発売日:1991年8月3日   発売元:バンプレスト
ジャンル:ボードゲーム   値段:9600円
オススメ度:4(リアル人生ゲーム)
 バンプレストの出すボードゲームのひとつであり、初の一人プレイ専用のボードゲームでもある。
ボードゲームの一般的な要素のひとつとして複数プレイがあり、たとえ一人でプレイするにしてもCPUが一緒に相手をしてくれるから、コンピューターゲームのボードゲームは一人プレイでも可能という認識があるかもしれない。
しかし、このゲームが初の一人プレイ専用のボードゲームであるというのは、他人はもちろんCPUでさえ参加できずひとり黙々とプレイしなければならないためであり、当時はもちろんボードゲームの要素がバラエティにある今でもかなり珍しい。
このゲームが発売された1991年は、『すごろクエスト』や『おぼっちゃまくん』などのボードゲームが続々登場しているが、これから紹介する『マイライフマイラブ』は早くもボードゲームの殻をいきなり破っている。
 このゲームを開発したのは、パンドラボックスとウィンキーソフトとスタジオウープで、特にパンドラボックスの影響が強い。
というのは、パンドラボックスを設立した飯島健男(現多紀哉)氏がかつて光栄(現コーエー)に在籍していて、他のスタッフとともにブレイングレイというゲーム会社を設立するも諸事情により離脱、新たにパンドラボックスを設立するにいたったのである。
こういうこともあってか、後述する要素によりジャンルこそボードゲームだが、SLGに似たものを感じさせている。
子会社ゆえに、この時期単独で開発と販売を両方まとめてすることができなかったが、下請けという状況下で『ONI』シリーズや『学校であった怖い話』などの良作を次々と生み出していくものの、苦しい経営が続いた末に2006年に飯島氏の新会社『シャノン』設立とともにパンドラボックスは終わりを告げ、シャノンから改めてゲームの下請けに携わっている。
 このゲームのスタイルは、1989年に登場し多くの人に人気がある『爆笑 人生劇場』シリーズなどにおける人生追体験で、この後『スーパー人生ゲーム』シリーズなども続々登場しているので、人生追体験がテーマという点では今となっては普通のテーマだ。
だが、このゲームはプレイする時間が他の人生追体験ゲームと比べてはるかに長く、FCのボードゲームでは珍しくバッテリーバックアップ制が導入されていて、じっくりプレイできることが改めて証明させている。
このゲーム発売前後に、同じバッテリーバックアップを導入している『スーパー桃太郎電鉄』シリーズがPCエンジンのみならずFCとSFCに登場するのだが、プレイする時間においてもはやスーパー桃鉄シリーズとは比べ物にならないほど長い。
マイライフマイラブ ぼくの夢わたしの願い
きょうは なにか おこりそうな きがしたけど
けっきょく なにも おこらなかったなあ

一人プレイ専用のボードゲーム

 このゲームでの始まりと終わりは、人生劇場シリーズ同様幼稚園から始まり老後に終わるもので、人生劇場シリーズをプレイしていた人には珍しくはない。
だが、マップで始まりと終わりを示しておらず、年数が経過すれば自動的に時代は終了する仕組みになっていて、マップについても時代専用のものが用意されており、年数経過での終了という関係上イベント用のマスこそあるがゴールは用意されていない。
基本的に、このゲームのマップは上へ上へと進むため、最低でも一周しさいころの目や時代によっては数周することも珍しくなく、同時に背景の建物が上に進むごとに姿を少しずつ現しているが、これは上へ進むのが基本になっているのか単に進むだけでは面白くないと思ったのだろう。
 このゲーム、幼稚園に始まり老後に終わると書いているが、年齢がわかり生年月日も細かく示されているため、4歳からスタートし100歳で終わる仕組みになっている。
細かく示されているのは、他に出身地や住んでいる地域(主に街や農村)、家族構成休んでいる家の状態などFCのボードゲームにしてはやたら細かすぎる。
日数経過において、さいころを振って一進むごとに経過するが時代によって違う。
幼稚園から小学校までは3日、中学校から大学および専門学校までは2日、社会人以降は5日と大人になってから一気に時間が経過するのだが、それでもさいころの目によってはかなりゆったりと進み、100歳まで到達するのにどれくらい時間がかかるかわからない。
 これだけ長い時間かけてプレイするのだから、さぞとてつもない目標があるのではないかと思うのだろうが、実は自由気ままに人生を全うしてもかまわない。
