岸波通信その90「会津磐梯山の真実」

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Present by 葉羽
「民謡 会津磐梯山」 by 音楽研究所
 

岸波通信その90
「会津磐梯山の真実」

1 盆踊りと「会津磐梯山」

2 会津東山盆踊り

3 戦争と「会津磐梯山」
  ~踊る抵抗~

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  The truth of Aizu-Bandai-san (※2016.10.10「セクシー会津磐梯山」を改稿)当初配信:2003.11.22

「男振りより金より心 金で買われぬ エーまた心持ち」
  ・・・民謡会津磐梯山 142番

 こんにちは。民謡「会津磐梯山」に関する新たな発見に胸を躍らせている葉羽です。

 ふるさと福島の誇る名峰会津磐梯山は女性だったこと…ご存知でしたでしょうか?

♪会津磐梯山に 振袖着せて
 奈良の大仏 エーまた婿にとる

 ほ~らね! 振袖を着て、奈良の大仏様を婿に取っちゃうんですよ。

 えっ? そんなことより、「あまり聞いたことの無い歌詞」だって驚いてるんですか?

 それもそのはず、全国の皆さんが普段耳にする「会津磐梯山」は、昭和9年に、日本ビクターが、売り出したばかりの“蓄音機”の販売促進のため、売れっ子作家の長田幹彦に作詞させ、芸者歌手の小唄勝太郎に歌わせたキャンペーン曲だったのです。

宝の山「会津磐梯山」

 さて、それでは、もともとの民謡「会津磐梯山」は、どのような唄であったのか?

 地元会津地方で歌われ継いでいる「正調会津磐梯山」は、何と162番もある長い唄なのです。

 しかも、本当の歌詞は、ところどころに都都逸(どどいつ)まで織り込んだ、とてもセクシーな内容なのです。

 例えば…

♪色で泣かされ 味でも泣かせ
 罪なものじゃよ エーまた唐辛子 ------(88番)

 はい、ドキドキしてしまいましたね…実に見事なオチ。

 エロチックではあるけれども決して直截ではない…そんな洗練された色香ただよう遊び心が「正調会津磐梯山」の身上です。

 ということで、今回の通信は、民謡「会津磐梯山」の真実に迫ります。

浴衣のセクシー


 

1 盆踊りと「会津磐梯山」

 さて、皆さんが記憶に留めているのは、こちらの「会津磐梯山」でしょう。

♪ エイーヤー
 会津磐梯山(あいづばんだいさん)は 宝の山よ
 笹に黄金(こがね)が エーまたなりさがる
 スッチョイ スッチョイ スッチョイナー

 エイーヤー
 ことしゃ豊年(ほうねん) 穂(ほ)に穂が咲いて
 道の小草(こぐさ)も エーまた米がなる
 スッチョイ スッチョイ スッチョイナー

小原庄助(おはらしょうすけさん)さん
なんで身上(しんしょう)つぶした
朝寝(あさね) 朝酒 朝湯(あさゆ)が大好きで
それで身上つぶした
もっともだ もっともだ

 現在は、有名歌手大塚文雄にも歌われ、日本中に知られている会津磐梯山ですが、この唄は冒頭に申しましたように、ビクターが仕掛けたキャンペーン・ソングでした。

 ビクターの目論見はみごと的中し、そのレコードは爆発的な大ヒットとなって「蓄音機」も売れに売れたのです。

 昭和9年といえば、世の中が日中戦争から太平洋戦争になだれ込もうとする暗い世相の中。

 逆にこの曲の持つ明るさや東北民謡には稀なアップテンポのハヤシなどが大衆に支持されたのかも知れません。

 しかし、もともと会津地方で歌われていた「会津磐梯山」とは唄も伴奏もかなり違うものでしたから、地元の会津民謡研究会では、“郷土芸能を冒涜するものだ” として同社に強硬抗議するという騒ぎも起きました。

