チベット・カム〜アムド地方
(中国・成都〜西寧)編


その2

ラルンガル・ゴンパ潜入編
(康定[ダルツェンド]〜色達[セルタ])




★★★ ”ラルンガルゴンパ”とは・・・ ★★★


一度見たら必ず天国に行けるといわれる
巨大豪華チョルテン。



 以前、あるビデオテープを見た。


 それは山に囲まれたあるチベット人の町で大勢の作業員がトラックでやってきていくつもの家を打ち壊しているものだった。
 打ち壊しの理由としては表向きは”不法滞在者が勝手に住み着いているから”というものであるがやはり中国当局としてはチベット人達が砦のような町に大量に集まって反乱を起こすのではないかという恐れを感じたことによる排除であることは自明の理である。


 家が順番に壊されて行くその姿が映されていた映像は、隠れて撮影していたせいかビデオカメラが家の窓から出たり入ったりしてかなり不安定なものでそのリスクが垣間見えたものだった。聞いたところではそのテープは撮影された後中国の公安の目をかいくぐって秘密裏に日本に持ち込まれて、最終的にはマスコミの手に渡り、某有名な雑誌の小さな記事として載ることになったのである。


 その寺の名前は”ラルンガル・ゴンパ”という。




 この寺は以前は外国人立ち入り禁止であったものの一時期立ち入り可能になったと思ったらその後の情報では、立ち入り可能だったり不可能だったりで、運良く何事もなく無事に楽しんで帰って来た者。不運にも公安に捕まって厳しく取り調べされたりフィルムを没収された者・・・と様々な情報が錯綜していることからもチベット旅行者の間でも運試し的な意味で有名な寺なのである。



 このラルンガルゴンパに潜入することが今回の旅行の主目的の1つであった。




★★★ 炉雀(ルーフォ) ★★★

この奥に問題のお寺がある。





 康定からバスに乗って今度は大きなトラブルも無く、半日でスムーズに炉雀に着いた翌朝。

 まだ暗いうちにバスターミナルに行ってみたら入り口で白タクの客引きに声をかけられたので聞いてみた。




  『俺は外国人だけどラルンガルゴンパまで行けるのか?』





 この問いに対して予想通りにこういう返事だった。




  『没問題!(問題ない)』




 いつもながら、こういうときの主語が誰なのかわからない・・・。



     
”乗客”が問題ないのか・・・?


     
”運転手”が問題ないのか・・・?



 しかしこんなことは考えても仕方ない。
 運転手が一番状況はわかってるはずだし、そのわかってるはずの運転手が『問題ない!』と言ってるのだからほんとに問題ないのだろう。
 それに万が一公安に捕まっても外国人の場合は最悪でも罰金ですまされる程度のことなので腹をくくって後部座席に乗りこんだ。


 隣の席はチベットの坊さん。走ってるうちに肩に頭を乗せてもたれかかってきたので寝てるのかな?と思ったら目は、ぱっちり開いていた・・・。よく見るとちょっと”カマっぽい”人だった。


 ・・・・これでも没問題なのか?




    この状況をどないせっちゅうねん。




★★★ 潜入 ★★★


この坊さんに連れて行ってもらった。




 走り始めて5時間程度で小さな集落の三叉路に到着して停車した。

 このまま幹線道路をまっすぐ行けば約10kmで色達の町。
 ここから右に折れれば約2kmでラルンガルゴンパに到着するのだが、ここからは全くその姿は見えていない。

 以前はここに色達の町側とラルンガルゴンパ側の2つのチェックポストがあったらしいが今はそれは両方とも無くなっており今はラルンガル側の奥のほうに1つ残るのみらしく、ここには公安の建物はあるもののその姿は時折通る車のみだった。


 案の定、”予定通り?”ここで降ろされた。
 ここからは自力で行けということなのだが、つまりは”没問題”とはこういうことであったのだ。


 ・・・とそんな状況でも救いの手はあった。運転手が『彼について行け!』と同乗した例の坊さんを指差したのだ。



 彼が案内してくれるというのか?彼も我々と同じで入ると問題のある人なのか?それとも私のためにわざわざ降りて連れて行ってくれることなのか?それは全くわからないが、どちらにしろ”渡りに船”ですがりつくしかない。(わ〜・・・カマっぽいなんて思ってごめんなさ〜い!)



 検問のあるゴンパに向かうメインストリートを避けて、見つからないように周りに注意しながら大きく迂回して丘を超えるルートを取った。高い標高に息を切らせながらも途中子供たちに案内してもらいながらもなんとか登りきったところで山々に囲まれたその要塞都市と言われるその姿が見えてきた。






だんだん大きくなるゴンパの全景



外の世界からは隔絶されたその町は山に囲まれた谷底にあるゴンパを囲むようにしてびっしりと山に張り付くようにして家が連なっている。

 その中心にある場違いなオレンジ色の公安の建物を避けるようにして歩き始めたが、とにかくここにいる坊さんの数が半端ではない。坊さんだらけの町である。


 かつて文化大革命で破壊される前の多くのゴンパはこんな状態だったのであろうか?



