
岐阜キリスト教会の信徒の方々が
どのようにしてイエスキリストを信じるに至ったのか
随時ご紹介していきます。
(カッコ内は、洗礼を受けた当時の年齢)
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Kouji.K(10代男性)
私はクリスチャンホームに生まれ小さなころから教会に通っていました。物心ついたときから日曜学校に参加し、聖書の話を学んできました。その頃の自分にとって、教会は幼稚園や学校の延長のようなものであり、親が行くので自分も行くというものでした。教会の先生は紙芝居やテキストなどを使い、わかりやすく聖書の話をしてくれましたが、昔の偉人の話程度にしか受け止めることができず、自分には関係ないことだと思っていました。
イエス様のことを知るようになったのは、小学4年生の時です。しかし、イエス様の愛を理解したわけではなく、イエス様に裁かれたくないからイエス様の存在を信じるというのであって、信仰ではありませんでした。「イエス様は一人一人を特別に愛してくださる」と教えられてもイエス様に対する恐怖心から完全に心を閉ざしてしまいその言葉を受け入れることができませんでした。そんな中で私はお父さんから一つの話を聞きました。それはお父さんが若かったころにある人から聞いた話であり、「信仰において最も大切なことはどのようなことであれイエス様に感謝すること」というものでした。でも、その時の自分には理解することができませんでした。救いはイエス様の十字架ではなく、行いによって得るものだと思っていました。そして小学6年生のころいじめを受け次第に教会から離れるようになりました。イエス様に完全に背を向ける日々を過ごしていました。つらい日々の中で、自分を助けてくれないとイエス様を憎みました。
イエス様から離れた生活は、つらいものでした。神の愛に心満たされず、何をするにもむなしさを感じていました。そんな中で、イエス様はわたしを岐阜大学に導かれました。しかし私はそのことに不満を感じていました。岐阜大学に入学したのは親の経済的な理由のせいだと思っていました。感謝を忘れ、心の中で罪を背負い続けてきた私はある日、子供のころ通っていた教会の紹介で岐阜キリスト教会を訪れ夕拝を受けました。そのメッセージの下となった聖書の箇所は「ルカの福音書24章13−35節」でした。その箇所にはイエス様が信仰から遠ざかろうとしている二人の弟子に語りかけ、閉ざされていた心を開かれたと書かれていました。心開かれた直後の弟子たちの言葉に私は心を動かされました。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心は内に燃えていたではないか。」この言葉通りに私の心にも今まで感じたことのないものが燃えてくるのを感じ、今まで背負っていた不安や苦しみが軽くなりました。
その日を境に私の考えが変わりました。毎週礼拝に出席できることやイエス様を賛美し祈りをささげることが恵みだと知り、それを喜ぶことができるようになりました。心を負の感情に支配され過ごしていた日々から解放され毎日を感謝し楽しむことができるようになりました。教会から離れつらい日々を送ったのは、私の信仰に対する誤った解釈を払拭するためにイエス様が用意してくださった期間であると気づかされました。
救いの手を自ら払いのけていた私をイエス様は、岐阜キリスト教会の人々を通して暖かく迎えてくださいました。信仰に対して消極的になっていましたが、教会の人たちが奉仕する姿を通して、自ら進み出て喜んでイエス様に仕えることが大切であると示されました。また、信仰を取り戻したばかりの私に、多くの人が親切に話しかけてくださり、どのようにイエス様と歩んでいけば良いのかを教えていただきました。
私が洗礼を決意したきっかけはある本を読んだことです。その中で、ある聖句の説明がありました。「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』マタイ3章17節」ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたイエス様に天の父がかけた言葉です。このころのイエス様はまだ、説教も伝道も何もしていないにもかかわらず、天の父はイエス様に「私はあなたのことが好きだよ。愛しているよ。」という声を与えられたと書かれていました。行いによる救いを信じていた私の考えを正すものでした。そして、神様の愛とは何かを理解し、自分も神様にとって大切な存在であるということを確信することができました。イエス様は自分のことを大切に思ってくださったからこそ十字架にかかってくださったこと、そして昔お父さんに教えられた感謝の意味も同時に理解できました。自分の能力や行いではなく、ただ自分の存在を喜んでくださる天の父に感謝しその愛を求めることが大切であると気づきました。
冬休みに実家に帰り、昔通っていた教会を訪れました。牧師夫人に受洗のことを告げると、自分の罪と向き合い悔い改めることが大切だといわれました。自分の罪がわからず聖書を読んでいると、パウロの手紙の中に出てくるよいキリスト者としての生活と、正反対の生活をしていることがわかりました。私はイエス様の存在をあまりにも軽視し、すべてをささげ、従う生活を拒んでいました。高慢な態度をとり、自らの力で罪を克服し、救いを得ようとしましたが、実際には心を罪にとらわれ、自分の感情が罪からきていることにすら気づくことができなくなっていました。イエス様にはむかい、自分勝手に生き続けてきた姿に気づいたとき自分自身に絶望し、この自己中心な姿が罪であると知りました。このような姿でイエス様の前に出て洗礼を受けていいのかと思いましたが、自分の無力な姿を見つめたことで、私にはイエス様の十字架の救いが必要であり、救い主として心に受け入れればいいのだと素直に心開くことができました。
今私は岐阜キリスト教会で、学生会と清流聖歌隊に加わりイエス様に仕えています。これから教会員として、さまざまな奉仕を行うことでよりイエス様に栄光を返していきたいです。自分の無力さを自覚し、何事を行うにもイエス様に頼り行っていきたいです。
「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心は内に燃えていたではないか。ルカ24章32節」
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ。』マタイ3章17節」
この二つの御言葉を心に留め、イエス様に心燃やされ、その愛に応えることのできるクリスチャンになりたいです。
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Kumiko.K(20代女性)
小学校入学と同時に引っ越し、ふとしたことから仲良くなったお友達に誘われて教会学校へ通うようになったのが、神様との最初の出会いでした。クリスマスのオペレッタを観て「私もやってみたい」と思ったことを今でも覚えています。半年か1年か経った頃、教会の庭で遊んでいた時にそのお友達が道へ飛び出して、目の前で車にはねられる事故がありました。お友達の命は無事でしたが、その日を境に、教会学校へ行くことはなくなってしまいました。教会を通る度に不思議な寂しさを感じていたことを覚えていますが、その後も数度引っ越しし、神様とも教会とも離れた生活を送っていました。
その間、主人と出会い、子どもを授かりました。そして子育てに奮闘する中で「このままずっと子どものためだけに生きていく人生なんだろうか?自分の好きなことを何か見つけられたら…」という思いが自分の中に沸き起こりました。大好きだった音楽、歌を歌える場を探そう…そうして出会ったのが『ゴスペル』でした。『ゴスペル』は自分が想像していたよりもはるかに楽しく、私はどんどんのめり込んでいきました。その頃の私は、『ゴスペル』を音楽ジャンルの1つとしか捉えていませんでしたが、飽きっぽい私が唯一「これ!」と言える趣味となっていきました。でも『宗教は怖い』というイメージが強かったので、教会に行こうとは思いませんでした。『ゴスペル』にはGodやJesus、Hallelujah…などの歌詞が並びますが、何も気にもとめずに歌うことを楽しんでいました。ゴスペルに出会って生きる喜びを得た私は、家庭のために自分の資格を生かして働くことを決め、新しい職場と出会いました。これからやっと安定した生活を送れるだろう、と思っていたらすぐに、第二子を妊娠していることがわかりました。たくさん迷いました。その中で、子どもを産むこと、そしてこれを転機に岐阜に戻ることを決意しました。
岐阜へ来て、2人目を出産。地元とはいえ子どもをもつ友人もおらず、新たな環境で再び孤独な育児が半年続きました。大好きなゴスペルを歌えないこともまたつらかったのですが、半年経ってやっと「歌える場を探そう」と動き始めることができました。そこで始めたのが、子連れのゴスペルサークル、そしてさらに岐阜瑞穂ゴスペルクワイアとの出会いがありました。3年前の9月、瑞穂チャペルの改築をしていた頃に、初めてこの岐阜教会へゴスペルを歌いに来たのがこの教会との出会いです。教会で歌うゴスペルも本当に楽しかったのですが、来たときからずっと変わらない迷いがありました。「私がここへ来ていいのか?ここで歌っていていいのか?」ということです。クリスチャンでない私が教会へ来てゴスペルを歌うことが、周りの人たちにどう思われているのか…そう考えてしまい、心を開けない自分がいました。ゴスペルのディレクターの先生をはじめ、みんなが歌う『神様』と私の中の『神様』。その両者には大きな差があって、2つには大きな壁があることをいつも感じていました。いろんな人に相談して「歌い続けていいんだよ」という答えをもらっても、何度も何度もその壁は私を打ちのめしました。私はいつも胸を張って歌えなくて、ずっと葛藤を繰り返していました。礼拝にも何度か出席する機会がありましたが、その雰囲気に抵抗を感じてしまう自分がいて、それがまた自分を苦しめていました。そうして迷いながらも、ゴスペルを歌うことだけはどうしても私から切り離すことはできなくて、ずっと歌い続けていました。その頃、私生活でも色々な問題を抱えていました。ちょうどその苦しみに中にあった頃、第1回のゴスフェスがありました。2009年の夏のことです。衝突の悲しみの真ん中にいるまま参加をしたのですが、発表の日の中で心が解かされていき、力が沸き上がってくることを感じたのです。ゴスペルには、神様の力があることを実感し、神様に心から感謝をしたときでした。
