( 1 ) 




( 2- A ) 



竹と白熱電球のオブジェの八幡市
非核宣言都市の碑



( 2 - B )


( 2 - E )


( 2 - C )


トーマス・アルバ・エジソン
Thomas Alva Edison
( 1847−1931 )


( 2 - D )

                             碑文

それは1880年のこと エジソンと八幡男山の竹 この優れた
素質が結びついて電球の輝きが人類のものとなった。

八幡市民は ふるさとが世界に希望の光をもたらす起源に
なったことを喜び 誇りをかけて 平和な都市づくりを
めざし
ている。



( 3 )



平成の大修造
( 平成17年−2005年4月24日撮影 ) 



英語



スペイン語


石清水八幡宮御本殿は 改修中で 神様は 仮本殿( 若宮社 )へ一時御遷座( ごせんざ )されて
いる。平成十六年(2004年)10月の台風23号は 京都府下に大きな損害をもたらし岩清水八幡宮も
被害を蒙(こうむ)りました。岩清水八幡宮は すでに 平成五年 ( 1993年 )より老朽化した 摂社
末社などの修復を行ってきました。 

御本殿は 徳川三代将軍家光公の御寄進により 造営されましたが、その後 幾たびも修理、修復が
なされてきましたが、前回 昭和四十二年 ( 1967年 ) の修造より 30 数年経過しており 檜皮
葺き屋根( ひわだぶきやね ) の損傷、 丹塗りの剥落 ( たんぬりのはくらく )、金具の腐食など
国指定の重要文化財保護の観点からも 修復を急ぐ 必要に迫られているが 府と政府の予算だけ
では充分でなく 有力武将の寄進がない現在 全国幅広い崇敬者(すうけいしゃ)の 御奉賛( ごほう
さん)が望まれています。

( 4 )



後方には 竹 右は満開の桜
Genius is one per cent inspiration
and ninety-nine per cent perspiration.
Thomas Alva Edison


碑の左側に書かれている文章

” 天才とは 1 % のひらめきと99 % の汗の
結晶である。 ”

( 5 - 1 )



( 5 - 2 )



( 5 - 5 )



( 5 - 6 )



( 6 ) 



エジソン記念碑の説明板
( 5 - 3 )



 ( 5−4 )





西暦1879年にト−マス・アルバ・エジソンが灯火(ともしび)の革命ともいえる炭素白熱電球を発明 し 
この石清水八幡宮に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として 最も適していることを
知り 電球発明の翌年から10数年もの長い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を作り 世界の人々
に電燈のありがたさを知らしました。 つまり、この八幡の竹が炭素発熱電球の実用化に大きな役目を
果たしたのです。

そこで 1929年に電灯発明五十年を記念して 世界各国で電灯黄金祭が催された時、日本もこれに
加わり 記念事業の一つとして電球の発明と切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑を建て
エジソンの功績を永久に伝え讃えることになったのです。

最初に建てられたのはこの境内の北側に続く場所でしたがエジソン彰徳会の手で昭和三十三年にここ
に移され 更に昭和五十五年十月に現在の姿に再建されました。


                                           日本の神となったエジソン

エジソン神社というのが あるわけではないが トーマス アルバ エジソンは 八幡男山の神になったと
いえるのでは なかろうか。 八幡男山の岩清水八幡宮の境内にあるエジソン記念碑は 鉄格子(てつ
ごうし )の門があり周りは 生垣で 容易に立ち入ることはできない。 皇族( こうぞく)の御陵( ごりょう 
なみの扱いである。 

エジソンは2月11日に生まれた。 この日は くすしくも 日本では 昔は 紀元節といわれ 現在では
建国記念日である。 太陽の神 天照大御神( あまてらす おおみかみ ) の子孫 神倭伊波礼毘古
の命 ( かむやまといわれひこのみこと )は 日向( ひむか )の高千穂の宮を発ち 東征され 畝傍
橿原宮(うねびかしはらのみや)で神武天皇として 即位され大和の国を
建国された。 

エジソンの命日は 10月18日です。 この命日の前後に 電力や電機関連会社約30社でつくるエジソン
彰徳会( しょうとくかい)の主催で エジソン前祭が 行われる。 関西電気協会や石清水八幡宮の関係者
ら約50人が日米の国歌を斉唱し エジソンの遺徳( いとく )に感謝し 黙礼(もくれい )する。

