奇妙な果実(パクリ)

ここは日本や世界で見つけた面白いモノを集めて紹介するコーナーです。 「奇妙な果実」のラテン版と考えて下さい。はっきり言って、パクリ。
みなさんからの奇妙な情報をお待ちしています。ゲストブックかメールでどんどん送って下さい。お礼にビールをおごる・・・かも。


作品No.11 NEW!!
■タイトル:東京サルサクラブ博物館 partV 2001.01.29
原産国:日本
提供者:村田真理子

謎のラテンフリーク・村田真理子様からまたまた貴重な資料と記事を投稿していただいたので紹介します。この人、只者じゃないぞ。
(以下 村田真理子氏寄稿)

カニャンドンガ六本木(東京都港区)
カニャンドンガ六本木のマッチ
カニャンドンガ六本木の西語ちらし
カニャンドンガ六本木の日語ちらし

赤地に黒い南米大陸柄のマッチには店名”CAN~ANDONGA”の金押し印刷が鈍く光る。

(ここの料理人だったマリオ氏の談話では”カニャンドンガ”とはコロンビアの伝説上の人物らしい・・・)。

ロケーション&ほどよいゴージャスさと店内の広さも抜群!日本の90年代中期を代表するコロンビア・ディスコといえる。
夜霧を想わせる恒例スモークタイム・・・。

SALSA互助会HP管理部長S氏の青春の墓標&慕情@六本木ストリート・KFC上ル7階。
エルカフェのドンMr.メデジンL氏もシェーカー振って若武者修行の地。
この店の閉店と同時に私の青春も終了し悲しみのボケ老人と化す。

Junior Gonzarezのシークレットライブは最高でした。



<補足>
Salsa Sudadaが一口坂から今のベルファーレ前に移転したのとほぼ同時にカニャンドンガ六本木はブラジル系のSAUDE に変わってしまった。
そのSAUDEはカニャンドンガのトレード・マークであるネオン看板「ピンク地に黒い南米地図」を流用して使っていた。そしてSAUDEも2000年晩夏、ついに閉店したそうな。嗚呼。

ケシガラルンバ(神奈川県相模原市)

2000年1〜2月頃、相模平野に突如出現したコロンビア系ディスコテカ。

JR横浜線の相模原駅と橋本駅の中間に位置し、交通不便ながらも広々地下スペースの妖しい店内はイイ感じ。

4/1にリニューアルオープンしたが5日後の金曜日には店名&経営者が変わってしまった。

アキンドの鏡、パイサ系列だが、おっとりしたアルメニアの人々には商売は不向きなのか・・・残念無念。

<<引き続きお願い>>
新大久保カニャンドンガ、池袋メレンゲ、歌舞伎町ラティン・ブラザーズ、その他今は無きラテン・スポットの資料を持ってる方、画像もしくはコピーを提供していただけないでしょうか?
記事まで書いていただければ最高にうれしいです。

作品No.10
■タイトル:PESEBRE/エル・ニーニョはキューピーだった? 2000.12.22
原産国:コロンビア
提供者:がび

カトリック信者の多い国では12月になるとPESEBREの力作がたくさんお目見えします。
教会にはスペースをたっぷり使った超大作が登場し、こどもたちが目をキラキラさせながら眺めています。ミニPESEBREをしつらえている家庭も多く、ヘススの出生地の町(村?)の様子が工夫されて再現されています。
そのほか、広場やショッピングセンターなどいたるところに出現するわけです。
ちょっと珍しいのをご紹介します。


コロンビアはサンタンデール県ブカラマンガ市のへそに位置する、市民に愛されている値札無しのショッピング集合ビル”SAN ANDRESITO ISLA”。
食品(生鮮は除く)から布団、洋服、百軒ちかくありそうな靴屋、家電品、オモチャ、金銀エメラルドなどなんでも売っていて、雰囲気は香港のチョンキンマンションか今はなき九龍ヶ城(をキレイにしたかんじ?)をちょい思い出します。
吹き抜けの中央部分1階に噴水があるんですが、コレを巧くPESEBREに利用しているんですね。
しかし幼子ヘスス滝に打たれてます・・・それもキューピー人形・・・”PESEBRE”って直訳すると”かいば桶”では?
キョーレツだけど微笑ましいコロンビア国の特徴がよくでている作品です。