もちろん、他の人生追体験ゲーム同様に多くの金を所持したりすることも目標なのだが、このゲームでは数多くの目標があり時代でそれを達成できれば勲章がもらえる。
順位制で、時代が終われば順位が状態によって入れ替わり、小学生ではトップだったのが中学校ではかなり下まで下がっていたり、時代が始まったとたんいきなりトップになっていて勲章をもらったりすることもある(能力次第では最初から複数獲得)。
目標は、所持金のほかに体力や学力(芸術・理系・文系)などあり、社会人以降はすべてのステータスを合わせて一位、それも日本の人口一億三千万から一位になるというとてつもないもので、改めてこのゲームの長さがとてつもないというものだ。
 一応、社会人前にすべてのランクで一位になることも可能で、その場合ゲームを途中でやめることもできてエンディングを見ることができる。
ただし、それは天界に戻って大天使の称号をもらったのはいいが、間違えて自分の名前がコウノトリが運ぶ赤ちゃんの名前に紛れ込んでしまったために、人生のやり直しという形で再び人間界に戻ることになるという、一種のプチエンディングになっている(スタッフロールはなし)。
このゲームの背景は、一人の天使が神様に人間界で修行をするというもので、実質自由に人生を体験するものの目標が定められているのは、こういった事情がある。
確かに、自由気ままに生きるというやり方も可能もあるのは大胆だが、当時は目標がないゲームというのは自由な反面どうすればいいかわからないため、さりげなく目標を設定したのはスタッフにとって致し方なかったのかもしれない。
 当然、勲章を獲得することなく人生を全うすることも可能だが、その場合ラストで待っているのはコウノトリで第二の人生をさせられるというものだ。
神様曰く「怠けて目標を怠った報い」だが、さいころの目やイベントによって達成できない目標もあるわけで、そのあたりはプレイヤーに配慮していないように感じる。
もっとも、バッテリーバックアップを駆使すればそういったことは回避できるのだが。

 人生追体験ゆえに、グッド・バッド問わずイベントはかなり豊富で、4Mだからこそだろうがイベント専用のグラフィックをできるだけなくして、イベントの量を多くしたと思われる。
マークが表示されていないマス(ノーマルマス)は、目標を達成するために勉強や運動などをして能力を上昇させる一方で、休んで次に備えることも可能になっている。
このゲームでは、ノーマルマスで能力を上げると健康度が減少してしまうため、適度に休んで健康度を回復し再び能力上昇を行うことになっている。
よく遊びよく学ぶという、子供の理想的な成長だがイベントで健康度が回復することがあるので、あまり遊ばず運動や勉強にいそしむことも可能ではある。
 その他、『だだをこねる』というコマンドもあり文字通り親からお金をもらうもので、一ヶ月に一回親から小遣いをもらうことになっているが、ここで臨時にお金をもらうことができる。
ただ、イベントで大金をもらえたりすることが多いので、利用した人は少ないだろう。
むしろ、こういうコマンドゆえに拒否反応を示した人はいたと思われ、買い物マスで買い物する人以外は駄々こねたりしなかったようで、買い物自体社会人までは利用しなかったと思われる。
 買い物は、時代が進むごとに買えるものが増えていくのだが、アイテム自体こちらが使うことができず単に相手の友好を深めたりするだけなので、売ること自体も社会人時代に登場となる思い出バンクマス出なければ売却は不可能。
幸い、ほぼ無限にアイテムを所持することはできるが、これだけ多く持っているのに売れないというのはストレスがたまるもので、友達あげるにしてもそのイベントが出るかどうか止まってみなければわからず、アイテム売却は初期の頃からやっておくべきではなかったか。
もっとも、アイテム売却は購入の数倍の値段で行われるので、初期に売却ができると所持金の目標をあっさり飛び越える恐れがあり、その辺は微妙なところではある。
 当然、所持金が一位になれば勲章がもらえるもののそれは単に複数ある目標の一つに過ぎないが、売買が初期にできる場合不要なアイテムを売って必要なアイテムを買い、それを友達などに上げることで友好を深め友達が一位になることもある。
このため、もらったアイテムがイベントでしか渡せないことを考えると、ゲーム初期での売買は早すぎて終盤での売買は遅すぎるという先に述べた微妙なところが浮き出るので、思い出バンクマスは早くて高校から登場してもらいたかった。
現に、カジノは大学時代以降にしか出てこないが、内容がスロットマシーンだけというのは色々と要素を詰め込んだ結果、カジノで遊べるものがスロットだけになってしまったのだろうか。
