「ふたたびパラオへ」        ’96年11月パラオ


 <KBブリッジの崩壊>
KBブリッジと渡し船  「左上の水面から突き出ている三角形の家の屋根のようなものが根元からぽっきりと折れたKBブリッジであり、正面のボートが渡し船である」


 11月11日。いつものことではあるが、成田からグアムまでの飛行時間のほとんどをぼくは寝て過ごした。起きていたのは機内食を食べている時だけだった。
 だから、グアム空港に到着した時にもぼくの頭はまだ半分眠ったままだった。寝ぼけながらもぼくはトランジットの為に待合室に行こうとして席を立った。
 今年もたった一人だけの孤独なツアーだから、急ぐこともない。ぼくは乗客が機内からあらかた出てしまってからゆっくりとタラップを降りて行った。
 成田空港のGカウンターで見かけたダイバーらしいグループがぼくの前を陽気にはしゃぎながら歩いていた。若い女性が3人と中年男が2人、そして彼らを率いているらしいイントラ風の20代後半の男という6人組だった。
 彼らが楽しそうにじゃれあっているのを見ていると、少しうらやましい気がする。ぼくも数年前に仲間3人を連れて沖縄の座間味島に4泊5日のツアーに行ったことがあった。その時の仲間のことをちょっとなつかしく思い出した。
 彼らの後にくっついたまま歩きながら、ふと何気なく周囲を見回して、ぼくは頭からスーッと血が引いて行くのを感じた。
 違うのだ!そこはグアムではなかった。ぼくは去年もパラオに行ったのでグアムでトランジットしたから知っているのだが。グアムの待合室といったら、田舎の駅の待合室みたいにただやたらと広いスペースに長イスばかりがずらっと並べられているような淋しい場所だった。
 そして、じめっとうす暗くてひんやりした感じだった。それなのにここは真新しくて妙に明るいのだ。何よりもここは待合室なんかじゃなくて長い通路の端の部分だった。
 通路の両側に飛び飛びにふかふかのイスが置いてあって、搭乗待ちのスペースになっていた。通路のずっと向こうには動く歩道さえあるようだ。そこはたくさんの人であふれていた。ソフトクリームをなめながら歩いている女の子さえいる。
 グアムでないとすると、ここはサイパンだろうか?サイパンの空港には降りたことがないから確信はないが。
 もしかしたら、前回の時のようにサイパンを経由してグアムに行くことになっていたのかも知れない。経由するだけだから、ぼくは飛行機から降りてはいけなかったのではないだろうか?
 しかし、ぼくよりも後から飛行機を降りた人はほんの数人しかいなかったし、機内でそのままシートに座っている人はただの一人もいなかったはずだ。
 ともかくここが何処なのか確認しなくてはならない。だが、「ここは何処ですか?」なんて訊くのもひどく間が抜けてるし、なんだかものすごく恥ずかしい気がした。
 ぼくはオロオロしながらその辺の壁に貼ってあるインフォメーションや行き先表示板といったものを次々に見て行った。すると、やはりどうもここはグアム空港の一部であるようだった。
 そして、パラオ行きの搭乗ゲートも見つかった。搭乗ゲートの前には待合スペースがあったが、離陸時刻までまだ2時間以上もあったから人の姿はまばらにしかなかった。
 だが、ぼくはその中に見るからにベテランダイバーの雰囲気に包まれた中年男がたった一人でひまそうに座っているのを目ざとく見つけていた。しかも、けっこう人が良さそうだ。
 ぼくは彼の斜め前のイスに座った。手持ちぶさたそうにぼんやりしていた男はぼくの方に関心を向けた。
 「いやに何もかもが真新しいですよね。去年の11月に来た時には、日本の田舎の待合室みたいにうらさびれた所だったんですけど。どうしたんでしょうか?」と、ぼくは率直に訊いてみた。
 「12月だったか、1月かにこっちがオープンしたんだけど、去年の11月にはまだ工事をしていたかも知れないな。今年も6月にパラオに来たけど、その時にはもう新しくなっていたな」と、男は答えた。
 予想通りに男はパラオのことにはかなり詳しそうだった。何度もパラオに行っているリピーターなのかも知れなかった。それはともかく、ここが真新しい理由はこれであっけなく分かってしまった。
 それならばさらにKBブリッジの崩壊事故についても訊いてみようと思った。
