2階席のボールハンター

2003 年 7 月

わしがヘブンズ・シートと呼ぶ、GS神戸2階席。気持ちのよい風に身を任せ、暮れなずむ山々と遠い街のきらめきを見やりながら眼下のフィールドを眺める。。それがわしの生きがいなのじゃ。「あー・・野球やっとるわー」ちう、ロー・テンションの観客だけに許されたその場所ではな、どっちのファンかも判然としない人々が、たぶん自分の家以上にリラックスして、思い思いに過ごしているのじゃ。その大部分が一人で来ている2階席の住人の それぞれの人生。。それに思いを馳せるのも一興での。人のこと考えてる場合じゃないけどの。今日は、ある不思議な青年の話をしようかいのう。


先週の水曜日の近鉄戦。
17点だったか18点だったかを取られた試合だが、
まぁもう・・どっちでもいい。

わしは3塁寄りの2階席で もへー っと、
「前進守備でつんのめってる大島のつま先はタラちゃんみたい。。」
なんてことを、楽しんでいたのだ。

2階からだと、守備体形とかが俯瞰できていいぞ。

と、そのとき。
左打者のファールボールが近くに飛んできて、
ある兄ちゃんが表情も変えずグラブで「ばしっ」とキャッチ。

それはそれは・・さりげないキャッチでな。
あまりのさりげなさに、見過ごしてしまうほどの。

普通、ファールボールをダイレクトキャッチしたら、
「わーい。わーい」てなもんで周囲も拍手なんかして、
少なくともそのボールを嬉しそうに眺めたり、
するやろ?

そいつは違う。
周囲も静まり返ってる。

まるで選手が凡フライを「処理した」ちう顔で、
さっとボールをポケットに入れて、次の投球に備えるんやもん。
まったく表情も変えずに。

ん?
あいつ、見たことある!

思い出したぞ、わしは。
あいつが「しらっ」とファールボールをキャッチするところ見たの、
これが初めてやない ってことに。

そこから試合終了まで、
わしの目はもうそいつに釘付けやん。

なぜかSFジャイアンツの帽子にTシャツ、チノパン。
マジメなバイト青年ちう風情の彼は、小柄で敏捷そう。
当たり前のように、左手にずうっとグラブ。

彼はもう、完全に普通の観客ではない。
右打者なら1塁寄り、左打者なら3塁寄りの通路に素早く移動し、
ファールに備えてるだけなのだ。真剣に。

場所は..打者によって微妙に位置を変えてるようにも、思える。
ちょうどバックネットの切れ目あたりの通路。

確かに、そんなに数は多くない2階席へのファールは、
そのあたりに飛んでくる事が多いのだ。
確信に満ちた彼の表情から連想するのは、「名人」ちう言葉。

打球への反応は驚くほど、早い。
葛城より、確実に早い。

ファールが飛ぶたびに見ていると、
着弾点の半径5メートル以内には、「さりげに」彼が必ずいる。
打球音で反応してるってかんじ。

驚くべき事に彼はそのあと、
1塁側でまた見事にダイレクトキャッチ!
さらにはバウンドしてそばに来たボールを的確に捕捉。

わしが見てただけでも、この日の収穫が3個なのだ。
3個やで。野球見に来て3個もファールボール取るって・・
なんぼ空いてるから いうても。。

プロのボール・ハンター?

これほど2階席を走り回っているにもかかわらず、
彼の存在は驚くほど目立たない。
ガツガツとボールをほしがる他のガキどもアマチュアは、
ドタバタみっともないほど目立つのに。。。

頻繁に行う左右の場所移動も
いったん球場内部に出て、外側通路を使うなど、
彼には極力目立たないようにという配慮が、感じられる。
熟練した猟師のように。

注意して彼を見ているわしもその姿を見失うのに、
ファールが飛べばそこには音もなくあいつがいる!
ひええ。

決して人を押しのけて取ろうとはしないし、
無人の椅子を点々とするボールなどは、追いかけない。
ただダイレクトキャッチに命を賭けているように思えるのだ。

守備の名人は派手なファインプレーをしないと言う。
守っている位置がすべてなんだと。
彼、ひょっとして・・
打者によってのファール方向のデータが頭に入っているとか?

恐るべき名人を見つけてしまったか?

この調子で1年この狩猟行為をやっているとすれば、
いったい何個のファールボールを獲物にしているのか。
そしてそれは、
いったい彼にとってそれは、何の代償行為なのか?


(グラブをしたまま)自宅に帰った彼は、
「また球場かい?」という母親に無言で頷き、
とんとんとん!と階段を上がり、自分の部屋に向かう。

そして、今日の獲物を大事そうにポケットから出し、
秘密のノートになにやらデータを書き込んだあと、
ハンターの習性として、壁にボールを飾るのだ。

そう。彼の部屋の壁一面には公式球が みっしり。

「蛙の卵」に包まれたような空間で陶然とする彼の至福を、
ドア越しにおそるおそる話す、
母親の声が破るのだ。

「あした、お医者さんの日だからね」

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