失はれた地平線 Lost Horizon
公開:
1937年
失はれた地平線
製作:
コロムビア・スタジオ

フランク・キャプラ
監督:
原作:
ジェームズ・ヒルトン
脚本:
ロバート・リスキン
撮影:
ジョセフ・ウォーカー
音楽:
ディミトリ・ティオムキン
出演:
ロナルド・コールマン

ジェーン・ワイアット

H・B・ワーナー

戦乱の中国を脱出したイギリス外交官のコンウェイらを乗せた飛行機は、ハイジャックされヒマラヤの奥地の雪山に不時着する。寒さと飢えに苦しむコンウェイたちは中国の行商人たちに助け出され、この世の桃源郷「シャングリ・ラ」に導かれる。死期を迎えた250歳の長老は、コンウェイを後継者に指名するが、下界に未練があるコンウェイは弟と共にシャングリ・ラを去る決意をする。映画の中で理想のアメリカ社会をユーモアを交えて描いてきたフランク・キャプラ監督が、人類の理想郷を描いた異色のアドベンチャー映画。完全なる秩序の下で平和な生活を送るシャングリ・ラの人々の姿は、キャプラが自作の中で提示してきた理想社会に重なる。

実在の冒険家ジョージ・リー・マロイに触発されたジェームズ・ヒルトンが6週間で書き上げて、1933年に発表した冒険小説『失はれた地平線』を、キャプラはロサンゼルスのユニオン駅で電車を待つ間に読み、小説を気に入った彼はコロムビア社のボス、ハリー・コーンに打診して、同じく映画化権の購入を狙っていたキング・ヴィダー監督よりも高値で競り落とす。キャプラは『其の夜の真心』(34)の後、今作の映画化に取り組む予定だったが、彼が主役のコンウェイ役に希望した唯一の俳優だったコールマンが他の仕事で忙しくスケジュールを調整することが出来なかった。コーンは制作費を押さえるために、コールマンよりも出演料の安いブライアン・エイハーンの起用を薦めるが、キャプラはコールマンの起用にこだわり、彼の体が空くのを待つ間にキャプラはゲーリー・クーパーを起用して『オペラハット』(36)を手掛ける。『失はれた地平線』の製作に際してコロムビアはヒルトンの広大なストーリーを視覚化するため、当時のスタジオが一年に使用する予算の半分である250万ドルもの予算をつぎ込む。映画のセットの中でも最大級のものが、建築家フランク・ロイド・ライトのコンセプトを基にして、バーバンクのコロムビアのスタジオ内に作られたシャングリ・ラのセットで、150名もの職人たちが2ヶ月もの期間をかけて豪華絢爛な桃源郷を作り上げる。劇中のチベットでの雪山シーンの撮影の為にキャプラは巨大な冷凍倉庫を使用し、俳優達は氷点下の中で撮影を行う。撮影は1936年の7月に終了し、サンタバーバラで最初のスニーク・プレヴューが行われる。しかし観客には早すぎた映画であった。サンタバーバラで行われた試写会の結果は散々で、観客はシリアスな場面で笑い、製作者たちを皮肉った。怒ったキャプラは、オープニングとして用意した、シャングリ・ラを去ったコンウェイが記憶を失って発見され、船で故郷のイギリスに帰る途中で記憶を取り戻し、船から抜け出してシャングリ・ラに戻ろうとするまでを収録した2巻のフィルムを燃やしてしまい、新たに編集し直したヴァージョンを公開する。映画は批評家からは高い評価を得て、観客からも気に入られるが、映画の制作費が高かったために、初公開時には利益を生み出すことは出来なかった。初公開時、コーンの指示によって映画はシャングリ・ラに戻ったコンウェイをワイマン扮するソンドラが迎えるシーンがエンディングに使われていたが、このシーンが気に入らないキャプラは映画の一般公開が始まった一週間後にコンウェイがシャングリ・ラの入り口を見つけるシーンに差し換える。また、映画の初公開時の上映時間は132分だったが、時の経過と共に映画は短くなり、1943年に公開されたヴァージョンは108分まで短縮された反日プロパガンダ映画として公開され、タイトルも『Lost Horizon of Shangri-La(失はれた地平線のシャングリ・ラ)』に変更される。


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