高杉晋作(1839〜1867)
(辞世の句)
 おもしろきこともなき世をおもしろく


 この続きに「すみなすものは心なりけり
(そのような生きかたが出来るかどうかは本人の心がけ次第である。)と言う下の句がある。

 これは高杉が死の直前、上の句を詠んだものに対し、看病していた歌人・野村望東尼がつけたものである。私としてはどうも下の句は何か説教くさくて好きになれないので、ここでは実際に高杉自身が口にした上の句だけを挙げた。私はこの句に限っては未完成のままのほうが好きだ。余韻を味わうと言うより、高杉の生き様がこの上の句に全て集約されているような気がするからだ。

 ともかくもこの下の句を聞いた晋作は「おもしろいなあ。」とニヤリと望東尼に彼独特のいたずらっぽい目を向け、最後に「よしだ…。」とつぶやいて息を引き取ったと言われている。最期に師・吉田松陰の名を口にしたかったのか、それとも奇兵隊本部のある吉
田山に埋めてくれと言いたかったのか。それは本人にしかわからない。とりあえず遺族は後者の解釈を採用し、遺体を吉田山に埋めた。

 歴史に残る人物と言うのは不思議とその歴史的使命を終えるとともに実にタイミングよく消えていくという。例えば織田信長が腐敗しきった旧秩序を破壊し、秀吉がそれを継承して天下を統一し、さらに家康がその上に江戸幕府という武家政権を打ち立て、
250年の平和な時代を作り上げたように。

 そしてその江戸幕府もやがてその使命を終える時が来る。そんな時代に天は彼に革命と言う歴史的使命を与えた。彼の死後、倒幕藩となった長州藩は薩摩藩と手を組み、一気に幕府を倒し、明治新政府を確立する。果たしてこの政府が晋作が夢見た革命の結果かどうかはわからない。ここからは推測になるが、おそらく彼はこの政権に参加しなかったであろう。

 彼は確かに革命家ではあるが、政治家としての資質があるとはいえない。これは彼が一番よく知っていたし、第一彼自身政治と言うものが嫌いだった。彼は政治家になるにはあまりに権力欲が無かった。

 むしろもともと坊ちゃん育ちで、詩とどんちゃん騒ぎが好きな彼にとっては平穏で気楽な人生を望んでいたふしがある。もし彼が平穏な世に生まれていればおそらく裕福で気楽な詩人として一生を終えたであろう。

 が、時代がそれを許さなかった。時代は彼の革命家としての資質を切望し、彼にその使命を与えた。そしてその使命を終えるとともに彼を再びあの世に呼び戻した。ともかくも彼の死後、革命は一応達成され、次の時代の歴史的使命者として、伊藤博文、山県有朋、西郷隆盛、大久保利通、といった政治家が活躍する。


 
このような歴史のからくりが歴史を創り出し、ひいては現在があると思う。このような使命を受けた当の晋作にとって幸せであったかどうかはわからない。ただ言えることは彼はこうした重大な使命を帯びつつも、常におもしろく生きようとしたということである。

 彼はその人生で「困った」と言う一言をついに吐かなかったという。この言葉には彼が生涯
で「絶望」というのを味わわなかったということだと思う。彼はどんなに苦境に立っても、逃げたり、笑ったり、ときには出家したりどんちゃん騒ぎをしながらあきらめずに乗り越えてきた。そしてその結果が彼の最期の言葉につながるのであろう。最後に彼の生前の同志(というよりは子分に近かったが)であった初代内閣総理大臣伊藤博文が高杉について次のような言葉を残しているので載せておこう。

 「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや・・・」

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