しかし、それからもなお、心の葛藤や迷いは浮き沈みを繰り返していました。2010年の春、ある方の誘いもあって、自分自身の迷いの答えもそこに見つかるような気がして、環境が整ったのちに名古屋のVoices Of Visionというゴスペルクワイアに入会しました。そこで、詩篇150篇6章の「息のあるものはみな、主をほめたたえよ」という御言葉『VOVでは、クリスチャンであるなしを問わず、神に感謝の気持ちを込めて歌うことを「賛美する」と称します』という言葉を与えられ、私が抱え続けていた荷物をストンと降ろすことができました。また、そこでギデオンの新約聖書をもらい、その時から『ずっと読んでみたいと思っていたけれどどうしたら良いかわからなかった「聖書」』を少しずつ読み始めました。そのとき出会った御言葉、マタイ7章7節の「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」に後押しされて、大きな壁に自分から立ち向かってみようとする一歩を踏み出すことができました。そうして、1年前の2010年6月18日から少しずつ学びを始めました。仕事、育児、ゴスペル、自分の抱えるゴスペルサークル、と手一杯の中でしたが、学びでは少しずつ、これまで自分が感じていた聖書の中の疑問がほぐれて消化されていきました。自分がもっていた科学の知識とのギャップも、そこに神様の存在を認めて納得できるようになっていきました。ずっと泣くことを忘れていた私でしたが、ゴスペルを歌っていてなぜか涙が止まらなくなったり、気付くと神様を求めて賛美している自分がいました。こうしてゴスペルは、いつの間にか神様への賛美へと変わっていきました。そうして満たされる一方で、十字架のことがどうしてもわからない、洗礼への確信にどうしても行き着けない自分へのジレンマも感じていました。
そのころつらい体験をしました。本当につらくて、自分はなんてダメな人間なんだろういと何度も自信をなくして落ち込みました。しかし、その頃から礼拝に子ども達を連れて出席することができるようになりました。こんな自分でも支えてくれる人たちの存在に気付き、また心からありのままの自分をさらけ出せる場所があるんだということを、クリスチャンの人たちの愛の中で知ることができました。かつて自分が感じていた礼拝への抵抗もなくなっていて、出席する度に自分自身が養われていくことを感じました。このときの問題を通して、自分の思いや考えだけで行動するのではなく、祈り、神様にすべてを委ねることを学ぶことができました。
また、この問題の期間に、アメリカ南部へのゴスペルツアーへの参加が整えられました。神様の計画が用意されているのだと実感するほどに、奇跡のようにすべてが整い家族の協力を得られたことは本当に驚きでした。アメリカでは、人々の交わりの中にあるいのちを、主の臨在を何度も感じ、あちらの人々やツアーを共にした仲間、場所、すべてを含めて「この中にいたい」と溢れるような思いで満たされました。今までずっと自分の周りを固めて積み上げてしまった壁が溶かされていって、そのままの自分を解放することができました。私はどうしてこんなに頑ななのだろう…と自分自身で自分を苦しめて縛りつけていたことに気付きました。そして、アメリカから帰ってきてふと考える中で気付いたのです。「信じようとする一歩は、自分で踏み出さなければならない!」と。それが、私に洗礼を決意させることになりました。
それでも最期まで解りきれないと思っていたのが十字架の意味でした。アメリカから戻り、問題の解決に立ち向かおうとしていました。しかし、その問題は思っていたよりも大きく、なかなか解決の糸口が見つけられませんでした。その時、私は、何度も聖書を読み、そこにイエス様を重ね、イエス様ならどうするだろう…と思い巡らせました。そしてどんなに批判されても、相手を愛したいと思い「迫害する者のために祈りなさい」と言われたように祈り続けました。痛みをたくさん伴いました。でも、自分の正しさを主張しないで、神様に委ねることを学びました。私はこのことを通して十字架にかかったイエス様のことを覚えることができました。
それまでの私の人生は、自己中心に歩み続けていました。神様に背を向け、自分の目でしか物事を見ず、いつも人の評価や基準に振り回されて生きてきました。苦しみにあっても、いつも自分の力で解決しようとして、もがき、動き回り、傷付き、その度に「神様なんていない」と思うことを重ねていました。しかし、ゴスペルを通して再び出会うことができた神様は、こんな私をずっと愛し続けていてくれたことを教えてくださいました。私は、それまでの自分の罪に気付き、そんな私のためにイエス様が十字架にかかってくださったことを知りました。見えなかった目が、やっと見えるようになったのです。私はこれから、この神様と共に人生を歩みたいと思います。
特に、自分が今までゴスペルを通して救われたように、孤独な子育てに悩む人たちに、ゴスペルを通して神様のことを伝える架け橋となっていきたいです。また仕事の中でも、御言葉を心の内に蓄え、輝く存在となり生きることによって、神様のことを証ししていけるような存在になりたいです。最期に、自分の支えとしたい御言葉をもって、証しを閉じます。
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ人への手紙 3章16節)
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Yukino E.
私は、両親共にクリスチャンという家庭の長女として生まれました。牧師先生が園長を務める幼稚園に通い、家では家庭礼拝をしていました。土曜日はアワナクラブ、日曜日は教会学校に参加していました。私は、神さまの存在を疑うこともほとんどなく成長しました。小学生のころは、困ったことがあると教会に行って一人で祈ったこともありました。また、その祈りが聞かれるという経験もたくさんしました。ただ、自分自身の救いに関してはまったく自信がありませんでした。
そんな私が、救いの確信を持つきっかけになったのは、家庭礼拝のときの母の言葉でした。「ゆき乃は、死んだ後、絶対に天国に行けると思う?」という母の質問です。私は、「わからない」としか答えられませんでした。しかし、母はしっかりと「お母さんは絶対に天国に行けるよ」と確信をもって答えたのです。そのときから、私に、母のような信仰がほしいと思う気持ちが起こされました。
そして、中学2年の夏に参加したキャンプでイエスキリストが自分の罪のために十字架にかかり、よみがえられたこと、私を救ってくださったことを信じ、悔い改め祈りをささげました。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、
あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと
信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
ローマ10章9、10節
この御言葉によって確信を持ち、悔い改めと告白と感謝の祈りを捧げました。
そして、私は、幼児洗礼を受けていましたので、その冬に四日市の長老教会にて信仰告白式を行いクリスチャンとなりました。しかし、その後も生活に大きな変化もなく、中学科でディボーションができているかチェックされることはとても嫌だなと思っていたし、与えられた奉仕も自分にとってただ楽しいことだからやっていただけでした。
奉仕に関して言えば、私は教会が大好きだったので、アワナクラブリーダー、教会学校教師、奏楽、キャンプの企画など、様々な奉仕をさせていただきました。しかし、ただこなすばかりで、本当の意味で捧げることに喜びを感じるようになるまでにはとても時間がかかりました。私のクリスチャン生活の始まりは、神さまが第一ではなかったのです。奉仕をしていることで高慢になったり、そうかと思えば苦手な奉仕を任されて苦しくなると泣いたりして、本当に自分中心的なものでした。
そんな私が真剣に神さまと向き合うきっかけになったのは、高校を卒業してからでした。初めてキリスト者学生会の祈祷会に参加したとき、自分と同じ年代の人たちがとても長いお祈りを本当に熱心に祈っている姿を見たときです。今までなんとなくかっこいいようなお祈りをしていればいいと思っていた私はとても恥ずかしくなりました。そして同時に、私も彼らのように神様と真剣向き合いたいと思うようになりました。それまで、私の中にいる神さまは心の隅っこに追いやられてしまい、小さな存在になっていましたが、神様は私を愛し、祈り聞いてくださるということ、神様は本当にほめたたえられるべき素晴らしいお方であるということ、そして自分が救われていうることがどんなにすごいことかが分かるようになりました。
また、その年、私は大学の研修旅行でニューヨークに行きました。ちょうど9年前の9月11日に同時多発テロ事件が起ったときです。私は、直接被害を受けたわけではなく、何キロか離れた学校にいました。ただ、町中は混乱し、サイレンは鳴り止まず、一緒に行った学生、先生、みんな精神的に耐えられない状況でした。その中で、添乗員の方が私たちにニュースの内容を伝えてくれました。その説明の最後に「大統領は『ただ今は神に祈ろう』と言っている」と言いました。その言葉を聞いて、神様を信じる私は同感でした。しかし、学生たちは「何なの神って?…」と呆れていました。神に祈ったら何かが変わるのか?と聞こえてくるようでした。私はとても残念な気持ちになりました。ただ、そのことを通して、私の友人たちは本当に神様の存在を知らないのだということが分かりました。そして、だから私はここに遣わされていて、この友人たちに神様を伝える使命があるのだと感じました。
「しかし、信じたことのない方を、
どうして呼び求めることができるでしょう。
聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。
宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」
ローマ10章14節
「神は、すべての人が救われて、
真理を知るようになるのを望んでおられます。」
テモテI2章4節
それから、私は大切な友人の救いために祈るようになりました。そして、こんなにすばらしい神さまの愛をもっとたくさんの人、神様が望むように本当にすべての人に知ってほしいと願い、自分自身も用いられたいと願うようになりました。そして、ただしていた奉仕も、神さまから与えられた使命として、喜んで捧げられるように変えられていきました。
岐阜キリスト教会を訪れるようになったのは、2009年に結婚し、主人の職場の関係で岐阜に住むことになったことと、KGKで出会った夫妻の勧めもあってでした。転会は、遣わされた岐阜の地で、地域に根差した教会に集い、自分も地域に根差し伝道したいと感じているため決心しました。そして今は、4月からはアワナクラブの奉仕者として働きを与えられ、とても感謝しています。この教会でこれから礼拝を捧げられることを嬉しく思っています。そして、私の中におられるイエス様がどう働かれるのかと期待しています。
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、
その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」
ゼパニヤ3章17節
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Daisuke E.
