1.「なんだか見られているような」


『僕と契約をしないかい?』

 中野梓が初めてキュウべえと会ったとき、
その瞳が血に濡れたような色に見えて、思わず悲鳴を上げそうになったものだ。
ぬいぐるみのような愛らしい外見とのギャップもさることながら、
暗がりから突然現れたのだから無理もない。
今ならば大きく傾いた夕陽があまねく大地を染める中、
光の加減でそう見えただけと笑い話にする事ができるが、
ここだけの話、しばらくの間はこの不可思議な生き物に触れることはおろか、
心からの笑顔を向けることさえためらわれた。

『願い事をひとつ、なんでも叶えてあげる。富、名声、命、どんな願いだって構わないよ。
その代わり、僕と契約して魔法少女になってほしいんだ』

 今でもこの出会いがなかったならば、という考えが時折頭をよぎることがある。
あの日の邂逅は、悪夢と呼んでも差し支えの無い出会いと呼ぶべきなのかもしれない。
その後の、浅薄としか言いようのない選択の、きっかけになったのは間違いないのだから。

 ともかく、彼女は魔法少女となった。このときより、願いの対価として魔女と戦う使命を課せられた。

『おめでとうあずさ。これで、今日から君は魔法少女だ』

 梓は思う。
たとえどのような形であれ、この不思議な力を与えた謎の生物と遭遇すれば最後、
悪魔に魂を差し出すような誘いに乗って、願いを口にしてしまったことだろう。
その自覚はあった。なぜなら……。

「勘違いのないように、先に言っておくね」

 梓はそう前置きをして、浴槽の端にちょこんと座る小柄な友人をじろりと見やった。

「私は、魔法少女になったことを後悔したことはないし、この先もきっとそうだと思う」
「あずさは強いね」

 気負いなく言ってのける黒髪の魔法少女に、感心に彩られた声が即座に上がる。

「一度心に決めたからって、それをずっと貫ける子は見た事がないよ」
「私は別に強くないよ。なんだかんだ言って、先輩たちがいないと戦えないし」

 自嘲ではなく憧れを含んだ声音を、キュゥべえはどんな風に受け止めているのか。

「もちろん、いつまでも頼ってばかりでいいとは考えてないよ。
澪先輩や紬先輩のようになりたい、って思ってる。いつか、だけどね」

 彼女がまだ魔法少女でなかった頃、紬に危地を救ってもらったことがある。
その後も幾度となく助けられているため、自分一人でやれる、という意識を持つには至っていない。

 それだけではなかった。軽音楽部の活動においても、先輩たちには世話になっている。
いまひとつやる気がないように見えて、その気になったときのパワーは相当なもので、
初めてのライブで見惚れた姿は決して偽りではないと知り、
魔女との戦いを共にするようになってからは、抱いていた尊敬の念がますます強まった。

「ところで、急にそんなことを言うなんてどうしたんだい。なにかあった?」
「うん。なにもないのにこんなことは言わないね」

 解かれたツインテールの黒髪が湯にたゆたうのを眺めつつ、梓はわずかに唇へ力を込める。
視線を上げると、まるで紅玉のように無機質な瞳がこちらをじっと見つめていた。

「ねえ、キュゥべえ。一緒に入るの、止めにしない?」
「どうして?」

 間髪容れず質問に質問を返してくる生き物に、黒髪の魔法少女は戸惑いを含んだ声で応える。

「だって、キュゥべえの視線がなんだかえっちなんだもん」

 キュゥべえはぱちくりと瞬きをした。

「えっち? えっち、ってなんだい。僕たちの種族にはない概念だから、理解できないよ」

 小首を傾げるその姿は、どんな愛玩動物に勝るとも劣らない愛らしさだ。
しかし、梓は思わず鵜呑みにしたくなる気持ちをかろうじて抑え、語を継いだ。

「気のせいじゃないと思うんだけど。頭を洗っているときとか、すごくイヤな視線を感じるし」
「嫌な視線?」
「そう。なんて言うのかな、舐めるように、じろじろとした……」

 ある日、洗髪の際にシャワーで流し終えてから瞼を開くと目が合った。
最初は本当に気のせいと思っていたし、単なる偶然なのだと考えていたので気にせずにいたが、
同じようなことが何度も続き、次第に意識するようになったのである。
それからも度々目が合い、いつしかそれは彼女の中に不審という名の種を生み出した。
人とは違って虹彩で視線を追うことができないこともあってはっきりとした証拠はないのだが、
目を閉じている間、どうも見られている気がしてならない。
そう思っているからか、今も、なに食わない顔で双丘や下腹部を凝視しているようにも見える。
まさか、と思う一方で、そういった考えがどうしても意識に残るのだ。
疑い深いと言うなかれ。年頃の乙女は複雑なのである。

 いずれにしても、一度口にしてしまった以上は目をつぶっていられる問題ではなくなった。
『えっち』という概念を持たないというのが方便であるならば今すぐにでも叩き出さなければならず、
仮に白だと証明されてしまえば、彼女はとんでもない言いがかりをつけたことになり、
謝り倒さなければならなくなる。

「ほら、その目。爛々としてない?」

 梓はできれば後者であって欲しいと願いつつも、
宝石のようにキラキラとしたつぶらな瞳を覗き込んでみたが、特に動じる様子はなかった。


「なにを言うんだい。僕の目は元々こうだよ」
 キュゥべえは口元をω(こんなふう)にしながら、テレパシーを飛ばしてきた。

「今さらかもしれないけど、僕がここにいる理由をあずさはきちんと理解しているかい?」
「理由、ね」
「うん。お風呂に入っている間は無防備だからね。万一に備えて、側にいるほうがいいと思う。
お湯に浸かるのは気持ちがいいから、着いてきているのもあるけどね」

