日々の思い 1…04.2.〜04.7.…
過ぎ行く日々へのちょっとした記録


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7月19日(月)  晴れ   クリスティーナ・オヨス舞踊団−さよなら日本公演−

   友達を誘って、県内のホールにクリスティーナ・オヨス舞踊団を見に行ってきました。これはスペインフラメンコ舞踊団です。チケット発売当日、ホールまで直接買いに行って、なかなかいい席をゲットしました。もう3ヶ月以上も前のことです。

で、オヨスについてパンフレットからごく一部だけ概略を記すと、

◇生まれはセビリヤ。
◇アントニー・ガデスとともに舞踊団を結成。
◇映画、舞台でカルメン役を演じ、史上最高のカルメンダンサーとの評価を得る。(1983年)
◇その他映画「恋は魔術師」「白鯨」など多数の映画やオペラに出演、振付師としても活躍する。
◇「クリスティーナ・オヨス舞踊団」として初来日。同年開催されたバルセロナオリンピックで開会式に登場し、
   全世界の人々を魅了する。(1992年)
◇数々の世界的な賞を受賞する。栄光の中で、乳ガンを宣告される。(1996年)
◇ダンサー生命の危機の中、病名を公表して舞台に復帰。その後乳ガン撲滅運動に携わり、
   世界各国を公演しながら、乳ガンに苦しむ人々を励まし続けてきた。
◇今回の日本公演を以って、クリスティーナ・オヨス舞踊団は終了する・・・。


以上のとおりです。実は私は、オヨスのことを知りませんでした。チラシを見たとき、本場スペインのフラメンコが間近に見られる、と思ってチケットを買ったのです。実際それだけでも十分でした。それほど素晴らしく感動的だったのです。

さて、いつもよりずっとお洒落してロングスカートにネックレスまで着けた私たちは、定刻よりも早く会場に着き、開演を待ちました。しばらくして合図と共に舞台は真っ暗になり、そこにスポットライトでうっすらと浮き上がったのは、歌い手である男性ソロの切なくすすり泣くような歌声。そして、4組の男女ダンサーが時には1組ずつ、また時には一緒に踊り始めました。その動きは官能的であり、人体の動きの最も美しい一瞬が連続していく、と感じさせるものでした。男性は男性らしく直線的に、そして女性を引き立てリードし、いつも守っている動き。女性は曲線的で柔らかな動きで、男性を挑発しては翻弄し、寄り添ってはまた逃げる・・・。女性の白く浮き上がった腕は、なまめかしくさえ感じられました。

奥の方には、歌い手(何と呼ぶのでしょうか)が3人―この人たちは手拍子も打ちます。ギターが3人。この6人の演奏家たちの役割も素晴らしいのです。踊りが高揚してくると、ギターはメロディをかき鳴らすだけでなく、ボディの部分を敲いてリズムをとります。それに歌い手たちの手拍子。これは日本のものとは全く違って、カスタネットと同様に拍が入れ替わり、前打ちと後打ちがぴったりと交差して、32分音符くらいの早いリズムが一糸乱れぬ正確さで続きます。そうそう、足で作るタップのリズムもすごい。このタップも加わって、すごく速くて複雑なリズムになるのです。歌声と踊りも一体化して・・・。私たち観客も集中し、会場は熱いエネルギーでいっぱいになりました。

さていくつかの曲(踊り)のあと、男性のトップダンサーがソロで踊りました。この人には華がある、というか、やはりカリスマ的な踊りで、私たちを惹きつけます。エンジ色のような丈の短いベストに黒のぴったりしたパンツ。中に着ている白のシャツは柔らかい素材で、腕の動きに従って袖の部分がひらひらとはためき、流れるような線を作るのです。もちろんスタイル抜群で、8頭身。まっすぐな金髪はそれほど長くはないのですが、踊りと共に揺れて目にかかったり、払ったりして、それがなかなか素敵でした。一瞬一瞬のポーズがぴたっと決まって絵になっていました。

それからいよいよオヨスの登場です。この人の圧倒的な存在感は、いままでの踊りをさらに補う素晴らしいものでした。腕は黒い透けた袖で覆われていましたが、その動きは細やかで指先まで神経が行き届いていると思いました。踊りには哀愁が漂い、人生そのものを感じさせられました。それは喜びも悲しみも栄光も絶望も経験しつつ、常に前向きに生きてきた彼女ならではのものでしょう。実際、8年前に乳ガンを宣告され、その病名を公表しつつ、「舞台に私自身の身体をさらして踊り続けることで、多くの、同じガンに苦しむ女性の励みになれば」と踊り続けた彼女自身の強さと優しさが伝わってきました。
そのあと、オヨスと男性トップダンサーとの踊り、ダンサーたちの群舞、そこに入って踊るオヨス、等々さまざまなバリエーションの中でプログラムは進行していきました。常にフラメンコギターと手拍子足拍子、独特のこぶし(?)のあるテナーの歌声が熱気を呼びます。私はといえば、久々に絵心を刺激され、ステージに魅了されながらも目はずっと、動きを追ってデッサンを繰り返していたのです(笑)。