私が初めて教会に足を踏み入れたのは、2006年の12月に四日市の教会で行われた青年会主催のクリスマスパーティーです。参加するきっかけとしては、現在の妻から「教会で鍋パーティーをするから参加しない?」の一言でした。当時の私からすると不思議と違和感もなく返事をしたことを覚えています。しかし、まだその時点では神様のことを全く知ることもなく、クリスチャンの集まりに楽しく参加をしただけでした。
クリスマスパーティーから半年程して教会に通い始めるようになりました。そのきっかけも妻でした。妻がクリスチャンで毎週教会に通っている事は知っていましたが、何をするために教会に行っているのか知りませんでした。当時の私が持っていたクリスチャンのイメージは、良い人達だという漠然としたものでした。しかし、そうであるならば、良い人達が信じているものが悪いものである訳もないと思い、教会に通うようになりました。
教会に通うようになり、すぐに聖書入門クラスで学びを初めましたが、初めのうちは、聖書を歴史書のようなものだと思い、歴史の学びをするのだと思っていました。しかし、学びを進めるうちに、聖書は私たちに向けて書かれている神様からの言葉であると理解することができました。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい
十分に整えられた者となるためです。」
(テモテへの手紙第U 3章 16節〜17節)
この御言葉によって、聖書は神様が聖霊によって導き、誤りなく書かれているのだと知りました。また、全てが神様からの愛のメッセージであることが分かり、私も聖書の御言葉に寄り添って生きていきたいと思うようになりました。
そして、聖書入門クラスの中で、何のためらいもなく信仰告白することができました。また、この信仰告白を確信へと変えてくださる御言葉によって安心して信仰生活へと入っていくことができました。
「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。
神の御霊によって語るものは誰でも、
『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、
だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」
(コリント人への手紙第一 12章3節)
それから日常生活の中にも少しずつ変化が出てきました。特に、「祈る」という習慣がなかった私ですが、楽しい時間を感謝したり、悲しい思いを打ち明けたり、困難にぶつかった時に解決を求めたり、事あるごとに祈る時間が増えていきました。また、学びの中で、祈りとは天におられるお父さんと会話をすることだと教えてもらいました。家族と会話をするのに時と場所を考えたりしないのと同じで、天のお父さんと会話をするのも、いつでもできることだし、それを望んでおられることを知り、嬉しく感じました。
そして、2009年に参加した青年キャンプで、私が祈られている存在だと気づくことができました。クリスチャンは祈ることを通して天のお父さんと会話ができると同時に、自分も祈られている存在であると理解しました。私が神様のことを全く知らない者だったときから、この先もずっと私を導いてくださっている天の父なる神様に感謝をしています。また、私が教会に足を踏み入れるきっかけとなった、妻との出会いにも感謝をしています。そして、私が多くの人に祈られて、今この場所に立っていることを感謝します。
また、神様は私の賜物を十分に用いることができる場所も与えてくださいました。そのひとつがAwanaクラブです。この岐阜キリスト教会に導かれた理由の一つはAwanaクラブの働きの為であると確信しています。また、未だに私自身が発見できていない新しい賜物において、神様が用いる機会を与えてくださることに期待しています。そして、これから始まる岐阜キリスト教会での生活も、神様を第一とし、神様の導きの上で、信仰の先輩である教会のみなさんとの楽しい交わりを楽しみにしています。
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Michi.Y(10代女性)
私はクリスチャンホームに生まれ、赤ちゃんのときから教会に通っていました。教会に行くのは当たり前で、行くのが嫌だと思ったことはありませんでした。でも、それはただ「行って、賛美して、話を聞く。」だけでした。礼拝中も、メッセージの内容はほとんど頭に入らず、寝てしまうこともありました。私の通っていた教会は小さな教会で、同年代の子もほとんどいませんでした。だから、私は他の人から刺激されるようなこともなく、毎週同じような繰り返しでした。
でも、高校1年生の時から、この岐阜教会のジュニアクラス、そして朝の礼拝に参加するようになりました。ここには同年代の子がたくさんいて驚きました。また、その中でもかなりの子がすでに洗礼を受けていました。私は1年間ここに通って、私もそろそろ洗礼を受けるのかなぁと思っていました。それまでにも何度か、そろそろ洗礼の勉強をしてみないかと声をかけていただいたりしましたが、自分には洗礼を受けるような大きなきっかけがないと言って、断っていました。
そして時間が過ぎて行ったある日、説教で放蕩息子のメッセージを聞きました(1/2)。このたとえ話はとても有名で、私は何度も聞いたことがありました。でも、この時のメッセージでは、この放蕩息子のお兄さんからも学ぶことができました。弟の方は、放蕩して自分が苦しい目にあって、初めて自分の罪の大きさを知り、神様と父親の前で罪を悔い改めました。もちろん神様は大きな愛で喜んでこの弟を迎え入れられました。兄の方は、ずっとお父さんに仕えて戒めを破ったことが一度もないような人でした。だから、なぜ放蕩して財産をすべて使ってしまったような弟に仔牛をほふって、自分には山羊一匹としてくださったことはないのかとお父さんに聞いたのです。すると、お父さんに「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは、全部お前のものだ。だが、お前の弟は、死んでいたのが生き返ってきたのだ。」いなくなったのがみつかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と答えました。
神様は、当然、大きなきっかけで自分がしてしまった罪の大きさを知り、悔い改めて洗礼にいたるような救いを喜ばれると思います。でも、私のように、大きなきっかけがなく小さい時から自然に神様を信じてきたような人が洗礼を受けても喜んでくださるんだとわかりました。私にも神様からのたくさんの恵みが与えられていて、私はそのままでいいんだと言われているようで、このメッセージを聞いた時、本当に嬉しかったです。神様は自分が悩んでいるとき、説教やみことばから答えを教えてくださいます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見出し、たたく者には開かれます。」ルカ11:9,10
こうして、私は洗礼を受けようと決意することができました。そして、洗礼準備会を進めていく中で、私は自分の罪深さに気付かされました。今までの罪をあげて悔い改めの祈りをするときには、本当にたくさんあって、それ以外にも数えきれないほどの罪があるのだとわかりました。でも、イエスさまが自分のために十字架にかかってくださって、今までの罪も、そして、これからの罪もすべて許されているのだとわかると、心もすごくすっきりして感謝の気持ちでいっぱいになりました。こんな私のために身代わりとなって十字架にかかってくださって、神様の愛の大きさを改めて実感しました。罪が許されてから、今まで心のどこかにひっかかっていたことが取り除かれて、素直にみことばを受け入れることができるようになったと思います。
そして、私は今高校2年生で来年は受験です。私は将来何になりたいかまだはっきりと決まっていません。聖書の中で
「あなたがたは代価を払って買い取られたのです。
ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」
(1コリント7:20)
と教えられています。神様は私にも計画を用意してくださっています。だから、私はその計画に従ってどんな仕事に就いても、神様の栄光を現せたらいいなと思います。そのために今は、たくさん聖書を読んで、何かわからない事や悩み事があったら神様に答えを求めて、最善の道に進んでいけるようにしたいです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによる。」マタイ4:4
私も聖書のみことばを大切にして、神様に教えられながら、これからの道を歩んでいきたいです。イエスさまの誕生日であるクリスマスに近い今日、救われて洗礼を受けることができて、岐阜教会のメンバーの一員になれて本当に嬉しいです。今までたくさん祈っていただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
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Yoshiro.T(20代男性)
私はクリスチャンホームで生まれ、幼い頃から教会に行き神様の存在を教えてもらっていました。今このようにイエス様を信じるようになって、ようやくそれがどれほど幸せなことであったかが分かりました。当時の私は教会へ行こうという気持ちが完全に受身であった為、教会が楽しいと感じませんでした。そのためイエス様に対して興味がなく、むしろ疑問に思うことがたくさんありました。そんな状態だったので、中学に入ってからはほとんど教会に行かなくなり、そのまま学生生活を送っていました。
大学卒業後、愛知で就職するつもりが、なぜか勤務地が岐阜に決まり、現在住んでいる瑞穂で社会人生活を送ることになりました。岐阜は初めての土地でしたが、今まで様々な土地で生活した経験があったので不安はありませんでした。しかし学生時代とは違い職場に年の近い人がほとんどいなかったので、休みは一人でいることが多くなりました。そこでふと教会の存在を思い出し、人との繋がりを求めて、家から一番近い瑞穂チャペルに行ってみようと思いました。
それからは周りの温かい誘いの手によって、愛餐会、青年会、ゴスペル、ドラム、こども祭りなどいろいろな道が広がっていき、教会がとても楽しくて心が落ち着く場所になっていきました。そして教会生活の本質そのものであるイエス様に対しても徐々に興味が出てきて、自ら積極的に説教も聞くようになりました。その中で少しずつイエス様を理解できるようになりました。今までも信じてはいたのですが、信じる気持ちが足りず、全てを理解することができませんでした。そのためかつての私は親が「イエス様にゆだねれば大丈夫」と言っても、結局自分が頑張らなければ人生は開かれていかないと考え、将来の不安で悩むことが多くありました。しかし、岐阜に来て一人だった私が教会に来て、いろんな意味で救われたことを考えた時に、本当にイエス様は私の力ではどうすることも出来ない人生の扉を絶対的な力を持って開いて下さる方なんだと心から思いました。それからはイエス様を100%信じて、全てをゆだねていいんだと思えるようになり、将来の不安から開放され体がとても軽くなりました。またこれまでは自分の大切な人たちが苦しんでいる時、私にはどうすることもできず悩んでしまうこともありました。しかし今の私の心の中にはイエス様が真ん中にいて下さり、そのイエス様に祈ることができ、全てを委ねることができる幸せと安心をとても感じ、本当にイエス様を信じてよかったと思いました。
わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、
あなたの正義は海の波のようになるであろうに。(イザヤ書48章17~18節)
