目・耳の不自由

 

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E-meil

2015年8月2日

 

目・耳の不自由

● 目がおっこっちゃった。16年前、脳膿瘍の頭の頭蓋骨を取っ払って手術をした時から、体の右側は動かなくなり、首から上は反対の左側が麻痺し、目蓋が閉まらない変な顔になってしまった。もともと右目は視力が悪く、いわゆるよそくろ、斜視だったのだが残っている左目がダメージを受けたのだ。目蓋が閉まらないからドライアイになり、それを防止するために眼科用の水性軟膏をつける、そうするとボヤ〜っとして見えなくて馴染むまで時間がかかる、なじんでも見えにくい。

それでもパソコンとテレビは病人にとっては命綱、幸いテレビは大型薄型が流行りだし、無理してすぐに買い込んだ。耳も悪い私には字幕も入り大型になってテレビの問題はクリヤーした。

パソコンは良い方法がないかと苦労してその機能を見つけた。マウスにその機能があるやつを見つけ、またフリーソフトの拡大鏡機能ソフトを探し使ってみた。どれも帯に短しタスキに長しで、いまはパソコンにもともと付いている身障者用補助機能のうちの拡大鏡機能を使っている。パソコンはディスプレーが15.2インチ?のやつで、タスクバーを右側に縦置きすると、拡大鏡も調子が良い。

 

大きな文字の画面はそのままでも見えるが小さな文字は拡大鏡機能を働かせて、さらにメガネをかけてみる。それでも駄目な時はルーペの出番だ。ルーペはパソコンの隣にいつもある。

 

それに私のブログとホームページは自分の眼がそうだから、見てくれる人やひととき訪問してくれる人が老眼であろう事を考慮して、格好が悪くならない程度に大きくしている。若しかしてこれは余計なことかもしれない。

 

眼科は薬が無くなって新たに投薬を頼むときにはかかるが、透析の長い時間を飽きずに過ごすためのテレビもあり、透析以外なんでもない人はひとり自由にそれを見て過ごす。だけど私はそういう訳で目に軟膏をつけることから、テレビは見ないでラジオをつけて聴き、目を休ませる。それでも落っこちた目は良くはならず横ばいで、パソコンの拡大鏡機能は活躍し続けている。困った事なのだが良くも悪くもならないから我慢をする。見えない人もいるのだから見えるだけ恵まれているのはいいと考えよう。

 

あの病気以来、耳も遠くなった。もともと遠かったのだが決定的に遠くなってしまった。そして耳へすっぽり入る超小型の補聴器は使ってみたがレベルが不足して駄目、首からぶら下げるか胸ポケットへ入れる大型の補聴器が必需品となり、私は本格的な“つんぼ”になってしまい、これが不便で邪魔なものとなった。しかし必需品、不便で邪魔とも言っていられず使ううち、思いがけずな面を見出した。それはオーディオの入力差込があって、テレビラジオパソコンの音を直接聞けることである。空気とマイクを介して聞く音は健常な人には丁度良くても私らツンボにはウマくなくて、良く聞き取れない場合が多いのです。それを直接入れると他の人には聞こえなくなるけれども私一人が没頭出来、聞きにくいのも解消できるのです。

周りが何の愚痴をこぼそうにも聞かなくて済むのはメリットです。補聴器を使っているということは、聞こえても聞かなかった振り、聞こえなかった振りも出来てこれが大変な得になる事があるのだから、いやこれは、あまり大っぴらにはしない方がよいのだ。

 

というような訳で私の左側には、差し込みジャックがついたコードがゴジャゴジャしている。オーディオコードの他に、パソコンの電源コードだのプリンタケーブルだの血圧計だのUSBケーブルだのいっぱいが、兎に角ゴジャゴジャしているのだ。これは耳も悪い私の特権であり特徴であり、どうなっているかは私しか知らない。

 

目と耳が悪くても落ち込む事はないようだ。補助機能がこれからますます発展していく事だろう。