さて、ついに舞台はフィナーレを迎えました。私たちのホールの観客は大人しく行儀もよかったけれど、さすがに盛り上がり、熱狂的な拍手で何度もアンコールを繰り返しました。舞踊団は1度アンコールに応えて踊り、それから何度も何度もカーテンコールに応えてくれましたが、ついに会場が明るくなりアナウンスが終わりを告げると、拍手も諦めたように止んで、私たちも席を立ちました。そして余韻の中、友人と二人言葉も無く、駐車場に向かったのです。久しぶりに圧倒されたステージでした・・・。

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7月4日(日)  晴れ   全日本お母さんコーラス関東支部大会

   3年ぶりにして、5回目の関東大会に出場した。
今回の会場は水戸である。朝7時半に出発して高速道を走る。今回歌う曲は、去年30周年記念コンサートでも歌ったので、完成度も高く安心して歌える。バスの中でも、おしゃべりが絶えず、終始和やかだった。(今までだったら、バスの中で最後の練習さえしたのだけれど。)
  さて、バスは水戸に入る。田んぼや樹木の続く田園地帯から、だんだん建物の多い一角へ。しかし会場近くは森の間を抜ける魅力的な道路だ。そして、会場に着く。この会場は、平成7年のときにも出演したので、いくらかの思い出もある。ここでまず受付後、配られたお弁当を食べた。このお弁当、16くらいの小さな区切りの中に、お寿司やら煮物やら、デザートやら全部違うものが少しずつ入っていて楽しい。いろんなものを少しずつ食べて、お腹も見た目も満たされる。(女の人は、こういうのが好きなのですねぇ。大好評でした。)

  食事が終わると外の木陰に発声練習のできる場所を見つけて、私たちのボイストレーナーが発声指導をしてくれた。主にハミングで、無理をし過ぎないようにハーモニーを作り、互いの響きを聞き合った。なかなか、いい響きだ(と自画自賛)。それから、案内のお兄さんに誘導されて、更衣室へ・・・(このお兄さんが、なかなかいいのです。甘いマスクに上品な微笑み。いかにも音楽をやってる大学生というイメージですが、実際は知りません(笑)。私たちアルトは、一番後ろの方に並んだので・・)

  で、余分なことはさておき、いよいよリハーサル室へ。経験のある人は知ってると思うが、ここはかなりシビアで、1秒単位で、時間を守らされる。持ち時間が終われば、次の団体もどんどん入ってくる。自分たちも前の団体が残っていても入っていって、ピアノが鳴り出すのもそこそこに、並びながら歌い始めるという感じ。これは全て誘導の人たちの計時で行われている。
  ところが今回は、余裕があったので、2回繰り返してもまだ3分近く残っている。それで、団員の希望で3曲目をもう一度歌って強弱を確認したのみで、おもむろにリハーサル室を出たのだ・・・。

  それからまた誘導されて、いよいよステージ裏へ・・・前のグループの歌が聞こえている。軽い緊張感が漂うが、ちょうどいい感じ。ここの会場はソプラノから入場するつくりになっている。いよいよ出番となって、ロングドレスの裾に気を付けながらステージ中央に進み、ぴったり定位置に立った。挨拶を終えた指揮の先生がにっこり微笑んで、指揮棒を振り下ろす。よかった、先生も緊張してないぞ。と思ったら、ピアニストの先生が、前奏で指が絡んだのか、音を外しかけたが持ち直し、それから私たちコーラスが歌い始める。静かな子守唄系の曲とスキャットで歌う南米民謡。3曲目の歌詞は不思議なのだ。これも子守唄なのだが「惨き定め身にあふりて。なれと眠る呪われの夜、胸の憂い〜」と続く。どういう状況なのか、いつも考えていたがいまだよく分からない。とにかく、腹筋で息を支え、静けさと激しさを表現するように努めた。

  さて、3曲はあっという間だった。この会場は響きもよくて、他のパートの音もよく聞こえた。気持ちよく歌えたという満足感でいっぱいになる。会場に響きわたる拍手を後にして退場した。(この拍手は実は信用できないのです。いつだったか県代表を決める大会で私たちは会場と一体となった演奏ができて、割れるような拍手を頂いたことがありました。もう絶対代表だと誰もが信じ込んで審査員の発表を待っていました。ところが私たちの名前はなかったのです。たまたま演奏を聴いていた見知らぬ人と数年後のコンクールで一緒になり、「あのときは忘れられない演奏だった」と言って頂けたほどだったのに。なんだか負け惜しみみたいでしょうが、今では私たちは、まぁそんなものだよ・・と捉えることもできるようになりました。かと思えば今回のように、易しい曲を地味に平凡に歌い上げただけでも選ばれたりもするのですからね^^。)

