*

[彼]を仰ぎ見て、[男]は言った。


「手を繋ぎましょう。
他はいりません。手を、手を繋ぎましょう。」

[彼]は薄く笑うだけで[男]の言葉になにも反応を返さない。
心地よく肌寒い空気が流れる。風がひゅるりと、[男]の火照った表皮から熱を攫って行った。

辺りはまるで汚れたフィルターを通して見るようで、奇妙に薄暗い。
頭上を覆う空は夜模様だったが、ひどく濁った白と黒と赤で飾られ、とても夜らしからぬ。


[男]は俯く。そしてもう一度、小さくゆっくりと願いを言葉にする。

「手を…どうか、手を…」

待てども返事はなく、風がひゅるりひゅる流れるだけの沈黙が呟きの余韻と、辺りを侵食していく。


自分のつま先を凝視している[男]からは[彼]の今の表情は伺えないが、きっとさっきと同じ表情をしているのだろうと[男]は思った。
そして、[彼]は自分のことを見てなどいないだろうとも。

ギシッ
ひゅるりと、強めの風が訪れたと同時に、[彼]からの音。

[男]は再度[彼]を仰ぎ見る。

[彼]は少し高い場所に、木から伸びる太目の枝にきつく結んだロープにぶらり吊られている。
その上、[男]と[彼]との距離はそう離れておらず、見上げる[男]は少し首が痛い。

別に[彼]の表情を、自分の考えの当たり外れを確認するために[彼]を見上げたわけではなかったが、
[彼]の変わらぬ表情に[男]は「ああ、やはり」と声に出さず呟く。

何が可笑しいのか[彼]は笑ったまま、ぶらり首を吊っている。
薄らと笑みのかたちに歪んだ口、目。視界にはいっているはずなのにこちらに向けられない瞳。
木の枝と[彼]の首をつなぐロープが軋む音。


異質な惨状も意に介さず、男は願いを紡いでゆく。

「ああどうか、手を繋ぎましょう。それだけでいいのです。
どうか手を、手を、手を、手を、手を、手を…」


言いながら[男]は[彼]に手を伸ばす。風に温度を奪われてなお熱い掌をいっぱいに開いて。
しかしその手は[彼]にぎりぎり届かない。

既に彼も、この異質の一部だった。

しばらくそのままでいたが、[男]はひゅる、と細く息を吐きながら手をだらりと下ろす。
諦めたような吹っ切れたような、そんな様子でもう一度ひゅるりと、小さく開けた口から息を漏らす。
それは、さっきから吹いては止まるを繰り返す風の音に似ていなくもなかった。


「手を」


[男]は呟くと自分の足元の物を手に取った。
[男]はソレを、柄の長いハサミを、[彼]が枝からぶらり吊られているロープへと向ける。

そして、止まった。


「手…」


もう一度呟き、ふと微笑んでから、ハサミの先ををロープから[彼]の右二の腕へと移動させた。

そして、


ミチッ、ギチッギチッ
「手を、手を、手を、手を」

キッ、キチッ、ギチン!
「手を、手を、手を、手を」

…ギチッ

どさりと地面へ落下してきた[彼]の右腕を、[男]はハサミを放り出して、それはそれは大切そうに拾う。


「手を繋ぎましょう」


[男]は自分の左手を[彼]の切断された右手へ絡め、心底嬉しそうに笑う。
[彼]の右腕は力なくくたりとし、切断面からは赤黒い血がしたりしたりと垂れ落ちていたが、[男]にはどうでもよい事のようだった。

ギッ…ギシ…
反動で揺れる[彼]が大きな音をあげている。それさえも、[男]にはどうでもよい事。

とても緩慢な動きで[男]は歩き出す。[彼]の右手と手を繋いだまま、[彼]自身に背を向けて、酷くゆっくりと歩く。
辿り着いた先は、[彼]が首を吊る木からほんの少し離れた場所にある、濃紺の夜色をした大きなキノコだった。

[男]はやはり緩慢な動きで、広がる空よりずっと夜らしい色のそのキノコに腰掛ける。
相変わらず[彼]の右手と手を繋いだまま、今にも鼻歌でも歌いだしそうなほど嬉しそうに、[男]は空を仰いだ。

空は先ほどとなんら変わらなかった。

時を止めたように、というよりは元より偽者作り物であったように、変わらぬ色で頭上に広がっている。