俳句の森  >  也有TOP  >  鶉衣目次  > 恋説

横井也有「鶉衣」を読む

恋説

 かわゆき子にも旅はさせよといひ、恋は道ならぬ道もあれば、ふみ迷ふさのゝ舟ばし親もさけて、あだし心はいさ神とてもいさめずやはあらむ。さてしも世にたへぬすさびにて、身にこそ人のいましむべけれ、其くまぐまは尋わけてぞ物の哀もしる端なるべきを、歌にはもとよりもつぱらにして、荻の上葉に問はぬをうらみ、有明の月にわかれをかこつより、沖の石に涙をかけ、衛士のたく火に思ひをよそへて、たとへ雲かゝる高間の山も、なみよする高師の浜も、てにはの詞に品はかざれども、逢ふの・別るゝの・忍ぶぞ・うらむぞと、只一筋の情のみをいひて、女の男を思ふやらむ、男の女をしたふやらん、姿に千変の品はわかれず。
 俳譜は万化にくだけて、老若貴賎をわかつより、姿に自由の働あれば、井筒がもとのうなひ子の手鞠もらふたる情わすれず。源内侍の十夜参りは紅裏に名をたてゝ、逢ふの待つのと詞にはもたれず、其句の姿に恋を見すれば、恋を一句で捨る事かと他門の初心の迷ふもこゝならん。しかればかの法師の筆にもかける、まこと男女の情は雛の夫婦に立ならびたる中をのみいふものかは。逢はでよめりし娘を思ひ、小ぶとき乳母をかこち、長廊下にまどひ明し、向ひの女房を詠(ながめ)やり、浅茅が宿に後家忍ぶこそ色このむとはいわめ。
 殊に都のおそるべき所々に遊里の軒をきしれば、しばし社親の関守もかたけれ、物よみ謡のつれにさゝやかれ、東は朝日の陰なる遊びもつのれば西にかたぶき安く、もらひの成りし夜は面白く、くぜつにあけし暁はおかしく、うそは誠にかくれ恨は情に負けてより、人のいさめ世の謗りも行過の古みに見下し、宿はおるすの夢のうき橋程なくとだへして、奢る者など久しからむや。秋風内証にふきわたり、出口の柳身すぼげに散初るより、丹波口の茶屋も見ぬ顔して、身をこりずまの浦ならずもうしろに山の借金負となれば、今出川の家も質に流れ、姉が小路の妹婿よりよすが求て今ぞ落目の堺に下り、わづか二三年の夢茫然とさめて、おもへば千束の文は何の為に成けるぞや。むかしの孔子も今の伯父坊も異見はこゝの事なるべし。
 新町ちもりの夕ぐれ、木辻鳴川の曙、もろこしちかきまる山とても同じ恋風はふきかよへど、猶とりどりにかわる俤は色をも香をも知る人やしるらん。まして江戸桜の花やかに、人の心のはりもつよく、上野浅草の花ぐもりより箕輪の雨の名にぬれて、土手の露ふむ戸なし駕より今戸の舟のこがれよるこそと、遊びに巾の広がり安きはさしもむさし野のふか入する人もすくなからじ。波にうかるゝうかれめ・草に音をなく辻君(つじぎみ)・白人(はくじん)・比丘尼(びくに)・野郎・影間(かげま)、それとて売かふものはさらなり、御油赤坂の留女さへおかしからぬ事もよく笑ひて、ねよげに見ゆる旅人になじみの文よみてもらひ、さし足袋売たるえにしより七日つゝしみし始末もやぶれて、一夜の露に落やすきはいさ此道のならひならぬかは。
 それよりの世のさま人しれぬ事のみ多き中に、お比丘尼のかたみわけににげなき文の箪笥から出たるも、若旦那の鼻毛ぬきを物縫の部屋に見付けたるも、皆々跡のまつりなれど、物いひさがなき世にしあればうき名は千里に立安きを、蚊をやく紙燭(しそく)にいねわるき蚊屋をすかし、小豆角つむ垣ねより隣の行水を覗くなど、わづかに蟻穴のあやまり心ながら、身をはふらかす端とも成べしや。されば社呉服屋の手代は思はぬぬれぎぬ着て、浅ましき編笠に化け稲荷の前に紙屑をひろへば、四条河原へ売たる子の大名に抱られ親までゆたかなる扶持かたを得て、長がたなの銀こじりはひとへに我子の光ながら、むかしの念仏講中はからかさ戻さぬ謗(そしり)ものこるべし。これらや一生の浮沈なれど、其源はたゞかりそめの檜原が露の契りにはじまりけん。
 しかるに色白なる畳さしありて屋敷がたにてたばこ入をもらひ、琴の指南の検校が月見の夜から出入とめられたるなど、あるはお寺から手を廻して山帰来買るゝも、飯のくわるゝ痞(つかへ)に折々針立の泊りて行も、わけを糺の神にとはゞ表八句につかはれぬ事も有べし。又は風俗にいにしへ今のたがひもありて、律義なる漢帝は反魂香(はんごんこう)をたきてよすがら夫人の面影をしたひ、栄耀なる隠居は地黄丸をのみて季時に飯焼の器量をえらむ。猫にひかれて見そめし夕べは玉だれのへだてをかこち、蚤に喰れて待侘し夜は古夜着の恨あかすなど、をのづから貴賎のけじめなきにも有るべからず。慈鎮和尚の真葛が原も破戒の罪のそしりもなければ、其身に恋をせよとにはあらず、恋に心の覚束なかりせば、前句に対して趣向はありても句作も道具も取つくかたなく、思ふにも手のとゞかぬは具足着て灸を掻くより猶不自由のくるしみあるべし。
 いでや恋といひ旅といふ、旅はかたちを労じて情は後なるべく、恋は情を先にして哀は姿に品をわかてば、内外いさゝか先後のたがひもあらむか。さらば句案の上にも其心あらざらむや。おそるべし、かゝる説は饒舌の罪おふべくして只後の君子をも待べきを、忍びもはてずして筆とり侍る。これもまた恋の闇に迷ふたぐひかも。