  それから写真撮影と着替えを済ませて、会場の客席に入った。他の団体の演奏も素晴らしい。今年はミサ曲などは殆んど無い。一時大分流行して、私たちもアカペラで歌う原語曲にあこがれたものだが。でも、指導者の先生は自分たちらしくないと、一度もコンクール曲には選ばなかった。それが正解だったのかもしれないな・・。今年は日本語を美しく歌うグループが多かった。少ないところは20名以下、多いところは100人近いグループの歌を聴いたが、とても勉強にもなり、刺激にもなった。発声とハーモニーでは私たちは結構レヴェルが高いのではないかと思う。でも、迫力の点ではまだまだだな・・・。それからドレスのいろいろを見て、あれはいいとか、ああいうのはねー・・とか言い合うのも楽しかった。

  時間になってロビーでお土産を買ってから集合。会長は万一選ばれたとき、その中からさらに抽選で全国大会にいける団体が決まるので一人残った。私たちはバスの中でずっと歌いながら、帰路も楽しく過ごした。「選ばれたら今度は横須賀。近くて助かるよね。」などと冗談を言いながら、選ばれる可能性も無きにしも非ず・・・の雰囲気だった・・・が、9時近くなって地元に戻った頃、会長から携帯が入り、「選ばれませんでした。」とのこと。強気だった自分たちに、どっと笑い声が上がる。そんなこんなでコンクールの一日は終わった。

  家に帰って早速、お土産の名物「水戸の梅」&「のし梅」を食べた。渋茶を飲みながら・・・。あぁ、疲れた、バスに乗りすぎて、足がむくんだ。でも充実した1日だったな〜

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6月26日(土)  薄曇り   平山郁夫展

   県内の美術館に平山郁夫展が来ているので、娘を誘って見に行ってきた。平山郁夫は、東山魁夷と並んで、私の好きな日本画家だ。平山の絵は、青い背景にオレンジがかったベージュ色の砂漠。そこに月が出ていて、寺院や遺跡が静かに佇む。またはらくだに乗った僧が進んでゆく。・・・そんな印象が強かった。仏教にゆかりが深く生涯のテーマが仏教画だということは、テレビなどで見て知っていた。ただ、そのテーマに関わりなく、絵から感じられる静謐さが好きだったのだ。
  美術館に入り、以前に頂いた招待券を2枚出す。夕方近かったので時間を無駄に出来ないと思い、娘とまっすぐ特設会場に向かう。最終土曜日だったにもかかわらず、それほど込み入ってはいなくて、ゆっくりと見ることが出来た。

  絵は、薬師寺の「玄奘三蔵院伽藍絵殿」に奉納された、7枚の壁画のためのスケッチ及び大下絵だった。会場に入ると、熱心に見入る人たちの息遣いが感じられるくらい静かでよかった。題名には、シルクロード、ウルムチ、トルファン、インド、ヒマラヤ、バーミアンなど、たくさんのよく知られた地名が並ぶ。そして、そこの仏像や遺跡などのデッサンが、一本一本の確かな線によって、リアルに描かれていた。これは、孫悟空でおなじみの三蔵法師(玄奘三蔵)が経典を持ち帰るための厳しい旅に出たことにちなみ、その行程を平山自身が百回以上に及ぶ取材旅行をして、イメージを固め仕上げた作品だという。30年もかけた生涯の大作だ。7枚の絵のうち私が特にいいと思ったのは、「明けゆく長安大雁塔」「ナーランダの月」だ。壁画の中では比較的小さい。けれども両方とも太陽と月が絵のポイントとなって、画面を引き締めている。そして、幻想的な画風なのだ。
  ほかにも、10号から12号くらいのサイズのスケッチが数多くあった。題材は仏像や風景が多く、他には地元の民族の少女や老人などもあって興味を引かれ、見入ってしまった。

  それからあっという間に展示時間が終わり、静かな音楽が流れ始めたので、急いで会場を出て受付近くにある売店で、画集を買った。1冊2000円也。帰ってきてから、ずっと見返している。これからもきっと何度も見るだろうから、高い買い物とは思わない。が、こんなふうにしてたまってしまった画集がもう何十冊もあるんだなぁ。・・・そういえば、このところあんまり見てないのだけれど(笑)。
   それにしても、薬師寺に平山さんの絵殿があるとは知らなかった。今度奈良に行くときには、ぜひとも見てみたい。また、できるなら瀬戸内海に浮かぶ島にある平山郁夫美術館にも行ってみたいと思う。

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6月21日(月) 朝のうち薄曇り、後風雨やや強い(台風)  梅   