喜多方「庄助踊り」

 一方、本来の「会津磐梯山」…こちらはもともと“盆踊り唄”でした。

 盆踊りの風習は、江戸時代中期から各地で盛んになりましたが、会津地方では「玄如踊り」と呼ばれ、そのハヤシ唄は「玄如節」と呼ばれていました。

 それが現在伝わる「正調会津磐梯山」の形になったのは明治に入ってからのことで、新潟県の五箇浜地方から会津に出稼ぎに来ていた油職人たちが故郷の五箇浜踊りを持ち込み、これが会津の玄如踊りと一体化したのです。

 ですから、当時の会津磐梯山の1番はこんな文句でした。

♪五ヶ浜 立ち退くからは
 後は野となれ エーまた山となれ ------(1番)

 全然、今と違いますね! ちなみに「会津磐梯山は宝の山よ~」 というあの有名なくだりは21番にありました。

 五ヶ浜という地域は、出稼ぎで生計を立てなければならない貧しい漁師たちの土地柄でしたから、歌も荒削りで勇壮…踊りもそれに見合った激しいものでした。

 現代の盆踊りは、ともすればおじいさんやおばあさん達が踊るスローテンポなものと思われがちですが、もともとは若者たちが主役で、激しく、そしてセクシーなものだったのです。

(祭りは元々、若い男女の出会いの場でしたから。)

 幕末の戊辰戦争での敗北、薩長の明治政府による差別的圧制の下で、会津の人々の抑え付けられた暗い情熱は、激しい五ヶ浜踊りを受け入れることで、カタルシスを得ようとしていたのかも知れません。

♪唄え十六 声張り上げて
 胸の蓮華の エーまた開くほど ------(14番)


♪月の出会いと 夜は定めたが
 月は早よ出て エーまた杜の陰 ------(43番)


♪浅い川なら 腰までまくり
 深くなるほど エーまた帯を解く ------(102番)


♪俺と行かぬか あの山越えて
 落ち葉布団で エーまた寝てみたい ------(126番)

 どうです? 若い男女の出会いの場…現代では忘れ去られようとしている盆踊りの本質が、これらの歌詞から垣間見えるではありませんか。

意外な歌手も歌っている「会津磐梯山」

 日本ビクターの戦略で大衆曲となった「会津磐梯山」。意外な歌手も歌っています。それは、「モスラ~やっ、モスラ~」のあの双子の名デュエット『ザ・ピーナッツ』!

 その証言が以下…

ザ・ピーナッツ

(「会津磐梯山」は、)デビュー1年目に出たLP「ピーナッツ民謡お国めぐり」の7曲目に入っています。

 演奏者の記述に(弦楽助奏)と書かれてますが弦は無く、ラテン・リズム助奏です。

 私は既に書いたように「モスラ」時点からのファン開眼ですのでリアルタイムではこのレコードは手に入りませんでした。

 お店に取り寄せをお願いしたのでしたがなかなか見つからなくて、また、家には電話もない(特に貧乏な家ということではありません。普通の家には電話などない時代だったんですよ)というわけなので、何度も何度もお店に顔を出さなくてはならなかったんです。

 ♪イ~~ヤァ~~~ァ 会津磐梯山は・・
 ♪イ~~~~~~~~~ヤァ~~~~~ァ 東山から・・

 2段目は間奏の後のかけ声部分の出だしが最初のそれとは違って音符の長さが倍です。ここの所のピーナッツの声がとってもイイんだなあ。文字には出来ない。焦れったい。

 ただし、このレコードは親父が家に居る時に聴くのは御法度でしたよ。なぜかって?