寛保二戌秋


 寛保2年、也有41歳の作。
 ここでの「恋」は俳諧の用語であり、ロマンチックラブに限らず広く色事全般を指します。売春・姦通・男色はもとより、セクハラ・性犯罪も恋の内です。

 まず和歌の恋から始め、それは表現は多彩だけれど恋の情は限られて変化がないといいます。これに対し俳諧はあらゆる社会階層の様々な恋の諸相を自由に読みます。和漢古今の古典を縦横に、というかしつこいくらい引用し、遊里を中心に世情に通じたところを見せています。也有らしい、俳文らしい一編です。語注が本文よりずっと長くなってしまいましたが、まだ足りない状態です。読みにくいですが、こらえてください。

さのゝ舟ばし
船橋は、船を並べ浮べて板を渡した仮橋。「かみつけの佐野の船橋取り放し親は離(さ)くれど吾(わ)は離(さか)るがへ」(万葉集巻14・3420)を引く。「親もさけて」は親が男女の仲を引離す意。
あだし心
浮気心、不純な考え。
いさ神とても
「恋しくは来てもみよかしちはやふる神のいさむる道ならなくに」(伊勢物語)
荻の上葉
「あはれとて問ふ人のなどなかるらむもの思う宿の荻の上風」西行(新古今和歌集)など色々ある。
有明の月
「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂き物は無し」壬生忠岑(百人一首)など。
沖の石
「我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」二条院讃岐(百人一首)。
衛士のたく火
「御垣守衛士のたく火の夜は燃えて昼は消えつつ物をこそ思へ」大中臣能宣朝臣(百人一首)。
高間の山
「霞ぬる高間の山の白雲は花かあらぬか帰る旅人」(式子内親王集)か「よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山の峯の白雲」(新古今集・読人知らず)あたりを引くか。
高師の浜
「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ」祐子内親王家紀伊(百人一首)か。
俳譜は万化にくだけて云々
和歌の恋歌は、恋情を様々なものに託し洗練された言葉で飾るが、その情は幾つかのパターンに限定され、人物は抽象化されている。これに対して俳諧の恋句は、現実生活に取材して具体的な恋の諸相を描く。
井筒がもとのうなひ子
「井筒がもと」は伊勢物語第23段を踏まえて「幼なじみ」の意。うなひ子は「うなゐ髪(おかっぱ頭)」の童女。
源内侍の十夜参り
源の内侍は源氏物語に登場する好色の老女。「うなゐ子」と並べて老若の対をなす。
恋を一句で捨る事
俳諧連句1巻の中には必ず恋の句を詠むべきものとされ、また、恋の句が出たら1句で終らせず(1句で捨てず)2句ないし5句続けるのが定法であった。しかし芭蕉は形式より恋を尊ぶ心が大切だとして、無理に続けず1句で捨てても良いとした。
このことは「去来抄」ほか芭蕉門の俳書に見えるが、他門からは非難もあった。
かの法師の筆
以下、徒然草第137段「男女の情も、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにしうさを思ひ、あだなる契をかこち、長き夜をひとりあかし、遠き雲ゐを思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとはいはめ。」を下世話に砕いたパロディー。
親の関守もかたけれ
息子がちょろちょろと遊びに出ぬよう、親が見張っていること。特定の典拠に依った言回しではなかろう。