また学びを通して聖書について自分の頭で考え、それを言葉にすることによって、今までもやもやしていた信仰がクリアでまっすぐなものとなっていきました。そして自分がどれほど罪深い人間だったかを思い知らされ、その罪はイエス様の十字架による一方的な贖いによってのみ許されることが分かりました。そしてこんなにも未熟で罪深い私をご自分の命を捨ててまで愛して下さり、これからもずっと見捨てずに、愛と恵みを持って支えて下さると約束してくれたイエス様に一生付いていこうと思うようになりました。そしてそのイエス様が洗礼を受けることを望んでいて、私もイエス様の家族に入りたいと思い、洗礼を受けることを決意しました。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。(イザヤ書43章4~5節)
今日皆さんの前で自分の信仰を証することが出来て本当に嬉しく思っています。これまで両親そして教会の皆様に祈り支えられてここまで来ることができました。心から感謝しています。ありがとうございました。
最後にクリスチャンになるにあたって、今日から始まる新しい人生を楽しい時も辛いときも、常に神様を第一にし、常に神様に感謝し、常に神様のみことばに従って生きていきたいと願っています。そして教会を支える体の一部として、イエス様が私に与えて下さった賜物に感謝しながら、喜んで奉仕していきたいと思います。
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Yoshiya.Y(30代男性)
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。(ローマ12:12)
まさか、こんな自分が教会へ喜んで足を運び・心から祈ることができる様になったこと・・・本当に神様の愛に感謝です。
私はクリスチャンホームで育ち、母のお腹にいる頃より賛美歌を子守唄のように触れていました。しかし、順調に信仰が育ったわけではなく小学校の高学年になる頃には神様が存在することも教会に通うことも理解出来なく嫌で嫌でしょうがなかったと記憶しています。日曜日には、教会へ行かなければならないので友達と遊びに行くことができない。何かと行事に参加できない。特に地区のお祭りの際、お神輿・獅子舞などに参加できない事や友達に断る理由を話すことが子供心にとても苦痛でした。両親に聞いても“教会に行っているからダメ”“神様に叱られるよ”などの説明で納得してはいなかったものの納得せざるを得なかったです。このように窮屈で堅苦しい状態から早く抜け出したいといつも思っていました。早く日曜日のクラブ活動がある中学生になって教会を休む理由を作りたいとも考えていました。そして、念願だった中学生になり“部活”という大義名分で礼拝にほとんど行かなくなり、教会から離れて神様の事もほとんど考えることもなく生活していました。でも、辛いことや解決できそうにない事は “神様なんとかしてください”などと俗にいう“神頼み”をよくしていました。また、お正月には家族揃っての“初詣”に行くかのように元旦礼拝にだけは参加していました。
今から思えば学生生活は割りと順調に送ることができ、自分の憧れであった病院でのリハビリ職に就くことも出来ました。そして、2年前にある女性と結婚しました。自分自身、これで全てが上手く行って順風満帆だと思っていました。しかし、結婚生活はスレ違いの連続。今から思えば、私は結婚式の次は、子供、そして家を建てるなど形ばかりにこだわっていました。とにかくお金が必要だったので本職以外にも依頼があれば条件のよい仕事を休日返上で働いていました。妻の方は、社会に出て仕事のおもしろさがようやく分かるようになり、いろいろな付き合いが広がりだんだん夫婦の距離が離れてゆきました。そして、妻の方から離婚を言い渡されました。私は突然のことでパニックになり混乱しました。何とか関係を修復しようとするも気持ちが離れてしまっている状況で何もすることが出来ず別居生活を送ることになりました。当時の私にとって彼女がすべてだと考えていたのでひどい精神状態となり、何も手につかず。何とか一日仕事して一人アパートで酔いつぶれるまで酒・タバコの毎日が続いていました。何とかしなければと思えば思うほど焦り・気持ちの波が上下し心身ともに疲れ果て、文字通り心が「空っぽ」になり毎日どうやって死のうかといつも考えていました。
そんな絶望の中で出会ったのがゴスペルでした。インターネットで東京の教会クワイアが賛美しているのを聞いてすぐに引き込まれて行きました。もともと、賛美歌は聴いていて落ち着くなぁと感じていただけに“主を褒めたたえよ”“主の恵みはすばらしい”などの歌詞に対しても抵抗がなかったのですが、すぐに深く意味を理解するには至れませんでした。むしろ、パワフルで重厚感のある歌声に魂が揺さぶられ時には元気づけられ時には涙していました。相変わらず、酒・タバコの毎日でしたが賛美を聞いている時だけは、心が楽になって辛くても何とか仕事にだけは行きこなすことが出来ました。ホントにあの頃の私にとってゴスペルが“生きる支え”と言っても言い過ぎではなかったと思います。自分でもゴスペルが歌いたくなりこの岐阜キリスト教会のゴスペルクワイア・礼拝に参加するようになり教会が一時的に心の落ち着く場所になって行きました。しかし、心の波が静まることがなく一歩外に出れば離婚問題・職場でのありもしない噂話に心が壊れてしまい人を信じることが出来なくなってゆきました。そして、また一人心を閉ざし教会・ゴスペルからもdrop outしてしまいました。この様な状況の中にあっても、真示先生をはじめ、ゴスペルのメンバーがずっと祈ってくれていたと聞き、ホントに感謝の気持ちでいっぱいです。
ゴスペル・教会ともに行かなくなって3.4ヶ月たった頃に不思議な体験をしました。昨年の12月上旬頃のことでした。その日も心の状態が不安定で眠ることができなかったので一人何となくドライブをしていました。ふと瑞穂チャペルが増築したと聞いていたのでちょっと観に行ってみようと思い真夜中のチャペルを訪れました。そして“神様いるならなんとかしてくれ”と神頼みするかのように手を組んでいました。すると、突然、母子室の窓から光のようなものがみえてすごく気持ちが楽になり“神様の存在”を生まれて始めて身に感じました。次の日から状況の変化はほとんどなかったのですが気持ちが少しずつ前向きになってゆくのを感じました。しかし、一度drop outしたゴスペル・教会には戻りにくく事情を説明することが面倒で勇気がなくたじろいでいました。
昨年の12月23日は、岐阜教会でクリスマス会が開かれていました。その日は、私の誕生日で“クリスマスだし1人で過ごすのは寂しいな”と思い教会を少しだけ覗いてみようとこっそり伺いました。イベントで人が多かったため会堂の後ろでひっそり見学しているとゴスペルのメンバーの1人が「おかえり」とさらっと声をかけてもらいました。ほんとにこの1言に救われました。“あ〜僕の帰ってくる場所はここなんだ”と思え涙ながらに帰宅したのを覚えています。
そして、今年の1月から真示先生と約半年の間に渡って時には涙し励まされながら、聖書・教会・信仰の事について少しずつ学ぶことができました。その洗礼準備会の中で、私たちが「神のかたち」に作られたことを学びました。「神のかたち」とは、私たちが関係の中で生きることです。でも罪によって、神様との関係、また人と人との関係は壊れてしまいました。それが聖書で言うところの「霊的な死」です。イエス様は、その壊れてしまった関係を回復するため十字架にかかってくださいました。そして私たちに「永遠のいのち」を与えて下さいました。このことを学んだ時、私は自分自身の神様との関係、そして人と人との関係も破綻していることで、自分が霊的に死んでいたことに気付いたのです。そして、自分自身の人生にも「イエス様の十字架」が必要であると聖書から学ぶことが出来ました。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、
死からいのちに移っているのです。 (ヨハネ5:24)
ちなみに、私の名前は「義也」です。この“義”という字を2っに分けると「羊」と「我」とになります。自分の心の中が自己中心でいる時は「我」が強く罪の中にいる人生です。しかし、イエス様の象徴である「羊」が自分の頭に冠のように覆っている状態であれば神との平和(シャローム)を保ち続けることができます。罪の中に歩んできた自分の人生が、もう一度イエス様の十字架によって、義とされることを聞いて、そのような素晴らしい名前を与えてくれた両親にも改めて感謝しました。
しかし、心の傷は簡単に治りません。波のようにうねりながら今でも上がったり落ちたりを繰り返しています。辛くなると、
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル13:5)
以前のような神頼みではなく“神様、いつもそばにいてください”と祈ることが出来るようになりました。そして、日々神様に導かれるままゴスペルや御言葉からエネルギーをもらい死んだ者が、再び生かされる恵みを今、自分の事として感じています。
このような私ですが、イエス様の十字架を受け入れ今日、洗礼を受ける決心をしました。 私の洗礼式の為にいろいろな準備をして下さった方、お祈りをして下さった方々にまず感謝します。そして、いつも暖かく迎えてくださる教会すべての方に感謝します。まだまだ、信仰的にも未熟でいろいろご迷惑をおかけするかと思いますが何卒よろしくお願いします。
2009.8.9 この時を与えてくださった神様に感謝します。 Yoshiya
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Ikumi.Z(30代女性)
高校生の時に私はなぜか聖書が読みたくなり本屋に行き聖書を探しましたが見つからずどうやったら聖書を読めるのかと考えていたある日、自宅に1人の女性がやってきました。
その女性は聖書を持っており私と一緒にこの聖書の学びたいと言いました。そうです、初めて私が読んだ聖書はエホバの証人の聖書でした。でも私は聖書を学ぶことがとても楽しく彼女が来るのを楽しみにしていました。彼女は私を教会へ連れて行ったり洗礼を強要したりせず純粋に学びをしてくれていました。ところが彼女の都合で担当が変わり新しい女性が来てその人は「なぜ教会に来ないのか?なぜ洗礼を受けないのか?」と私を責めました。私は怖くなりその日を境にその学びをやめ聖書を閉じてしまいました。
それから13年後にある友人を通じてまた聖書を読みたいと思うようになりました。その友人はエホバの学びをしていた時の女性のように教会へいくこと、洗礼を受けることなどいっさい強要せず私が「なぜ?」と質問をするたびに聖書を通して教えてくれました。そして私はイギリスへ渡りその友人の紹介された教会へ行き毎週賛美歌を歌っていました。
帰国後、職探しなどでまた聖書や教会のことは二の次になってしまっていましたが、一昨年から時々聖書を読み始め色々な疑問が出て来ても、遠方のためになかなかその友人と連絡を取り合うことが出来ず、教会に行ってみようと思うようになりました。そして岐阜の教会をまわり、この岐阜キリスト教会にたどり着きました。当初この教会を選んだ理由は賛美の時間が多かったこと、それだけでした。私は歌が大好きでその当時は大好きな歌が歌えるという自分の喜びのためにこの教会を選びました。
その後ゴスペルと出会い、神様を賛美する喜びを知り、ゴスペルや賛美歌を歌うときもっとも神様が近く感じられ、いつか洗礼を受ける日が来るのだろうかと考えるようになりました。
洗礼について考えれば考えるほど色々な思いが出て来て、私はふさわしくないのではないか…、家族に言えないな…などと思い悩むようになりました。そんな時この御言葉が与えられました。ペテロの手紙第一?5章7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」この御言葉はゴスペルの歌を通して与えられ、それを通して私は洗礼を決意することができました。そしてその後も家族に話すとき、家族に理解してもらうとき、いつもこの御言葉を思い出すようになりました。私は常に家族のことを1番に考えていました。そんな両親が今では教会に私の賛美を聞きに足を運んでくれるようになりました。それも両親の愛、神様の大きな恵みだと思います。