平成17年5月4日 石清水灯燎華 ( いわしみず とうりょうか )が 行われた。八幡男山に鎮座( ちん
ざ)される神々とともに エジソン記念碑にも献灯される。 碑前には ろうそくの入った竹筒に点火され 
エジソンの白い像が 闇夜(やみよ)に浮かびあがります。 

神道( しんとう )は 国粋的な宗教と考えらちである。 石清水八幡宮の御祭神の中に 神功皇后
( じんぐう こうごう )( 息長帯比賣尊 − おきながたらしひめのみこと )がいる。 日本書紀に よれば
神功皇后 (  じんぐう こうごう )は 熊襲 ( くまそ )を攻め 三韓を攻めた。 また岩清水八幡宮は
厄除け(やくよけ)の神ではあるが 武門の崇拝を長年 受けてきたため 戰さの神と考えれてきた。 しかし
神道は 排外的宗教ではない。神道の神社は 鎮守の森に囲まれ 塀がなく 神域には 神官しかは入れ
ないところは別としてだれでも 入れる。 したがって 石清水八幡宮の境内に エジソン記念碑があるわけ
である。


( 7 )



( 9 )




( 8 )



( 10 )




( 11 )



( 12 )



            八幡   男山の野鳥たち

上段 左より : ( 1 ) ツグミ  ( 2 ) モズ ( 3 ) ヒヨドリ ( 4 ) トビ ( 5 ) イカル 
( 6 ) ルイビタキ ( 7 ) ヤブサメ ( 8 ) コゲラ ( 9 ) アオジ ( 10 ) シロハラ
( 11 ) エナガ ( 12 ) シジュカラ ( 13 ) メジロ ( 14 ) アオバスク ( 15 ) トラツグミ
( 16 ) ホオジロ ( 17 ) カワラヒワ (18 ) ハシフト ガラス ( 19 ) ツバメ 
(  20 ) ウグイス ( 21 ) キジバト ( 22 ) コジュケイ

真竹のたけのこは 孟宗竹のたけのこのシーズンが終った後 6月頃がらでてくる。 エヂソンが発見
した電球のフィラメントとしての優れた特性以外に 材質が硬いが 割れやすく 加工しやすいため
竹細工製品に用いられる。温度による膨張(ぼうちょう) 伸縮度( しんしゅくど )が低いため ものさし
にも最適の材料であった。 和服を縫(ぬ)う人は 現在でも 真竹のものさしを使用している。尺八
(しゃくはち)にも真竹( まだけ )が使われる。

竹炭( ちくたん )は空気 水を浄化する働きがあり 脱臭(だっしゅう)作用もある。竹は 繁殖力が
旺盛( おうせい )であり 一日に70 センチ以上 成長する。 環境保全の点から考えて 竹材の
利用を再検討すべきである。 

真竹のたけのことは少し 苦味があるといわれている。
八幡男山 山中には 広大な美しい竹林が広がっている。 これらは 私有地であり 4月中旬から6月
にかけて 美味しいことで有名な山城たけのこが出荷される。男山散策路は こもれびル−ト ( 1.3
キロ) せせらぎル−ト ( 700 メートル ) ひだまり ル−ト ( 1.2 キロ )がある。

たけのこは 京都 長岡産のものも絶品で知られている。
近代文明をもたらした近代の発明の中で 我々の生活に恩恵をもたらした最大の発明品は 電灯と
電気の原理を利用した製品であろう。 エジソン自身も 生前 彼の発明の最大のものは なんであった
と質問され 電灯と電気原理の応用化であると答えています。 エジソンの白熱電球の実用化に八幡市
の竹が大きく貢献(こうけん )しました。

京阪八幡駅の前の広場には エジソンの胸像があり 広場の中央には 竹と白熱電球のオブジェの
非核宣言都市のモニュメントがあります。

1876年、エジソンは 1876年 ニユージャージー州メンロパークに研究所を建て、1878年に「エジソン
電灯会社」を設立し、白熱電球の研究に取り組みました。そして1879年 32歳の時 エジソンは 綿糸に
煤(すす)とタールを塗って炭素させたフイラメントを使い 45時間輝く白熱電灯の製作に成功しました。 