 パラオには大小さまざまな無数の島々があるのだが、首都があるコロール島と橋で結ばれているバベルダオブ島やマラカル島、アラカベサン島にほとんどの国民が住んでいる。とりわけ大きなバベルダオブ島にはパラオ唯一の空港や発電施設があり、ここから他の島に水や電力が供給されていた。
 しかし、バベルダオブ島やコロール島をつないでいたKBブリッジはかなり老朽化していた。昨年にぼくがこの島に来た時も橋の上から釣り糸を垂らしている人がいたり、赤ちゃんを抱いて海風に吹かれて涼んでいる人がいたりとなごやかな風景がそこにあったが、かなり古い橋だなと感じたのをおぼえている。
 そのKBブリッジが9月26日の夕方6時半に突然崩壊したのだ。この事故による死傷者は死者1名、行方不明者2名であり、ともに現地の人だということだった。
 橋の崩壊と共に電力と水の供給がストップしてしまい、住民が非常に困っているとのニュースも入っていた。アラカベサン島にある高級リゾートホテルのPPRだけは自家発電装置や給水装置があるらしいのだが、他のホテルにはそんな機械は無いから営業ができなくなってしまっているというのだ。
 ぼくはこれらの情報を、新聞に小さく載る4日前にインターネットのホームページで知った。
 戸沢さんという人が運営しているパラオ専門の「ISLANDS HOME PAGE」というページだ。このページにはパラオについての情報がリアルタイムに送られて来ていた。
 「応急処置で水道のパイプラインと電気のケーブルが敷設されているのでとりあえずホテルの水は出るらしいのだけど、行ってみないと分からないな。それでどこに泊まるの?マラカルホテルなら俺と同じだな」と、彼は言った。
 「実はパラオには商売の話で行くんだよ」と、彼は言った。
 「しかし、どう見てもダイバーのスタイルですよね」とぼくが言うと、「パラオでは300本は潜っているからな」と言って、彼は笑った。
 「パラオで焼き鳥屋でもやろうかと思ってね。もう、店を出す土地や建物のあたりもつけてあるんだ。今回は最終的な契約の話をすることになってるんだけど、もしも駄目だったら来年にはパラオの空港でラーメン屋をやってるかも知れないよ」と言って、彼は少し淋しそうに笑った。
 こんなふうに彼と話していて、ホテルでも何度も顔を合わせていたのだが、不思議なことにぼくは彼の名前を聞いたおぼえも無いし、知ろうともしなかったのだ。それで、とりあえず彼の名は山田さんということにしておくことにしよう。
 話もとぎれて山田さんはトイレに行った。ぼくはすることもなく、バッグの中から本を取り出して読み始めようとした。
 その時、妙なおばさんがいることに気がついた。デイパックを背負った50代の日本人のおばさんなのだが、ソファに座っているアジア人の老夫婦にしきりに話しかけていた。老夫婦は台湾か韓国から来た人達のようだった。
 ただそれだけのことなのだが、英会話のクラスの生徒が話しかけている以上に一種異様な熱意が感じられた。何を話しているのかは分からなかったが、老夫婦がたじろぐほどにあふれる熱情を持って彼女は何かを語ろうとしていた。
 やがて、老夫婦が答えるのにも疲れ切った様子なので、彼女は何度も頭を下げて礼を言ってから自分のイスに戻った。彼女も孤独な一人旅のようだった。
 しかし、まさか彼女までがマラカルセントラルホテルに宿泊するとは、その時のぼくは思ってもみなかった。
 山田さんとは、パラオ空港の入国審査を終えて待合室に出たところで別れた。一緒にホテルまで行くのだと思っていたので心強く感じていたのだが、商売の話で挨拶に行かなければならない所があるとのことだった。
 待合室でパラオ人の出迎えを受けた。ぼくの他にもう一人メンバーがいるというので待っていると、現われたのが彼女だった。
 「大谷といいます。まだダイビングを始めたばかりなんですが、よろしくお願いいたします」と、走り出したワゴン車の中で彼女は熱っぽく言った。
 「いえ、こちらこそよろしく」と、ぼくは押されっぱなしのままたどたどしく答えた。
 ワゴン車は大通りからはずれると脇道をどんどん下って行った。道を下りきった所に急ごしらえの船つき場があった。左前方にはつけ根からぽきんと折れ曲がって水中に没しているKBブリッジの残骸があった。
 KBブリッジの端から端まで空中にワイヤーが張ってある。ワイヤーに吊るされているのは直径10cmくらいの水道のパイプだった。パイプのつなぎ目の部分から小さな滝のように激しく水が漏れている。