でも洗礼を決意してしばらくもすると色々なことが起こり、私はやはりふさわしくないのではないか?と思うようになってしまいました。そんな時イエス様の十字架を思い出しました。イエス様を十字架につけた民衆は私であり、そんな罪を背負った私でもまだ愛して下さっている。その無条件の愛を知ったのがこの御言葉でした。
イザヤ書43章4節「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
このイエス様の愛を通してさらに両親の愛も改めて感じることができました。
そして最後に先日のWomen's Conferenceというゴスペルイベントを通して、神様がどれだけ私たちを愛してくださっているのか気付き、その神様の愛や素晴らしさを歌を通して伝えて行きたいと改めて思いました。テサロニケ人への手紙第一・5章16節から18節には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と有るように私たちが喜び、祈り、感謝することが神様の喜びとなるのです。マタイの福音書22章37節においても「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」と有ります。
私を洗礼に導き、私の生きる目的を見いだしてくれた神様に感謝し、この歌を捧げます。「この両手広げて」
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Eriko.N(30代女性)
私は体にたくさんの障害をもって生まれてきました。母は小さい私を連れて、全国の病院を飛び回ってくれたそうです。私の家庭には父がいないので、母は朝に新聞配達をして、日中は保険の営業をしながら女手ひとつで私を育ててくれました。今までに何度も検査や手術をして、治療費は非常にかかったと思います。けれども、私は学費を心配したこともなかったし、普段の生活でも経済的な面で苦労したことは一度もありません。母の苦労は本当に大変だったはずです。でも私は、母が弱音を吐いたり、愚痴を言ったりするのを聞いたことはないのです。だから私は母に心から感謝し、世界で一番尊敬しています。
けれども、小学校高学年になった頃から、自分が障害をもっていることが本当につらく感じ始めました。なんで私は健康に生まれなかったんだろうと、自問を繰り返すようになりました。体のことが原因でいじめにあったり、授業でみんなと同じことが出来なかったりすると、くやしくていっぱい泣きました。それがどんどん怒りになって母にやつあたりするようになりました。「わたしがこんなにつらい目にあっているのは、お母さんのせいだ」と、何度も何度も罵倒しました。母はよく、「世の中には、私よりもっと辛い病気の人がいるのよ」と私を諭してくれましたが、自分が一番かわいそうと思っている私には、それを受け入れることが出来ませんでした。逆に「母は健康に生まれてきてるから、そんなことが言えるんだ」と、余計に怒りをぶつけました。
でも、そうやって母を責めたてている自分が嫌いでしょうがなかった。母を傷つけ、悲しませていることが本当に情けなかった。自分の弱さに申し訳なく思いました。二十歳を過ぎるころまで、母に八つ当たりをし、それを悔いる日々が繰り返し続きました。
転機になったのは、約20年の間巻いていた包帯がとれたときでした。なんだか気持がすっきりして、私はアメリカに留学をする決意をしました。
そこで初めてクリスチャンに出会い、聖書の学びをはじめました。私はものすごく頑なで、イエス様を全然信じませんでした。聖書のあら捜しばかりして、みんなを困らせていました。それでも伝道してくれた多くの友人たちは、忍耐強く私の話を聞いてくれました。そして、外国の地で悩んだり困ったりしている私をいつも励ましてくれました。この人たちは日本で会った誰とも違うと感じました。クリスチャンのあたたかさに魅かれて、教会にも通うようになりました。でもイエス様のことはなかなか信じませんでした。
あるとき、日曜学校で聖書の学びをしていたときのことです。私たちはヨハネ9章をひらきました。
『またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」』(ヨハネ9:1-3)
このみ言葉を読んだとき、私の中にあった暗闇がかき消された気がしました。私がずっと思い悩んでいた、「生まれつきの障害」についての答えがここにありました。私が障害を持って生まれたのは、母のせいでも、私のせいでもないこと。神様が何か目的をもって、このように私を作ってくださったことへの期待する思いがわいてきました。今でもそれがどんな目的なのかわからないのですが、このみ言葉にふれて、イエス様を信じたいと思いました。
しかし同時に、母に対する深い罪悪感が沸いてきました。母はいつも大きな愛で私を支えてくれていたのに、私は母をけなし、汚い言葉を浴びせて苦しい思いをさせてきたことを思い出し、涙があふれました。自分のことを自己憐憫し、母への感謝の気持ちがなくなっていたことに対する罪の深さが、どっしりと私の心を押しつぶしました。自分の心はこんなにも汚くて、生きている価値もないと思いました。そして、イエス様のみ前にいく資格なんてないと思いました。
ずっと私を支えてくれた友人にこのことを打ち明けたとき、彼女は詩篇103篇を開きました。
『主はあわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私達の咎にしたがって、私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、み恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される』(詩篇103篇:8-12)
神様は私の罪をもう許してくださっていて、思い出されることもない。罪から解放され、許されたことへの感謝でいっぱいでした。その日イエス様を救い主として受け入れることを告白しました。そして2002年11月に洗礼を受けました。
イエス様が十字架にかかられたことで、私の罪がゆるされたことに、本当に感謝しています。
授洗して1年後に日本に帰国しました。そのときは、「教会が見つかるかどうか」、「クリスチャンの友人はできるかどうか」、そして「神様から離れずにいられるかどうか」不安を抱えていました。その不安どおり、教会探しは非常に大変で、長い間毎週別の教会を渡り歩いていました。聖書を全く読めなくなったときもありました。交わりが無くひとりで祈る日々が続いて、よろめきながら生きていました。けれども神様は私の手を決して離さず、私の信仰がなくなってしまわないように守ってくださいました。私は神様の憐れみによって、なんとか日曜日の礼拝を守り続けることができました。
そんな不安定の日々の末、初めて瑞穂チャペルを訪れた際、プレイズタイムの時間に涙がこぼれました。空っぽになりかけていた心の中に感謝の気持ちがたくさん湧き上がり、ずっとここで賛美をしたいという気持ちになりました。それから毎週、瑞穂チャペルで礼拝を持つようになり4年が過ぎました。礼拝メッセージや賛美、そしてみなさんとの交わりを通して、いつも信仰が励まされ、神様との関係がより深くなり祝福されています。
今、もう一度この数年間を振り返ってみると、イエス様が与えてくださった恵みは数えきれません。本当に感謝でいっぱいです。私が苦しいときも、寂しいときも、心が離れている時もそばにいてくれた神様。これからも、すべてをお委ねして信頼して、祈りながら神様と歩んでいきたいです。そして、みなさんと一緒にイエス様を礼拝し、イエス様のための働きをしていくことを楽しみにしています。これからもよろしくお願いいたします。
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Teruyoshi(30代男性)
私が教会に来るきっかけとなったのは妻と出会った頃に、教会の子供クリスマス会にさそわれたのが最初でした。そして妻と婚約したのちに、礼拝にも参加するようになりましたが、最初のうちは説教の内容がわからず、単に付き添っているにすぎませんでした。
それまで私は、キリスト教は自分とはかけ離れた世界に感じており、自分は神様に許していただくような罪はないと感じていました。しかし結婚後、お互いの意見がすれ違ったときに愛のない言葉で妻を傷つけてしまう事が何回かあり、自分が罪深い人間であることを思い知らされました。そのことがきっかけとなり聖書について真剣に勉強したいと思うようになりました。
しかしどうしてもキリストが十字架にかかった事が、私の罪のゆるしに繋がっているか分からないでいましたが、牧師先生から「十字架のゆるしについて私に教えて下さい」と祈ってみなさいと教えられ、それから毎日祈り続けていました。それからしばらくして、妻と一緒にパッションという映画を見る機会があり、イエス様が鞭打たれ十字架にかけられた場面は目をそむけたくなるものでしたが、その傷の一つ一つは私の罪のためであり、十字架の上でその罪が許された事を確信しました。
そして次の日の礼拝後に牧師先生に全てを報告し、その日からイエス様を心にお迎えする様にお祈りしました。そしてその日の夜に不思議な出来事が私の身におこりました。それは夕食を済ませた後、自分の携帯電話に実家の母親から着信履歴があった事に気づき、折り返し電話をかけたところ突然「誕生日おめでとう」と言われました。最初は意味が分かりませんでした。なにしろ私の誕生日は、まだ一か月先です。なんと母親を含めて父親も兄も私の誕生日を勘違いしていたのです。これは他の人からすると、単に誕生日を間違えたという笑い話に過ぎないかもしれませんが、私はこの出来事がどうしても気になっていたところ、聖書のある一遍が目にとまりました。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第2コリント 5章17節)
これは、家族の口を通して主が私に「キリストを心にお迎えした今日、あなたは生まれ変わったのですよ」と教えてくださっているのだと思いました。
そしてその日からすべての重荷から解放され、心が軽くなったように感じました。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(第1テサロニケ 5章16節〜18節)
この御言葉を忘れないようにして、全ての罪がゆるされた者としてイエス様と共に歩んでいきたいと思っています。
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Hiroyuki N.(50代男性)
主が、今日まで私をどのように取り扱って下さったかについてお証したいと思います。
主が私を捉えてくださったのは、1969年11月のことでした。私は21歳、京都で学生生活を送っていました。
その当時の私は、卒業後どのような目的をもって生きていくのかについて、はっきりしたものがなく、色々さ迷いの中にありました。特にキリスト教への求めがあったわけではありませんが、今から思えば不思議な導きにより、遠く離れた東京にあるKキリスト教会のN牧師に、京都市内の家庭集会で出会いました。
そのたった1回の出会いが、今に至るまで私の人生に決定的な影響を与えることになるとは夢にも思いませんでした。
その集会で、先生は「キリストの愛」について語ってくださいました。先生とのしばらくのやり取りの後で、私もこの「キリストの愛」を本当に分かっていきたいと思い、その日から求道の歩みが始まりました。
その集会で賛美した聖歌521番「キリストにはかえられません」は、私が初めて覚えた聖歌であり、今に至るまで、キリストの素晴らしさを賛美する歌となりました。
キリストの愛を知るまでの私の関心事は、どこまでも人でした。絶えず人の目が気になり、人に受け入れてもらえることを願い、その人間関係は楽しくもあり、また煩わしくもありました。
教会に通うようになって間もなく、私の心の中に静かな変化が起こりました。それは、学校からの帰り道、覚えたての讃美歌を何気なく口ずさんでいる時に気がついたのです。
