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インドネシアの"黄金の繭"に関する情報や活動と、これまでの履歴です。

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キラキラ会のおもな動き
ニュースのこれまでの掲載履歴
サイトのおもな更新履歴
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(バックナンバー)


2002年、パンバユン王女 ご結婚披露宴 「現地レポート」

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“よみがえった黄金の繭”ポスターアイコン(直近ニュース) 2011年9月27日(火)、NPO法人 北九州市国際文化交流協会は、“よみがえった黄金の繭”のキャットフレーズの下、「文化とアートとファッションの融合 第一弾『黄金の繭作品展』」を開催することを広く告知しました。期間は2011年10月21日(金)〜23日(日)の3日間、場所は旧百三十銀行ギャラリー(北九州市八幡西区西本町1-20-2)です。同協会は、北九州博覧祭2001において「インドネシア"黄金の繭"展」が開催されたことをきっかけにジョグジャカルタとの交流を始め、翌年にはジョグジャカルタにおける国際野蚕学会の場で黄金の繭を取り入れたファッションショーを開催したNPOです。縁の始まりからちょうど10年。そこに現れるという“黄金の繭ドレス”とは一体どんなものなのでしょうか。


※ ニュースのこれまでの掲載履歴は、こちら

ページの先頭へキラキラ会インドネシア友好会・北九州の、おもな動き

2000年  2月 〜 ジョグジャカルタの特殊な繭への取り組みを北九州博覧祭2001で紹介するため、準備行動を開始。
2000年 12月  7日 インドネシア友好会・北九州 (キラキラ会) を発足。
2000年 12月 28日 北九州博覧祭2001「市民参加イベント」への、インドネシア"黄金の繭"展 の採用が決定。
2001年  4月 10日 インドネシア"黄金の繭"出展実行委員会 を発足。 キラキラ会 会員を中心とした実行委員を編成。
2001年  5月  4日 インドネシア"黄金の繭"展 公式 Webサイト の運用を開始。
2001年  6月  5日 市長とともに、インドネシア"黄金の繭"展 の開催について市政記者に公式発表。
2001年  8月  2日 「"黄金の繭"展と環境共生セミナー」の開催と、サリ王女による講演が決定。
2001年  8月 25日 サリ王女と、王室の職人たちが、インドネシアから福岡空港に到着。
2001年  8月 25日 西日本総合展示場新館にて、"黄金の繭"展と環境共生 セミナー を開催。
2001年  8月 25日 リーガロイヤルホテルにて、ウェルカム・パーティ を開催。
2001年  8月 27日
     〜 9月  2日
インドネシア"黄金の繭"展 を開催。
2001年  9月  3日 門司港ホテルにて フェアウェル・パーティ を開催。
2001年  9月  4日 サリ王女たちがインドネシアへ帰国。
2002年  4月 26日 「第4回 国際野蚕学会」にキラキラ会として正式参加し、田中代表および東嶋委員が講演。
2002年  5月 28日 ジョグジャカルタの 王宮 で開催された サリ王女 ご結婚披露宴 に正式招待され、姫野会員が出席。
2004年  4月 17日 パンバユン王女(旧称:サリ王女)ご一家の来日に合わせ、お嬢様のお誕生祝(有志による)を贈呈。
2006年  5月 29日 ジョグジャカルタでの大規模な地震発生による災害に対し、キラキラ会としての支援準備を開始。
2006年  6月  1日 ジャワ島中部地震被害に対し、キラキラ会として、王室への義捐金送付を決定し、報道機関へ公表。