もぎたての青い梅     梅と氷砂糖     梅酒漬け完了
もぎたての梅            1キロの梅に、砂糖を残して           焼酎を注いで出来上がり


   サイトの友達に刺激され励まされて、梅酒を漬けることにした。これまでも我が家は、数回梅酒を漬けたことがある。母が漬けてくれたり、夫が漬けてくれたりしたものである。私はといえば、そういったことにあまり興味がもてないままに、ここまで来てしまった(笑)
  昨日たまたま、近所に住む叔母が、梅をもいでいた。「もうそろそろいいんですか?」と聞くと、台風が来るし、もう、もいだ方がいいと言う。我が家は今日、もぎ手である夫がいないので、無理かなと思って諦めていた。そしたら、叔母が、1,5キロくらい届けてくれたのだ。それで、夜になってから、急遽梅酒を漬けることにした。友達の書いてくれたレシピを読みつつ、そのアドバイスの通り、なるべく甘くないように砂糖を加減して漬けてみた。仕上がりは、青くてとてもきれいな色合いだ。
  叔母は、シロップ漬けというのも教えてくれた。これは梅を冷凍室で凍らせてから、そのまま氷砂糖と一緒に漬けおくと、解凍した梅から水分が出て、うまく砂糖を溶かすらしい。発酵し過ぎないように、焼酎などを少し入れておくといいそうだ。これなら、アルコールの苦手な人にも飲むことができる。
   さて一夜明けて、今日は振り替えで休みとなった夫が、台風の来ない朝のうちに自宅の梅をもいでくれた。大きくて赤いのはあまり多くないが、こういうのがおいしいのだと友達に聞いたので、傷をつけないように気を付けながら分別した。母が、これは「紅養老」といって、私の祖父が植えて大事にしていた梅なんだと話してくれた。こんな話も初めて聞いた・・。これで何を作ろうか。とりあえず塩漬けしてから、その後また考えればいい。紫蘇も用意してないことだし・・・
   それから夫のもいでくれた青梅をやはり1.5キロくらい、梅酒用に漬け込んだ。こちらは「白加賀」とのこと。サイトの友達から度々聞き慣れた名前だ。珍しく興味を持った私に、母もいろいろ教えてくれたのだろう。
   漬け終わってから昨夜漬けたものを出して比べると、既に色合いが全然違う。昨夜のものは、もう醗酵したのか色は黄色みがかっている。一晩で、ずいぶん変わるものだ。いい香りがしているので、試しに飲みたくなったが、まだがまんがまん。その代わりに、去年夫が作った梅酒を氷水で割って頂いた。すっかりまろやかになっており、美味しかった。

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6月18日(金)  薄曇り夜から雨   幼い頃の音楽

   音楽は小さい頃から好きだった。おそらく父の影響もあるのだろう。トランペットをやっていた父は、歌うことが好きで、いつも歌を口ずさんでいた。私もよく一緒に歌わされた。(というか、楽しく二人で歌ったのだけれど。)幼少の頃から階名で歌うその声を聞き続けてきた所為か、いつの間にか曲が音程で聞こえるようになった。相対音感というらしい。
  小学校時代は、ハーモニカ、木琴、ソプラノリコーダー、おもちゃのピアノくらいしか楽器を持っていなかった。なので、新しい歌を覚えたいときは、歌集の音符を読んで、音程をとって覚えていた。そのころ持っていた1冊の歌集の殆んどの曲をそうやって覚えてしまった。「グリーンスリーブス」「バイカル湖のほとり」「禁じられた遊び(二人の子ども)」「ドミニク」・・・などなど。世界にはなんていい曲がいっぱいあるのだろうと思っていた。
  特に好きだったのは、ロシア民謡とか、イギリス民謡とかだった。おそらく5年生くらいのことだったろう。今考えると変な小学生だったものだ。友達にはそんな子は一人もいなかったので、誰ともそんな話はしなかったと思う(笑)。
  家にはステレオもクラシックレコードもなかったので、音楽の時間に聴いた名曲は、一度で覚えようとして集中し、強く印象に刻まれたのだろう。今知っている曲で、その頃覚えたものも多い。校内放送も楽しみだった。学校では、毎日美しい曲が流れていた。覚えているのはロッシーニ「ウイリアムテル序曲−夜明け」、ドボルザーク「新世界」、サンサーンス「白鳥」などだ。朝・給食・掃除の時間などには、時々変わるそれらの名曲を聴くのが楽しみでもあった。高学年になると親しい仲間たちと一緒に放送委員会に入り、好きな曲を選んでかけたものだ。
  そのころ音楽に熱心な先生がいて、合唱部も出来ていた。私も入っていたが、友達が皆アルトで、自分だけソプラノになったので、つまらないこともあり少し後悔したこともあった。歌った曲は、NHKみんなの歌や合唱コンクール用の課題曲などだった。確か「花のまわりで」を歌った覚えがある。レベルはどうだったのだろう。とにかく違った二つのメロディーを合わせると、きれいな響きが生まれるということに、新鮮な驚きを感じていたものだ…
  今こんなふうにして思い出してみると、音楽は自然に私の中にあったのだなと思う。好きになったものは意識しなくても自分から追究し、世界を広げていける。もう少し深く音楽に入っていったのは中学・高校の時だったが、そのもとになっていたのは、この幼い時代に広げていた心の世界だったのだろうか…

