浜崎あゆみの歌詞とバイブルのことば
1999年、あるテレビ局が調査した結果、ティーンエージャーたち(特に女の子たち)の心をとらえ最も感動と共感を呼ぶ曲が浜崎あゆみの曲であると伝えていた。なぜティーンエージャーたちがあゆの曲に魅力を感じるのか?

私も歌の中身を調べたくて、CDを買い、曲を何度も聴いてみた。聴いてみて、自分の気持ちを飾らずに、素直に表現している浜崎あゆみ自作の歌詞が、とてもピュアで、確かにティーンエージャーたちの心を惹きつける何かがあると感じた。
「本物の愛」「永遠に変わらないもの」「心を満たす真実なもの」「トラウマのいやし」等々・・・ティーンエージャーたちが求めている「魂」の叫びが、数々の歌詞の中に込められているようだ。

ところで、彼女の歌詞の中に、神様という言葉は出てこないが、バイブル(聖書)の言葉と似通ったフレーズやその教えに通じるものが多いことにも気づいた。何年か前、ある雑誌の中で「マリア」という曲を浜崎あゆみが作詞した際、知人から聞いたクリスマスの聖書物語からインスピレーションを得たと書いてあった。浜崎あゆみは少なくとも聖書との接点があるようだ。この「マリア」の曲のCDジャケットの背景もキリスト教会である。

そこで浜崎あゆみの歌詞とバイブルを関連づけて、あゆの歌詞を聴いて感じたことと、歌詞に照合する、聖書の言葉をいくつか、曲のタイトルごとに紹介してみることにする。
(尚、このページは浜崎あゆみの曲をよく聴き、すでに知っている方のために作ったので、歌詞はここにはのせません。歌詞がわからない方は自分で調べてください。)
TO BE

自分がつまらない「ガラクタ」のような人間に思えても、たった一人でも「宝物だ」と言ってくれる、愛する人がそばにいてくれれば、輝いて生きていけるのだと思う。
その愛してくれる人は、恋人かもしれないし、親友かも知れないし、家族かも知れない。又たとえ誰からも愛されていなくても、あなたを愛してくれる唯一の存在がいる。
「こんなガラクタのような自分!」と言って、自己を卑下している者であっても、愛されていることがわかったなら、泣いていても、笑っていても、生きていく価値があると信じられるようになるのだろう。
バイブルはその価値を与えて下さる方が神様であって「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と語っている。この歌詞の中にもあるように、あなたはわたしにとって「宝物だ!」と笑って言ってくれる存在があればこそ私たちは輝いて生きていけるのかも知れない。「君がいるならどんな時も笑ってるよ〜。」とある通り。

あゆ的に言うとそれは「ファン」のことをさしているのかも知れない。あなたにとっては「恋人」なのかも知れない。でもバイブル的に言うとその存在は、あなたを造られた神様だ。

あなたの過去の行い(doing)はきれいな○にはならないかもしれない。罪あり、傷あり、失敗ありの×だらけの人生だったかも知れない。だから今からあなたが、輝き出そうとしても、いびつに輝くだけかもしれない。けれども、そんなあなたの存在(being/To be)がとても尊い!と言って丸ごと受け入れて下さる方がいる。それは君を造られた造り主の神様だ。
自分に対して「ガラクタ」だと言っている人、自己卑下している人は決して幸せにはなれない。いつも、ガラクタを守り続ける腕は確かに痛い!!

けれども自分ではなく神様の腕があれば、自分で自分を守る(自己防衛する)必要がなくなるので、傷ついた生き方から解放されていく。言い換えれば神様から愛されて抱擁されていることが分かりさえすれば、ありのままの自分を愛することができるようになり幸せになれる。
あなたも、「あなたは高価で尊い」と語っておられる神様を心の中に受け入れてみては・・・?。そうすれば、自分に向かって「いびつ・・・」とか、「どうしようもない・・・」とか、「ガラクタ・・・」とかそんな言葉を吐かなくてもすむようになる。神様の見方で自分自身を見つめる事ができるようになるからだ。愛されていることが分かりさえすれば、人は自分に向かって「宝物だ」と言えるようになる。

