「俳句スクエア集」平成30年 3月号鑑賞 I

                   

                       朝吹英和




和布刈(めかり)神事(しんじ)をのこ飛び込む藍の海     湧雲文月


 旧暦の元旦早朝に松明を掲げた神職によって執り行われる神事。1300年もの歴史がある古神事で、事前準備の様子は非公開の秘儀とされている。松本清張の推理小説『時間の習俗』の冒頭に登場する事でも有名となった。伝統の重みを内包した季語に全てを託した一句。



ためらはず月蝕を呑む寒の鯉       石母田星人


 普段は水底でじっと動かない寒鯉が月蝕を感知したのであろうか、水面に浮かぶ月蝕を丸呑みにしてしまったという意外性がユニーク。月蝕の持つ神秘的なエネルギーに敏感に反応した鯉の生命力が感じられる。



永日や手のひらに手のひらを置く     五島高資

 

 「手のひらに手のひらを置く」という仕草に優しさや慰めの感情が籠っているようである。言葉を発せずとも気持が通じ合うような心と心の交流が長閑な春の日に相応しい。





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  「俳句スクエア集」平成30年 3月号鑑賞 Ⅱ


                                              松本龍子



春寒や目鼻失くせし蝶と会ふ        服部一彦


 一読、不思議な余韻を感じる。目鼻を失くした蝶に会った立春後の寒さであるという句意。立春後のぶり返した寒さに蝶の死骸を見たということ。空想句だとみれば「春寒」に亡くなった魂に出会ったということだろうか。縄文人が本来持っていた「魂の本能」を感じる句。


 

仏頭をかかえ朧の橋懸り           阪野基道


 一読、詩情を感じる。仏像の頭部を抱えて春の夜のもうろうと霞む能舞台で、鏡の間から本舞台に向かって斜めにかけた勾欄のある通路であるという句意。能が作り上げた「物語の世界」の一場面だろうか。この妙なリアリティにはまるで三途の川を渡る「霊魂」を感じてしまう。


 

遠足のおにぎり一つ河童食ふ        大津留直


 一読、心に響く。遠足のおにぎりを一つ河童が食べてしまったという句意。「河童」という妖怪は津波で亡くした、生かすことが出来なかった「命の象徴」である。生者にとって言葉に出来ない哀しみと喪失感が「河童」を生んだといえる。つまり、「河童」という「共同体の記憶」と遠足という「作者個人の記憶」がつながり、死者の「果たされなかった未来」を生きているのだ。


 

ためらはず月蝕を呑む寒の鯉        石母田星人


 一読、詩情を感じる。地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える「月蝕」を寒中に水中でじっとしている鯉が躊躇なく呑んだという句意。「月蝕」と「寒の鯉」の呑みこむ一瞬に虚構性を感じるが、この「実像」と「虚像」の対比から生まれる「いのちの輝き」は見事だ。


 

片目にて笑む師のなみだ風光る       五島高資


 一読、心を打つ。片目で微笑む師の目から泪がこぼれて、光っている春の日であるという句意。師という「死者」は消滅しても、一元素に還って永遠に循環する風となり光となる。本当に出会った「死者」は残された「生者」の中で永遠に存在しつづける。死の中にある「いのちの輝き」として別れはこない。




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