「主を仰ぎ見れば古きわれは、うつし世とともに速く去りゆき
我ならぬわれのあらわれきて、見ずや天地ぞあらたまれる。」(讃美歌355番)
人に受け入れられることをいつも求め、そうでない時には、人に逆恨みをしていた自分でしたが、このとき「我ならぬわれ」を心の内に経験しました。
人に受け入れられないと悲しむより、むしろ人を受け入れていけない自分自身の心の狭さを悲しく思うようになりました。また同じようなことですが、人から憎まれても自分に害は受けないが、人を憎む心は自分の体をも損なう程苦しいものだという思いが実感されたのです。
1971年に卒業し、郷里の一宮に戻りました。主はその後も不思議な方法をもって、何もなかった名古屋の地にKキリスト教会の家庭集会を与えて下さり、約15年の間家庭礼拝において私の信仰を養ってくださいました。
その家庭集会は、1987年に解散し、それぞれ地域の教会につながることとなりました。私たちは、I教会に導かれました。
話は前後しますが、私は1974年のクリスマスに洗礼を受けました。それまで「信じたい」と心から願っていましたが、「信じます」と言い切ることは、確信がもてずなかなか「受洗」に至りませんでした。
ある集会で、一人の若い兄弟が、自分もそのようであったが、ロマ書4章5節の御言葉により、決断することができたと言って証をしてくださいました。
「しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。」(口語訳)
この証を聞いた時、私の心はすっかり楽になり、私も洗礼を受けることができると確信しました。「不信心な者を義とする」とあります。私は、この言葉に救われました。「不信心な者」とは私のことだからです。
私はこの確信を持って、先生の前に出ました。先生は「使徒信条を信じますか」と言われたので、私は「自信がありません」と答えました。そうしたら、先生は「まだ早いですね。」というようにおっしゃいました。私は、ロマ書4章5節で教えられたことをお話しして、先生から洗礼を受ける許しを得ることができました。
そのように心もとない出発ではありましたが、今、毎朝のデボーションの中で、この「使徒信条」をはっきり「アーメン」と答えることができるように主は私を変えてくださいました。
主は、38年前に「キリストの愛」を私に示してくださり、この飽きっぽくて何事も続かなかったこの私を今日まで導いてくださいました。
昨年10月、20年近くお世話になりましたI教会を去り、新しい歩みをしたいと願っていた私たち夫婦を、これも不思議な導きにより岐阜キリスト教会へと導いてくださいました。週の礼拝に出席させていただく中で、毎回熱い感動を覚えております。
この転会を機に、さらにキリストにある兄弟姉妹としての交わりの中で、共に成長させていただきたいと願っています。
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Hiroko N.(50代女性)
私が教会とつながるようになった最初のきっかけは、近所のクリスチャンがその家の家庭集会に母を誘ってくれたからです。そして私は姉たちと一緒に日曜学校へ行くようになりました。そこに3年ぐらい通った覚えはありますが、聖書のお話は殆ど思い出せません。
そのうち姉たちが家の近くの教会で受洗しました。そして高校生だった私を特伝に誘ってくれました。礼拝で牧師がメッセージを語るのを聴いたのはその時が初めてでした。力強く確信に満ちた語り口で語られたそのメッセージは、私にとって衝撃的でした。もしかしたら神が本当にいるのかもしれないという気持ちにさえなりました。それから毎週教会に通い続けました。
聴いていくうちに、キリスト教の救いは罪からの救いだとわかってきました。しかし、メッセージで何度も繰り返し聴かされる罪が他人事のように思えました。その時の私には罪が分らず、自分は少なくともいい人間の部類だと思っていました。だから赦されたいとか救われたいとか願う気持ちは全くなくとりあえず教会を離れることにしました。
ところがそれから数年後、悩みの内に切羽詰まって「神様助けてください。」とたった一言ですが、心の底から祈ったことがありました。その数日後、今まで経験したことのない喜びが、泉が湧くように心の中に湧いてきたのです。 喜びなどその時の私にとって全くあり得ないことでした。
その時、聖書の神様が本当におられることがわかり、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。なぜなら一言も言わないのに私の心のうちのすべてを知っていてくださったからです。この神に、生まれた時から覚えられ愛されていたことがわかったのです。そして初めて聖書を読みたいと思いました。
そのうちある出来事を通して、自分が自己愛の塊でしかない醜い人間であることがはっきり分かるようになりました。以前教会で聴いていた罪が、わたしの内にあることを初めて認めました。そういう自分がたまらなく嫌で、赦せない気持ちになりました。
ある時この気持ちを思い切り神にぶつけました。「自分で自分を赦せないのに、なぜあなたは、私を赦すなんて言うのですか。」こう言い切った瞬間でした。「神は実にそのひとり子を賜ったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を得るためである。」この御言葉が、ものすごい勢いで私に飛び込んできました。聖書からいきなり飛び出してきたその御言葉は、活字とは思えず、まるで私のそばにぴったりと寄り添っておられた方の口から発せられた言葉のようでした。それは神の一方的な愛の故だとわかりました。
しかし、2000年も前の遠い国での十字架の出来事が、今の私とどうして関わりがあるのか分かりませんでした。とうとうある晩、こう祈って床につきました。「もう私には信じることさえできません。お手上げです。求めさえなかった私をここまで追いこんだのは神様あなたです。だから、あなたの責任において私の救いを完成してください。」
その晩夜中に目が覚めた時、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」この御言葉が私を捉え、まるで生き物のようにゆっくりと寝床の周りを回っているかのように感じました。信じたい一心で、何度も何度もその御言葉を心の中で、繰り返し繰り返し言ってみました。すると、頭の左側にくっきりとした十字架が見えました。その瞬間、2000年の厚い壁があっけなく崩れて2000年前のあの時すでに赦されていたことが分かったのです。
翌朝目が覚めた時の心の平安は、忘れることができません。罪の重荷はすべて跡形もなく消え去っていました。恵みにより救われ1971年のペンテコステに単立馬橋キリスト教会で受洗いたしました。
そしてこの御言葉のとおり、6年後には母が救われ、さらに4年後あきらめかけていた父も救われ、二人とも天に召されています。
最後になりますが、転会のことは長い期間主人と祈りつつ考えてきたことです。導きによってこの教会に来ることができてとても感謝しています。これから主人ともどもよろしくお願いいたします。
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Kiko Y.(10代女性)
私は小さい頃から親に連れられて教会学校に通っていました。そういう私だったからこそ、神様の救いに気づくのは難しいことでした。でも、神様はそんな私に、ちゃんと救いのきっかけを与えてくださっていたのです。それは、今考えれば、すべて神様のご計画の内にあったことなのかなぁと私は思います。
私は中学に入ってから、日記を書くようになりました。最初は何の意識もなく書いていたのですが、次第に「神様」という言葉が頻繁に登場するようになりました。そして次第に「神様に対しての日記帳」となっていったのです。嬉しかったことや悲しかったこと、全部日記に書き、神様に伝えることでとても心が癒されました。日記を書いていると、神様ととても近くに入れる気がしたのです。
でも中学2年生になると、メールというものが私の中に入ってきました、毎日毎日、多い日には3時間も4時間もメールを書いていました。そんな生活の中で、日記も次第に書かなくなり、心も神様からはなれて行きました。そして友達を含めた人間関係や、自分の感情の不安定など、どんどん悪い方に進んでいきました。
中学3年生、高校1年生になると、変な人間関係が出来てしまいました。夜遅くに外に出て行ったり、悪いと自分で分かっていることでもしてしまいました。でも、悪いと分かっていても、関係が崩れてしまうのが怖く、断ることが出来ずに罪悪感が増していきました。そんな時、教会のある方がこんな話をしてくださいました。
「私は若い頃はすごくやんちゃで、人の言うことを聞かなかったり、迷惑をかけたり、悪いことをしている時期があった。しかしそんなときに、自分の犯している罪を全部書いてみるように言われて、全部書いてみた。それで、神様に自分の罪を赦してもらった。」と。
それを聞いて「すごいな」と思いました。私はそこまで、自分の罪を向き合ったことがあっただろうか?その時から、私は自分の罪がすごく見えてきました。だからこそ、自分の罪深さに苦しむようにもなりました。「私のやってしまったことは悪いことだ。こんな汚れた私のことは、きっと神様も嫌いだろう。」そんな思いがどんどん頭に浮かんできたのです。私はふと日記を思い出し、その日記にこう書きました。
「私はたくさんの罪を犯してきました。神様、こんな私は嫌いですか?でもどうか嫌いにならないで下さい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」そうして何回も「ごめんなさい」と書き、祈っていると、神様は私に、イエス様の十字架のことを思い出させてくださいました。「私のひとり子イエス・キリストが十字架に架かることで、もうすべての罪は赦されているよ・・・」と。私は自分が赦されていることを知り、嬉しくて、嬉しくて、今度は、涙をぼろぼろ流しながらこう書いていたのです。「ありがとう、ありがとう、ありがとうございます・・・大好きです」。
ヨハネの手紙第1 1章9節
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
神様は、こんな罪で汚れた私さえも愛してくださった。それは感謝しても仕切れないほどです。私はその感謝を神様に返していきたいです。難しいことはまだ出来ないけれど、こことの真中に神様を置いて、毎日生きていきたいです。最後に、心に残った御言葉を紹介いたします。
ヨハネ3章16節
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
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Naoko M.(30代女性)
神様が与えてくださった平安と希望に導かれて、洗礼を許される恵みを心から感謝いたします。
2004年の4月、瑞穂チャペル「お母さんのコーヒータイム」にはじめて伺いました。川村先生のお話や、賛美やお祈りの中で色々なことを教えていただきました。教会員の皆さんの、信仰を持って日々生きていらっしゃる姿に大変心を動かされました。やがて近くに住むクリスチャンお方から礼拝に誘っていただいて、日曜日にも教会に来るようになりました。
それまで新約聖書を読んだことはありましたが、分からないこともたくさんありました。礼拝に出席し、様々な交わりを通して、神様について、イエス・キリストについて知るようになり、また自分の罪も知る様になりました。特に次の聖書の言葉が心に残りました。
ヨハネ福音書 7章37-38節
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの手紙第1 4章-10節
「神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。
ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