 福島県人だし、こんなのは会津磐梯山じゃないというのに決まっているからなんです。

 元々の歌を親父は自慢のノドで聴かせることもありましたが、それは普通に馴染んでいる「会津磐梯山」とも違ってましたから、ピーナッツのは言語道断でしょう(笑)。

【ザ・ピーナッツ応援サイト「INFANT LAND」の“レコード随想”より引用】


 

2 会津東山盆踊り

♪東山から 日にちの便り
 行かじゃなるまい エーまた顔見せに ------(154番)

 そして、会津盆踊りのメッカといえば、東山温泉。小粋な芸者衆が、卓越した芸と洗練された色香で男衆を癒した温泉街。

 そうした背景から、「会津磐梯山」には都都逸の歌詞も織り込まれるようになります。

会津若松市「東山盆踊り」

 こちらは、都都逸から導入された歌詞。

♪振られ女と 躓く石は
 憎い奴だが エーまた振り返る ------(72番)


♪立てば芍薬 座れば牡丹
 歩む姿は エーまた百合の花 ------(83番)


♪恋に焦がれて 鳴く蝉よりも
 鳴かぬ蛍が エーまた身を焦がす ------(87番)


♪思い出すよじゃ 惚れよが薄い
 思い出さずに エーまた忘れずに ------(91番)

 明治政府による執拗な圧制、多くの会津武士がその道半ばで死んでいった不毛の地、最果ての青森・斗南や北海道・函館への強制移住…。

 花街を生業とした芸者衆も、その出自の多くは、生活の糧を奪われた貧農の娘たちでした。

 しかし、彼女たちは誇り高く、芸の腕を磨き、町人文化の粋を極めた都都逸を身につけることで、世にある遊郭の女郎たちとは一線を画したのです…。

♪男振りより 金より心
 金で買われぬ エーまた心持ち ------(142番)

 まさに、会津女の心意気ではないでしょうか。

現代東山温泉の姐さんたち

 そして、会津磐梯山の遊び心は、都都逸ばかりではありません。

♪娘島田に 白粉(おしろい)つけて
 どこをお前は エーまた廻谷地 ------(28番)


♪なぜに長浜 待たせておいて
 わたし一人を エーまた翁島 ------(32番)


♪煙草呑みたい 火は桂林寺
 誰かそこらに エーまた居高町 ------(37番)

 このように、地名を巧みに織り込んだ掛詞があり…

♪会津磐梯山は お洒落な山よ
 湖水鏡に エーまた化粧する ------(24番)

 このような美しい比喩があります。

 そして…

♪雨の降る日も 風吹く夜半も
 案山子鳴子の エーまた共稼ぎ ------(63番)

 若者たちの唄ばかりではない。夫婦者だって、みんな貧しいから共稼ぎをしなくちゃならない。

 夫婦が遠く離れて出稼ぎすることだってあるのです。だからこそ…

♪遠く離れて 逢いたいときは
 月が鏡と エーまたなればよい ------(48番)


♪思い近くなれ 川浅くなれ
 わしの行く道 エーまた近くなれ ------(56番)


♪久しぶりだよ 柱に頭
 逢いたかったと エーまた目に涙 ------(69番)

 どうですか? 泣けてきませんか、この夫婦愛。

(単身赴任を経験したサラリーマンならよく分かりますよね?)

きんちゃく


 

3 戦争と会津磐梯山~踊る抵抗~

 このように、民衆の生活の中から生まれ、愛されてきた「会津磐梯山」ですが、大正時代にその存続の危機を迎えることになりました。

 大正三年、若松警察署の山田署長は、会津盆踊り唄の“野卑・淫猥”を放置しては風紀が乱れると、とんでもないことを言い出したのです。

 いったいどのような部分が彼の気に障ったのか…記録は定かではありませんので、多分この辺ではないかと思われるところを掲げてみますと…

♪お月様さえ 夜遊びなさる
 わしの夜遊び エーまた無理はない ------(44番)


♪声はすれども 姿が見えぬ
 ほんに貴方は エーまた屁のようだ ------(49番)


♪国を出るとき 褌忘れ
 長の道中を エーまたぶらぶらと ------(51番)


♪高い山から 谷底見れば
 茄子や南瓜の エーまた花盛り ------(52番)

(茄子が何か、南瓜が何か、ちょっとこれ以上説明できないですけれども。)

