日々の思い5 …06.12.〜
過ぎ行く日々へのちょっとした記録


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区切り   サイト   不意の感覚   一輪の花   ブログ1周年   空あるいは光・・・


2012年1月29日(日)  区切り

  数日前に、あるフォトコンテストの本部から立派な修了証書が送られてきた。
これは、コンテストで上位入賞が3度に達すると、初級部門が修了して、次回からは一般部門に入るというものだ。

数年前に私は一眼レフカメラを買って、写真にちゃんと向き合おうと思い始めた。それから、自分なりに勉強もしたし、たくさんの優れた写真を見たりもした。いくらかのテクニックを学び、光の読み方を知り、カメラの設定から作品を予測して撮るようになった。そして写真サークルに所属して、コンテストにも応募してみるようにした。それらの努力は、おそらくある程度の力となって、私の身に付いたと思う。以前の写真の拙い出来映えが、ブログを遡ると見えてくる。

始めた頃の私の気持ちは、ここにも何度か書かれている。いかに夢中だったのか、その頃の気持ちは今でもよく覚えている。毎日風景を追いかけ、ひたむきに被写体に向き合い、撮ることは喜びだった。だから、拙い出来映えのその私の写真たちは、私の心の表現であり、ある意味魂が入っていると思う。

では今はどうなのだろうか。

今の私にはそれ以外のものも見えてしまう。
純粋に被写体に対峙することだけでなく、ありのままの現実ではない、写真でしか表現できないことを考える。それは喜びばかりでなく、苦しみに似たものをももたらす。

もちろんそれは、どの芸術でもいえることだろう。極めることは、技術と心の融合なのだ。
表現したいことを伝えるためには、それなりの技術が必要であり、その技術が心の動きに伴って発揮されるときに、それが見てくれた人にも何らかの感動をもたらすのだと思う。

今の私は、その手前で息切れしかけているのかもしれない。技術について考えると、被写体への思いが混乱してしまうことがあるのだ。そうするとその感動は靄の中に入り、薄れてしまう。
私は何に感動し、何を伝えようとしているのだろう・・・
「季節のもつ光と影」ばかりでなく、撮りたいものが変わってきている。
「その中に生きる人々の暮らしと心」にも向き合いたいと思い始めている。

とにかく続けるしかない。
今回の修了証書の受領を区切りとして、気負うことなく、自分の写真を撮り続けていきたい・・
そう、言い聞かせて、もう少し先に歩んでいくことにしよう。


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2011年8月7日(日)  サイト

  「ほたるのページ」の最終更新は去年の10月となっている。もう10ヶ月前のことだ。 その頃、生活上の様々な悩みと心配事、そして自分と母と妹の病院通いが重なり、日々をやっとのことで過ごしていた。

去年9月26日にサイト7周年を迎え、「Presents」のページにこんなことを書いている。
『「風の彩り」も含め、更新するのが辛いときがあります。
それは、現実の日々の中で心を動かすのが辛くなり、
表現しようとすると自分を切り刻むことに繋がってしまうような時でした。
けれど、なんとかここまでやってきました。
苦しくても、これからも続けていきたいと、今は自分に言い聞かせています。』

「心を切り刻む」ようにして自分と向き合っていたあの頃のことを思うと、今でも胸が痛む。けれども、当時の方がまだ、今よりは心が生きていた。今は、心の一部分を閉じ込めて、その周辺で日々をこなしている。それがやっとだ。

「ほたるのページ」は私の分身のようなものだと思っている。
「風の彩り」はその分身の中の一つの顔だ。今はこちらが更新の中心となっていて、アクセス数も多いが、やはりメインは「ほたるのページ」だと思う。 「風の彩り」は、写真を中心にそこからのイメージを言葉にして添えてきた。やはりテーマは移ろいゆく四季の情感、そして光と影だった。写真については自分なりに努力して、向上したと思う。けれど今、言葉が出てこなくなった。