神の御子ひとり子イエス・キリストが、私のようなものにも、渇いているならイエス様のもとに来て飲みなさいと招いてくださり、心から感謝します。神様を知らずに生きていた間も、楽しんでいたときも、悲しみにふさがれていたときも、ただただ神様の御恵みによって生かされていたことに気付き、何の罪もないイエス・キリストが十字架により、私のその罪を贖ってくださったことを知りました。
受洗のために、多くの皆様にお祈りしていただいたことに、深く感謝します。一年前に悔い改め、その時に時を移さず洗礼を受けなかった私は、本当に愚かでした。ヨハネ15章9節に「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい」とあるように、これからも受洗の恵みを忘れず、歩んで生きたいと思います。
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Youji F.(60代男性)
私たちは、名古屋の教会にて長らく礼拝を守っていましたが、諸事情のために昨年の12月24日、岐阜に越してまいりました。新天地での生活については何も分からなかったのですが、住まいの近くにこのような素晴らしい教会が示され、主はいつも時にかなって美しいことをなしてくださると感謝しました。
私がどのようにクリスチャンとされたのかお話したいと思います。それは50歳を過ぎた、ある夏の終わりの暑い日の事です。私は不思議な体験をしました。休暇で訪れた奈良井宿での事です。そこには、今も旅人ののどを潤す井戸が何箇所か残り、今なお水が湧き出ているのですが、私もその時、その水でのどを潤しました。本当においしい水でした。飲み干して前を見ると、目の前に木で作られたプレートがあり、何かが書いてありました。目を凝らすとこう書いてありました。
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。わたしが与える水は、
その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
ヨハネ4章13-14節
私の家内はクリスチャンでしたから、何が書いてあるのかと訪ねました。すると家内は、「これは聖書に書かれているイエス様の言葉で、水は『霊的のいのち』の事を意味している」と堰を切ったように説明を始めました。
帰路も、その言葉がどうしても頭から離れません。私は、私の心が渇いていることに気づき、まるで「物質主義的な、お前の価値観を変えなさい」と言われているような気がしました。それから、聖書を手にするようになりました。でも一人ではなかなか理解できません。そこでクリスチャンの方が導いておられる「家庭集会」や「読書会」、また名古屋の教会の「早天祈り会」を経て、礼拝に通うようになり、1999年6月、洗礼へと導かれました。家内の17年の長い祈りに心から感謝しました。
それからも、日々多くの御言葉を示されていますが、その中でもとりわけ、クリスチャンとしての初心を忘れないようにと、次のイエス様の言葉を心に留めています。この御言葉をもって、証しを閉じます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」
マタイ16章24-25節
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Michiko F.(50歳代女性)
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、私たちの成り立ちを知り、
私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。
主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。」
(詩篇103篇2,14,17節)
父が郷里で教職を得た関係で、小学4年生まで高山市で過ごしました。そのころ高山教会で神の言葉を伝える働きをされた二人の女性宣教師の先生方は、まだ日本来て日が浅かったこともあり、私の母も札の奥地へ福音を伝える働きに加わらせていただきました。そして幼かった私も、熱心に語られる先生方の宣教の働きを、間近で見て育ちました。
しかし、父の転勤に伴い岐阜市に転居してからは、教会にあまり出席しませんでした。高校から音楽科へ進みましたが、喜びがなく将来の目的も曖昧なかたちでしか心に描くことが出来ませんでした。
幾多の道を経て、結婚後、名古屋で開拓伝道をしている宣教師夫妻との出会いを通し、再び教会へ導かれ、賛美の奉仕に預からせていただきました。そして四年後に、創り主を覚え、イエスは神の子であると告白しました。罪ある私のために、イエス様は十字架にかかり、死んでくださったことを知り、その一方的な恵みに感謝しました。
「神を愛する人々、
すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。」(ローマ8章28節)
今、主イエスの憐れみの中に活かされ、いつも励まされている御言葉は、パウロが獄中において記した言葉です。
「いつも主にあって喜びなさい。
もう一度言います。喜びなさい。」ピリピ4章4節
最後に「主のなさることは全て時にかなって美しい」とありますように、引越しをし、不安な日々を過ごしていました私達を、岐阜キリスト教会へと導いて下さいました主に感謝します。まさしく、下記の御言葉にあるとおりです。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮んだことのないもの。
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
(第一コリント2章9節)
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Eiji.I.(30代男性)
私が教会に来るきっかけとなったのは妻と出会ってから、妻がクリスチャンで毎週日曜日は教会に通っていると聞かされ、一度教会にきてみないと誘われて行ったのが通い始めるきっかけとなりました。普段の日曜日の自分は教会とは全く関係の無い時間を過ごしていました。何度か誘われていたため、初めは正直仕方なく一度は教会に行かなければならないと思い、ついていくことにしました。
実際礼拝に出席してみると何をしてよいのか分からず、妻に教えられた通りにしていましたが、良く分からない事だらけでした。しかし、終わってみたら、賛美し、聖書を読み、説教を聞くというのが大体の流れであり、礼拝は特別変わったことをするのではないのだなと思いました。内容は今となっては覚えてはいないですが、そのときの説教も初心者でもちょっとは理解できる内容だったような気がします。そのことが自分にとっては良かったのかもしれません。初めての教会および礼拝を経験した感想としてはうまく言葉では表現できないですが普通の感じで、来るのに別に問題はないなと思いました。
妻と出会うまでは、人生の中でキリスト教と関わることがなく、クリスチャンの人とも実際にはいたのかもはしれないですが関わったことはなかったので、まるっきり未知の世界でした。聖書も存在は知っていましたが読んだことは全くなかったです。また、今までの人生で、自分の中ではこれといった大きな問題もなく過ごせてきたと思いますし、問題点も自分や周りの協力がありうまく解決できてきたと思っていましたので宗教的なものには関係がなく生活していくものだと思っていました。
しかし、教会に通い続けるうちに漠然と少しずつではありますが、キリスト教自体に興味が沸き始め、説教は分からない事だらけではありますが、毎週仕事などの特別な用事がない以外は礼拝に出席することが日曜日の当り前のことになり、礼拝が日曜日の中心となりました。ただ、礼拝に出席することは続けていましたが、出席することで満足している自分が存在し、このままでもよいのではないかと思っていました。今でも普通に生活でき幸せな家庭もあり、十分ではないかと・・・。
しかし、妻と洗礼について話す機会があり、洗礼自体については曖昧な態度をとってきましたが、一人になって考えたときに、今までのことを思い出し、妻との職場での非常に偶然が重なった出会いから教会に通うことになり、そして、キリスト教について学ぶことになったとするとここ数年で大変な変化が自分の中で起こっていることは単なる偶然ではなく、神様のご計画の内なのかと思うようになりました。
それでも、うやむやなまま過ごしてきましたが、今回転勤となり信仰について考える事が多くなりました。本当の意味で初めての地で生活する妻の不安も考え強く思ったのが、これまでは周りのサポ−トがあり、家庭もうまくいっていましたし、また、多少の困難でも自分で切り抜けてきたつもりではいました。しかし、新天地での生活は子供も成長していく中でまた今後も同じようにうまくいくとは必ずしも限らないし、自分で解決できていたと思うのも自分勝手な思い込みではないかと思いました。
今まで学びを受けてきた中で、人間は自分勝手な生き物で自分の感情に頼ってしまうため、誤った方向へ進みがちになってしまいます。そうならずしっかりと自分自身が家族を守っていくためにも、自分の悟りを捨て、十字架にまでかかってくださったイエス様の愛を受入れ、信仰によって生きるべきだと思うようになりました。また、夫婦同じ信仰を持つことは非常に大切だと考えています。本当の意味でこれからが大切な時間の始まりでそのいいきっかけを頂けたと思います。
「主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒の働き 16章31節
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ2章20節
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Tomoko.T.(30代女性)
3年前に岐阜教会で行われたラニー・ラッカー氏のゴスペルワークショップに参加して、神様を賛美する喜びを知りましたが、なかなか礼拝には参加できませんでした。でもその頃、2度も立て続けに流産し、身も心も不安定になり、仕事も家事も出来ず、ひたすら他人の言葉に怯え、自分でもどうしたらよいのか分からなくなってしまうことがありました。
そして一年ほど前から、岐阜教会の礼拝に参加するようになったのです。しばらく経ったとき、TPWというゴスペルクワイヤのワークショップにも参加しました。そこで語られた、アンドレ牧師のメッセージにより、自分の罪に気づかされました。それまで私は、心のどこかで子どもは私が作るものと思っていたのです。でもそれがいかに罪深く、傲慢であったかに気付かされました。
しかしイエス様はこんな私の罪のために十字架にかかり、全てを赦してくださったのです。そのことを確信したとき、洗礼を受ける決心をしました。この地上での命が終わり、神の御国に行けた時には、抱きしめてあげられなかったこども達を抱きしめ、イエス様を心から賛美したいです。
「そのあかしとは、神が私たちに永遠の命を与えられたということ、
そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。」
ヨハネへの手紙第1 5章 11節
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K.K.(20代男性)
主を訪ねもとめるまで、私は、何かをするわけでもなく日々を送っていました。それこそ、何でも出来ると思い上がるあまり、主を訪ね求める人々とは程遠いばかりか、心の中で馬鹿にしてさえいたほどでした。
しかし、ある挫折により、思い煩いに悩まされた私は、自分が結局は一人の弱い人間に過ぎないことを思いさせられ、以来何もかも空っぽになっしまいました。
そんなとき、叔父が、「聖書には人生の指針が書かれている」と言っていたことを思い出しました。そこに、失った何かを取り戻す何かがあるのではと感じ、最初は信仰を持たずあくまで今後の人生の参考として読み始めました。
