大 阪

大阪 天 王 寺 公 園










天王寺公園入口


第六代大阪市長
池上四郎

(1857 - 1929 )

池上四郎
(1857 - 1929 )

池上四郎は 安政四年 (1857 ) 会津藩士の藩士 池上武輔の第4子として
生まれました。 大正2年 (1913 ) 大阪市長に就任し 3期10年 市長を
勤めた。 

任期中は 水道事業、 大阪湾の整備、 博物館や 図書館などを建設し
大阪の近代化に努めました。












天王寺公園は 明治42年 ( 1909年 ) 開園しました。 

明治末期には 欧米の水準の近代国家をめざし 当時の先端技術を国民に知らせ
るため また 町おこしのため、日本の産業振興のため 博覧会が 各地で行わた。

明治36年( 1903年 ) 大阪でも 「第五回内国勧業博覧会 」が 開かれた。
第一会場は 現在の天王寺公園とその周辺であった。。
 
153日間の会期中に 530万人が 博覧会会場を訪れた。「 内国 」という名前
に拘わらず、 18ヶ国が参加した。

博覧会の跡、西側は シンボル・タワーの通天閣がある 「新世界」になり、東
側に天王寺公園を開設した。

現在 天王寺公園は 28.2 ヘクタールあり、 植物園、 天王寺動物園、
茶臼山、 大阪市立美術館などがあります。



第五回内国勧業博覧会
(大阪くらしの今昔館)



天王寺動物園







昭和62年 「 天王寺博覧会 」が 催されました。 その時のテーマ館の一つで
ある ガラス屋根の建物は 安藤忠雄氏が設計したもので 現在 植物園として
つかわれています。






旧黒田藩蔵屋敷長屋門

天王寺公園の大阪市立美術館に向かう歩道橋の上から 旧黒田藩蔵屋敷
長屋門が見える。この門は現在の九州福岡県にあった筑前五十二万石 
黒田藩蔵屋敷の長屋門であった。


もともと中之島の渡辺橋南西詰西側にあったが1933年(昭和8年)の中之島三井
ビル建設に際し三井が大阪市に寄贈した。 この長屋門は江戸時代中期の蔵屋
敷遺構を残す 貴重なものである。 俗に「後藤又兵衛あかずの門」とか「源蔵門」
とか呼ばれていたそうである。 昭和8年 ( 1933年 ) 中之島三井ビル 建設
の際 長屋門は美術館の南通用門として 移築された。

なお 中之島の三井系企業のビルがある東側は 「 住友村 」 といわれて
住友系の企業のビルがあったが、 住友銀行と三井銀行が 合併し 現在 
「 住友村 」 は 「 三井住友村 」である。 三井住友建設、 三井住友
海上火災、 また 三井住友に名前を変えていないが 実質的に 三井住友系
といわれる企業がある。

蔵屋敷とは 諸藩が 米その他の自国の物産を売るため倉庫、 事務所、 
住居であった。中津藩士であった福澤諭吉は 大阪生まれである。1835年 
玉江橋北詰めの中津藩蔵屋敷で生まれた。 父が亡くなったため1歳たらずで
中津に 戻ったが、1855年22歳の時 緒方洪庵の適塾に入門した。
24才の時 塾長となった。 25歳の時 藩の命令で 江戸に出た。

天下の台所といわれた大阪は 堂島川、土佐堀川、江戸堀川の岸に
諸藩の蔵屋敷が軒をつらねた。 

明治5年、廃藩置県のときそれらの蔵屋敷は払い下げられたが その数は 
135 もあった。



豊前国 中津藩蔵屋敷跡
福沢諭吉生誕地

(福島区福島1丁目 ほたるまち の近く )







大阪市立美術館



慶沢園から見た 大阪市立美術館



大阪市立美術館から見た 新世界
古代上町台地の下は 海であったことが
よくわかる



都心のオアシス 茶臼山
大阪冬の陣の徳川家康の本陣
大阪夏の陣の真田幸村の本陣



一心寺 本堂

天王寺公園の北側。 大阪冬の陣 大阪夏の陣の戦死者を弔った寺。
お骨仏の寺として 知られている。



一心寺 山門



一心寺 講堂 三千佛堂




天王寺公園 ( 公式ホームページ )

すまいのミュージアム ( 大阪くらしの今昔館 )

大阪市立美術館

天王寺動物園

一心寺



慶沢園 ( けいたくえん )

茶臼山

四天王寺 「極楽浄土の庭 」

一心寺



ccopyright: 無断転載禁 − 日本観光通訳協会 正会員
公認 スペイン語 英語 通訳案内士 佐々木博昭
 
スペイン 「俳句の道」 顧問、 
スペイン 「 ナバラ俳句協会 」 "ANAKU" 顧問


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