Philosphy

以下は中学くらいに書いた論文です。

これは吾作が二年くらいかけて出した答えです。
それとこの論文は他のすべての哲学への問い掛けでもあります。
すべての哲学を唱える人はこの論に答えなければその哲学を成立することが出来ない、そんな理論でありたいです。
ご意見、ご感想は気軽にBBSへ。


哲学相対性理論

「正しいものなどない」「人によってそんなものは変わる」
じゃあ人を殺してもいいのかという人がいたとします。
いい、と答えれば終わりです。
殺されてもいいのか、犯罪だらけの社会でもいいのかという人もいましょう。
いい、と答えれば終わりです。
筆者はまず人殺しなんてしたくないし殺されたくもない。
これを読んでいるほとんども、そうであると思います。
しかしそう思わない人も居ます。
見る人によって世界はまるで違う、その時点で正しいものは消える。
なぜなら、そのどちらが正しいかを決める基準がないから。
もし究極の善などというものがあったとしてもどちらがそれに近いのかなど誰もわからない。
そも善行をしなければならないかどうかなんてのさえもわからない。
人間の言うことはすべて平等に間違っていてあっているのです。
「正しい」自体に基準があるかどうかもありますが、それはあとで記述することにします。



哲学統一理論


相対主義は真実は無いと言うのが真実であると言われ、議論に弱いとされているらしいですがそんなことはありません。
そこで言っている前者の真実と後者の真実は明らかに内容が違います。
要は絶対的に頼れるものがないのであるということを相対主義は言いたいわけです。
絶対的なものがないということが言えれば、結果、統一理論の完成となるわけです。
これは卑怯でも詭弁でも何でもありません。
なんで?なんで?と問い詰めていくと結局は何もわからない。それを正面から見据えれば自然とこうなります。
ちなみにこの論は他の論との並立はありません この論は「そういう考え方もあるね」では終わらないのです。
哲学論争が「わからない」と決定付けられることに嫌悪感を抱く人も居るでしょう。
だけどそれがありのままの姿なのです。
もしできるというのなら絶対的存在、真理を証明してください。



言葉

絶対主義は絶対的な善があるといえば、〜べき、〜ならないという言葉を使うでしょう。
この言葉を説明すると、ループに陥るか相対評価をせざるを得ないのです。
条件をつけるというのはこれまたループに陥ります。
「絶対的なもの」自体言葉で言い表すことが出来ないのです。
言葉をもってして言葉を確立することが出来なければ言葉というものは存在できるものではなく、
言葉が正しいと仮定した時はぐるぐるめぐり証明できず、言葉が正しくないとすれば証明自体出来ません。
なぜこのようなことになってしまうのでしょうか。
答えはいたってシンプルで言葉というのが人間の感情に付加された音声や記号の塊に過ぎないからです
そして外にあっては人間に感情の想起を促すものでしかないのです。

つまり今までの哲学は感情という曖昧な世界を彷徨っていただけなのです。
初めから答えのないところをいくら探したって答えはありません。
よってあくまで言葉は軽いイメージの世界の話。つまり善や悪なんてものは使えないわけです。
この論はこの哲学の核です。



生き方

ではどう生きていこうか、ということになります。
これまででわかったことは絶対的なものなどないということです。
そのうえであるがままに生きていくだけ。
しかし犯罪だらけ汚職だらけ科学技術も医療技術も進まない。
そんな社会は嫌です。もちろん嫌だと思わない人の思考も立派な思考です。
その場合はここから下は意見、感情の似ている人でないと参考にならないかもしれません。
簡単に言えば好きなように生きればいいんです。生きたくなければ死んでもいい。言葉どおりの快楽主義。
人間が究極真理だってほんの少し近づくことは出来てもほとんど知りえないといってもいいでしょう。
まあいろいろ研究したり調べたり挑戦してみるのも一興ですけれど。

正しいものなどない、その上でこの方がいいって意見を出したり論争したりすればいいのです。
ただ忘れてはいけないことは根本的に頼れるものなどないということ。
まるで善や正しいことがあるかのように人や物事を判断したって不条理への行き場のない怒りが生まれるだけです。
所詮、人を裁くなどという時は権力と暴力と勢力によってそれらの好き勝手で行われているということを自覚していなければいけない。
しかしそんなことを言っていたら暴政がずっと続きます。個人的にそれは嫌だし、歴史もそれに逆らってきました。
今でも無意味な慣習、しきたりなどが幅を利かせています。
しかしそれを言及したところで皆、力を盾にとって陰に隠れてしまいます。
教育機関、企業、それから国家間においても権力で理屈を潰し好き勝手にされることが起きていては、
出来るだけ多くの人の望むかたちに近い理想郷など作れるはずがないんです。
ここでいいたいのはやはり上記を踏まえ、はっきり言って腐っている今の常識を潰し、
どんなことにも理論的に考えていくことが大切であると。
そのためには殺人者さえも存在として認め、そのうえで己がすることを自覚し、働きかけることが必要です。
固定観念や先入観にとらわれた人間にならないでほしいと思います。

ちなみに論争では相手のとる態度、行動と、相手の理想との矛盾を自覚させるやり方が「力」に対しても割と有効です。
もちろん世の中の愚物達は力で押しつぶそうとしてきますが出来るだけ抵抗しましょう。
それがよりよい世界を作るための第一歩です
抵抗してる人を心の中で支持するだけでもいいんです。それだけでも勢力の面で抵抗することになります。