駒込 大観音 ほおずき千成り市

2003年7月9日(水)に 駒込 大観音 の ほおずき千成り市 に出かけました。
7月9日・10日は観音様の御縁日四万六千日です。この日にお参りすると、
四万六千日分参拝したことと同じ功徳があると言われています。由来は不明ですが、
一升の米粒が四万六千粒あるとされ、これを人間の一生にかけていると、言われています。
四万六千日を年数になおしますと、126年に 近い年数になり、この位無病息災で
過ごせるようにと願った数字と伝えられています。

四万六千日は浅草の観音様が有名ですが、江戸時代には
本所回向院の一言観音・麹町の栖岸院・駒込光源寺の大観音が賑わっていたそうです。

駒込光源寺では地元の人達が、ほうずき市を復活させようと立ち上がり、
今年が第三回になるそうです。地元の人達による手作りの露店もでていました。
      

 

勿論ほうずきの店もでて
いましたので、提げ籠も
風鈴も付かない鉢を
1000円で買ってきました。

 

この光源寺の大観音は奈良の長谷寺本尊の11面観音像を模して元禄10年に建立。
昭和20年5月25日の東京大空襲により焼失しておりましたが、
平成5年5月に再興されました。」

  

知人でこの観音堂を設計された楜澤成明氏にお話を伺いました。

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観音堂の設計は、先代の住職からの依頼でした。先代はお寺の方としては、少し
変わった考えがあったようです。早稲田大学の法学部の教授でしたが、専攻はドイツ
語で、奥様の話では、仏教よりゲーテの方が好きだった、ということです。インドの仏教の
遺跡も、僕の方が良く知っていて、観音堂の設計でも、何一つクレームがなく、僕の
アイディアのまま、進行しました。(でも、本当はぐっと、堪えてくれたのかも知れません)

先代はガラス張りで、四六時中、外部から見えるように、と言うことと、それまで、
提出されていた、木造のような、伝統的な建築がコストが高く、何とかもう少し
安価にできないものか、というのが注文の主旨でした。

僕は先ず、以前の(戦災で消失した)観音堂の資料を調べ、昔の土蔵のようなスタイルを
イメージとして表現することにしました。ある週刊誌に、キリスト教の寺院と言われた
ことがありますが、全体の形は、川越などで良く見られる「蔵造り」です。

正面の大きなガラス窓は(江戸時代のものも窓がありましたが)ここでは、
アフガニスタンのバーミアンの、大きな岩壁に抉られた形をデザインしました。

内部空間は、インドのアジャンタやエローラの石窟寺院をもとに考え、
屋根を支える柱を4本、仏教に関わる場所から選びだし、デザインしたものです。

 ●手前の左側の柱は、インド大陸全体に仏教を広めた、アショカ王の柱から  
デザインしたものです。インドの紙幣があれば見て頂くと分かります。  
 ●右側の柱は、インド中央部にある、サンチーという仏教遺跡の柱です。    
 築地の本願寺の塀もサンチーのストウパの周囲にある柵からデザイン  
されたものです。                                 
 ●左手の奥の柱は、エローラという石窟寺院の岩壁を支える柱から考えました。
エローラやアジャンタという石窟は、仏教だけでなく、ヒンズー、ジャイナと
いう他の宗教もありますが、仏教のものが多く、遺跡としては重要なモノと
考えました。                                     
 ●最後の右側の奥は、日本の法隆寺などで見られる、エンタシスのついた   
柱です。日本に仏教を定着させた、聖徳太子をイメージしたものです。

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内部の柱も全部写してくれば良かったと、悔やまれます。上の観音様の写真では、
左手奥の柱と、右手奥の柱がかろうじて見ることができます。

売り手も買い手も地元の人が多く、和やかな会話と共に賑わっていました。
 

その場で蒸かしたお赤飯を竹の皮に包んでいるのは、楜澤夫人です。出来たてとあって、
包むそばからどんどん売れていきました。私も少しだけお手伝い(ビール飲みながら)
 

灯がともるとお堂の中の観音様が、外からもはっきり拝めました。
 
奉納パフォーマンスもいろいろ有るようでしたが、バリ島の踊りだけ見て帰りました。

雨が心配でしたが、まあまあの天気でみんなが楽しんでいました。

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