このスロットマシーン、最大の掛け金が500円なのに絵柄の配当が一番大きい神様は20万倍、つまり100円で当てれば2000万手に入り絵柄次第では金額はもっと多くなるので、他のゲームのカジノと比べてはるかにギャンブル性が低いのがうれしくもこれも複雑な思いだ。
 この思い出バンクマス、社会人でできる旅行や今までの思い出も売ることができ、思い出については内容によって数千単位から多いところで一億単位で売ることができる。
思い出は、蛇の皮やトカゲの尻尾といった身近なものから、ハワイ旅行や三葉虫の化石入手といったあまりありえないものまでさまざまで、これも他のゲームではイベントとして処理されることが多い中で、社会人時代に思い出が売れるというのは金で苦労しているプレイヤーにとってなんともありがたくも意外で、金になる思い出ができたときはさぞ喜んだことだろう。
とはいえ、ゲーム中でもあるのだが思い出が売れるなんて変なゲームだと、プレイヤーの分身が思い出にカーソルを合わせたときに突っ込んでいるので、スタッフは仕方がない仕様とはいえ本当にそれでよかったのかという複雑な心境があったことだろう。

 インカムエリアのみならず、多くのマスや日付によってイベントがかなり舞い込んでくるが、こういったイベントの数々がこのゲームを象徴しているといっていい。
というのは、身近なものが多く発生し年月によって時事ネタがニュースとして登場、このゲーム発売までに実際に起こった出来事がジャンルを問わず流れてくるのだ(オリンピックについてはこの時期開催都市が決まっているアトランタまで)。
したがって、ゲーム前の生年設定で1950年から1980年までしか選べないのは、1950年以前が戦後間もない頃で1980年以降が現実の時事ネタが少なくなり、スタッフとしても架空の時事ネタを考えるのが難しくなるため、やむなく1950年から80年の間を取るしかなかったのだろう。
ただ、架空の時事ネタの中には現実に近いものがいくつかあり、2000年のアテネ五輪(現実では2004年)など狙っているわけではないが、まるで予言に近いものがいくつかあるので、2009年を行きぬいた人がこのゲームをプレイすれば思わずにやりとするだろう。
 いうなれば、このゲームがかなりリアルだということなのだが、それ以上にリアルなのが他人の生死が何度も発生するということだ。
それを象徴しているのが交通事故で、相手は車にひかれてそのまま死んでしまいこちらはどうすることができず、その対象が友達であり友好度が高い友達ならばそのショックは大きい。
顔見知り程度でも友達を失うのはつらいが、大親友が交通事故で亡くなるというのは相当つらい上に、せっかくトップになりかけた友達の順位が大きく下がり、そのイベントのBGMはもの悲しくもなく一般のイベントのものなので、プレイヤーにとってなんともやりきれない気分にさせてくれる。
プレイヤーも交通事故にあうことはあるが、こちらは打撲程度で収まり死にはしないので、親友があっさり死んでいくのにこちらが死なないというのはかなり複雑だろう。
 このゲーム、4歳から始まり100歳で必ず終了する仕組みとなっているため、病気で死ぬこともなくそのまま100歳を全うしなければならない。
家族やペットは病気(または寿命)で死ぬため、ゲームの都合とはいえ何か物寂しい感じがあり、病気で死ぬのは仕方がないものの愛する人を失うというのはつらい。
それは、一定の年齢に達した時に変わるプレイヤーのグラフィックにも表れていて、グラフィックが変わっていくのは何かと物寂しい感じがする。
それは、人生劇場シリーズなどでもよくあることだが、こちらは年齢でグラフィックが変わり親友や家族などがこと細かく設定されているため、こちらのほうがかなりリアリティだ。
 しかし、グラフィックにおいて男女ともその差が大きいようで、男性におけるかっこいいものが少なく逆に女性におけるかわいらしさが多い。
これらのグラフィックはランダムに決められるので、そのグラフィックの差で悲喜こもごもこそないものの、何回かプレイした人にとって喜んだりがっかりした人はいただろう。
このゲームのイラストを担当したのは、『少年アシベ』で有名な漫画家の森下裕美氏で、ほのぼのとしたデザインに原作漫画版にあったブラックギャグ(設定に問題があるが基本的に笑えるもの)というより設定がややハードじみたものが、このゲームに十分生かされている。
この頃、アシベのアニメが始まりこちらはブラックギャグよりほのぼの系になり、アニメ版アシベを知らない人がこのゲームを購入したという人もいただろう。