作品No.
■タイトル:東京サルサクラブ博物館 partU 2000.12.06
原産国:日本
提供者:村田真理子

謎のラテンフリーク・村田真理子様から貴重な資料と記事を投稿していただいたので紹介します。
いや〜、世の中いろんな変人がいるもんだ。まさかこんなスゴイものを保管しておいたとは!あっぱれじゃ。
(以下 村田真理子氏寄稿)


SON DE AZUCAR(東京都新宿区)

むかしむかしSON DE AZUCARを探していた頃、LOKITAの常連客日系チンボテ人O・N氏が所持していたライターがコレ。
当時の雰囲気を持つコロンビア・ディスコテカは日本での再建はありえないでしょう。
フロアー中央の一段高い踊りスペース、アルコールメニューもボトルのウイスキーか1000円のバドワイザー缶。初期の男女兼用のトイレも迫力満点でした。2000年夏に閉店(?)。涙。

<補足>
新宿の不死鳥の異名を持つSON DE AZUCAR。復活のウワサが立ったり、消えたり。
閉店といえどもラテンからチャイニーズ・ディスコにジャンル換えしただけでオーナーは同じだから景気が回復したら蘇る・・・かもしれないぞ。

★PUNTA DEL ESTE(神奈川県横浜市)

←Punta del Este 1994春のチラシだ!


日本人、ラテン人においてもココほど”好き嫌い”がはっきり別れたお店は無いのでは・・・
オーナーは3人ともハーフで、ウルグアイ、スペイン、英、米、日本の多国籍軍。

<<Punta del este DJ史>>

こんなところでもまわしてたの!?A・ウレーニャ(ドミニカ&米)
  ↓
ボリビアはサンタクルースの種馬と呼ばれた男Fernando・M
  ↓
典型的ボゴターノManuel・C
  ↓
プエルトリコ生まれブルックリン育ちのP・Jaime。

コロンビアーナ嬢の中村川への豪快なダイブや、97年のバンドホテル・エレベーター出火でホテルの宿泊客&プンタの客で深夜の火事見物も懐かしい思い出。ドンキホーテがやって来て98年1月閉店。通算7年位営業していたのでしょうか?

LOKITA(東京都葛飾区)

新小岩に存在した20世紀最高の場末ラテンバー。

90年代前半にボデギータやディスクユニオン新宿などに置かれていた、元祖サルサ系フリーペーパー”HERMANOS LATINOS”の広告欄で発見。

DJはAntonio Cartagenaをかっこよくした感じのモレーノのPerano君。

エルサルバドル×スペインの美人ママ、大学生の息子を持つ30代半ばのメヒカーナさんも働いていて、古いパブスナックの居抜き&JR総武線新小岩の場末感とあいまってサイコーの雰囲気でした。

★カレーラ(東京都葛飾区)
LOKITAが閉店後エルサルバドル×スペインの美人ママが近所(新小岩)の新しいビルに1994年夏オープン。
オープン直後のアルミホイルをふんだんに使用した内装にはちょっとビックリ。
DJは白いペルー人マルコ君。お店の営業は軌道に乗らなかったのか短命に終わる。
後日訪ねると、よくあるパターンのコリアンパブになっていた。

  ★アミーゴ(神奈川県川崎市)

99年この広告をみて懐かしさがこみあげてきた私は聞き込み開始。

日本人サルサファンからは妙に不評のようでしたが、アミーガとアミーゴへ平日の夜カラオケに。
ニーチェのカラオケでは、さびのところだけなんで字幕消えるの〜?

なぜかウラジオストック方面のロシアンホステス嬢のオプションサービスも。某ロシアンホステス嬢曰く『ワタシこーゆーMUSICキライなの・・・』。私も昔は嫌いでしたよ・・・

久々に場末ラテンバーを満喫。しかし無情にも1年もたなかった様子。
チャオ、アミーゴ・・・。

(左広告はsalsa120%より転載)

<<引き続きお願い>>
新大久保カニャンドンガ、池袋メレンゲ、歌舞伎町ラティン・ブラザーズ、その他今は無きラテン・スポットの資料を持ってる方、画像もしくはコピーを提供していただけないでしょうか?
記事まで書いていただければ最高にうれしいです。