東は朝日の云々
東は祇園。ここで遊び馴れるとやがて西(島原遊郭)へ行くようになる。
もらひ
目当の遊女が先客の座敷に出ている時、交渉して自分の方へ呼寄せることを「貰ひ」と言った。
行過の古みに見下し
未考。「古み」は「さんざん聞き飽きた」ほどの意。人の忠告も「何を古臭い」と聞流して。
夢のうき橋
「春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるる横雲の空」藤原定家(新古今和歌集)。
奢る者など久しからむや
平家物語冒頭部の「奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。」を引く。前項の歌と「春の夜の夢」でつながっている。
内証
家計、ふところ具合。
出口の柳
京都島原遊廓の大門口に植えてあった柳。
丹波口
京から丹波方面へ行く街道の口。島原遊廓の入口である。
こりずまの浦
「こりずま」は「懲りもせず」の意。この「ずま」を取って「須磨の浦」と続く。須磨は大阪湾に六甲山が迫る地形なので「うしろに山(の借金)負う」こととなる。
今出川・姉が小路
いずれも京都の地名だが、場所はさして問題ではない。質流れの縁で川、妹婿の語呂で姉の付く地名を持ってきた。
千束の文
遊女から送られた手紙。
異見
諌めること。遊蕩や不行跡をたしなめて忠告すること。すなわち「お説教」。
新町・ちもり・木辻・鳴川・まる山
新町は大阪の遊里。乳守は堺の遊里。木辻は奈良の遊里。鳴川は何処か判らないが西日本のどこかの遊里。僕だって遊廓研究家じゃありませんから、辞書に出てこない地名まで面倒見きれません。丸山は長崎の遊里。
土手
日本堤。浅草から下谷へ続く山谷堀の土手。吉原へ通う道である。江戸の通俗文学で「土手」とあったら殆どここのことを指す。どうでもいいが元和6年築堤。
戸なし駕
竹製の粗略な駕篭。四ツ手駕篭とも。
今戸の舟
今戸には隅田川の船着き場があった。ここから猪牙舟(ちょきぶね)という小型の舟に乗って吉原に向う。
吉原に通い詰めた通人は尻に猪牙胼胝(たこ)が出来たというが、まあホラ話であろう。なお「こがれよる」は漕がれ・焦れの洒落。
うかれめ・辻君・白人・比丘尼・野郎・影間
浮かれ女は音曲などの芸もしつつ売春もする。ひろく売春婦一般を指す場合もある。
辻君は、夜道ばたに立って客を誘うのでこう呼ばれた。夜出るから「夜鷹」、蹴転ばしていたすので「けころ」など類似業種多し。
白人はシロートの意。上方の新地島原周辺で営業した私娼。芸事をしないのでこう呼ばれた。
比丘尼は「出家して仏の弟子となった女性」つまり尼のことだが、ここでは尼姿の私娼。コスプレみたいなもの。人の趣味は様々であり、それに応える商売もまた色々である。
野郎・影間(陰間)は男娼。江戸時代は随分需要があったようで、陰間茶屋が繁盛した。
留女
街道筋の宿屋に勤め、旅客の呼込み、給仕などの接待、更に売春にも活躍していた女性。出女、飯盛り女、おじゃれ、赤まえだれ、などとも。
ねよげ
根好げ、性格の善良そうな様を言う。ただし「うら若みねよげに見ゆる若草を人のむすばむことをしぞ思ふ」(伊勢物語第49段)に見るように「寝よげ」(寝たらイイだろうなあ)を掛けて使われることが多い。
お比丘尼
こちらは本当の尼さん。「にげなき文」は「似気無き」で、似つかわしくない手紙。艶書。
物縫
雇われて裁縫をする女性。昔は裁縫の用が多かったので、人の多いところでは専門の女性を置いた。商家や寺で働く者を針妙(しんみょう)、遊廓で裁縫に当る女性は「お針」と呼ばれた。ここでは、商家の若旦那が針妙に手を出した。