今の、あなたは、もしかすると、自分さえも大切にできない、心が、まるで壊れた時計のような状態かも知れない。
壊れた時計はそのまま放っておいても直らない。時計屋又は製造者の腕に、オーナーの手に任せれば必ず直る。
それと同じように、「あなたは高価で、尊い!」と語ってくださった、あなたの造り主であるオーナー(神様)のふところに飛び込むなら、彼の手にまかせるなら(信頼するなら)、あなたは、修復され、いやされ、立ち直ることができる。本当の自分を取り戻すためにはどうしたらいいのか?また「いびつに輝く〜」ではなくて本当の意味で輝き出すためにはどうしたらいいのか? それは、オーナーの元に立ち帰ることである。

あなたは、宝物のように、大切で、愛されるために生まれてきたのだから・・・!!



SEASONS

繰り返していく毎日に物足りなさを感じているのは、ある意味、不自然な時代のせいかも知れない。多くの人がそう感じているに違いない。しかし、物足りなさや空しさがあるのは、自分がどこから来て、何のために生き、どこへ行くかを知らないないからである。
この曲は、同じ事のくりかえしの毎日に物足りなさ=「空しさ」を感じ、季節が幾度も巡っていく中で、生きていて僕らは何を見つけることができるのか?という意味の問いかけで終わっている。答えがなくクエスチョンで終っている。
僕らはSEASONS(季節)を重ねる前に真に心を満たす永遠に変わらない絶対的な「何か」を見つけたい!!それを得たいと願っている。でも、その求めているものが何なのか(?)すらわからない。(だから物足りなさを感じている。)
私は、その「何か」とは、神様ですよ!!と言いたい。
人の心には神様以外の何ものによっても満たせない空洞があると言われている。
では、どうやってその心の空洞を満たしたらよいのか?ヒントとなる3つのバイブルの言葉を紹介するので自分で考えてみてほしい。@「私は再び、日の下(SEASONSの下)に空しさのあるのを見た。」A「これは、人に神を求めさせるためであって、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。」B「求めなさい。そうすれば与えられる。」 SEASONSの下にあって僕らは、何を見つけたら<探したら>よいのか?その答えがここにある。

後半 「今日がとても悲しく、明日泣いていても、いつかは笑える日がくるだろう」とあるが、このような明日への希望と確信を持つためにはどうしたらよいのか?これも心を満たす真実な「何か」を一日も早く見つけるしかない。
「今日がとても悲しく、明日泣いていても、いつかは笑える日がくるだろう」〜実はこのフレーズにとてもよく似た言葉がバイブルに出てくる。それは、「いま、泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。」(ルカ6:21)という有名なキリストの言葉である。

たしかに今、泣いていても、いつか笑える日が来るが、その「笑い」は、神様が与えて下さるものである。
 

M(マリア)

この歌詞の背景は教会。祈っていることは、今の恋が最後の恋であるように、つまり異性とつきあっては別れ傷つき、つきあっては別れ傷つく、そんな、堂々巡りの恋を終わりにしたい。
本物の愛、永遠に続く愛がほしいという願いが込められている曲だ。
街のどこかで、今日も、またカップルが別れ、傷つく・・・という辛い悲しい現実がある。だから、M(マリアよ!)皆が、泣いているが、信じていたい、最後の恋にしてほしい!!(=本物の愛がほしい!!)と祈っている。
「愛はすべてを信じ、すべてを期待します。」という聖書の言葉がある。
いつまでも続く、真実な裏切らない愛はマリア(マリヤ)さんにいのったら与えられるのだろうか?
バイブルは何と言ってるか?
永遠の愛は人間、(配偶者、恋人、聖人)からでなく、直接、神から来るものであって、(キリストが傷ついたあなたの心をいやすために、十字架であなたの罪や悲しみを身代わりに背負い死んで下さったことを信じて、)ただ神の愛を受け入れるときに、あなたにも与えられる。
人の愛には限界があるけれど、神の愛には終わりがなく、いつまでも続くことを知ってほしい。

「わたしは永遠の愛をもってあなたを愛した」(聖書)



スペシャル・メッセージへ 戻 る