「これ、当分止まないよな」

 大粒の雨が盛大に地面を打つ中、俺は橋の下で苦笑していた。
幸い降り始めた時この近くを歩いていたため、下着までびしょ濡れにはならずに済んだものの、
いつになったら止んでくれるのかまったく見当がつかない。
何しろ空一面が見るからに重たげな分厚い雲で覆われていて、
ゴロゴロという音のおまけまでついている。

 そういえば、朝、傘を持って行けってナギが言ってたから、
疑ったりせず素直に聞いていればよかった。まあ、今更言っても仕方のない話なんだけど……。



『雨じゃ。雨のにおいがするぞ』

 茶碗へたっぷりと盛られたご飯に粉々に細かく砕いたベビースターをふりかけた上から
大量のマヨネーズをかけ終えると、ナギは鼻をうごめかせながらそう言った。

『いつからそんなことがわかるようになったんだ?』
『さあのう』
 いつかみたいに新しい力に目覚めたのかもしれない。
でも、返ってきたのは素っ気ない言葉と一瞥で、

『何となくそう思ったのじゃ』

 はっきり言って眉唾なものとしか思えなかった。
こんなやり取りを交わしつつ両手を合わせていただきます、とつぶやくのはいつものことで、
やっぱり、食べ物への感謝を忘れちゃいけないよな。うん。

『何となく、ね』

 俺は念のために振り返って窓の外を見やり、
再びテーブルの向こうに座る同居人へと目線を向けた。

『こんなに晴れているのに、傘が要るのか?』

 ナギは粉末ベビースターのマヨネーズ和えをしっかりとご飯に混ぜ込みながら、
ほんの少しだけ眉根を寄せてうなる。

『むう、それを言われるとつらいところじゃが』

 はっきりとした根拠があるわけではないしの、という彼女のつぶやきを耳にしながら、
俺はもう一度青一色の空を眺めてみた。
神様の言うことだから、天気予報よりは確度が高いのかもしれないけど、さすがに信じ難い。

『で、結局傘を持って行った方がいいのか?』
『さあのう。じゃが信ずる者は救われると言う。
妾はそう感じたから言ったまでじゃ。そちの好きにするがよい』



 そう言っておきながらナギも傘を持たずに家を出たみたいだから今頃往生してるはずだ。
それはさておき帰ったら『妾の言ったとおりじゃろう』と自慢げに言われるのは間違いない。

 ぼんやりと朝食時の出来事を思い出していると霧状の水しぶきが飛んできた。

「冷た」

 いきなりだったから、思わずのけぞって頬を腕でぬぐう。
横殴りの風はさっきから厳しかったのだけど、どうやら向きが変わったらしい。
見れば雨を弾くコンクリートの上を吹き抜けるたび、
波紋を通り越して小さな波みたいなものが生まれては飛び散っていた。
このままここに立っていたら雨宿りをしてもしなくても同じになりそうだ。

 俺はよりびっしりと草が生い茂る土手を、足を滑らせないよう気をつけて上ることにした。
奥の方まで行けば、さすがに大丈夫なはずだ。

 と、足元が乾いていることを確認してから腰を下ろしかけたその時、
雨音に混じってばしゃばしゃという音が聞こえてきた。
黒髪に黒を基調とした修道服、きらりと光るは十字型の髪飾り。
こんな格好をした子は、この町に一人しかいない。

「ざんげちゃん」

 どこから呼びかけられたのか一瞬わからなかったとみえて、
彼女は一度目線の高さを見回してからこちらに視線を向けた。

「仁くん」
「大丈夫?」

 ざんげちゃんはざっと両手で髪を背の方へと払い、そっと苦笑する。

「まったく酷い目に合いました。いきなり降ってくるんですもの」

 彼女はまさに濡れ鼠といった有り様で、
乾いたコンクリートに水滴がこぼれ落ちてあっという間に小さな水たまりができていた。
何か拭くもの、と考えてタオルを鞄に入れていたのを思い出す。俺は取り出したそれを手に取ると、
靴を脱いでたまった水を捨てたり服の水気を払ったりしている彼女の元に移動した。