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5月28日(金)  曇り  新しい食器   

   このところ、人から「好きなものを買っていいよ。」と言ってもらえることなどなかったので、母からそう言ってもらえて久しぶりにわくわくした。先日、お気に入りのギフトショップでのことだ。
  店内には、細かい花模様の洋皿や、渋い焼きの花瓶、興味深い焼き色の茶碗などが所狭しと並んでいる。私は前から萩焼が好きだったので、じっくりと選んでそれにしようかと思った。
  ところが、そのすぐ近くに、桜の花びらがひらひらと散っている浅めの小鉢と大鉢のセットがあって、思わず目を奪われてしまった。鉢の一つひとつに、少しずつ違っていてしかも全てが淡い色合いの桜が描かれている。しかも、同じシリーズで、銘々皿として使えそうな小ぶりの皿のセットと、客用湯飲みのセットが置いてあった。それらは、気取って仕舞っておくのではなく、日常の食卓に使えそうな親しみやすい手触りだ。そんなに洒落た料理をするわけではないが、毎日使いながら愛でることの出来そうな、温かい感じの食器だった。収納はもういっぱいなので、古いものは片付けることにして、その3つのセットを選ぶことにした。母も、毎日使えばよい記念になるからと賛成してくれた。大人になって、母から物を買ってもらうことはほとんどなかったので、喜んだ私を見て、母もすごく嬉しそうだった。
  さて、気に入った食器が並んだだけでも、気持ちは豊かになる。まだ、これといってふさわしい料理をしたわけではないが、なんだかお勝手に入るのが楽しくなるような・・・。かといって、料理が好きになるというわけではなさそうだが・・・。

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5月5日(水)  雨  父の死   

   数年間病んで、入退院を繰り返していた父が逝って、今日でもう10日になる。まだ感想といえるほどのまとまった思いはないが、日ごろから病院に居た父が、今はどこにもいないというのが実感だろうか。
最後の入院は、1月で、そのときはまだもう一度退院できるものと思っていた。3月に入り急激に悪化したのだが、治療中の病気のほかにもあちこちの臓器や血管が傷み、たくさんの病気を抱えていて、治療自体も難しかった。一度、どうしても帰りたいというので自宅に戻ったのだが、一晩泊まることも出来ずに苦しみ出して即再入院したのだ。その頃から食べることも飲むことも出来なくなっていたが、意識ははっきりしていて、問いかけには応答し、気に入らないと怒りをぶつけてくる頑固親父はそのままだった。

  最期の日、珍しくほうれん草のすりつぶしとりんごのすりおろしを口にして、「おいしいかい?」と母が聞くとうなずいたと言う。その日は昼間、鼻歌も歌っていて機嫌がよかったとのこと。私はといえば、いつも夕方行って寝かせるところまでいるのに、その日は買い物が遅くなったので、夫に交代してもらったのだ。
  夜中に急な呼び出しがあって、皆で駆けつけたときは、もう心臓マッサージと人工呼吸していた。体は温かかったけれど、血圧が下がっていて、呼びかけにも応えはなかった。最後に一言の会話も出来なかった。そして、一番やさしかったおばが到着するのを待っていたかのように、心臓は停止した。穏やかな顔だった。きっと、皆が今まで続けてきた看護に満足してくれたのだろう。

  今、5連休の最後の日、ようやく少し落ち着いて家にいる。久しぶりに降った静かな雨の音を聞きながら、ここ数日のことを振り返っている。
  父が亡くなっても、日常生活はほとんど変わらない。入院していた父は、家に居なかったからだ。ただ、時間がくると、病院に向かおうとする意識が自然に働いて、その必要はないことにはっと気づく。そして父はどこにも居ないことを改めて実感するのだ。これからは何度も何度もこの思いを繰り返すのだろう。「死」というものは「永遠の不在」なのだということが、今の自分の気持ちに一番近いと思う・・。
  けれど、また、私は思う。チェロキーインディアンのように。それは、父はどこにも居ないけど、どこにだって居るということだ。例えば庭先に。例えば畑に。口数の少なかった父は、何か問いかけるような顔つきで首を傾げてこちらを見るだろう。そして、いいよいいよというふうに頷くのだろう。・・・・・


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4月25日(日)  晴れ  山菜    ざるいっぱいの山椒      タラの芽と山椒のてんぷら、コゴミのおひたし

