「それにしても暑いわね」

 武力をもってこの国を一つにまとめあげる《天下布武》の号令の下、日ノ本に織田木瓜を翻らさんと奔走する姫大名・織田信奈は今日も今日とて思いきり着崩した格好で扇を扇いでいた。
温度計などないため彼女たちは摂氏何度であるかを知りようもないが、海から離れた京都の夏は暑い。
雨が近いのか、妙に湿度が高くなっていて不快指数は極めて高かった。

「何か涼を得る手はないかしら。六、こういう時、どうしてるわけ?」
「じっと我慢の子です姫さま。どうしても耐えられなくなった時は、冷えた井戸水を頭からかぶります」
「まあ、それも悪くないわね」
「では、さっそく参りますかっ」

 上座の信奈から向かって左側、六こと鬼柴田の異名を持つ、織田随一の豪将・柴田勝家が気だるそうな主の声に身を乗り出しつつ嬉々として応え、いかにも武辺者らしい答えに居合わせる一堂がそれぞれにうなずく。
左隣には、きんかんの髪飾りとおでこが特徴的な織田家きっての切れ者、美貌の明智十兵衛光秀が一分の隙もない居住まいをみせており、対面、すなわち上座からみて右側には姉役でもあるうら若き家老の丹羽長秀、通称万千代が控え、その隣には相良良晴が座っている。
「他の意見も聞いてみるわ。万千代、西瓜(スイカ)はもうないわけ?」
「申し訳ありません。生憎、在庫を切らしています」
「デアルカ」

 眉尻を下げる万千代に、織田の当主は扇を閉じて口をへの字に曲げた。
これは食い意地が張っての発言ではない。スイカが体温を下げる食べ物であると、科学的根拠はなくとも経験的に知っているため、たずねたのである。
ちなみに、体温を下げるメカニズムは果実に含まれる水分とカリウムによる利尿作用が体内の熱を放出することによるもので、余談ながら、ナトリウムは利尿作用を抑える働きがある。

「あまり気は進まないけど、六の案で行こうかしら。気持ちがいいのは確かだもんね」
「ですが、信奈さま。近くの井戸を使えば誰の目に触れるかもわかりませんです。迂闊に水浴びをすれば、覗かれてしまいますです」
「そんな馬鹿なことをしでかすのは、そこのサルくらいでしょうけど」

 面白くもなさそうに会話を交わす十兵衛たちを尻目に、良晴はこっそり隣のお姉さんに耳打ちする。

「そういや、信奈っていつも黒の下着だけどさ、まさか同じ物を着け続けているわけじゃないよな」
「当然です。当主としても、女性としても、そのようなはしたない真似は許されません。乙女心がわからない相良どのは、零点です」

 にこにこと前を向いたまま、丹羽長秀がほとんど口を動かさずに返事をした。
別段、厳しい採点ではない。万一同じ質問を信奈にすればその場で打ち首となってもおかしくない暴言である。

「同じに見えても、別の下着に替えてますよ」

 内心呆れながらも補足のひと言を忘れない出来た家老に、良晴は密かに手を合わせた。
それが、不用意な失言による彼らの仲違いを避けるための方策であると、気がついたからである。

「さすがの十兵衛も暑さだけはお手上げのようね」
「はいです信奈さま。かしこくて美しくて優雅で高貴な土岐現時の末裔、明智十兵衛光秀も、天候ばかりはどうすることもできないです」

 期待はしていなかったのか、信奈の顔に落胆の色はなかった。
身内ばかりの席で、少し愚痴をこぼしたくなっただけかもしれない。
しかし、主が晴れない表情でいるのを見れば、何とかしたくなるのが家臣というもの。
それも、惚れた相手であれば直のこと、良晴はおずおずと手を挙げた。

「なあ、ちょっといいか」
「何よサル。いい案でも浮かんだの?」
「いや、いい案って程のものでもないんだけどさ。川で泳いだりしないの?」

 逆に、これまでこの意見が出なかったほうが不思議である。
現代日本においても海やプールは夏の鉄板イベントであり、狭い池で大勢がひしめき合うようなことにならなければ、手っ取り早い方法ではないであろうか。

