ラヂオと野球

2002年3月

Back to 1970’s… 「ただいまー」と小学校から帰ると、テレビは「三時のあなた」のエンディングあたり。。そそくさと おやつ を食べ終え、そ知らぬフリで「パパと呼ばないで」の再放送を見ようとする私に おかん の怒号が飛ぶ。「くらっ勉強せんかえっ!」。。時代は高度成長真っ只中。学歴神話が揺るぎなかった、あの頃。小学生の私は、好きな野球中継も見せてもらえず、勉強机に縛り付けられていたのだ。そのときの私には、まだドロップアウトするだけの力がない(ほんの2、3年後に決行)。でもいくら堰き止めても、水は低い方にしか流れないんだよ(南哲学)。私は、「ラヂオ」という悪魔の箱を、既に得ていたのだ。


自分のコイズミ政権学習机に座るや否や、すぐに引出しを開ける。
そして、中に仕込んだ秘密のラヂオのスイッチを探り当て、オン。
“常時接続”のイヤホンを服の下にたくしこみ、先を襟から出す。
それを耳に差し込み頬杖をつけば、偽装工作は完成だ。

私は ちびっこシークレット・サービスか?
 ちびっこ。。死語の世界。

そしてひたすら、6時前の野球中継開始時間を、待つ。
「小沢昭一的心」とか、聞きながらな。

いよいよ威勢のいい音楽とともに中継が始まると、
私の頭の中の野球場に、ぱっと照明が灯るのだ。
子供らしい妄想や子供らしくない妄想が消え去り、
空想の野球場だけが、みっしりと脳内に広がっていく。

ラヂオで聞く野球。
私の野球妄想力は、これで養われたのである。

「今晩の後楽園球場。左から右へ比較的強い風が吹いています」
冒頭のこんなコメントを合図に、私の脳内プレイボタンが押される。

アナウンサーの声だけで変換されていく、完全なる野球動画映像。。

ピッチャーの手から落ちたロジンバッグの、白くて短い粉煙。
放り投げられたバットが描き出す、グリップを支点とする不完全な円。
三遊間で踏ん張るショートストップの、真一文字に結ばれた唇。
一塁手がピッチャーにボールを戻しながら立てる、指のアウトカウント。

意味なく広げた参考書の上で。
そんなすべてが、まざまざと見えている。
 ひゅるるるる。。

テレビのようでテレビでない。 べんべん
妄想のようで妄想でない。 べんべん

ラヂオが描き出してくれる野球は、私だけのもの。
余計なノイズの一切ない、私にとっての現実の野球なのだ。

頭はフル稼働し、他のことなど一切入る余地はない。
「ごはん!」と食事を告げる声も聞こえない。

一度おかんの声に慌ててイヤホンが抜けてしまい、音が漏れ。。
「んーわーえー」と不自然な鼻歌でラヂオの音をかき消す私。
おかん の瞳に浮かぶ、明らかな恐怖の色(この子、発症??)。

幸い、ばれることはなかったが。(ばれていたのかもしれないが。)
なんにせよ、ラヂオ取り上げられたら、
えらいこっちゃからな。

あの時期ほど野球に集中したことは、ないかもしれない。
1試合聞き終わった充足感は、他の何事にもたとえられない。
こうして、GS神戸通信の土壌が培われていったのだよ。

野球中継が終わっても、勉強などするはずはなく、
関西限定だが「ヤンタン」「ヤンリク」「バチョン」。。
もちろん、夜更かしすれば「オールナイトニッポン」、
「走る歌謡曲」。。って小学生が何時まで起きとるんじゃえ?

(諸口あきら。。あにぃ。)

当時AMラヂオは、すべての情報源であったのな。
その事実を思い知るのは、四半世紀後の震災時。

今のFMみたいなお行儀のええもん、おもろいかのー。
今のガキは、エアチェックなんかせんのやねー。
ダウンロードってか!けっ

録音ポーズボタンに手をかけて目的の曲を待つ、
あの緊張感がええのになー。今さらでけんけど。

現在の私は、おかん に怒られる事もなく、
球場にも行けるし、スカパーで完全中継も見れるわけだ。
わーい。大人になってよかったー。

でもな。
なんかそれで、「楽」をしてしまっている気もするのだよ。
すべてが見れるのに、すべてを見逃がしてるかんじ。。

それが怖くて、こうして野球を語ろうとするのかな?

野球に対する 焦げるような憧れ。
情報が制限されていたあの頃の、あの気持ちを、
「忘れではなんねぇだ」 !!
(富士真奈美from山水館 口調で)


もうすぐ 球春ですね。

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