ページの先頭へニュースの、これまでの掲載履歴

2001年  4月 15日 "黄金の繭"展のおおまかな 会場レイアウト案 が固まってきました。自然の光を十分に取り入れながら、ジャワ島中部の落ち着いた雰囲気が醸し出されるような、今後のリファインが楽しみなプランとなっています。
2001年  4月 24日 1996年6月から運休していた ガルーダ・インドネシア航空 の福岡⇔インドネシア直行定期便が、2001年7月3日から再開されます。福岡(火、木、土の週3回出発)→デンパサル(バリ島)→ジャカルタを経て福岡に直帰する周回便で、福岡事務所の再設置も検討されています。
2001年  6月  5日 北九州博覧祭2001でのインドネシア"黄金の繭"展の開催について、末吉北九州市長から報道機関各社に公式発表されました。キラキラ会 からも5名が同席し、市政記者たちからの様々な質問に応じました。
2001年  8月  2日 JR小倉駅の横にある西日本総合展示場の新館にて、2001年8月25日(土)午後に「"黄金の繭"展と環境共生セミナー」が開催されることが決まりました。このセミナーには、ジョグジャカルタ王室 のサリ王女もPT.YARSILKの代表者として来日され、講演者として参加されます。 また、展示会場のレイアウト も最終デザインの段階となりました。
2001年  9月  5日 「"黄金の繭"展と環境共生セミナー」および北九州博覧祭2001での「インドネシア"黄金の繭"展」は、予定の全日程を大成功のうちに終了することができました。ジョグジャカルタ王室 からご来日いただいていたサリ王女ご一行も2001年9月4日に帰国され、同日夜、皆さん無事にジョグジャカルタに到着されました。
2002年  2月 27日 2002年4月23日(火)〜26日(金)の4日間、ジョグジャカルタで「第4回 国際野蚕学会」が開かれます。この学会の主催者である国際野蚕学会会長の赤井弘教授と、同会インドネシア地方委員会委員長のサリ王女から、キラキラ会 に対して参加と講演の正式な要請がありました。
2002年  3月 25日 サリ王女が Nieko Messa Yudha (ニコ・メッサ・ユダ)氏とご結婚されるというビッグなニュースを、サリ王女ご本人から直接お知らせいただきました。ご結婚関連の儀式は、2002年5月28日(火)のご成婚当日に向けて、およそ1ヶ月間にわたって行われるようです。
2002年  5月  1日 2002年4月26日(金)、ジョグジャカルタで開始された「第4回 国際野蚕学会」に キラキラ会 として田中文彦代表と東嶋一夫実行委員が正式参加し、各国からの多数の出席者の方々のご静聴の中、北九州博覧祭2001に出展した「インドネシア"黄金の繭"展」についての経緯や成果・波及効果などについて講演しました。
2002年  6月  2日 2002年5月28日(火)、ジョグジャカルタの 王宮 で開催された ご結婚披露宴 に、キラキラ会 の姫野貴司会員が王室からのご招待状を賜り、出席のためジョグジャカルタを訪問いたしました。当日はまず、午前中はご親族のみでの儀式が行われ、午後にはパンバユン王女(旧称:サリ王女)ご夫妻が専用の馬車に乗られて王宮の周囲をパレードされました。その夜、日本での披露宴にあたるこの式典に出席。インドネシア内外からのおよそ1,500名が見守る中、式典はたいへん厳かなうちに滞りなく執り行われました。
2003年 10月 8日 2003年10月3日(金)、パンバユン王女(旧称:サリ王女)とウィロネゴロ王子(旧称:ニコ氏)のご夫妻に、第1子(お嬢さま)がお生まれになりました。王女、お嬢さま、ともにお元気だということです。
2004年  4月 20日 2004年4月17日(土)、パンバユン王女とウィロネゴロ王子のご夫妻が、北九州博覧祭2001のため北九州市を訪問されて以来、2年7ヶ月ぶりに来日されました。これに合わせ、6ヶ月を迎えたお嬢さま、Arti Aya Fatimasari Wironegoro(アーティ・アヤ・ファティマサリ・ウィロネゴロ)ちゃんへの キラキラ会 有志からのお誕生祝いを、ご帰国前日の滞在地である神戸にて手渡しました。
2005年  3月 25日 2005年3月16日(水)、パンパユン王女とウィロネゴロ王子のご夫妻に、第2子(ご長男)がお生まれになりました。王妃を始め、王族の皆様方はたいへん喜んでおられたと、お知らせが参りました。
2005年  4月 11日 2005年4月11日(月)、パンパユン王女とウィロネゴロ王子のご長男のお名前が、Drasthya Wironegoro(ドラスティア・ウィロネゴロ)ちゃんにお決まりになったというニュースを、パンパユン王女ご本人から直接お知らせいただきました。
2006年  5月 26日 2006年5月24日(水)、ジョグジャカルタの北約30km弱の位置にある活火山、ムラピ山が、4月下旬以来、活発に噴煙を上げ、火砕流も発生している中、心配していた私たちに対し、パンバユン王女から、『ジョグジャカルタからは遠いので普段どおり平穏』との近況メールが届きました。また、ムラピ山もすでに安全になりつつあるそうですが、付近では避難民が多く出ているため、御仲間と一緒に食糧や物資の支援活動をされているそうです。
2006年  5月 27日 2006年5月27日(土)、ジャワ島中部でマグニチュード(M)6.3の強い地震が発生し、ジョクジャカルタ特別州で多くの建物や家屋が倒壊、死傷者が多数出ています。王宮周辺の様子については、情報が少なく、キラキラ会もまだ現地と連絡が取れていません。
2006年  5月 31日 2006年5月31日(水)、ジョグジャカルタの王宮の状態や、その周辺の被害の様子が、キラキラ会に伝えられました。ひとまず、王や王妃およびご家族の方々はご無事でおられます。しかし、街では死傷者が相当多数おられる模様で、亡くなられた方々の中には、王宮の方も含まれています。市内の家屋被害はかなり深刻で、王族の方々も含む多くの市民が、家が壊れて住めなくなっています。王宮内の建造物や器物、貴重な宝物なども、かなり被災している状況です。
2006年  6月  1日 2006年6月1日(木)、キラキラ会は、今回の地震で被災したジョグジャカルタ特別州の王室に対して、見舞状と見舞金(20万円)を送ることを決め、北九州市政記者に発表しました。ジョグジャカルタ特別州では、死者が5,000人を超すという被害の中、今も瓦礫の下からの救出が続く一方で、医薬品や生活物資のサポートが行き届かない状況です。この危機的な状況に、キラキラ会としても、一刻も早く支援をしたいと考え、会員有志による募金を行ったものです。見舞金は、ジョグジャカルタ特別州と Jogja Heritage Society(※)が開設した“緊急支援口座”へ送られ、テント・毛布・医薬品等の配布に活用される予定です。
※…ジョグジャカルタ建築史跡保存協会(王室の関係団体)、代表:シタ博士(インドネシア国立ガジャマダ大学)
2011年  9月 27日 <現在表示中>