最初、祈ると言うことなど微塵も考えても見なかった自分でしたが、ある時、自分の勝手な解釈で聖書を読むのは良くないと指摘を受けたことで、信仰のある人はどのような解釈をしているのだろうと思い立ち、教会に足を運びました。
私は、そこで信仰をもった人の素晴らしい魂のこもった説教に深く心を打たれました。「信仰をもってを受け入れない御言葉は意味がない」ということを悟った私は、主に近づかなければという念に駆られ、聖書を再び読み始めたのです。
私は、その中で神を畏怖することの大切さを改めて知り、祈ることなど考えても見なかった私ですが、いつの間にか、誰に言われるまでもなく、心から主に対し祈っている姿がそこにあったのでした。
そのころ私は、聖書の言葉を通して、人の子は、失われた人を救う為に、この世に来られたことを知りました。
「神はその一人子を与えたほどに、この世を愛された。
それは御子を信じるものが誰一人として滅びることなく
永遠の命にいたるためである。」(ヨハネ3:16)
また、イエス様は、収税人仲間以外、誰の相手にもしてもらえなかったザアカイを、いのいちじく桑の木の上に見つけ、受け入れてくださったことにも感動しました。イエス様は彼にこう言われました。
「今日あなたに救いが訪れた。」
「人の子は失われたものを探して救う為に来たのである。」
(ルカ19章9-10節)
そのことを知った時、私は「今日が、私にとっても『救いの日』だ。失われたものを探し、救う為に、その命さえも惜しまれなかった。この主イエスを、そして復活によって、今も生きておられる主イエス様を、真の神の子、救い主と信じる」と決心したのでした。
今日から始まる新しい歩み、私は、全てが終わりであるはずの十字架をも始まりとした、イエス・キリストにしっかり繋がり、良い実を結べるように、永遠の求道者であるクリスチャンとして歩んでいきたいと思います。
まだ右も左も分かりませんが。これからも、どうぞよろしくお願いします。
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Naoko G(30代女性)
2005年1月に初めてこちらの教会にきました。神様には強くひかれているのに、迷いや
分からないことがたくさんあって、なかなか足を運べなかったのです。しかし、そのことをク
リスチャンの友人に質問してみると、「一度うちの教会に来て見ない?」と誘われたので
す。(中略)
けれども私の中にはためらいがありました。じつは何年か前から、(クリスチャンである)
父が、人が変わったようになり、教会に行かなくなっていたのです。(中略)自分は父親に
性格が似ているので、教会に通うようになっても、いつか父のように教会で人間関係のトラ
ブルを起こし、教会に行けなくなってしまうのではないかと恐れたのです。そのような気持
ちで岐阜教会に通い始めて、しばらくし、父が脳の病気であることが分かりました。そこで
また私の中に、大きな疑問がわきあがって来ました。
神様は試練を与えあれることはあるけれど、その人の信仰を奪うような試練は与えられな
いはずではないか。父が病のために記憶障害を起こし、人との交わりもできなくなって教
会から離れてしまったのはどういうことなのか。御心はなんでるか、祈るとはどういうこと
か、段々分からなくなってきました。
けれど友人の「お父さんは教会からは離れたかもしれないけど、信仰は消えていないかも
しれないよ」との一言で気付いたのです。父は、神様の悪口を言ったことは一度もありま
せんでした。病のために人との交わりは出来なくなっていたけれど、父の中の信仰は消え
ていなかったのです。
それからも苦しいことはありましたが、信じるとは分かろうとすることではない。信じると
は、私が思っていたような、強い感情的な気持ちのことではない、と気付いたとき、既に私
の中には信仰がありました。信仰とは、私が想像していたものより、もっと静かな、そして
しっかりしたものでした。ドラマチックなものではなく、普通の日常の中にあるものだったの
です。
私は長い間、イエス様に引かれながらも、目先のことで精一杯で、神様と向き合わずに過
ごしてきました。ルカの福音書のように、霊的に飢え死にしそうになってやっと、天のお父
様のところに帰ってきたのです。
この息子は死んでいたのが生き返り、
いなくなっていたのが見つかったのだから。ルカ15:24
(中略)私の罪を背負って十字架で死なれ、復活されたイエス様、ありがとうございます。
あなたを受け入れ、全ての罪を赦されたことを心から感謝します。こうして大きな恵みをい
ただいて、今日、洗礼式の日を迎えられましたことを、とても嬉しく思います。はじめてきた
日から、あたたかく迎えてくださった岐阜教会の皆さんに感謝します。これからもどうそよ
ろしくお願いいたします。
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じるものがひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16
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Akemi I(40代女性)
私は茨城県の出身で、母の妹が牧師の経験があり、母もクリスチャンです。私はこの母と叔母の影響をたくさん受けていると思います。
私の母は50年前に、あと20年の余命であると宣告され、大手術を受けた結果、病院のベッドで寝たきりの生活となってしまいました。しかもその頃、当時の旦那に愛人ができ、離婚を迫られるという苦難を経験しました。結果的には無事に退院できたものの、その後も母と愛人と旦那の3人という異様な生活が続き、ついには旦那の兄弟たちによって荷物をまとめられ、追い出されてしまいました。
その時、母は7歳と2歳の男の子と別れなければならなかったそうですが、それはとてもつらかったそうです。そんなことを通して、母は、その後まもなくクリスチャンになりました。そして再婚し、私が生まれたのです。その後、母を追い出した元旦那の兄弟たちも、その愛人も、元旦那も次々と亡くなり他界していきました。そして不思議なことに、一番病弱だった私の母が、今日に至るまで長生きしているのです。
私は、その母のおなかの中にいるときから、バスで一時間以上もかけて、時々水戸にある教会に通っていました。その後、16年前に今の主人と結婚し、茨城から岐阜に引っ越してきました。しかし最初は、その環境の違いに順応できず、とても孤独を感じ、長い間いつも茨城に帰ることばかりを考えていました。そんな時、私は辛くなるとよく母に電話をして、悩みを聞いてもらいました。今日の私があるのはこの母のおかげだと思います。そして今から10年ほど前に、母から一冊の聖書が送られてきました。しばらくは押入れに入れたままだったのですが、子供たちが大きくなり、近所付き合いもふえ、人間関係の悩みや戸惑いが出てきたころから、その聖書を読むようになりました。しかし、自分ひとりで読んでいても、分からないことが多く、次第に教会を探すようになりました。
最初は、むかし兄弟団の教会に通っていたので、名古屋の兄弟団の教会に行ってみました。しかし、あまりにも遠いので2・3回行って終わってしまいました。そして、教会に行くのも、半分あきらめかけていました。そのころの生活はといえば、夫婦仲も悪く、自分の環境を変えてしまった主人をうらみ、様々なストレスから段々と自己中心になっていき、周りの人に仕返しをするようなことをしてしまいました。
そんな時、今年の二月でしたが、昔牧師をしていた叔母に、軽い気持で電話をしました。叔母は、私がまだ何も悩みを相談していないのに、私の状況を察し、話を聞いたうえで、適切なアドバイスをしてくれました。私はそれを聞いて、涙が止まらず、肩の荷が軽くなっていくのを感じました。
そんなことがあった二週間のち、ある黄色い広告が私の目の前に差し出されました。いつも子供たちが郵便受けから広告と取り、食卓に投げておくのですが、それが岐阜キリスト教会のトラクトだったのです。私はそれを見るやいなや「これだ!」と思いました。そこには川村先生の「人生の勝利者」についてのメッセージが書かれていたのですが、私はそれを読んで、自分の母の生き様とぴったりと重なったのです。
早速、私は叔母に電話し問い合わせました。すると叔母は「それは福音的な教会だから大丈夫だよ」と言ってくれました。そして、3月初めの日曜日、初めて岐阜教会の礼拝に参加したのです。その礼拝では、心に不思議な平安が与えられ、メッセージにも賛美歌にも感動し、涙があふれてきました。それはちょうど、私の心に光が差し込み、16年間くぐってきた真っ暗闇のトンネルから脱出したような思いでした。不思議にも、そのころから夫婦関係が修復され、家庭円満になりました。
その時から今日に至るまで、木曜日の聖研や、入門クラス、コーヒータイムなどの集会に出席し聖徒の交わりを楽しんでいます。また、その学びの中で、自分は「柔和なものにならなければいけない」事を教えられました。
そして、6月最初の聖餐式で、そこに出席できないことの意味を知り、とても寂しさを感じたので、「洗礼を受けよう」と即決しました。私達の罪のために、十字架にかかってくださったイエス様を尊び、その赦された事を覚えて、人を許すことも教えられました。ひとつ心に深く残っている御言葉は、
「私は、あなた方に、わたしの平安を与えます。わたしが、あなた方に与える平安は、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14章27節)です。
今、洗礼を受けるに当たり、今までの罪が洗い流され、新しい者会生活と家庭生活を始められる喜びでいっぱいです。でも、古い性質が全て一度に変わってしまうわけではないので、自分でも気がつかないところでご迷惑をかけてしまうことがあるかもしれませんが、これからもどうぞよろしくお願いします。
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Tsubasa K.(小学5年生)
僕は小さいときから、お父さんとお母さんに連れられて、お姉さんと一緒に教会に行っていました。また、通った幼稚園が、キリスト教の幼稚園だったので、先生は優しくイエス様についてお話をしてくれました。僕はワクワクしながら、幼稚園に通っていました。
でもそのときは、単純に神様はいると思っていたんだけど、それが一体どんな方なのかがよく分かりませんでした。ただ、色々な聖書の言葉を覚え、その中でも特に好きな言葉がありました。それはヨハネ福音書15章5節です。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
教会の日曜学校でも、聖書のお話をいっぱい聞きました。そして小学3年生になってからは教団の小学生キャンプに行くようになり、神様は僕を創ってくれて、いつもそばにいて守ってくださっていることが分かりました。
でも、5年生になってからお姉さんとよく喧嘩をし、悪口を言ったり、たたいたりするようになってしまいました。その時、僕は、日曜学校の先生に聞いた、聖書の言葉(ヤコブ4章6節)を思い出し、自分の内にある罪に気がつき、がっかりしました。僕は高ぶっていました。
4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
その時、僕は分かりました。僕がこんな罪人だから、イエス様は僕のために十字架にかかって死んでくださったと。そして反省して、聖書を読んだり、お祈りしたりするようになりました。そのころ、教会のお兄さんやお姉さんが洗礼を受けだしたので、僕も洗礼を受けたいと思うようになりました。また、イエス様もきっと、そう望んでいると思いました。
僕はこれから、洗礼準備会で習ったように、神様に向かって歩み、みんなにもイエス様の救いを述べ伝えていきたいです。最後に、これはイエス様を信じたときの聖書の言葉です。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。第一ヨハネ1章9節
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