私たちは国から三回捨てられた!!


 第一の棄民

どうして国は、私たちを中国において逃げたの?
私たちは、自分の意思で中国に「残留」したのではありません。
1933年(昭和8年)ごろから、国策として開拓団32万人など多くの日本人を満州に送り込んだ国は、1945年(昭和20年)8月のソ連侵攻・敗戦の際
民間人を守ることなく、軍隊を先に撤退させました。日本に帰るための悲惨な逃避行の中、多くの幼子達が家族と離ればなれになり、中国に置き去りにされたのです。



第二の棄民

どうしてもっと早く、帰国させてくれなかったの?
 そんな中国「残留」日本人孤児である私たちは、中国で「
小日本鬼子」などと苛められる辛い日々の中でも、ずっと祖国日本への帰国を夢見ていました。しかし、その夢は容易には叶えられませんでした。1959年(昭和34年)、国は中国に多数の「残留」日本人孤児が残されていることを知りながら、私たちの身元調査・帰国援助などを一切放棄してしまったのです。
 孤児らの肉親を探す訪日調査が始まったのは、
戦後36年、日中国交回復後9年も経った1981年(昭和56年)でした。そればかりか、国は、私たちの帰国に際して身元保証人や身元引受人を要求し、帰国を事実上妨害しました。



第三の棄民

どうして国は当然の支援をしてくれなかったの?
 ようやく日本に帰国できたときには、すでに戦後数十年が経過しており、多くの「残留」日本人孤児たちは日本語を聞くことも話すこともできなくなっていました。しかし、国は帰国した私たちに対し、十分な日本語教育等の自立支援策を講じることもなかったため、なかなか職も見つからず、職に就けたとしても、低賃金・重労働の仕事に甘んじなければなりませんでした。
 現在「残留」孤児の約7割が自立を望みながらも生活保護で暮らしています。