「ざんげちゃん、これ使ってよ」

 差し出すと、ざんげちゃんはぱちぱちと瞬きをしてじっとこちらを見つめ、

「あ、ありがとう」

 すぐにほほえんでタオルを受け取る。
もしかして、使用済みとか思ったんだろうか。

「それ、使ってないから大丈夫」
「ううん、そういうことじゃなくて」

 早口に言って、彼女はくるりとこちらに背を向けてしまった。
まあ、使ってくれてるからいいのかな。

 一通り拭き終わるのを待ってから声をかけると、

「ここに居たら濡れちゃうから、上にあがろう」

 振り向いたざんげちゃんはいつもと変わらない笑顔で、ええ、と応えてきた。



「ところで姉さまは?」

 二人で濡れていない草の上に腰を下ろしたところで、彼女は思い出したようにたずねてきた。

「ナギならいないけど」

 答えてから、一緒じゃなかったことに安堵してしまう。
寄るところがあるからと、あいつとは校門のところで別れたのだ。
もし二人が顔を合わせれば、角を突き合わせていがみ合うのは目に見えている。
他に身内のない姉妹だってのに、どうして仲良くできないんだろう。

 まあ、ケンカするほど仲がいいとも言うけどさ。

「仁くん」

 名前を呼ばれてはっと我に返った俺は、隣を見てぎょっとした。
何だか、いや、明らかに距離が近い。

「な、何?」

 覗きこむような形で顔を寄せていた彼女はわずかに身を引いて二の腕を抱いた。

「どうしたの」
「ちょっと寒くなってきちゃった」

 ざんげちゃんは少しでも暖を取ろうとしているのか、
膝を寄せて内ももをすり合わせる動きをし始める。
プール開きの生徒よろしく唇が紫色になってはいないものの、顔色は少し悪かった。
濡れた服を着たままだから、無理もない。
いくら神様とはいえ体は生身の人間なんだし、寒さや暑さがまったく平気なはずはないよな。
思ったより気温が下がっているみたいだし、余計につらいはずだ。

 カイロとか大きなタオルを持っていればよかったんだけど、
あいにく防寒系のグッズは持ち合わせていなかった。

「大丈夫?」

 何か上着でもあればいいんだけど、夏服だとそうはいかない。
だからと言って焚き火をするわけにはいかないし、そもそも火をつけるものがない。

 よしんばきっちりとアイテムが揃っていたとしても、
こんなところで何かを燃やしていたら補導されるんだろうな、きっと。

 そこで、ざんげちゃんは不意に腕を突き出してきた。
どういう意図かわからなくて小首を傾げた俺に彼女は手を、と短く言葉を添える。

 よくわからないながらも手のひらを上向きにして応えると、
指と指が組み合わさる形で手を握られた。

「えっと、ざんげちゃん?」

 俺は思わず彼女の顔を見る。
普通、これって照れるところなのかもしれないけど、この場では驚きが勝った。
温まるには人肌が一番なんて聞くから、こうしたのかな。

「そうですよ、仁くんが考えているとおりです。でも」

 ざんげちゃんはこちらの内心を読んだかのようにそう言うと、
俺の指を自分のそれで緩くはさんだまま根元から先を往復する動きをし出した。

「?」

 ますます意味がわからずされるがままにしていると、彼女は耳元でこんなつぶやきをこぼす。

「これって、セクハラになると思います?」
「えっ」

 俺は絶句した。
セクシャルハラスメント? つまり、性的嫌がらせ? それってどういうこと?

 混乱する中、聞こえてきたのはささやきにも似た問いかけで、

「こんな風に触られたら、イヤ?」
「え、あ、別に……イヤってことはない、けど」

 甘い吐息が頬をくすぐる感触に、俺は動けなくなってしまう。
その間も彼女の指は止まらない。

 そして、これには続きがあった。

「じゃあ、こっちはどうですか?」
「ひっ」

 変な声が出た。
だって、ざんげちゃんは突然背中を撫でてきたのだ。

「ちょっと、ざんげちゃん?」
「イヤ、ですか?」

 俺はまともに彼女を見ることができなくなっていた。
さっきのセクハラ、という単語が頭の中をぐるぐると回っている。

「イヤなら止めます。だから遠慮なく言ってください」

 イヤなんてことはない。むしろ、嬉しい状況だよな。
というか、なんかすごいこと言われてない? セクハラって。
うわ、恥ずかしくなってきた。ちょっと待って、これってどういうプレイ?

「あの、俺は」

 しかしざんげちゃんはこちらに落ち着きを取り戻す暇を与えなかった。
彼女が近づいてきたことで互いの肩が触れ合い、
弾かれたようにそちらに目をやった俺をキラキラとした瞳がまっすぐに捕らえる。

「仁くん」
「ざんげ……ちゃん」

 俺たちは見つめあい、そして、彼女は静かに瞼を下ろした。
これって、これって、これって?!