   このところ数日、続けてタラの芽のてんぷらを食べている。このタラの芽は、入院中の父が植えておいた木から採ってくるのだ。幹に近いところは肉厚で軟らかく、噛むとほんのり甘味もある。店で売っているような小さいものではなく、大きくてそのうえ水分たっぷりのものだ。お皿に次々に箸が伸びて、たっぷりあった
てんぷらもどんどん山が低くなる。
  タラの芽とともに食卓をにぎわすのは山椒だ。これは我家の庭に自生したものや、その苗を畑で大きくしたものなどで、今はたくさんの木がある。山椒は、てんぷらにしても爽やかな味は失われない。我家では、葉を1枚1枚てんぷらにするのではなくて、かき揚げを団子状にしたような、固まりのままで揚げるのだ。その方がたっぷりと山椒を食べられる。それから保存食として、山椒の佃煮を作る。これからしばらくの間食卓で楽しむが、残りは、冷凍保存してとっておく。これは、本当に貴重なもので、我家皆の楽しみとなるのだ。そのほかに、うど、蕨、コゴミ(写真手前)など、今でしか味わえないたくさんの山菜が、我家の食卓を賑わしてくれる。その意味でも、今は、1年の中でも特に楽しみな季節なのだ。
  山菜を摘むときは、来年のことを考えて、上手く残しながら摘む。根こそぎにしないのが昔からのやり方だ。(と、母が言っていたのを、実行している。)近年山菜ブームで、他所から来た人たちが、わざわざ地元で作っている山に入って、勝手に根元から抜いていってしまう、枝から折って持っていってしまう等の話をよく耳にする。山を愛し自然とともに生きている人々にとっては、やりきれない話だろう。

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3月31日(火)  晴れ  山桜−記念日−   

庭に山桜が咲いた。
この桜は、去年の3月31日にはじめて咲いたのだ。その数日前に蕾が幾つかついてるのを見つけたとき、もしかして、と思ったけれど、実際に咲くまでは半信半疑だった。

一昨年はいろいろなことがあった。病人を抱えて仕事を続けることで引き起こされた、たくさんのトラブルと人間関係の軋轢。その中で、板ばさみになり身動きが取れなくなって、ついに体をこわしてしまったのだ。その後、何とか休暇をもらうことができたので、目の離せない病人の介護で毎日病院に通うようになった。喪服も準備してのことだった。
毎日病院に通い続けるのは、いろいろな意味で辛かった。気の重い病院通いが長く続いた。救急車で別院に運ばれ、緊急手術した日もあった。何度も、もうだめだと思われた。
しかし、自力で食事を食べ、車椅子で外に連れ出せるようになり、徐々に言葉や感情も戻って、まさかと思われる退院となったのだ。
長く辛かった介護が一旦終結し、休暇も終了して明日から仕事に復帰するという日。その日にこの山桜が咲いた。
何の木か知らなかった。毎年毎年少しずつ大きくなっていた。込み入って生えていたが、夏の間ベルに日陰を作ってくれるので、切らないでいた。
咲いた花は、白みがかったピンクで、とても小さいものだった。花のついた枝は、わずか2〜3本しかない。ほんの少しだけ咲いた花。でも小さな花が、健気に咲いていたのだ。長かった日々を思い出しながら、私は一人でこの桜を見た。偶然かもしれないが、私には意味のある偶然だった。「ありがとう。見ていてくれたんだね。」そんな気持ちで、私はこの木が私へのプレゼントであるように感じた。辛い日々は完全に終わったわけではないけれど、前向きに楽しくやっていこうと思った。「明日から、また新しくスタートだ!」と。いつの間にか流れていた涙は、私の心を洗ってくれたようだった。

今年、この山桜は、さらにたくさんの花をつけてくれた。可憐な薄ピンクの花には、蜂、花アブ、蝶等がやって来る。
あれから今日で1年となる。忙しいが楽しくやりがいのある仕事の中で、1年を過ごすことができた。入退院を繰り返す病人の介護は続いているが、生活の一部として無理なく受け入れている此の頃だ。

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3月20日(土)  晴れ  群響コンサート

友達と連れ立ってコンサート会場へ向かう。このチケットは賛助会員用で今年度分なので、今日使わないと無効になってしまう。行けるかどうか微妙だったが、周りの人たちの協力で、何とか時間をやりくりして行けるように調整してもらった。やや早めに着いて、のどあめとペットボトルを用意しマスクもかけて咳対策は万全。プレコンサートにて、曲目についての解説をしている。たくさん配られたあちこちのコンサートのちらしを見ながら開演を待つ。
さて、いよいよ開演。コンサートマスターのA音で、あの独特のチューニングが始まる。次第に広がり会場いっぱいに響き渡るこの響きが私はいつも好きだ。

