今より四百五十余年も昔、幕府より任じられた守護大名は力を失い、戦国大名と呼ばれる勢力が台頭していた。
これは、後世、戦国時代と呼ばれるこの時代を生きた(つわもの)たちの物語である。

 ただし、現代人が認識するそれとは多少異なる点があった。
それは、第一子が姫であればその者が家督を継ぐという点である。

 姫大名・織田信奈によって収められし尾張の国、清洲城の城下町。
 田楽狭間にて海道一の弓取りと呼ばれた、最も天下に近き大大名である今川義元の軍勢を織田が破った翌日のこと。

 うこぎ長屋と呼ばれる下級武士の住まいに、数えで八つのこましゃくれた少女の溌剌とした声が響く。

「さ、兄さまも犬千代も、たくさん食べるでござる!」

 日が高く上る頃、ようやく目を覚ました相良良晴は義理の妹のねねと隣家の前田犬千代と共に鍋を囲んでいた。
たかが米粒と言うなかれ、精米されていない玄米であっても質素な生活に慣れきった身には何にも勝る馳走である。
一俵、大事に取っていたものを戦勝祝いということで少しだけ取り出したのだった。
財テクという裏技があるにせよ、安月給の身ではまずお目にかかることのない品なのだ。
 ちなみに白米を指す銀舎利(しゃり)とは、仏陀の遺骨に似ているところからつけられた白米の俗称であるが、食糧難の時代にあっては神の恵みに映ったのかもしれない。

「ところでさ、少し気になったことがあるんだけど」

 年相応の旺盛な食欲を発揮し、山菜入りの粥を何杯も平らげた良晴は斜向かいに座る小柄なかぶき者を見やった。

「食事時にどうかと思う話題なんだが、いいか?」
「……構わない。言ってみる」

 滅多にない満腹の幸せで幾分頬を緩めながら犬千代が答える。
槍を扱えば尾張随一の名だたる将も、食欲が満たされたその瞬間は、年頃の乙女に戻るのかもしれない。

「昨日は疲れ果ててたからよくわからなかったんだけどさ。その、傷を負ったやつらが何人か馬にたかっていたんだよ」
「……たかっていた?」
「ああ。見間違いかもしれないけどさ。泥の塊みたいなものを拾い上げてた」

 部屋に沈黙が落ちた理由は、単純明快だった。
始めに断りを入れたからといって、食事時にそぐわない話題を耳にして、気分がいいはずはない。

 それでも、律儀な前田家の女当主は返事をする。

「……多分、見間違いじゃない」
「ねねも犬千代と同じ意見でござる!」

 元気いっぱいに手を挙げて続いたねねと犬千代を等分に見ながら、良晴は顎に拳の一端を押し当てて相槌を打った。

「二人とも、同じ意見なんだな。てことは、こっちじゃ常識なのか」

 現代人、戦国時代からみれば未来人である彼が過ごす世界には、そのような風習はない。
と言うより、そもそも何をしていたのか自体、不明であった。

「兄さま、その方たちは馬糞を集めていたのでござる!」
「ああ、あれは泥じゃなくて糞だったのか。じゃあ、何のために馬の糞なんか集めてたんだ?」

 これは、至極まっとうな疑問である。
所詮はゲームでかじっただけの知識、思いつくのはせいぜい畑にやるためとか、燃料とかその程度だ。
もっとも、日本のように湿度の高い国では乾燥させる手間を考えると、あまり燃料向けとなる素材ではないのだが。

 ともかく、返ってきた答えは良晴を驚かせるものだった。

「……傷口に塗るため」
「ぶっ」

 間が悪くちょうど口に含んだところにやってきた怪情報により、見事にまき散らされた茶をもろに浴びながらも、しっかり者の幼女がきりりと眉を吊り上げる。

「兄さまもったいないでござる!」

 この言葉に、良晴はぱちぱちと瞬きをした。胸の奥が熱くなって、しばらく声が出せなかった。

「……汚い、じゃないのな」
「当たり前でござる! 茶葉は、値が張るのですよ!」

 怒った理由が茶を浴びせられたことではなく粗末にしたせいであると知ってつい嬉しくなってしまった、と言えばきっとねねは怒っただろう。
良晴が感動の面持ちで義妹を見つめていると、横から袖を引く者があった。
見れば、虎の帽子をかぶった小柄なかぶき者がこちらをじっと見据えている。

「……少しかかった」
「いや、すまん」

 良晴は素直に謝った。親しき中にも礼儀あり。
お詫びに、次に町へと繰り出した際にはういろうを買ってやろうと心に決める。

「で、何なんだよ傷口に塗るってのは」
「……言葉どおりの意味。馬糞を傷口に塗る」
「はぁ!? 何だよそれ。嫌がらせか? 罰ゲームか?」
「……閥芸無?」

 派閥争いのことかと小首を傾げながらも、犬千代は語を継いだ。

「……水で溶いたものを飲むこともある。それで傷が治ると信じている者は、少なくない」
「はあ」

 こういう時、どんな顔をすればいいのだろうか。良晴は呆けたように、うなずき返す。

「……だから姫さまは、初陣の後にお触れを出した。迷信を信じるな、と」

 医師免許などないこの時代、医学などあってないようなものであった。
きちんと理屈を知って治療を行う者もいなかったわけではないが、未知の部分も多く、それ故に重い病も祈祷で快癒するという信仰が存在する。
もしかすると、何かの間違いで馬糞を使って助かった者がどこかにいたのかもしれない。

「小さい頃から相撲取ったり戦ごっこしてた、って言ってたっけか。傷に効くわけがないって、わかるよな。あいつのことだ、もしかしたら」
「……良晴?」
「いや、なんでもねえよ」
「……でも、笑ってる」
「気のせいだ」

 織田家の当主が、その効果を試してみたのかもしれないなどという話を、無理に聞かせることはない。

「兄さま、犬千代、これを見てくだされ!」
「おお!?」

 笹の葉に乗る色とりどりのういろうに、良晴は目を輝かせた。
程よい甘味は口当たりがよく、くせになってしまう魔力を持っている。

「おやつまで用意されてるなんて、至れり尽くせりだな。でかした、ねね!」
「ふふふ、兄さまを支えるのはねねの役目でござる!」

 頭を撫でられて目を線にするねねの姿は実に愛らしく、ほほえましい。

「……汚奴?」

 和みきった空気の中、犬千代は聞き慣れない単語を口中繰り返しつつ、白のういろうに手を伸ばすのだった。

ver.1.00 12/7/25

舞台裏は後日公開いたします。

 信奈SS、第1弾です。犬千代がかわいいです。
ちなみにおやつは昔の八つ時、今でいう二時から三時頃に食べたことから生まれた言葉だそうです。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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