ジュディ・ガーランド  Judy Garland

本名:
フランシス・エセル・ガム
ジュディ・ガーランド
職業:
俳優
生年:
1922年6月10日
出身国:
アメリカ
出身地:
ミネソタ州 グランド・ラピッズ
没年:
1969年6月22日
代表作:
『オズの魔法使』(39)
『若草の頃』(44)
『スタア誕生』(54)

ボードビリアンの両親のもとにうまれ、2歳の時には父親が経営する映画館で2人の姉と「ジングル・ベル」を歌い、歌手としての才能を開花させる。 やがて、姉と3人で「ガム・シスターズ」を結成。両親とと共に舞台やラジオ番組に出演して人気を博す。 29年には短編映画『The Big Revue』で映画デビューを果たし、 35年にガーランドはM-G-M社の短編『サンタバーバラ祭』に出演。 これがきっかけで、ガーランドは同社のオーディションを受け、編曲家のロジャー・イーディンスとM-G-Mの総帥ルイス・B・メイヤーは大人のような歌声を持つガーランドの才能に惚れ込んで彼女と専属契約を交わす。 36年の短編『アメリカーナの少女』ではディアナ・ダービンと共演し、同年には初の長編映画『Pigskin Parade』に出演。37年の『踊る不夜城』では「Dear Mr. Gable」を歌って注目を集める。 子役スターとして売り出されたガーランドは、アンディー・ハーディ・シリーズの一本『Love Finds Andy Hardy』(39)や、箱庭ミュージカル『青春一座』(39)などで、当時M-G-Mのドル箱スターだったミッキー・ルーニーの相手役を務めて人気を博す。 39年には20世紀フォックス社に貸し出しを断られたシャーリー・テンプルに代わって『オズの魔法使』のドロシー役に大抜擢される。映画の成功とガーランドが歌う主題歌「虹の彼方へ」の大ヒットによって、子役としてアカデミー特別賞を受賞。 ガーランドは一躍M-G-Mのドル箱スターの仲間入りを果たす。以後、ルーニーと共演した『ブロードウェイ』(41)や『ガール・クレイジー』(43)、ラナ・ターナーと共演した『美人劇場』(41)、ジーン・ケリーの映画デビュー作『私とギャルのために』(42)などに出演。 歌って踊れて演技も出来るガーランドは、40年代のM-G-Mミュージカル黄金期を代表する女優として活躍する。 しかし、撮影は過酷を極め、一日18時間働く事もあり、スタジオは撮影の合間にガーランドを少しでも寝かせる為に睡眠薬を与え、撮影開始前には調子を取り戻させる為に中枢神経刺激剤のアンフェタミンを与えた。そのため、彼女は10代の頃から既に薬物中毒になっていた。 また、増えつづける体重にも悩まされ、スタジオから常にダイエットを強要された事も薬物に依存する原因となった。 41年には18歳の若さで指揮者のデビッド・ローズと結婚。しかし、仕事の忙しさからすれ違いの生活が続き、タイロン・パワーやジョセフ・L・マンキーウィッツとの関係も噂されて、45年にはローズと離婚。 また、薬漬けの生活と、スターとしてのプレッシャーから21歳になると精神科医の診察を受けるようになる。 ヴィンセント・ミネリ監督によるミュージカル『若草の頃』(44)はその年最大のヒットを記録し、再びミネリが演出した恋愛ドラマ『The Clock』(45)では、初めてシリアスな演技に挑戦して新境地を開拓。これらの仕事がきっかけとなってガーランドとミネリは恋に落ち、45年に二人は結婚。 46年には後にミュージカル・スターとなるライザ・ミネリが生まれた。しかし、この頃から神経症が悪化しはじめ、薬の摂取量は以前よりも増し、偏頭痛や吐き気を理由に撮影に遅れることは日常茶飯事となる。 48年にはフレッド・アステアの映画復帰作『イースター・パレード』でアステアの相手役を務めて映画をヒットさせるが、ケリーと共演したミュージカル大作『踊る海賊』(48)は興行的な失敗に終わる。 彼女の遅刻癖と出勤拒否などが原因で『サマー・ストック』(50)の撮影は大幅に遅れ、『ブロードウェイのバークレー夫妻』(49)『アニーよ銃をとれ』(50)『恋愛準決勝戦』(51)では役を降ろされてしまう。 度重なるトラブルに耐えかねたM-G-Mは50年にガーランドを解雇し、スタジオの決定にショックを受けた彼女は自殺未遂事件を引き起こす。ミネリとの結婚生活もうまくいかず51年に2人は離婚。52年には3番目の夫となるシド・ラフトと結婚し、彼の献身的な介護によって回復のきざしを見せ始め、ラフトのマネージメントのもと、活動の場を舞台に移してロンドンやニューヨークの舞台で自慢の歌声を披露する。 54年にはラフトが制作を務めた『スタア誕生』(54)に出演。再起を賭けた一世一代の熱演は高い評価を得てアカデミー主演女優賞にノミネートされるが、賞は『喝采』(54)グレース・ケリーに奪われてしまう。 ガーランドは再び映画界から離れて歌手としてキャバレーやコンサートを中心に活動するが、アルコールと睡眠薬の摂取量は以前よりも増し、何度となく自殺未遂を起こして私生活は荒れる一方だった。61年の『ニュールンベルグ裁判』で久々に映画に復帰して、アカデミー助演女優賞にノミネートされる好演技を披露。 演技派女優の道を歩むかと思われたが、63年の『愛と歌の日々』と『愛の奇跡』が最後の映画出演作となる。同年には彼女がホストを務めるバラエティ番組『The Judy Garland Show』がテレビ放映されるが、視聴率が伸びずに1年で打ち切られる。その後は目立った活躍もなく65年にラフトと離婚。 俳優のマーク・ハーロンとディスコ経営者のミッキー・ディーンズとの2度の結婚の後、69年に睡眠薬を誤って多量に飲みすぎたのが原因で47歳の若さでこの世を去る。 『オズの魔法使』で共演したレイ・ボルジャーはガーランドの死について「彼女は疲れきっていたのだ」とコメントした。
ラフトとの間に生まれた娘ローナ・ラフトは、ガーランドとの生活を綴った自伝「Me and My Shadows: A Family Memoir」を出版。2001年には『Life with Judy Garland: Me and My Shadows』のタイトルでテレビ映画化され、『裸のランチ』(91)のジュディ・デイヴィスがガーランドを演じた。

紹介作品

オズの魔法使(39)

出演

若草の頃(44)

出演

イースター・パレード(48)

出演



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