さて、初めの曲は、モーツァルト作曲の交響曲第38二短調K.504「プラハ」だ。 聴いたことのなかったこの曲だが、さすがモーツァルトだけあって、ハーモニーが美しい。ただ、私にとってモーツァルトはいつも美しすぎて、印象を強くとどめない。解説には、第2楽章の「展開部では激しい転調による明暗や陰影のコントラストが鮮やかだ」とあるのだが、なんだか、ガラス箱の中の世界を見ているようで、ワクワクするようなものが、伝わってこない。

指揮者は、マルティン・トゥルノフスキー。プラハ生まれの人で、プラハ交響楽団の指揮者をスタートに、国際的キャリアも高いという。確かに指揮棒の振りから体全体で音楽を伝えているようだ。群響演奏者も指揮者にぴったり付いて、快い響きを奏でている。

ところが第3楽章に入ってから、あまりの心地よさにいつの間にか睡魔が…モーツァルトを聴くとよくこうなってしまう。せっかくのコンサートだというのに。きっと、アルファ波がたっぷりと出ているんだろう…(!)
気を取り直して集中する。この第1主題は「フィガロの結婚」をふまえているという。が、私には、ベートーヴェンのテンペストに似てるなという印象。(それが第1主題なのかよく分からなかったが…)そんなこんなで、第1曲目は終わった。約22分の曲。

第2曲目は、ブルックナー作曲の交響曲第7番ホ短調。今度は真剣に聞こうと思って、休憩の間に解説書をじっくり読む。しかも隣の人はやたら詳しいらしく、連れの人にいろいろ教えている。ふんふんなるほど…。いろいろ情報をゲットして演奏に臨む。
この曲のポイントは、ワーグナー・チューバという、ホルンとトランペットのハーフのような楽器らしい。何でも、ワーグナーが考案したとか?(何か言ってたのだが、定かではない。)ステージに、ワーグナー・チューバが登場すると、あちこちからどよめきが。ウン、確かに見たことのない楽器だ。ワーグナー・チューバは4本(これはホルン奏者が演奏するのだという)それとホルンが4本で、計8人がホルン奏者として並ぶ。こちらの曲は演奏者の人数も増えて、フルオーケストラの形態となった。期待感が満ちてくる。

第1楽章で印象的だったのは曲の出だし。第1・2バイオリンのPPトレモロに乗せて、チェロがゆったりと重厚感のあるメロディーを奏でる。チェロの音色の大好きな私は、すっかりこの曲が気に入り、入り込んでゆく。オーボエも美しい。そのあと、短調で4拍子の舞踏リズムのメロディーでは思わず体が揺すれてくるのをじっと我慢。(前の席の人は、充分乗っている。)

第2楽章は、ワーグナー追悼の意味の込められた有名な楽章とのこと。ここで、かのワーグナー・チューバが登場。しかし、音がやや不安定で(もともとホルンは音を外しやすい楽器だけれど)ちょっとはらはらしたが、すぐに立ち直った。最もクライマックスのfffで、ティンパニのトレモロの合間にシンバルが、バーン!と1回打ち鳴らす。シンバルはこの1打だけで、後は1度も鳴らさなかったような気がする。が、充分に存在感があった。

第3楽章で、印象に残っているのは、トランペット。吹奏楽と違って、オーケストラのトランペットは甘く優しい音色を出すことが多い。今回も木管楽器にも似たきれいな音で、特徴的な主題を吹く。これは、「ニワトリの鳴き声から思いついた」との説があるという。

第4楽章は、弦楽器がたっぷりとしたメロディーを奏でる中、時々金管楽器が勢いよくファンファーレを鳴らす。合間には、木管楽器がきれいなメロディーを奏でて存在を主張する。オーボエ、クラリネットが、特に印象的。この頃には、指揮者と演奏者と会場が一体となって、すごいエネルギーが満ちている。そしてクライマックスが来てトランペットの主題で、曲が終わった。この曲は約64分と書かれていたが、実際はもう少しかかったと思う。

終わった瞬間、ブラボーの声と、割れるような拍手!待ってくれよ、もう少し余韻に浸りたいのに…
でも、自分も拍手の輪に加わる。何度も何度もアンコールを繰り返し、指揮者は演奏家を立たせてその功を讃え、汗を拭きながら、満足の笑みを浮かべる。そして聴衆はまたそれに応えて拍手の音が高まる。
アンコールが終わり、楽団も引っ込んで、客席からドアへ、駐車場へと移動する中でも、気持ちのよい興奮と満足感でいっぱいだった。
コンサートに行けるようにしてくれたたくさんの人たちに感謝し、充実した1日を終える。