心を閉じ込めて、自分を守っているのか。
心を動かすことがそんなにも辛いのか。
意識して、叱咤激励して、自分の中身を覗き込もうとする。
が、心がどうしても動いてこない・・・

母の死のことも、まだ何も書けない。
父のときは10日目に書いていたのに・・・
危篤状態と持ち直しを繰り返した1月。小康状態になった2月。急激に悪化して逝ってしまった3月。
そして今は8月、新盆の準備にかかっている。

昨夜、この「日々の思い」を最初から読み返してみた。
志も高く、ひたむきに日常と向き合っていた私を見つけた。
そして、このサイトをこのままにしてはおけないと思った。
過去の私が励ましを送っている。
辛くても一歩を踏み出そうと思い、こんなに赤裸々な文章を書いてみた。


 


2008年1月26日(土)  不意の感覚

  不意によみがえることがある。
そのときの感覚、空気の流れ、近くにいた人の息遣い・・。

歌っていて、そうなった。
コンクールを目指して5年ほど前に歌い込んだ曲を
記念コンサートのためにもう一度歌うことになり、練習が始まった。
指揮者を見る。
思い切り息を吸う。
クレッシェンドしてフォルテシモに。長く伸ばして全て吐き切る。ああ、また立ち眩みしそうになる。
ここは、Hの子音を丁寧に発音する。やわらかく、でもくっきりと・・。
次第に歌の流れに入り込む・・。

そのとき、不意によみがえった。
いつの間にか、あのときの空気感に入り込んでいた。
部屋の中にいた。あの時一緒に歌った人たちが・・。
そしてあのときの歌声が流れていた。

今はいないあの人。いつも隣に立っていた。声を合わせていた。が、去年突然に逝ってしまった。
メゾで歌っていたあの人も、あの時逝ってしまった。優しく皆をまとめていた人・・。
一緒にパートリーダーをしたあの人。独特の声質だったが、今は遠くに行って会うこともなくなっている。

その人たちと歌ったその感覚におそわれた。
今見えている人たちに重なって、確かにそこに感じられた。


 


2007年3月3日(土)  一輪の花

  かつて、私が結婚する時、お祝いと一緒に友達が手紙をくれた。その中に「どんな時でも、一輪の花を飾る心を忘れないでほしい…」と書かれていた。元々花が好きなこともあり、庭にも室内にも、花をたくさん育てている。それはどんなに忙しい時でも変わらなかったことだ。切り花や鉢の花、そして花束などを頂くと気持ちが華やいで嬉しい。花を挿す器も好きで、たくさん集めている。花を飾る時にはどれが合うだろうと考えて、いろいろと合わせてみるのも楽しいのだ。

  お正月に、上司から大きなお花のアレンジメントを頂いた。喜んで飾ったものの、その花が枯れてしまって以来、家の中にはお花が全然飾っていなかった。…そう、他のことにすっかり気をとられていたのだ。そのことに、はっと気が付いた。それで、先日出先で、きれいな薔薇の花を見つけたとき、久しぶりに自分のために買い求めた。(ネット友にお花を撮って届けたいという思いもあったけれどね。)そして、ブルーの花瓶に挿して写真に撮ってから、テーブルに飾った。小さくて奥ゆかしい、赤とピンクの薔薇の花…。

  結婚祝いが届いたあの時、手紙をくれた友達の言葉「一輪の花を飾る心を持ち続けて…」。それは、「花のことを思うみずみずしい心の潤い」と言い換えることが出来るのかな。高校時代の憧れの友であるから、いっそう、そんな心を持ち続けたいと思っている。

 