ページの先頭へサイトのおもな更新履歴

2001年  4月  9日 ベータ版トップページを登録し、運用テストを開始。
2001年  5月  4日 インドネシア"黄金の繭"展 公式 Webサイト 正式版 として、WWW上に公開を開始。
2001年  5月  7日 サイト全体のナビゲーションデザインを改善。
2001年  5月 11日 インドネシアへ派遣された北九州市職員 のページを新規追加。
2001年  8月 12日 掲示板を外部サービスから内部処理へ変更して機能整理し、同一サイト内へ移設。
2003年  2月 11日 サリ王女 ご結婚披露宴 現地レポート を新規追加。
2003年 12月 31日 掲示板の運営を一旦終了し、サイトへのご意見等は管理者宛てEメールに統一。
2004年  5月 13日 展示した日ごとの、報告と写真のページを フォト・レポート として再構成。
2005年  1月 20日 インドネシア"黄金の繭" フォト・レポート サイト として、サイト全体の内容を大幅に刷新。
2005年  1月 24日 新たに ゲストブック を開設し、運用を開始。
2005年  3月  1日 プロローグ 〜 私と 繭と サリ王女 〜 を新規追加。
2005年  4月  1日 2001年当時の掲示板記録 を追加。
2005年 12月 25日 インドネシア''黄金の繭'' サイト (英語版) を追加し、公開。
2007年  6月 13日 ゲストブック を 掲示版(ベータ版) へとリニューアルし、新たな運用を開始。

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※ 1スレッド = 1つの話題の脈絡。

2007年  6月  1日 〜 最新の書込みまで <ゲストブック に 現在表示中>
2006年  6月  1日 〜 2007年  5月 31日 全10スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年 12月  1日 〜 2006年  5月 31日 全15スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年  9月  1日 〜 2005年 11月 30日 全 9スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年  7月  1日 〜 2005年  8月 31日 全14スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年  5月  1日 〜 2005年  6月 30日 全17スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年  4月  1日 〜 2005年  4月 30日 全14スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年  3月  1日 〜 2005年  3月 31日 全43スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
2005年  2月  6日 〜 2005年  2月 28日 全26スレッド。 → 閲覧は こちら へ。
※当サイト開設当初から、企画展示終了まで
2001年  5月  4日 〜 2001年  9月 20日
全15スレッド。 → 閲覧は こちら へ。



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