俳句スクエア集・2月号鑑賞

 

                              朝吹 英和

 

 

極月のオンドマルトノ海揺する          服部 一彦

 

 オンド・マルトノはフランス人のマルトノによって発明された電波楽器である。メシアンの「トゥランガリラ交響曲」の実演でその演奏に接した事があるが、微妙なニュアンスの表現に優れている。オンド・マルトノが十二月の海を震動させると言うロマンに満ちた一句。

 

 

厳寒や黒い三和土に紙風船            鈴木 浮葉

 

 玄関先の土間に置き去りにされた紙風船。遊びに来て帰った孫の忘れものなのか。黒い三和土と白い紙風船の対比が厳しい寒さと不在感を醸成している。

 

 

冬の日の歪むあたりを行かむとす         真矢ひろみ

 

 冬の太陽の歪むあたりに象徴される心象風景とは如何なるものなのか。落日の景であろうか、崩落しつつある状況にも拘わらずに直向に進む心意気が感じられる。

 

 

月蝕の音満ちてゐる海鼠桶            石母田星人

 

 月蝕の音とは内なる心に響いた音であろう。最早囚われの身となって桶に潜む海鼠と天空から心に響いて来る月蝕の幽かな音が照応した静謐な世界。

 

 

筑波嶺を蓬莱として湯舟かな           五島 高資

 

 「西の富士、東の筑波」と称されるように美しい姿の筑波嶺をおめでたい正月の蓬莱飾りとして初湯に浸かる。不老不死の仙境である蓬莱にあやかりながら新春を言祝ぐ一句。

 

*********************************************************************************************************************************************************

 

俳句スクエア集・平成 24年2月号鑑賞

 

                             加藤直克

 

 

十王のさっそく仕事始めかな          加藤昌一郎

 

 インドに発する死者儀礼では、人が亡くなると、四十九日間はこの世とあの世の中間にいて(中陰)、つぎに行く先が定まっていくという。その際七日ごとに裁きを受けるのだが(そのため初七日を始め七日ごとの法要がある)、中国では、これに百か日、一周忌、三回忌を加えて十回とする。これらの法要において裁きを行うのが十王である。その中でもっともよく知られているのが閻魔大王(地蔵菩薩の化身とされる)であるが、日本では平安末期に『地蔵十王経』が作られ、三途の川などの他界観が形成されていったという。とすればこの句は、新年早々大切な人との別れがあったということなのであろう。同じ作者の「日向ぼこ弟の跡濡れており」とも関連があるのではないかと思われるが、句としてはこちらのほうが切実感がある。

 

 

ネッカーの川面に触れて風花す        大津留 直

 

 ネッカー川は、ドイツの大学都市テュービンゲンを流れ、やがてライン川に注ぐ。作者はテュービンゲンに長く暮らしてこられたのであるが、ネッカー川の畔には、若くして精神の病を発症した詩人ヘルダーリンが住んでいた塔がある。この句にはハイデッガーを思索と詩作の本源へと誘ったヘルダーリンへの想いが込められている。句は、風花が川面に触れて消えゆく瞬間の光、ハイデッガーにしたがえば、言葉が言葉となるところ、いわゆる「ものの見えたる光」を言い止めたものと見られる。「風花す」の動詞形がその消息を伝えている。

 

 

青猫の消えてゆきたる冬の星         松本 龍子

 

 言うまでもなく、萩原朔太郎の『青猫』であるが、その序文には、朔太郎の独白のごとき詩論が述べられている。いわく、「私の情緒は、靈魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聽く横笛のひびきである」。この言葉が頭にあったので、最初は冬の星と結びつかないような気がして違和感があった。しかし「青猫の消えてゆきたる」を、晩年の朔太郎の苛烈な情調と解すると、まさに「冬の星」が生きてくるという感慨を持った。一句に朔太郎の生涯と本質を表現した素晴らしい句である。

 

 

初美空平らな風の先をゆく           毬 月

 

 独特の体感に基づく繊細かつ微妙な洞察に満ちた句である。「平らな風」で地上性を、ひいてはわれわれの日常生活を暗示しながら、それが「平らかであれ」とする祈りが込められている。その祈りを誘うのがまさに「初美空」であるが、「先をゆく」は、その祈りが向こうからやってくることを言っているように思われる。つまり「初美空」が、すでに祈りそのものなのである。私たちは、ただ素朴な感性、素直な感謝の心をさえ持っていればよいということである。それゆえ「初御空」ではなく「初美空」としたのであろう。神仏に祈りの「構え」は要らないのである。

 

 

冬日入れて雑木林のあらかなる        五島 高資

 

 「あらか」は通常は「みあらか」で、御殿のこと。手入れの行き届いた雑木林には、冬日がどこまでも差し込んでゆく。その時、雑木林全体が、尊き方の住まわれる御殿、あるいはお宮へと化すのであろう。あるいは「あらか」は「みあらき」に通じるとすると、殯宮(あらきのみや)ということにもなる。冬日は死者の眠りを守りつつ、やがて新たな命が現れ出る時を準備しているのである。

 

*********************************************************************************************************************************************************

 

俳句スクエア集2月号鑑賞

 

                              松本 龍子

 

 

海底に沈むサンダル冬茜           朝吹 英和

 

 一読、冬の茜色に染まった空を眺めている作者が見えてくる。その空の向こうの海底に、ゆっくり沈んでいくサンダルとの対比。そこに東日本大震災の津波で流された人たちへの無念と鎮魂を見るのは私だけだろうか。

 

 

罅撫でて亡き父のいる鏡餅          加藤 直克

 

 作者にとって、床の間での父の振る舞い、声は正月の音だったのかもしれない。罅を撫でていると虚を突かれたように、亡き父を想い出したということだろう。作者のこころの深層部に眠り続けていた、父に巡り逢ったわけだ。作者のあたたかさが芳香のように感じられる句。

 

 

月蝕の音満ちてゐる海鼠桶          石母田星人

 

 月食とは地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることで月が欠けて見える現象。円い桶に原初的な形の海鼠が浮かんでいるのを眺めていると月食の音が聴こえてきたということだろう。円い桶に波打つ音がアナロジーによって響き合っている。

 

 

めつむりて赤になりきる日向ぼこ       堺谷 真人

 

 公園で冬日を浴びて暖をとっている作者。掲句の赤は日向ぼこと等価のように並置されている。眼を閉じて心が空になってくると太陽の赤が心の中に入り込んできたということだろう。身体そのものは消えて、心が赤の光と化している様子をうまく写生している。

 

 

筑波嶺を蓬莱として湯舟かな         五島 高資

 

 筑波山は主峰女体山とその西の男体山の二峰からなり、万葉集をはじめ古歌に多く詠まれた山である。蓬萊とは、古代中国で東の海上にある仙人が住むといわれていた仙境のひとつ。その山を霊山として仰ぎながらゆっくり湯舟につかっている作者。これは実景か幻想かどちらにしてもいかにも新年にふさわしい堂々とした句である。