2015年8月2日

 

 常識(1)へ

 

 

 

 先生であるあなたに。

 

 先生である前に”人間”だなんていう人は先生にならないで下さい。先生は何時の時代にも聖職者なんです。科目を教えるのは”教”職員であって”マシーン”なのです。歯車です。先に生きている先生ではありません。

 DSゲーム機やパソコンが、あなたの教えより正しくて的確な時代が来て、教職員不要の声がそのうち上がります。必要なのはひとの基礎と信念と使命感を持つ”先生”なのです。

 (地方)公務員は身分も安定していて、教員が優遇されているから、勉強が良く出来たから先生になる・・・なんて理由で先生にならないで下さい。若しそんな心が少しでもあったら、胸に頭に手を当ててください。

 これからの子供の、「見本と憧れ」の、使命感の強い先生にならなければ駄目です。若い人の犯罪はあなた達にもその責任があります。あなた達が教える前に、見て覚えるのが子供たちだからです。

 

 石川県ではこのたび(2009年6月末)小学生中学生にあの大層便利な携帯電話(ケータイ)を持たせない法律を作りました。法律を作った大人たちや先生たちが考えるより先に、その便利さ有能さを子供たちが知り、それを大人たちは(羨望ではないだろうが)有害さを後から気が付いて適切な教育もしないまま、責任逃れの法律を作って逃げる、それって大人のすることではありません。そんなことを決める人たちの中に”先生”がいるのです。こんな先生にはなってほしくはありません。何でか解りますね。

 先生になるのには常識があればなれます。でも、モラルをわきまえ、世の中をよく読み、理解し、そして子供たちに憧れと羨望を与え、聖職者になること、覚悟が要ります。 それでなくてはニッポンの将来はありません。

 

 

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