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3月19日(金)  晴れ  コーラス

今夜、コーラスのグループ30周年記念コンサートの録音テープと記録文集を届けてもらいました。私が今のコーラスグループに入ってから、およそ15年。気の合う友達や、同じ趣味でつながる仲間の輪が、私の世界を広げてくれていました。最近までずっと、アルトのパートリーダーを務めてきましたが、未熟な私を支えてくれたたくさんの人たちとの交流は、とても実りのあるものでした。
今、久しぶりにカセットデッキを出して、コンサートの曲を聞いています。録音状態はあまりよくないけど、私達のコーラスのモットーとする発声とハーモニーは、結構満足できるものでした。今回歌った曲で私の大好きなのは、女声合唱の、新実徳英さん作曲「火の山の子守歌」シリーズ。「青い花」「夢幻」「傘もなく」「春」「火の山の子守歌」…全てが繊細でやわらかいハーモニーで作られていて、歌っても聞いても心地よいのです。特に「傘もなく」は、短調のワルツに乗せ谷川雁さんの幻想的な詞が展開して、波間にたゆたうような、不思議な自由さがあります。目を閉じて、自然に体を揺すってしまう感じ。
このところ家庭の事情でコーラスを休んでいるけれど、自然に浮かんでくるいろいろなメロディーは、私の生活をとても豊かにしてくれています。

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3月14日(日)  晴れ  春の香り−ふきのとう    

庭で、ふきのとうを採ってきた。「今年はあまり出ないよ」と母が言ってたが、ゆっくりまわっていくと、落ち葉の積もった間から、黄緑色のかわいらしいふきのとうが顔を出しているのを見つけた。嬉しくて近づくと、まだ葉っぱのやわらかい、新鮮そうなふきのとうだった。落ち葉に守られていて、汚れも少ないし、日焼けもなくて初々しい様子。近くには同じようなふきのとうが、7〜8個あった。山の幸に目がない私は、かわいらしいふきのとうを愛でることと、「美味しそう!」と思う気持ちが並行して湧き上がって来てしまう。早速写真を撮って、それから丁寧にふきのとうを摘み取った。夕方出かける前にそそくさと料理(?)する。
先ずは、少し小さく切って灰汁抜きをする。新鮮な色を損なわないために、少量の油でいためる。それから、ダシ、砂糖、しょうゆで味を調え、かつお節をふりかけてできあがり。熱々のご飯に、ほろ苦い春の香りがたまらない。これこそ自然のくれた、春の恵みだ!

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3月13日(土)  晴れ  「二百年の子ども」読了

ようやく読み終わったこの本も、大江健三郎が子どもたちへ、若い世代へ、「新しい人」になるようにメッセージを送っているのだと思われる。
私たちの世代は、戦後民主主義の思想がある程度固まってから生まれてきた。それとともに、右上がり経済の恩恵も十分受けてきた。片方では理想を求め、もう一方で便利さと合理性を追求してきたのだ。それがいいことだと信じて…。
けれど、モノが溢れ、環境は破壊され、地球自体の存在までが確実でなくなったこの「核時代」。こんな時代に生まれてきた子どもたちに対して、未来を信じ希望を失わずに生きるように、メッセージを伝えているのだ。私たち大人にも、自分たちの責任を見つめさせようとしているのだ。
というか、むしろ、私たちにも激励の言葉を送っているように感じる。「自分はここにいる。自分は言葉を使って伝えている。まだ遅くはない。共にがんばろう。」と。

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2月25日(水)  晴れ  子どもたちに伝える

TVのニュースから流れるのは、いやな事件ばかり。 なぜ、こんなことになってしまったのでしょう。 子どもたちの心は、大人自身の心は、どうなってしまったのでしょうか。思うに、一つの原因は、大人たちが真剣に生きる姿を子どもたちに伝えてないからではないでしょうか。お金…。時間…。無駄なく、効率よく、損をせずに…。こんな経済の論理ばかりが先行している社会。美しいもの、正しいこと、思いやりの心が大事にされる世の中にしなくてはならないと思うのに。
けれど、そんな自分自身も時間に追われて、「時間を無駄にしない」ということばかり考えています。
今、私たち大人の一人一人が襟を正し、自分の周りの子どもたちに、日本に伝わる美しい心(誠実や礼節ということなどを含めて)をきちんと伝えていかなくてはならないと思います。 …自省を込めて。

    
  

2月22日(日)  晴れ  廃品回収

今日は、地域の廃品回収でした。私の担当は、アルミ缶とスチール缶の分別。きちんと分けてつぶしたものもあれば、さびたものやまだ残ってるものが混じっていたりして、出した人の人柄がしのばれます。これらは、もう一度金属に戻ってリサイクルされ、地球の貴重な資源を守ると思うと、真剣みが増します。早春には暖かすぎる1日。半そでのTシャツの人も現れて、皆で和気藹々と作業しながら、貴重な日曜日でしたが、よい汗を流すことができました。それにしても、子どもたちが気持ちよく働くこと…


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