫛ですいたり匂油を使う」とあり
地域差があったことがわかります
また遊女は 月1回髪洗いの日が 決められていたということです

特に女性が 髪を洗う場合 長い髪を洗うのはかなり大変なことで まず天候を見定めて
洗髪料の調整にかかり その後やっと洗髪に移るという1日がかりの大仕事でした
江戸の町家の女性たちが縁側で 肌脱ぎになった洗髪の風景は 浮世絵のモチーフになっています
室町から江戸時代になると菜種、胡麻、椿、胡蝶などの油を 髪油として使うようになりました
次第に油の量が増したので洗浄料として 「うどん粉」「ふのり」「粘土」「滑石」「緑豆」「油粕」
「たまごの白身」などが 使われ出しました
さらに 髷を固め 光沢を出すために伽羅の油(びんつけ油)などや はぜ蝋、松脂(まつやに)、
菜種油を 練り混ぜあげたものを 多量に使い出したので 洗髪に「火山灰」や「灰汁」を使うになりました

洗浄料として「灰」や「灰汁」がよく登場しますが これらは水に溶いた状態で アルカリ性を示します
現在の石鹸や衣料用洗剤なども 弱アルカリ性ですが これは アルカリの性質を利用して
油性の汚れを落としやすくするためで 洗髪や洗濯に「灰」や「灰汁」を利用しました

   


   

<近代の洗髪>
明治時代になると 国内で石鹸が製造されるようになってきました
明治6年 横浜磯子に石けん製作所ができたほか 長崎、神戸、東京など各地に工場が作られました
しかし値段が高いこともあって、入浴に石けんを用いるようになったのは さらに後のことです

明治10年代になると 石けんは 日用品として徐々に普及してきますが 国産品は 粗悪で肌を荒らすため
まだまだ入浴や洗顔には 洗い粉や糠袋が使われていました
実際 洗い粉は 第二次世界大戦前までは 最も需要の多い化粧量のひとつでした
一方 洗髪習慣はというと 明治初年の文明開化で 男性はちょんまげが廃止され 
整髪剤もポマード、チックなどとなり このため 洗髪には 石けんを使うようになりました
また 女性の髪型も日本髪から順次欧風化し 洗髪に石けん、白土ソーダ灰などを配合したものを
使うようになりました 
いわゆる髪洗い用洗浄料が発売されたのは 明治15,6年頃です
大阪朝日新聞に「新発明玉子製散髪用・美洗粉」という広告が掲載されています

大正時代には石鹸が支流になりました 石鹸を作る材料として牛脂が使われますが
大正3年前後になると 第一時世界大戦の影響で アメリカ、オーストラリアからの輸入が止まり
石油を原料にした洗剤(石油系洗剤)を作るようになりました
世界の主流となった石油系洗剤は いまなおシャンプー、台所洗剤の主流になっています
当時、粉石けん、ホウ砂、炭酸ソーダ、炭酸カリ、三リン酸ソーダなどの配給品が出回りました

昭和初期の洗髪は 固形の化粧石けんや髪洗い粉という粉石けんが主流で
当時は 今のような洗髪習慣の観念は無く 週に一度程度の洗髪でした
30年に入り 石油系洗剤が使われるようになり 40年には主流となりました
現在では 合成高級アルコール系のシャンプー剤が 支流となり 出回っていますが
今後は 天然のアミノ酸系シャンプーが支流になると思われます