シャーリー・テンプル Shirley Temple

本名:
シャーリー・ジェーン・テンプル
シャーリー・テンプル
職業:
俳優
生年:
1928年4月23日
出身国:
アメリカ
出身地:
カリフォルニア州 サンタモニカ
没年:
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代表作:
『輝く瞳』(34)
『テンプルの軍使』(37)
『テンプルちゃんの小公女』(39)

父親が銀行の頭取という裕福な家庭に生まれ、 3歳になると母親に連れられてダンス教室に通い始め、 テンプルの才能に可能性を見出した両親は彼女を映画会社に売り込み、4歳の時にエデュケーショナル・スタジオと契約。 32年には大作映画を幼児キャストでパロディ化する1巻ものの短編映画『ベビー・バーレスク』シリーズの一本『War Babies』(32)に出演。 33年にエデュケーショナル社は倒産したが、翌34年には作曲家のジェイ・ゴーニーに認められてフォックス社と契約。 長編初出演作となった『歓呼の嵐』(34)では「ベイビイ御目得」を歌い踊り一躍センセーションを巻き起こした。 同年にはパラマウント社に貸し出されてデイモン・ラニヨン原作の『可愛いマーカちゃん』(34)に出演。 映画は空前のヒットを記録し、続く『ベイビイの御目得え』(34)も大きな成功を収めて、財政難にあえいでいたスタジオの救世主となった。 『輝く瞳』(34)では初めてドラマティックな役柄に挑戦。 歌と踊りだけでなく演技も出来ることを証明し、この映画を観たルーズヴェルト大統領に「テンプルがいる限り合衆国は安泰だ」とまで言わしめさせた。 その後も晴れやかな笑顔でアメリカ中の観客を魅了し、 再びパラマウント社に貸し出された『久遠の誓ひ』(34)では同社の看板スター、ゲーリー・クーパーキャロル・ロンバードと共演。 35年にはアカデミー特別賞を受賞し、最年少で受賞したテンプルには子役用の小さなオスカー像が贈られた。 35年、フォックス社は20世紀社と合併して20世紀フォックスとなり、 スタジオの重役に就任した製作者のダリル・F・ザナックは自社のトップスター、テンプルの映画製作を第一に考え、 南北戦争を舞台にした『小聯隊長』(35)や『テムプルちゃんお芽出度う』(35)など テンプルの魅力を最大限に引き出した映画を次々に製作。 公開される映画はどれも大きな成功を収め、彼女の人気にあやかって巷にはテンプルをあしらった石鹸やシリアルなどのグッズが氾濫。 中でもテンプル人形は最大のヒット商品となり、年150万ドルもの売上を上げを記録し、海賊版も大量に出回って訴訟騒ぎまで起こった。 35年に全米の少女を対象に行った「将来なりたい人」のアンケートでは、女性飛行家アメリア・エアハート、大統領夫人エレノア・ルーズヴェルトを抑えて第1位を獲得。 その年のマネーメイキング・スター・トップ10でもクラーク・ゲイブルフレッド・アステアといったドル箱スターを抑えて第1位に選出され、その後4年間首位の座をキープした。 8歳になっても彼女の人気は衰えることが無く、誕生日には13万個ものプレゼントが届いて ハリウッドのトップスターとしての栄誉を欲しいままにした。 その後も続々と新作が作られ、10歳のときには一本につき100万ドルもの出演料を獲得。 スタジオ内にはテンプル映画製作部門が設けられて、19人もの専属の脚本家が雇われた。 37年には子供映画とはおよそ縁の無いジョン・フォード監督の『テンプルの軍使』に出演。 子供嫌いのフォードは最初は冷ややかに接していたものの、最後には彼女の純真さに心を開き、 二人は撮影終了後も親交を深めてフォードはテンプルの最初の子供の名付け親にもなった。 12歳になると愛くるしい子役を演じるのが難しくなり、 大人の観客にもアピール出来る青春スターへの転身を希望したが、 ザナックは彼女の意見を受け入れずに、彼女が大人から悪い影響を受けないよう世間から隔離しようとした。 そんなザナックのやり方に失望したテンプルは、 フォックスを離れて敏腕製作者デヴィッド・O・セルズニックと契約。 メロドラマ『恋の十日間』(44)や『君去りし後』(44)などの話題作に出演したものの、大きな注目を集めることはなかった。 45年には陸軍軍曹のジョン・エイガーと結婚。 結婚後もケーリー・グラント、マーナ・ロイ共演のコメディ『独身者と女学生』(47)や、フォード監督のウェスタン『アパッチ砦』(48)などに出演。 50年には休暇旅行先のハワイで出会った実業家チャールズ・ブラックと再婚して映画界から引退を表明。 テンプルは子役時代に稼いだお金を引き出そうとしたが、父親が事業に使い込んでいた為、ほとんど残っていなかった。 これは、親に子役のギャラの半分を信託財産として預ける事を義務づけるジャッキー・クーガン法に違反していたので両親を訴えることも出来たが、 彼女は潔く全てを諦めた。 67年にはカリフォルニア州の下院議員補欠選挙に出馬して話題になるが、惜しくも落選。 以後、政治的活動が多くなり、 69年にはリチャード・ニクソン大統領の指名を受けて国連の代表委員に就任。 武力によるヴェトナム戦争の解決を主張するなど、子役時代からは想像できないタカ派の言動が話題となり、 審査員を務めたサンフランシスコ映画祭では奔放なスウェーデン映画を非難して保守的な面を見せた。 また、74年にはジェラルド・フォード大統領によってガーナの親善大使に任命され、76年まで就任。 89年にはジョージ・ブッシュ大統領によってチェコの大使に任命された。 88年には自伝を発表しベストセラーとなり、01年にはテレビ映画『シャーリー・テンプル物語』が放映された。

紹介作品

テンプルの軍使(37)

出演



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