人工透析の長い時間も見方を変えるチャンス。

 

人が述べているのを読んだりきいたりして「へぇ」と見方を変える。

私は普段家の中、週3日が病院の透析、外と付き合う機会がなくて何時もくすぶっているみたいです。でも、一日一日動けなくても新しい「何か」がないかと、貪欲に漁っていると「何か」がひっかかるんですよ。いわゆるその日の「ネタ」が見つかるのです。今回はある人が見方を変えて「へぇ」といったことについて、教えられました。

 

もうPR済みかと思っていたのですがそうではなくて、昨日は気がかりな?看護婦さんに私のこのH/Pのアドレスを押し付けて、ネタを作りました。本当はもっと気懸りな看護婦さんがいて、その人に声を掛けたかったのですが、チャンスがなくて2番目の看護婦さんになってしまったんだけどね。そうするとそこから話の種が湧いてきます。それを長い透析のベッドの上で練りこみ、1分、3分、5分、長い話のバージョンに纏め上げ、ゴジョゴジョやっていると長いはずの透析時間がいつの間にか過ぎるのです。「ネタ」が出来上がり、「ネタ」を蓄積し、ここに書くのです。

 

そんな「ネタ」も印象が強ければ忘れないで書けるのですが、大方うちへ帰ってくると忘れているのは天の采配。それを思い出すのは「脳トレ」で、この文章に纏め上げるのは、くすぶる私のチャンス漁りなのです。そのほかにもその日の気分で見方が色々と変わって「ネタ」」はどんどん広がります。そうすると外との付き合いがなくても広い心と話題に事欠かない「面白い人」になれるんじゃないかなぁ。ビジネスしてたら話が「面白い」は必須条件なのだと昔教えられました。「見方」を変えて何時も新鮮な気持ちを保つことが「ネタ」の仕入れと、少なくともアンチエージングの秘訣ですねきっと!。

 

 

人工透析

 

● 2005/8/10のデータ 朝:最低57、最高167、脈拍84、体重68.6キロ。(それ以前はコンピュータはいい加減)

08/07/27 のデータ 夜:最低65、最高132、脈拍69、体重56.8キロ。(2008年7月27日(日) 2004/9/22より透析始め。)

 

透析を始めたのが2004年9月22日。まもなく丸4年になる。それまで2週間に1回、内科の山木医師の診察と週2回のリハビリを受けていたが、だんだん頭の病気よりも腎臓の血液検査の結果が悪くなり、シャントの手術を受け、入院し暫らく経って手術跡が癒えてから透析に入る。始めは3時間の週3回だったが、早いうちから4時間となる。

透析始めのうちはパソコンをいじらなかったので自分一人で血圧値が書けず、一年くらいは人の面倒を受け、2005年8月10日からのパソコンデータが残る。それによると最高血圧、脈拍が高く、体重も今より12キロ近く太っていた。最高血圧は今のほうが20〜30mmHg近く低くなっているが、心臓比は57%近くから60%近くに増えているようだ。

 

昔の一時期に比べると、疲れるようにはなって来た様だがほとんど体調の変わりは感じない。透析を始めてから薬を減らしてみても(葉酸の薬、6月中から)変わりはない。

 

年末年始も旗日も関係なく動いているのは病院か病身か、何時シャントの再手術を告げられるか、血管がボロボロになるかそれも心配だが心配したって始まりはしねぇ、なる様にしかすすまねぇ と考えると気は楽だ。他に何も出来ないけれど、このパソコンいじりは役に立つようだ。一時、オシッコもウンチも分からなかったのがウソみたいに回復したし、喋れるようになったし、自分でも分かるほどしっかりしたし、考えも纏まるようになって来た。やっぱり、指先を使うことと頭を使うこと、何時も何かを考えていること、嘆くのも良い事なのかも知れない。

 

ぶよぶよにむくんでしまった話も聞くのが無くなったし、ほぼ快適に暮らせる。しかし、この治療をやめると死んでしまう。地震や災害で治療を続けられなくなることが報じられて、また、ライフカードを渡されてその恐怖も教えられるが一生続く治療には感謝しなければならない。

 

同時に少子高齢化、難病対策、後期高齢者医療問題、認知症問題、孤独老人、老人生きがい問題、など気を回さなければならない事だ。今、政治家が何かをしなければいけないのに、病気にならないから、老人にならないから、暮らしが切羽詰らないから、何もしないし期待もできない。何かをしてペケるより何もしない方が利口馬鹿なのだ。

 

透析の看護士さんはそうは行かない。

 

 

 

 

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check 2015年8月2日