 いくら人口2万の小国と言っても、こんな水漏れの激しい細いパイプラインでだいじょうぶなのだろうか、とぼくはひどく不安な気持ちに落ち込んだ。
 「KBブリッジって本当に落ちてしまったんですね」と、感慨深そうに大谷さんがつぶやいた。
 「知らなかったんですか?」と、ぼくは意外に思いながら言った。
 「ええ、出かける直前になって初めて旅行会社の人から聞いたんですけど。でも、もう復旧しているから問題無いって言われたんですよ」と、とまどいながら大谷さんは言った。
 旅行会社の人が言った復旧という言葉が意味しているのは電気や水道のことだろうが、KBブリッジの復旧という点についてはまったく予測できない状態らしい。要するに橋を再建するお金が無いのだ。
 国民がたったの2万人しかいない国だから財政的にも非常に苦しいだろうことは容易に推測できる。以前に世話になっていたアメリカ合衆国に支援を要請することになるのだろうが、どうなることだろうか。
 ダイビングバッグが山積みにされたボートが先に出た。ぼく達はその後から人間だけを乗せたボートに乗った。
 ボートはゆっくりと進み、ほんの2、3分で対岸についてしまった。そこにもアクアマジックが手配したワゴン車が迎えに来ていて、ぼく達が乗るとすぐに走り出した。
 運転手はパラオ人の若い男で、車が走り出すとすぐに「WCTCに寄るか?」と訊ねて来た。
 「えっ、何ですか?」と、大谷さんが聞き返した。
 「WCTC、何か欲しい物があるか?」と、彼は車を走らせたまま言った。
 「彼は何を言っているのですか?」と、大谷さんはぼくに言った。
 大谷さんは英語にはかなり慣れているらしく、運転手が言っている言葉は分かったのだが意味するところまでは分からなかったのだ。
 ぼくはホテルの冷蔵庫に入っているビールやミニッツメイドのジュース、はちみつレモンなどの値段が高いことを大谷さんに説明した。その間に車はWCTCの前を通り過ぎてしまった。
 「だから、その辺の店で飲み物や簡単な食べ物なんかを買っておいたらどうかと彼は言っているのです」と言って、ぼくは「それじゃ、どこかその辺の店で停めて下さい」と彼に言った。
 車はマラカルホテルの近くまで来ていたが、運転手は「OK」と言って車を道のわきに寄せて停めた。
 そこはコンビニみたいな店で、レジには母親と小学生くらいの娘がいたが客は誰もいなかった。ぼく達が入って行くと、母親はあわてて客商売用のポーズを取った。
 そこで大谷さんはスポーツドリンクの缶と小物を少し買った。ぼくはバドワイザーとミニッツメイドを半ダースずつ買いこんだ。
 渡し船に乗ったりしていたからホテルに着いた時には8時半を過ぎていた。1階のレストランにはすでに客の姿は無かった。
 支配人の吉田さんに迎えられてぼく達は宿泊の手続きを済ませた。ぼくの部屋は3階の端の301号室、大谷さんの部屋は305号室だった。
 バスルームで水道の蛇口をひねってみたが、水の勢いは去年と変わらないようだった。たしかに電灯もちゃんと点灯しているし、このホテルに関する限りはKBブリッジ崩壊の傷跡は残っていないようだった。
 部屋に荷物を置いてからレストランに行って、大谷さんと一緒に遅い夕飯を食べた。食事をしながらぼく達はダイビングについての色々な話をした。明日からのダイビングのことを思うと気持ちが高ぶり、話はことのほか盛り上がった。
 ふと気づけば、何人ものウエイトレスや料理人達がぼくらが食べ終わるのをじっと待っているのだった。ぼくらはあわててコーヒーを飲みほすとそれぞれの部屋に引き上げた。
 ぼくの部屋は角部屋なので南側と西側に窓があった。南側のガラス戸を開けるとベランダがあり、ベランダに出ると眼下にアクアマジックの事務所と船つき場が見える。
 西の窓からはビーチが見えるのだが、去年はただの暗い陸地だった所に今年は嫌にけばけばしい赤や青の派手なイルミネーションが輝いていた。シーサイドバーか何かが出来たようだ。
 橋が落ちたり、エアポートが新設されたり、何も無かった浜辺にバーが出来ていたりと、わずか1年の間に色々なことが起こっているのだ。
 明日の朝では忘れるかも知れないので、ぼくは財布からなるべくきれいな1ドル札を取り出すと冷蔵庫の上に乗せてあるコップの下に置いた。        

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