作品No.
■タイトル:東京サルサクラブ博物館 2000.07.25
原産国:日本
提供者:さるせりん

部屋を片付けていたらこんな懐かしいものが出てきたので紹介します。今は無きサルサスポットです。

  ★伝説のマニラ・マニラ(六本木)
現サルサ・スダーダのオーナー(今でもそうなの?)である Aris Urena は91年頃、毎週末に六本木のフィリピン料理レストラン「マニラ・マニラ」の営業終了後の場所を借りてサルサ・パーティ「Salsa Sudada」を開いていた。これが伝説の「マニラ・マニラ」のロゴである。この頃は日本人客は1割程度でみんな自己流で踊っていた。
シャンパンが賞品となる深夜に突如始まる抽選タイムは毎回結構楽しみにしていたものだ。ワタシは2回シャンパンゲットに成功したぞ。実は互助会イベントの抽選大会はこれをヒントにしているのだ。
パーティが始まる11時前まで巨漢のペルー人・フラビオが当時のギュウギュウ詰めの恵比寿・ボデギータに前売り券を売りに来るもんだからさらにボデギータ店内が圧縮されていたものだ。
このパーティを成功させたArisはその後自分の独立店舗「BAR Salsa Sudada」をオープンすることになる。スダーダがベルファーレ前に拡張移転する前のちっちゃい店だ。
「BAR Salsa Sudada」のオープンと同時にレストラン「マニラ・マニラ」は閉店し、伝説となった。

先述の巨漢フラビオはその後、小岩に自分の店を作った。

サルサ・スダーダ誕生(六本木・一口坂)
上記のBAR「Salsa Sudada(一口坂)」のイナグラシオン・パーティの招待チケットだ。
ワタシは横浜Punta Del Este(これも伝説)でこれをArisにもらっったとき、その日付からして最初はジョークだと思ったのだ。
当日は平日にもかかわらずたくさんの招待客でにぎわっており、ホントだったんだーっ!と感動したぞ。
そうとわかったワタシはここぞとばかりに遠慮なくタダ酒、タダ飯を頂きました。

このパーティに行ったが為に私の人生が大きく変わることになろうとは当時の私には知るすべも無かった。
Aris はこのちっちゃな店を繁盛させ、ついにはベルファーレ前に今のSudadaへ拡張移転することとなる。

伝説のサルサ・コロナ(六本木)
マニラ・マニラと同時期(90〜91年)、六本木防衛庁近くのビル地下にできたサルサ・バー。
その名の通り、コロナ・ビールの輸入総代理店・廣屋の直営だった。(たぶん) なかなかセンス良く場末のバーの雰囲気を出した内装だったが、床がレンガ敷だったので踊りづらかった。週末、恵比寿のボデギータでは11時半ごろになるとあちこちの客同士で「マニラ・マニラ?それともコロナ?」と次の行き先を確認しあう光景が見られた。やはり日本人客は1割程度だった。
開店1年後ぐらいに、廣屋とかつての店長・ロドリゲスの間で経営権の譲渡が行われたのか?(詳細不明)突如、「Salsa Caribe」として今のカリべの場所に移転・新生オープンし、サルサ・コロナは伝説と化した。

オープン当時のサルサ・カリベで出されるコロナにはカリベ・オリジナル仕様のラベルが張ってあった。
<<お願い>> 
このサルサ・カリベ・オリジナル・コロナのラベルを保存されている方、画像もしくはコピーを提供していただけないでしょうか?

エル・ソン・ラティーノ(新宿・歌舞伎町)
90〜91年ごろ新宿・歌舞伎町にあったカラオケ・スナック風のサルサ・クラブ。客層はほとんどがラティーノ。行ったことがある方にとっては「自分達以外に日本人ゼロ」というシチュエーションだったであろうディープスポット。
気がついたらいつのまにか無くなっていた。

クラブ・メレンゲ(めれんへ?)(千葉県某市)
千葉県某市にある(今もある?)普通のカラオケ・スナック。
池袋西口にあった同名のコロンビア系サルソードロモとは関係ない。(と思う。)
92年ごろ私はたまたま1回行っただけだが、せっかくなので載せときました。

<<お願い>>
カニャンドンガ、プンタ・デル・エステ、その他今は無きラテン・スポットの資料を持ってる方、画像もしくはコピーを提供していただけないでしょうか?
記事まで書いていただければ最高にうれしいです。