白熱電球を商品として売り出すには 耐久時間が45時間では 短すぎるため 商品化するには 最低
600時間は 必要であるとエジソンは 考えた。 エジソン研究所は すでに豊富な資金と優秀な研究員を
かかえる組織に発展していた。世界中から 6,000種類もの材料を取り寄せ実験した。

研究室にあったせんすの竹でフィラメントを作ったところ200時間灯(とも)った。 エヂソンは材質を竹に
しぼり 10万ドルの費用をかけ 20人の調査員を竹採集のため世界に派遣し 1,200種類の竹で
実験した。 明治13年(1880年)エジソンの助手 ウィリアム H. ムア−が日本の竹を求めて来日した。

東京で会見した伊藤博文総理大臣 ( いとうひろぶみ そうりだいじん ) 山県有朋 ( やまがた あり
とも )外務大臣は 京都なら 良質の竹が入手できるだろうと助言した。 京都では 植村正直 ( うえ
むらまさなお)知事が 嵯峨野( さがの ) と 八幡( やわた )には 良質の竹がふんだんにあると助言
した。


八幡の真竹で作ったフィラメントの電球は 2,450時間灯った。

八幡の竹は1894年に セルローズのフィラメントに取って代わられるまで 10数年にわたりエジソン電灯
会社に輸出され、八幡の竹を用いた白熱電球が毎年 2−3000万ヶ世界各国に輸出された。 1887年
J.P. Morgan が200万ドルを出資し エジソン ゲネラル エレクトリック社が設立された。新会社でエジソン
は直流方式の電力供給を主張した。 

直流方式は遠距離送電では電圧が降下するため半径3キロ以内しか送電できなかった。交流は
高圧で送電し、どこでも変圧器で100ボルトに落とすことができる。直流送電は交流送電に
太刀打ちできるものではなかった。現在 送電は 世界中で 交流方式で供給されている。
エジソンは 反対されると意地になって直流方式を 押し通そうとした。交流の高圧送電が 
いかに危険かを証明するため 犬や猫を感電死させる実験までした。これは 世間の顰蹙
(ひんしゅく )を買った。直流では交流送電をしているライバル会社の
トムソン・ハウス社や
ウエスティングハウス社に勝ち目はなかった。


取締役会では エヂソンの考えは 入れられず 社名から エジソンという名をはずされた。エジソンは
General Electric 社を退社することになる。その後 亡くなるまでの30年間General Electric 社の工場
に足を踏み入れることはなかった。 1931年 発明王エヂゾンは ノーベル賞を受賞することなく亡く
なった。 白熱電球の発明には成功したが 企業家として白熱電球の事業化には 失敗した。

エジソンの研究所には 数名の日本人が働いていた。 そのうちの一人 岩垂邦彦 ( いわだれ くに
ひこ )は 帰国後 日本電気 (NEC)を設立した。 藤岡市助(ふじおか いちすけ )は 東芝を設立し 
ウェスタン・エレクトリック社から導入した技術に更に改良を加え 1925年まぶしくない白熱電球を開発
した。 
”Mazda"ブランドのこの電球は 戦後も蛍光灯が普及するまで 国民に親しまれた。 "Mazda"
というのは 日本の姓の ”松田”ではなく ゾロアスター教の最高の神( 智恵の神 ) 
Ahura Mazda
に由来する。 

1986年 八幡市とエジソンの生誕地 アメリカ オハイオ州マイラン村と 友好都市協定を結んだ。

石清水八幡宮では エジソンの絵馬もある。神道は 日本の神話と結びつき 国粋的な宗教と考えられ
がちであるが 多神教であり 排外的な宗教ではない。 大陸からの渡来人をお祀りしている神社も
ある。 この事実を韓国 中国人にも知っていただきたいと思う。 エジソンの絵馬は 受験生 学芸上達
を願う人に人気がある。 神域にクリスチャンである我々が入ることがゆるされのかと質問する西洋人も
いるが 日本の神様は 来る者を拒まずである。

©禁無断転載 − 平成十七年4月29日 − 佐々木博昭 


    八幡市

日本史の中の人物 岩清水八幡宮  公式ホ−ムペ−ジ
( いわしみず はちまんぐう )
エジソン生誕地博物館
オハイオ州 マイラン
( 日本語 ) 

八幡男山 竹林 錦水亭 :  京都 長岡のたけのこ料理

  大阪 鶴見緑地公園
  の野鳥

  

  大阪 鶴見緑地公園
  の野鳥