紙燭
こよりに油を浸したものを灯火に用いた。ちょっと明りが要る時に使い、また蚊を焼いたりした。
いねわるき
寝悪き。寝付きが悪い、寝そびれたの意。
呉服屋の手代は云々
濡れ衣の縁語で呉服屋の手代を出す。何かの話を引いているのではなかろう。
四条河原へ売たる子の云々
娘を遊女に売ったところ、殿様の目にとまって側室となり、男子を産む。今やお世継の御母君様となってその家族も豊かになるという、落語「妾馬」の世界。前項は恋が元で零落、こちらは出世の話である。
長がたなの銀こじり
こじりは鞘の先端部。ここに銀の細工を施した立派な長刀。父親が士分に取立てられて、にわか侍になった。
念仏講中はからかさ戻さぬ謗云々
貧乏時代に付合っていた人々に対して義理を欠くこととなり、あの野郎貸した傘をいまだに返さねえ、などとやっかみ半分の陰口を言われる。
檜原が露の契り
要するに「はかない」と言うのだが、何かの歌を引くのかどうか。もう調べきれない。
検校
盲人の官位。都(づ)・市名・紫分・座頭・勾当と上がって、検校は最高位である。琴の指南に行った先も然るべきお屋敷であろう。生徒にセクハラ行為をして出入り禁止。
山帰来
通常サルトリイバラを指すが、本来は近縁の別種で中国などに自生する。この根が土茯苓(どぶくりょう)という漢方薬になる。梅毒の薬に用いた。
「つかえ」は文字どおり胸がつかえて食物が喉を通らない症状だから、「飯の食える痞」は仮病である。
針立
鍼灸医。
糺の神
京都下鴨神社の祭神。「訳をただす」の地口。
表八句につかはれぬ
百韻の連句の初めの8句を「表」と呼ぶ(36句の歌仙形式だと6句になる)。表では恋の句を詠まないのが作法である。
漢帝は反魂香を
漢の孝武帝は李夫人の死を悲しんで反魂香を焚いた。すると亡き夫人が現れて……、きっとヤバい薬だったのだろう。
地黄丸
地黄という草の根からとる強壮剤。ご隠居はこれを愛飲し、自分好みの下女を雇う。セクハラおやじなのだ。
猫にひかれて見そめし
源氏物語若菜の巻。女三の宮の飼猫が御簾から走り出した時、柏木が彼女をかいま見て恋に落ちる。
慈鎮和尚の真葛が原
「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり」慈円(新古今和歌集)。「慈鎮」は慈円の謚(おくりな)。
あの慈円は天台宗の座主を勤めた高僧なのに随分色っぽい歌を詠んだ。しかしそれは芸術作品上のことだから、誰も破戒坊主だと非難したりしない。ちなみに、この歌はすごい傑作だと思います。
前句に対して云々
以下、話は俳諧連句のことに戻る。連句は集団文芸であり、人の句に自分が句を付け、そこに次の人が付けて進行していく。
ここで恋の句を付けるべき場面だと思っても、恋の情について全く朴念仁では趣向を具体化する素材も浮ばず、佳句は生れない。実際に遊里に遊んだり後家に言寄ったりしろと言うのではないが、貴賎にわたる恋の情趣についての心得は必要である。……と、大体こんな事を言っている。まあ、この文全体が、筆者が遊里の風俗に通じている事をひけらかす気味がある。
旅はかたちを労じて情は後なるべく云々
旅の句を付ける時は、旅の具体的な様を表現してそこから旅の情を探らせるように句作し、恋の句を案ずる場合は先ず情を見定めてから、それに相応しい人物・場面・道具立てなどを趣向する。発想の方向が逆になると言っている。
連句の実際に疎いのでこの辺が良く判らないが、支考「続五論」にある姿情論を念頭に言っているのであろう。