■作品No.
■タイトル:ハイロ・バレーラも被っていた(かもしれない?)チョコー帽 2000.07.06
原産国:コロンビア
提供者:世界のソンブレロハンターG

正式名:SOMBRERO CHOCOANO
むかしむかし”うまか棒”というチョコ味の棒アイスが日本列島を席巻しました。”うまか棒”を知っているあなたは、とんだ古株サルサ者ですね?そのアイスとは特になんの関係もないこのチョコー帽は、サンタフェデボゴタにて同国チョコー県の椰子製品行商人から5000ペソで入手したものです。
原材料はPALMA-CABECINEGRO。プレス技術により段々状態になっており、針と糸は使われていません。被り心地はチェベレ!
このチョコー帽を着用してコロンビアS県にてミレニオ・カウントダウンを迎えたソンブレロハンターG。
NYのバリオ・メヒカーノの居酒屋でチョコー帽を被るメキシコ人青年
東洋のへなちょこ帽子だと地元のコロンビア人全員に思われるほど、コロンビア国内においてもこのチョコー帽は知られざる存在の様子です。
コロンビアを代表する有名サルサ楽団”NICHE”に多いチョコー出身者のメンバーたちは”将来はカリに行って一発当ててやるぜ母ちゃん!”との野望をメラメラ抱きながら、幼少時この帽子を被りロビンフッドごっこをしていたとも伝えられる。
国内旅行者さえもほとんど訪れることのない、ロマンと不快指数200%の大湿気が渦巻く秘境のチョコー県は21世紀の注目エリアデス。

■作品No.
タイトル:果たして二匹目のどじょうは美味いのか? 2000.07.06
原産国:ベネズエラ
提供者:Pasion Infantil と さるせりん

作品No.5で人気のちびっ子サルサバンドを紹介しましたが、ベネズエラのサルサ界、懲りずにまたまたやってくれました。ここまでくるともはやこれが2匹目のどじょうを狙う商売根性見え見えの確信犯なのか、ジョークとしか思えないネーミングのバンド名からしてただのウケを狙ったユーモアなのかはワタシにはわかりません。しかも意外な大物がゲスト参加しているところも真似っこでこちらは2曲目になんとCheo Felicianoが参加。 7曲目はイントロがもろアドレセンテスばりでおおっ!と思いきやボーカルが出たとたんにズッコケます。牛乳を飲みながら聴くべからず。
しかし、恐るべしベネズエラのサルサ界。Orq.Salserin, Orq.Adlescentes, Pasion Juvenil, と続いてPasion Infantilですぞ。どう思います?みなさん。......しかしこれを買うオレもオレだな。

■作品No.
■タイトル:(フィンガー5 x 3)+(エマニエル坊や x 3) 状態 1998.10.04

原産国:ベネズエラ
提供者:Orquesta Salserín と さるせりん

詳しいけどとっても回りくどい説明はこちらを読んでね。

’93年、ベネズエラ発、ラテン諸国で大人気のちびっ子サルサバンド Orquesta Salserín 。
侮る無かれ、1st.にはあの Oscar D'Leon が寛大にも参加、1曲ちびっ子と一緒に歌っておられます。これがまたイケてる曲です。(この写真の頃にはまだServando君とFlorentino君が在籍していた。)彼らが本当に演奏できるのかどうか、僕の知人の間では諸説飛び交っている。まさか少なくともレコーディングでは演っていないだろうと言うのが一致した見解だが・・・。あなた、どう思います? 左の方になんかちっこいのがラッパ持ってますけど....

それから4年後、僕たちこんなに大きくなりました。
そして3枚目のアルバムも出しました。→
Servando君とFlorentino君は転校していきましたが、一緒に頑張っているようです。
1st.から続いているお友達は10人です。(たぶん)
10人分の出入りがあったわけですね。
この中からまた彼らに続くアイドルが巣立つことでしょう。
よーし、ボクたちも頑張るぞー!ってか?

手前の方の数人、アイドルっちゅうマスクしてますなー。次はこのあたりか?

ついにサルサもここまで来たか...

歌詞はおこちゃま向けですからね。念のため。

追加情報
*99年に4枚目が出ました。思春期なようで声変わりし始めていますぞ。


■作品No.
■タイトル:お土産用のお札
原産国:コスタリカ
提供者:Salserín

これは奇妙ではなく美しい作品。

既に廃止されたお札だが図案がとても色鮮やかなことで評判が良かったため、観光用に発行されている。コスタリカの重要産業であるコーヒーの収穫と積み出しを描いた物。
首都サンホセの中心にあるナントカ教会に絵の本物があります。かなりでかい。教会名は忘れました。
価値はというと額面 5colon = 5〜6円ぐらい?(あくまでも額面です。)
土産物屋の相場は $20〜30。
僕は5年前にピン札を入手したが現在も発行されているかは不明。