♪こんなよいこと なぜ今迄が
 無くて過ぎたか エーまた忘れたか ------(82番)


♪山で舐められた 味噌代よこせ
 味噌代なければ エーまたかかぁよこせ ------(130番)


♪かんしょかんしょ 七かんしょの八かんしょ
 九のかんしょで エーまたやめられた ------(131番)

 この辺の唄になると、かなり想像力が必要。思うに山田警察署長は、かなり想像力のたくましい方だったようで。

 そもそも、何故、警察権力が民衆の祭りにまで関与しようとしたのか? …その謎を解くには当時の世相を理解しなければならないでしょう。

 大正三年といえば1914年。そうです…その年の6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者のフランツ・フェルディナントが暗殺される事件が起こり、第一次世界大戦が勃発したのです。

 1910年の日韓併合で大陸への足がかりを築いた日本は、この夏、第一次世界大戦に参戦。ドイツの租借地であった中国山東省に上陸し、その後、南方諸島へと戦線を拡大して行くのです。

 こうした情勢の中、大日本帝国の国民の綱紀粛正に乗り出した…これが「会津磐梯山」弾圧の真実でした。

浴衣帯

 警察が打った手は、会津に伝承された会津磐梯山の歌詞を一旦オシャカにして、新しい歌詞を作るというもの。

 …市内の歌人星暁村翁に託して新作盆踊り唄を作詞させ、風紀を根底から改良しようと図ったのです。

 その新しい歌詞とは、いったいどんなものだったかと言いますと…

♪踊るその間も 心にかけて
 家と国とを 忘るなよ

 守れをしへ(教え)の 道一筋に
 ふみなたかへそ 足拍子

 をとり踊るも 国家のためよ
 先祖祭りの 盆をとり

 時は今だよ 男子も女子も
 やまと心の 玉みがけ…

【大正3年8月26日付「会津日報」より引用】

(この年の8月23日に、日本はドイツに宣戦布告をしました。)

 さて、お国の事情は分かるものの、これでは祭りが盛り上がらないことおびただしい…。

 ここに民謡会津磐梯山は、警察の介入によって、最大の存亡の危機を迎えるのです。

 しかしこの時、会津の市民は、警察権力も恐れず一致団結して反発しました。

 いわく……

「民謡は生まれるものであって、作られるものではない」

 結局、山田署長の風紀改良の目論見は水泡に帰すこととなりましたが、やがて昭和に入ると、「会津磐梯山」にとって再び大きな危機が訪れます…。

東山盆踊り

 太平洋戦争が激しくなると、戦時統制の非常時ということもあって、盆踊りに対する政府・軍閥の風当たりが強くなったのです。

 この時も、市民たちは…

「非常時なればこそ、年に一度の盆踊りは明日への活力の源になる」

 ~と正論を訴え、一歩も譲ろうとしませんでした。そして…

 会津文化協会は、昭和19年の盆踊りを「旧盆の14日から連続三日間踊り抜く」という反骨精神を掲げて政府・軍閥に対し『真っ向勝負』に打って出たのです。

 まさに身体を張っての無謀な挑戦。

 しかし、会津の市民たちは、会津人の誇りを賭けた文化協会の姿勢を無にはしませんでした。

 会津文化協会の反骨精神を意気に感じた老若男女が市の内外から大勢駆けつけ、“踊る抵抗”は会津の大きなうねりとなったのです。

 そして、三日三晩、見事最後まで踊り抜くという快挙を成し遂げました。

会津若松市「東山盆踊り」

 僕はねぇ、胸が熱くなるですよ、こういう話を聞くと…。

 会津の地に育まれ、常に会津の民衆と共にあり、そして、民衆の心の支えとなってきた民謡「会津磐梯山」。

 それはまさにふるさと福島の誇り…その民衆文化を命がけで守ってきた先達がいるのです。

 その会津磐梯山、最後を締めくくる162番は、やはりこの歌詞です。

♪忠義一途の あの稚児桜
 散りてその名も エーまた白虎隊 ------(最終162番)