 こそこそと公安に見つからないように周りを気にしながら町を歩いていたら、外国人は珍しいのかみんなフレンドリーに声をかけてくる。

 しかしここでゆっくりは出来ない。とりあえず宿泊場所を確保するために宿探しを行った。






   しかし・・・。









★★★ 泊まれない・・・? ★★★

 あまりここでは詳しくは書けないのは残念なのだが、結局宿泊出来るところが見つからずに日帰りすることになった。


 以前は、ある宿に入ってしまえば外国人は住民が公安からかくまってくれて問題なく泊まれたらしいのだが、現在は事情が変わってそこも公安から目をつけられてしまい公安が駐在するようになってそういう融通が利かなくなったらしいのだ。


、泊めてやりたいが、もし中国語やチベット語がうまければ万が一見つかってもなんとかごまかす事も出来るが、そうでなければ外国人を泊めることはリスクが高いので泊めたくないということであった。(実際この時にも語学が達者な外国人が泊まっていたらしい)


 中国内のチベットエリアにはこういった許可なしに外国人が入れないエリアがまだまだ数多く存在している。毎年少しずつ開放されてはいるのだが開放しない理由がはっきりわからない。

 外国人にとって危険だというわけでも無さそうだし、軍事拠点でも無い・・・。

 おそらくは外国人に見られたくない状態にあるからだろうとは思うが、どうも”インフラが整ったら開放”しているような気がする。
 道路・電気・水道・・・と外国人に見られても恥ずかしくない状態である。当局の見栄なのか?



 理由はともあれ、このような隔離された環境でどういうことが起きているのか・・・?



 今回、ラルンガルゴンパを立ち去る際にある住民からその現実を表すようなメッセージを受けた。





 『この町は当局から目をつけられており自由がきかない事も多く、数年前にも多くの家を壊された。この現実を多くの人たちに知らせて欲しい。』



 前回、今回と、四川省を旅行していると『旅行するなら是非セルタに行け!』と何度も言われた。当然このセルタとは色達の町では無く”ラルンガルゴンパ”のことを指しているのだが、それほどまでにここは四川省チベット人の間では人気のある町なのである。


 そんな場所まで苦労してたどりついたが、今は公安に見つからないようにこの場を立ち去らなければならないことは残念である。
 聞いたところでは数日前にも外国人(日本人?)が捕まってフィルムを没収されたらしいので帰りも慎重に行動しなければならない。


 そこで来た道とは反対方向に丘を越えて下の道路に戻って、バスもしくはヒッチハイクで炉雀方面に行くことにした。本来なら色達の町まで行って泊まったほうがゆっくり出来て便利なのだろうが、そこも公安が多くいて外国人は何度も尋問されることがあるらしいのでなるべくなら近づかずにその日のうちに炉雀までたどり着きたかった。


 その日はゴンパでお祭りをしていたようで今ここを去るのは後ろ髪を引かれる想いで残念だったが仕方ない。
 準備もそこそこに重い荷物をかついでその場を離れた。




ラルンガルゴンパ全景
右手前に壊された多くの家の跡がわかる。








 巨大チョルテンの裏を通って山道を歩く。
 しかしやがてそれも道らしき道は無くなってやがて斜面を横切るような形で半分滑り落ちそうになりながらもずんずん歩いて行った。







 やがて視界がが広がったそこには大量の大きな鳥がいた。・・・・ 












★★★ ちょ、ちょ、ちょ、ちょ〜そ〜!! ★★★

 そこは鳥葬場だった。
 自分がいる場所から下方約100メートルの場所で今まさに鳥葬が行われていた。

 自分の後ろには羽を広げたら3mぐらいにはなろうかという約50羽ほどのハゲタカ。右前方にも約50羽。そして下方には約100羽ほどの鳥がいてそこからは・・・





        ”ガツッ!ガツッ!ガツッ!・・・”




 という、おそらくはナタを使って骨を砕き肉体を腑分けする音が響いていたのである。


 そういえばこの音は町の肉屋で同じ音を聞き覚えがある・・・。




 鳥葬というと一般的な日本人の感覚からすると”野蛮”とか”未開”というイメージがあると思うが、チベットではもともと火葬するための木が乏しいこと(高僧等偉い人は貴重な木を使って火葬にする)と”死んだら最長49日で魂は肉体から離れる”として、そこには魂は存在しないと考えられているので墓は当然なく鳥葬が一般的なのである。


 ぶっちゃけ、死んで時間が経てば後は抜け殻で単なる肉と骨というわけでリサイクルされるというわけだ。
 おそらくは天に帰るという意味もあると思うのだが、その肉体はナタでバラバラにされてエサとしてリサイクルされるのである。(まあ親族はそう単純に割り切れないとは思うが・・・)


 日本ではそれに対して古来から八百万の神に象徴されるように”全てのものに魂は存在する”という考え方からか?”死体にも魂が存在する”ことからの恐怖が先天的に植えつけられており、鳥葬対する拒否感が生まれているのではないかと思う。



 ちなみに日本では不可能だが、私も死んだら是非”鳥葬”にして欲しいと常々思っている。



 昨今、世界的にエコロジーブームでリサイクルの精神が根付きつつあるが鳥葬ほど効率のいいリサイクル方法は無い。火葬だと燃料がいるし温暖化の原因にもなる。土葬では食うのは虫とかバクテリアぐらいで効率は非常に悪い。水葬も海ならまだいいが、河ならやっぱり環境汚染につながる。



 世のエコロジストを自負する者は是非鳥葬を希望して欲しいものである。
















 
・・・将来の夢!鳥のう○こになること!!







 こうして下の三叉路に再度戻ってきて無事に車をヒッチしてその場を離れることが出来た。



チベット・カム&アムドTOP その1 その3