 ほのぼのとしたデザインに隠されたハードな設定、リアルな出来事にやたら発生する人の生死、自分は死ぬことも許されず100歳まで生きることなど。
自由に長生きできる分、プレイヤーが出くわす出来事はいいものあれば悪いものもあり、他の人生追体験ゲームとは生ぬるいいわば己の人生の計画書といえばいいだろうか。
それだけに、好みが非常に分かれる作品でもあるのだが、これはスタッフが人生追体験ゲームの限界を突破した結果がこの評価を生んだといえるのかもしれない。

 私は、このゲーム発売前にアニメ版少年アシベを毎週見ていたが、原作漫画版は続編も含めていまだ見ていない。
アニメ版のほのぼのとした感じが、森下裕美氏がデザインを担当しているこのゲームにどこかしら共感を覚えたことがあった。
ファミマガで知ったこのゲーム、ややハードに近いイベントの一部の紹介を見ても買いたいと思ったのは、アニメ版アシベにすっかり魅了されたと思われ、夏休みの再放送も欠かさず見ていたがその頃にはこのゲームの内容はすっかり忘れてしまった。
ただ、最後のほうでしくじると鶴になり一生その姿で過ごす羽目になるところだけは今も覚えているが、このゲームのことをネットで調べた時に鶴ではなくコウノトリ、それもだらけて人生を過ごした罰ということを知りかなりショックを受けた。
 数年前にも、偶然ながら大手ファミコンサイトでこのゲームのことを見たが、絵柄に反してハードというコメントに目がつきプレイすべきかどうか悩んだものの、すぐ忘れてしまって結局数年後になってプレイするにいたった。
ボードゲーム自体、自分が主役になるというRPGに似たようなものがあるのだが、こちらはRPGと違って現代を舞台にしているものが多く、イベントの多くも架空ながらどこかしらリアルに存在するものばかりで、はまる時は思いっきりはまった。
このゲームは、その手のイベントがかなり多いものの架空のイベントも多く、能力が極端に乱高下が多かったのには苦笑した。
それでも、リアル風のイベントはしっかり押さえているようで、友達が車にひかれればどうあがいても死ぬのにはショックを覚え、何とか大怪我だけですんだり死んでも生き返るかどうか試してみても結局死ぬことに変わりはなく、友達を殺した車の運転手に殺意を覚えたことがあった。
 レビュー内で人生の計画書と書いた私だったが、セーブが何度でもできる現況を考えると、計画書というより理想といえるのかもしれない。
プレイヤーの多くは若い世代で、一人プレイ専用を考えるとさすがに老人世代がプレイすることがないと思うので、このあたりも計画書であり理想でもあるわけなのだが、さすがに幼年代は人生のやり直しという感じがするか。
このあたりは、架空の要素も強いわけでそれを示しているのが受験であり、一流から三流まであるものの学校の名前は架空のものばかり(ごく一部ながらも現実のものがあるがそれは単なる偶然)。
だがそれ以上に架空なのが、能力が高ければ何流だろうが私立に合格できるということで、現実では公立に入学する人が多いゆえに、このゲームだけわざわざ能力を上げて私立受験に望むあたりはまだ架空を少し維持しているということか。
 私のプレイは、とにかく能力を上げてラッキーマス系のマスに多く止まり、できるだけ小さい目で進んで時間を遅らせるもので、一回偶然にも1の目が出たことでこのゲーのプレイ方法がすぐわかった。
カセットのみの購入で、ニコニコ動画でのプレイ動画も見ていないのだが(それ以前に検索すらしていない)、多くの人生追体験ゲームをプレイしていた私には動画を見ずともある程度のことはわかっていた。
当然ネットでの検索も少しで、とあるまとめサイトで大まかな方法などはつかんだため、これ以上の検索は必要なかった。
そもそも、ボードゲームに攻略法というのはあまりないかある程度決まっているのどちらかで、人生劇場シリーズのひとつを攻略ページにしている私だが、イベントの量はマイライフマイラブのほうが圧倒的に上で、さすがに攻略ページを作るのがつらい。
 なお、このゲームを始めてプレイしたのが今から3年前で、それだからなのかどういうやり方で攻略するのかある程度読めていたと思う。
ただ、当時はプレイこそすれどあまりの長さにとうとう途中で断念せざるを得なかったから、レビューのためとはいえかなり長時間プレイできたことには、プレイする自分でさえよくここまでこれたなと感心した。
その分、友達やペットの死を多く体験することになったが、中学時代以降はセーブ&リセットを繰り返して乗り切った。
100歳まで到達した時は、多くの生き物の死は考えておらずようやくここまでできた達成感が残った。

本日のまとめ