「川、ねえ」

 だが、どうしたことか信奈は気乗りしない様子であった。
彼女は、幼い頃から男子が好むような遊びをしていたと聞く。
そうであるならば、水泳はむしろ得意分野であっても何ら不思議はない。

 そんな中、軽く手を打ち合わせて感心した声を上げたのは万千代である。

「近くに川はありますが、水練ですか? さすがは相良どの、平時から有事に備えようとするその心構えに感服です。八十点」
「やりぃ、高得点だ!」

 辛い評点が多い丹羽長秀に褒められた良晴は、思わず右腕を突き上げて快哉を叫んだ。
その様子を眺めていた尾張出身の姫大名は、片膝を立てた体勢はそのままにつと小首を傾げる。

「槍って何よ」
「いや、そうじゃなくてさ」
「じゃあ、刀?」
「武器の話じゃなくて、その、水練なんだけど」

 一堂を見回してから、良晴は好奇の光を浮かべてこちらを見つめる“吉”に答えた。

「別に訓練をしようってわけじゃないんだ。単に、川で水浴びをしたり泳いだりすれば涼しいだろうな、って思っただけで」
「水浴びはわかるとして、泳ぐならやっぱり訓練じゃない」

 わずかに唇を尖らせる信奈に、今度は良晴が驚きを示す。

「へ? 水泳とか、普通にしないもんなの?」
「なるほど、合点が行きました。相良どのの中では、水泳とはごくありふれたものなのですね」
「え、こっちじゃ違うのか」
「ええ。相良どのが考えているものとは、いささか趣を異にするようです」

 互いの常識が噛み合わないのは、生まれ育った環境が異なるためである。
相良良晴は今でこそ戦国の世に馴染んではいるが、こうした例は幾つもあった。

「それってどういうことだ、長秀」
「ですから、おそらく相良どののいた時代では、水練そのものが庶民の遊び、ないしは身近な風習なのです」

 万千代は戸惑いを隠しきれずうろたえている六にほほえみかけて、織田家の勲功第一を誇る少年に目を向ける。

「そのとおりだ。俺がいた世界では、学校、こっちで言うとなんだ、寺子屋か? そこで泳ぎ方を習うんだよ。だから、ほとんどの人間が泳げる」
「おいサル。お前が住んでいたところではまだ年端もいかない子どもに鎧を着せて泳がせるのか」
「そんなことはしねえよ。何キロあると思ってんだ、溺れるだろうが」
「よし、勝ったぞ!」

 一人で盛り上がる柴田勝家をよそに、信奈はあぐらをかいて、前傾姿勢のまま両腕を畳に突いた。

「未来ではどんな風に泳ぎを楽しむわけ?」
「水着を着て、あとは好きなように楽しむだけだ。蹴鞠の、もっと軽いやつがあれば鞠遊びもできるしな」
「いくら軽くても水の中じゃ蹴り上げられないわよ」
「手を使って飛ばすんだ。こういう風にな」

 良晴が掲げた腕を屈伸運動させる姿を見て、それぞれが未来の遊びを想像する。
ただし、六だけは一人見当違いの映像を思い浮かべていた。

「あんたが言うその遊びも気になるところだけど、要するにあんたはあたしが知らない泳ぎ方を知ってるわけね」
「たぶんな。お前がどんな風に泳ぐか知らないからはっきりしたことは言えねえけど」
「だったら話が早いわ。百聞は一見にしかず、ってね」

 思い立ったが吉日という言葉は、彼女のためにある。
織田家当主は勢いよく立ち上がると、カン高い声で命じた。

「十兵衛、万千代! 明日までにその水着とやらを調達するのよ」
「かしこまりました。上手く行けば、兵たちにも浸透させることができそうですね。八十八点です」

 兵農分離を進めたとはいえ尾張の弱兵はろくに泳げない者が多く、多少なりとも泳げるようになれば、いざという時に役立つことは疑うべくもない。

「あの、信奈さま。相良先輩はどうするです?」
「決まってるでしょ。サルの分も用意してあげて。あいつがいなかったら、誰に泳ぎを習うのよ」
「わかりましたです」

 必ずしも教える側が水着姿にならなくていいのではという疑問を飲み込んで、十兵衛は大人しく拝命した。

To be continued...
ver.1.00 12/8/18

 信奈SS第2弾です。短いお話ですが、続いちゃいます。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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