脳膿瘍・右半身不随・車椅子

 

そんな脳膿瘍とか言う珍しい病気の手術のお陰でここまで回復はしたものの、小脳を動かしたり難しい手術の後遺症で運動機能が壊れ、私の右半身、頭の左半分は麻痺してしまいました。字も書けず、目と耳が駄目になり口も不自由で言語障害となり、一時は世間とのコミュニケーションが取れなくなりました。しかし、右半身不随ということは、“左半身”は動くことをあらわします。動くのはこの忙しい世の中ですから、車椅子のほうが早くて、そろそろ動くよりその時だけ車椅子の世話になります。

今通っている透析の病院の仲間にも私より軽いけど脳梗塞で一部麻痺している方がおられます。その人の普段の生活はどうしているのかなと案じてもおりますが、私は知合いの誰彼となく、残された左でポチンポチンパソコンを繰ることを覚え、ワープロの手紙を書くことをしています。今の時代に手紙とは貰ったほうは迷惑そうです。でもパソコンの世界は広がりました。

そして近頃、残されて自由が利く体の左側の周りにはコードがごじゃごじゃなのです。耳も不自由な私は首からぶら下げる箱型の大きな補聴器に頼っているのですが、補聴器が超小型化して耳にすっぽり収まる高度な発展を遂げている反面、大型の箱型にはほかのオーディオ機器から音を取り入れる差込が付いているのです。これはほかの補聴器には真似のできない物理的な最大特徴です。それにオーディオを繋げば普通はカミサンの世迷言や家族の愚痴も聞かされるのに、私はオーディオの世界に浸りきりです。

 

ラジオテレビ、パソコン、CD、時代遅れの古い歌のテープ、アイポッド携帯電話、と行きたい所だがアイポッドとケータイは私には不向き、これを除いて毎日どれかが繋がって聞く楽しみを増やしています。だから私の左側にはこれらのオーディオコードが何時も4〜5本、パソコンの電源、デジカメの取り込みコード、プリンタケーブル、血圧計コード、充電式髭剃りのコード、その他がとにかく何本もあり、ゴジャゴジャなのです。マウスとインターネットは無線の厄介になっていますが、電気って便利ですね。このコードが何でも伝えてくれるんですから・・・。現実を離れてひととき詩人になります。しかし科学の恩恵を受ける現代的な現実的な凡人です。ロマンを持つ秘めた詩人じゃありません。

 

コードを選び、補聴器に繋いで自分の殻に閉じこもる毎日は楽しいとも充実したとも言えますが健康に越したことはありません。それでもパソコンで遊べるだけ自由が利くのは神様の思し召しでしょう。

 

そして普段当てにする家族と同じに頼る世界に目を向けると、訴訟じゃやってらんないよ! って声が聞こえます。

地方も都会も医師が足りないという声を聞きます。 医師と病院とベッド数が足りなくて救急車に乗ったはいいけど行き先不明で待つは待つは、挙げ句の果てに十数か所もたらいまわしにされて、間に合わなくて死んじゃった・・・なんて話を聞きます。厚労省も政府も、 医師会も主張が違うけど悩んでいるようです。でもそうなったのに原因があるんです。 背景は考えなくもないようですがいま、お医者に罹る人達が自分を悟らないで「権利」を主張し、振りかざす人が増えている事です。

 

 権利の前の「悟り」が足りないんです。腕のいい医者にかかるのも、藪医者にかかるのも、ここで命が尽きはてるのも、またまた長生きできるのも、それはその人の「運命」なんです。カネを積むのは間違っています。神様の思し召しなんです。

 

お医者さんは自分の身を削っても日夜研鑽に励んでいます。腕のいい悪いは少しはあるでしょう。でも、「訴訟」はないでしょう。中には手術をしていて途中で泣き出すような未熟な医者もいると聞きます。それはドラマの中であって、医師はみんな技術の向上を図っているのが実情です。使命感も持っています。訴訟や裁判を起こされたら二の足を踏むのは当たり前です。安易な、命にかかわりのない、訴訟も裁判も起きっこない道に走るのは当たり前です。それに今の待遇は医師にならずとももっと無責任に稼げます。そのほうが、楽なのです。

 

 それなのに命を「金」と変えたがる人たちがいて、片っ端から訴訟を起こされたら、あなた 医者をやっていられますか?。世間にはそんな明確な簡単な背景があるのにどうして解決できないのですか?。大金持ちがいておカネで命をどうにかしようという人がいることも事実ですがこれは神を冒涜しております。

 

歳よりにも、若手にも、それは「天命」です。医師に当たり外れはあるでしょう。しかしそれは もうとっくの昔からその医師にかかるようになることは決まっているのです。今更ジタバタしても始まりません。

 

要は自分の医師を信用する事です。信用されてないのが解ったら医師だって自分のチカラを存分に発揮出来ません。「天命」だということを、「生きている」んじゃ無くて「生かされているんだ」ということを、悟る事です。悟りには、多い少ないは個人差があって少しは抵抗がありますけれども、でも、「悟りの心」はみんな同じです。

 

そうすると医者不足問題は、風が吹けば桶屋が儲かる式に解決するのです。この人たちの待遇?。 それはいわずもがな!。

 

フェイルセーフ、そのような考え方もあります。人間に間違いがあるからこそ私達の仲間と言う意識が働きます。そして責任を自覚する人なら許せます。オリンピックに出るスポーツ選手も、出る前は豪語していますけど金メダルは取れないと落ち込むし、思うようにはいきません。間違いではないのですが完璧ではありません。医者にも公共乗り物の運転手にも、よしんば飛行機のコンピュータがついている操縦士でも完璧はありません。だからもし完璧に出会ったらそれは、運命なのです。自分ではどうしようもありません。自分でどうも出来ない事に悩むのはバカらしい事です。やっぱりそういう運命なんだ、神様の思し召しなんだと、「悟る」事です。悟ってしまえば気は楽です。悩むことはありません。大の大人の責任の取りかたっていうのもありますけどね・・・。

 

半身不随と車椅子でも、私は訴訟も起こしませんし、こうなった運命も十分呑み込んで神様仏様、お父様お母様に感謝して、毎日を頑張らず普通に過ごしているのです。

 

 

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check 2015年8月2日