2006年12月10日(日)  ブログ1周年

  去年の今日つまり12月10日に、「風の彩り」をスタートした。その頃の私は、イチデジを買ったばかりで、説明書を読んでも用語の意味さえ解らなかった。それで、ブログの中でいろいろと撮ったものをアップし、自分で見たり人にも見て頂いたりして、いろいろと教えてもらおうとしていたのだ。「デジカメ練習場」と銘打って。
またそれと並行して、私は「季節の持つ光と影、そして吹く風の彩り」というものについて考えていた。季節には、その季節特有の空気感がある。それを見出して表現したいと思っていたのだ。それがどれほど大変なことなのか、今ではよく解ってきているが。(笑)

1年やってきて、私の画像はどう変わったのだろうか。そう思って、スタートした頃を見てきた。今と撮っているものが大分違う。あの頃は、季節の中で呼びかけている小さなものたちの声を聴いて、その声を画像の中に表そうとしていた。今は風景に惹かれ、湿原はもちろんだが水辺の風景がとても好きになって、海もないのにそんな写真の撮れる場所に憧れている。風景の中にある光と影、そこに漂う季節感及び叙情性を表そうとしているのだ。おそらく画像自体は以前よりよくなっただろう。たくさんの方に応援を頂いて。しかし、表現性はどうなのか解らない。

このブログを始めてよかったと、心から思う。私のところは写真サイトではないと今でも拘りを持っているが、同時にいい写真を撮りたいとも思っている。この「日々の思い」にも、いろんな形でそのことを書き続けてきた。…葛藤を繰り返しながら。たくさんの人にその気持ちを聞いてもらい励ましてもらって、なんとかここまでやって来られたのだ。
そして私は数日前に「練習場」の言葉を削った。これからは、撮った画像をアップするときには、表現したいものをちゃんと意識していたいと思っている。

 


2006年12月2日(土)  空あるいは光・・・

  旅から帰って早1週間、今日は久しぶりに我が家でのんびりと過ごしている。ふと見ると窓の外、山の尾根の方に日が差して、そこだけがくっきりと浮き上がっている。夕方の傾いた光が木々を明るく照らし、その後ろの山肌は藍色に暗く沈んでいるのだ。はっとして立ち上がり、そこをじっと見つめる。まるで私を呼んでいるように感じ、気持ちが引き込まれる。しばらくの間呆然としていたが、思い直して、腰を下ろした。

このサイトをスタートして、3年が過ぎた。トップを飾っている空の写真は、「
空のGallery」として全て保存をしている。これは最初に作ったごく少ないコンテンツの一つだ。あの頃どうしてトップに空を持ってこようと思ったのか覚えていない。ただただ、空が好きだったのだ。根室で撮った、かもめの飛ぶ曇り空の写真から始まって、あちこちで撮った空はずっと今日までここのトップを飾り続けてきた。そして、今も私は空を追いかけている。以前とはまた少し違った思いで・・。

このところ、私はずっと空ばかり見ていた。毎日明け方になるとぱっちりと目が覚めて、窓を開ける。日の出を待ちながら、今日はどんな空だろう、いい雲が出ているだろうか、いい光が差してくるだろうか、こんな空を撮るとしたらカメラの設定はどうすればいいのだろう・・そんなことを考え、同時に、そのまま外に出て写真を撮っていた。昼間もそうだ。職場の窓から外を見て、思いを巡らせていた。夕方になると夕日の行方が気にかかり、勤務終了と共に飛び出して、小焼けの撮れそうなところを探し、車を走らせた。もちろん家で出来る仕事は持ち帰り・・。

そんな日々がずうっと続いていた。空だけではなく、いろんなものを見、あるいは撮っていた。おそらく感受性が研ぎ澄まされていたのだと思う。物事に敏感に反応していた。夕方の光、逆光に浮き上がる草、キラキラ光るもの、そのこちら側のシルエット等々・・。その気持ちは今も変わらない。少し自分を振り返り、ペースを落とそうとは考えているけれど。

今でも本当に空は好きだ。空は、自分の気持ちを反映する。空の中に自分を委ね、空の中に自分を見る。

 


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