■作品No.
■タイトル:ん?逆輸入の日本車の輸入車?
原産国:ペルー
提供者:Salserín

ペルーの地方都市へ行くと日本車が人気で乗用車もワゴンもマイクロバスもめちゃくちゃ古い車をのぞきどれもこれも日本車だ。(リマはそうじゃない。)
日本の中古車が大量に輸入されているのだ。中には以前使っていた会社の名前やバスだったら幼稚園や旅館の名前がそのまま漢字で残っている。これだけでも「奇妙なフルータ」になりそうだが、他の国々もそうだろうからここではあえてメインにはしなかった。
が、xxx幼稚園と書かれた黄色いスクールバスからぞろぞろおじさんおばさんが降りてくるのを見るとさすがに吹き出してしまう。

ところでこれらは日本から輸入された中古車のはずだ。車体に漢字で会社名とか書いてあるから間違いはない。でもなにかがおかしいぞ。あれっ!ハ、ハンドルが左についてるっ!おおっ、どれもこれもワンボックスからバスまで全部の日本車が左ハンドルだー。これは日本に逆輸入されたものを再輸出したのか?
違います。そう、ラティーノはみんな改造して左ハンドルにしてしまうのです。
バスやワンボックスはハンドルだけではなく、乗車口や荷物室の開きドアも左右逆に付け替えてます。かなり巧みに加工してあり、見た目にはわかりません。これはすごい腕前だと思った。他の国もここまでやるものなのか。
ちなみに僕の知り合いのペルー人のお父さんはチリで輸入された日本車8台をチリ国内で左ハンドルに改造後、人を7人雇って8人で船団を組み、チリからペルー北部まで2000キロを自分で運転して運搬しました。すごすぎる。

最新追加情報
ペルーの法律が変わり、製造後5年を経過した中古車の輸入が禁止された。
よって、日本車は徐々に姿を消しつつあり、変わって韓国車や南アジア製の三輪オートバイが急激に増えているらしい。なんか悲しい。

作品No.
タイトル:パン・アメリカーナに延々と連なるmini教会の謎

原産国:ペルー
提供者:Salserín

パン・アメリカーナとは北はアラスカから南はチリの先っぽまで南北アメリカを縦断するフリーウェイのこと。この道路は中南米の国々にとって地方と都会を結ぶ唯一の大動脈だ。
Salserínがペルーを旅した際、この道路を車で走っていた時気づいたのだが、砂漠地帯の道の両側に高さ1メートル前後のてっぺんに十字架のある白いミニ教会が500メートルおきぐらいに連なっている。ときには同じ大きさが2個とか3個並んだり、1個のそばにさらに小さいのが2、3個並んだり、とにかく延々と続いている。
最初はかわいいなー、きれいだなーと思って眺めていたが、砂漠地帯のど真ん中で道行く人など見あたらなく、バスやでかいトラックばかりが走っているだけなのになんで?と考えた時、ふとその真実がわかってぞっとした。
そう、これらは教会ではなくお墓なのだ。しかもこの道路での交通事故の犠牲者のお墓なのだ。よく見ると花や写真がが飾ってあるのもある。2個並んでいるのは友人か、夫婦か恋人同士か...。いっしょに並んでいるさらに小さいのは...
すべての事情がわかった僕は無意識にそれらのmini教会に十字を切って冥福を祈った。


■作品No.:
■タイトル:¿えっ? ¿¡あのRuben Bladesが悲惨な最期を!?

原産国:アメリカ
提供者:Salserín

Salserínが崇拝するあのRuben Bladesがエイリアンに内蔵をえぐり取られて殺され、無惨にも天井につるされたのです。
実はこれは映画「プレデター2」の中のシーン。彼は冒頭の方に主人公の同僚で人の良いラテン系刑事として登場するのだが、プレデターの餌食になってしまいます。
この人、ハリウッドでもいろいろ活躍しています。他の出演作品を知っている方、情報下さい。
ちなみに彼は政治家としても活動しており、数年前故郷のパナマで大統領選に出馬したが惜しくも落選してしまった。サルサの歌詞も社会的メッセージの濃いものが多く、愛だの恋だのをヘビーかつディープに歌うサルサがほとんどの中で異色である。ホームページも持ってて彼のヒストリーとかが綴られ、今までのいくつかの作品の試聴もできます。


あなたの見つけた「奇妙なフルータ」を募集します。メールください。お礼にビールをおごります。


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