 郷土の誇り、「会津磐梯山」よ永遠に…。

 

/// end of the “その90 「会津磐梯山の真実」” ///

 

《追伸》

 最初はポップにまとめようかと思っていたんですが、調べていくうちにだんだんと姿勢を正さないと書けなくなっちゃいました。最後の方なんてもう…。

 ところで、この「会津磐梯山」。会津の悲しい歴史を知らなくとも、この曲の持つコミカルな側面や東北民謡には珍しいアップテンポなところなどが、意外なところで現代の若者から評価されています。

 最後に、九州鹿児島のライブ・バンド、ARTSのファンサイトにあった書き込みをご紹介したいと思います。

ARTS

会津磐梯山を歌うARTS

(←写真もお借りしました。)

 朝寝・朝酒・朝湯が大好きで  by原口春美

 『会津磐梯山』という、ポップアンドキッチュな日本民謡の名曲がある。

 「ェエンイヤアーーアア、 会津磐梯山はぁ、宝ぁのォ山よォ」 というイントロだが、若い衆でも音を聞けばわかるだろう。やたらめったら明るくにぎやかな曲である。

 歌詞の大筋は「会津(福島県)の磐梯山は金が取れる山で、そこで山師をやって一山あてて、長者(富豪)になった小原という家があったが、その家の道楽息子、小原庄助さんが道楽が過ぎて身上(しんしょう、つまり財産)をつぶしてしまった。」という身もふたもない内容である。

 曲の途中でお囃子(要するにラップ)があり、「オハラショウスケさん、なぁんで身上つぅぶした? 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、そぉれで身上つぅぶした (ハアもっともだぁーもっともだぁー)」 ね?笑かすでしょ?

 朝寝朝酒朝湯ぐらいで(ハアもっともだぁーもっともだぁー)とまでいわんでもいいだろう、おい。

 この曲は徹頭徹尾シンコペーション(要するに裏打ち)で構成されていて、テンポも速いので、へたに明治以降のくそまじめなクラシック音楽教育を受けた世代にはむちゃくちゃ難しいらしい。こんなにおもしろくて楽しいのにねえ。

 だからとまでは言わないが、そういう人たちはこの曲が嫌いだ。たとえ東北民謡が好きなひとでもこの曲より『南部牛追い唄』(これも相当難しい唄だ)を選ぶ。

 南部とは、岩手県南部のことで、『南部牛追い唄』はここの高原地帯で米を牛に乗せて運ぶ牛方の労働歌だ。哀切極まりない世にも美しいメロディーの曲である。確かに名曲である。あたしも大好きだ。

・・・・・・しかしねえ。『南部牛追い唄』を聞いてるとね、気が滅入るのよね。しみじみとするんだけどね。美しいんだけどね。

 だから、年をとったらどうかわからないけれど、今のあたしは『会津磐梯山』を選ぶ。 だいたい「朝寝、朝酒、朝湯が大好き」な小原庄助さんてかわいくない?

 自分の欲望に忠実でさ。朝寝と朝酒だけだったら、酒くさくてオヤジくさいだけだけど、朝湯が好きなんだよ。きれい好きの洒落者で、女にもてそうじゃない?

 唄はさらに東山の温泉芸者が迎えに着たり、雪化粧した磐梯山が振袖を着て(なんと女であったか磐梯山)奈良の大仏を婿取りしたり、キッチュでシュールな世界が展開し、お座敷宴会歌としての面目躍如たるしろものである。

【鹿児島のライブグループARTSのファンによるライブ・レポートより引用】

 新たな息吹も与えられている「会津磐梯山」でした。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

一方こちらは福島市の夏祭り
ダンシングそーだナイト

(うむむむむむ‥。)

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To be continued⇒“91”coming soon!

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【岸波通信その90「会津磐梯山の真実」】2016.10.10改稿

 

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