 はっきり言ってざんげちゃんはかわいい。
そんな子が目の前で目と閉じたりしたら、どうすればいいんだろう。

 ここで「なんて、冗談ですよ」と茶目っ気たっぷりに言われたら、返す言葉もあったと思う。
けれど、俺は固まったように動けなくなっていた。
当然顔の向きは固定されるわけで、意識は艶やかな唇に集中してしまう。

 ただただ鼓動が激しくなっていく。

「ざんげちゃん、俺       っ」

 そしていきなり天地がひっくり返った。



「いったい何なんだ……?」

 坂の半ばでようやく止まった俺は、体に痛みがないことを確認して小さくかぶりを振った。
生い茂る草が受け止めてくれたおかげで怪我はしていないみたいだ。
それよりもしゃべってる途中だったから、舌を噛まずにすんでよかった。

 地面に手を突いて起き上がると、
さっきまで座っていた辺りでよく見知ったカッパ姿の女の子が仁王立ちで叫んでいた。

「エロざんげ! 仁に何をしておる!」
「痛ったいわね、バカ姉さま! いきなり蹴り飛ばすことはないでしょ!」

 なんだ、何なんだ?
茫然と見とれることしかできない俺の前で、姉妹の言い争いは続く。

「たまたま通りかかったら、そちたちが座っておるではないか。
それで、その、妙な雰囲気だったから渇を入れたのじゃ」
「それをいい雰囲気と言うんです。何ですか、まったく。嫉妬?」
「ええい、黙れ。ふしだらな!」

 びしりと妹の胸元を指差しながらナギが言うと、
ざんげちゃんは腕を組み冷ややかな笑みを口元に浮かべて答えた。

「へえ。姉さまの目にはそういう風に映ったんですね。いやらしい」
「ああ言えばこう言うヤツじゃ! これ、仁! そちも何か言うてやれ!」

 わ、矛先がこっちにきた。

「いや、何かと言われても」

 あまりの剣幕にたじろぐ俺をじろりとにらんで、
一つ屋根の下で生活を共にする神様は深くため息をついた。

「情けないヤツじゃ。小手先の技で鼻の下を伸ばしおって」
「失礼な言いようですね。私は単に好意を示しただけです。ね、仁くん」

 この不毛な言い争いは、結局日が暮れるまで終わらなかった。

 でもさ、これって俺が悪いの?
もちろん口には出さなかったけど、内心つぶやいたのも無理はない……よね。





ver.1.00 09/08/14
ver.1.73 09/08/16

〜イヤじゃないならセクハラじゃないもん・舞台裏〜

「それで、どうなのじゃ」

 ずっと黙りこくっていたナギは家に帰り着いた途端、
カッパ姿のままじろりと俺をにらみつけた。

「いや、どうって言われても。何が?」
「決まっておる。ざんげにどんなことをされたのか、答えよ」

 うわ、もろ命令形だよ。これって拒否権はないのかな。
って、別に弱みを握られているわけじゃないんだけど。

「それとも何か、口には出せんようなことをされたのか? それはそれで興味があるのじゃが」
「はあ?! 違うって、そんなのじゃないから!」

 つまり、俺とざんげちゃんが至近距離で見つめ合っているのを目撃して、
取りあえず蹴りを入れたわけだ。なんて神様だろう。

 ともかく、ここはきちんと説明しておくべきだろう。
放っておいたら周りになんて言われるかわからない。

「ただ、手をつながれて、その、触られただけだって」
「触られた、のう。どこをじゃ? まさか」

 ナギわずかに頬を上気させて、目線をこちらの下腹部へと向けた。

「どこ見てんだよ! 触られたのは手! 手だから!」
「手、のう。ふーん」

 羞恥心のあまり叫ぶ俺を見る目はなんとも冷ややかで、まったく信じていないとわかる。
でも、ナギの表情はすぐににんまりとしたものに変わった。

「気持ちよかったのか? どうじゃ」

 鼻の下を伸ばしつつたずねてくる姿は、
とてもじゃないがファンのみんなには見せられないくらい酷い。

「だから……!」

 セクハラっていうのは、きっとこういうのを言うんだと思う。
触られるより、言葉で責められた方がスゴいよね。いや、されたいわけじゃなくてさ。

 そして、ようやく誤解が解けた頃には心身共に疲労の極みにあったことを追記しておく。



 というわけで初のかんなぎSSでした。
実は私がこの作品を読んだのって、やたらと騒ぎになって連載がストップしたあの後なんですよね。
これだけ物議をかもすものってどんなものかしら、と手に取ったわけです。
夏コミ絡みでバタバタしていたせいもありますが、
前から話は書いてみたかったものをようやく公開することができました。

 でも、最初に書こうとしていたのは目が覚めると両隣にナギとざんげがいて……というお話で、
随分とまろやかなものになった、という印象があります。
タイトルは「神様だって××をする」でもいいかな、と思いつつ今のものにしました。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。