 正論である。魔女は、こちらの事情に構うことなく事件を起こすものだ。
いくら念波でやり取りができるとはいえ、
離れているよりも近くにいるほうが段取りがいいのは間違いない。

「どうしてもあずさが不安に感じるのなら、明日からは時間をずらすけど」
「ん……」

 わずかに首を傾けたままの小柄な友人を、梓は長い間見つめてから、かぶりを振った。
彼のことを疑うなど、どうかしていたとしか思えない。
少なくとも、先ほどからのやり取りにはなんの不審も見当たらなかった。

「私、疲れてたのかな。キュゥべえのこと、疑うなんて。ごめんね」
「ううん。気にすることはないよ。魔女との戦いは、肉体的にも精神的にも過酷なものだからね。
いつでも愚痴をこぼしてくれていいよ。相談に乗るし、聞くだけでいいならずっと聞いていてあげる」
 すっと、心から(おり)が流れ出たかのようだった。

「うん。ありがとう」

 黒髪の魔法少女はキュゥべえを抱き寄せると、ごめんね、と心から詫びた。
どうかしていたとしか思えない。

 そのときだった。

「心配しないで。僕はあずさを舐めたり嗅いだりすりすりしたりしたいなんて、思ったことはないよ。
寝ている間にキスをしたり胸に顔を埋めたり足の裏をペロペロしたり、してないから」
「……え?」

 今のはいったいなんだったのだろう。
聞き捨てならない単語の羅列に、理解が追いつかず梓は呆けたようにつぶやいた。

「今の、キュゥべえが言ったの?」
「え?」

 演技とは思えない多分に驚きを含んだ声が響き、
その後に言葉は続かず耳が痛くなる程の沈黙が浴室を支配する。

「でも、だって、今のは」

 黒髪の魔法少女は小さな体を向き直らせ、両手で抱え上げることで正面から向かい合う形を取った。
返ってきた反応は、動揺ではなく不思議そうに小首を傾げる仕草だった。

「なにか聞こえた?」
「うん。キュゥべえの声で、変なことを言ってた」
「なんだろうね。誰かのテレパシーが混線したのかな?」

 キュゥべえの声はいつもと同じトーンだった。
失言だったならば多少なりともあわてるはずである。

 そのはずなのだが。

「……さあ」

 梓の中で、もやもやとした気持ちが晴れることはなかった。

ver.1.00 11/2/20
ver.1.53 11/2/23

〜魔法少女あずさ☆マギカ・舞台裏〜

『紬先輩は、どうして魔法少女になったんですか』

 いつだったか、梓は特徴的な眉を持つ先輩にそんな質問をしたことがある。
琴吹紬が魔法少女となったのは今から数年前であるとしか聞いていなかった彼女が、
なる、ならないを選ぶにあたり、先達に学ぼうとしたのは極めて自然だったのかもしれない。

『さあ、どうしてかしら。私にもわからないわ』

 おっとりと答えるその表情には、ごく微量の苦味が混じっていた。
生死と隣り合わせの生活を選んだ代償は、決して軽いものではない。
特に、世界で唯一暴動が起きない平和な国で育った者であれば、なおのことである。

『ただ、これだけは言わせて。どうするか、よく考えてから決めて欲しいの』

 梓はツインテールを結いながら、紬の言葉を胸の内で反芻する。
目の前で起きたあの事件は、運命として受け入れ難いものだった。
冷静に考える余裕などなく、ただ、魔法少女となることを望んでいた。

「結局、教えてもらえなかったな」

 それはただの独り言だった。
しかし、すぐ側で黒髪の魔法少女を見上げていた不可思議な生き物は、唐突に語り始めたのである。

「ムギの願いは眉毛を細くすることだったんだ。でも、それだけは叶える事ができなかった。
せいぜい、少し細くするのが精一杯でね。後にも先にもただ一度だけの、失敗だ。
だから、彼女は今まで誕生した魔法少女の中で唯一、願いを叶え直した子なんだよ」

 梓は大きく目を見開いたまま、数秒間、語をつなぐことができなかった。
常に笑顔をたやさないあの人が、自身の身体的特徴について思い悩んでいたとは、思いも寄らなかったのだ。

「まさか、先輩にそんな秘密があったなんて」
「ないよ」
「……え?」

 頭の中に響くテレパシーに、我が耳を疑うという表現を使うのも妙ではあるが、
ツインテールの魔法少女は思わずたずね返していた。

「なにを言ってるんだい、あずさ。そんなの嘘に決まっているじゃないか。
君に元気がないようだから、励ましてあげようと思っただけだよ」

 のうのうとそんな台詞を口にする小柄な友人を前に、梓の頬が引きつる。
愛くるしい姿かたちをしているが故に、腹立たしさが余計に募った。

「あれ? どうしたんだいあずさ。こめかみに青筋が立ってるよ?
ねえ、痛、痛いよあずさ。そんな風にしたらふぉおがひぎれて……」

 黒髪の魔法少女はしばらくの間、無言でキュゥべえの頬をつねる手に力を込め続けた。



 まどか☆マギカSSと呼んでいいのかどうかはわかりませんが、けいおん!の梓をヒロインとする、
クロスオーバーです。普通にまどかの話を書いたら?とツッコミを頂きかねないお話ですね。
まどか☆マギカ本編なら、マミの話でしょうか。夏コミの新刊は、マミ本があるかもしれません。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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