
新説!源氏と平氏の謎 〜 『源平物語集』之注釈 平成19年卯月11ノ日(水)〜
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蝶や龍が舞う雅びやかな曲にございますが、音量に御注意を…今後、頁ごとに随時、更新して参りますのでお楽しみに!
クイズ「保元の乱の黒幕を捜せ!」って懸賞TV番組かい!?
〜「黒衣の宰相」ってヤツかしら?それとも…「平安」時代の幕を閉じた衝撃のクーデター!〜
こうした中で鳥羽院も'56年4月頃、病床に伏し、6月初めには危篤状態に陥ります。ところが不思議な事に‥
この保元の乱では、京都の洛中の内裏(高松殿→東三条第)に対する東郊白河北殿の攻防こそが主戦線であり、東vs西ノ対立-決戦でしたが、あく迄も結果論で、当日-その時迄は、忠通を首座とする後白河新朝と禅閤-左府の、即ち、双方の各大本営と主力があった京都と宇治、即ち南vs北の対決であり、その中間に位置し,新院政権を争う得子と崇徳上皇がいた洛南鳥羽ノ離宮こそが<境界>最前線であって、新院や左府自らが僅かな供回りだけで、本当に白河に迄渡御してきていたのか、殆どの者−少なくとも新朝方には、焼き討ち後、離脱した新院が仁和寺に頼る迄は、確認できなかったのでは無いでしょうか。
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