大 阪 





大阪星光学園
天王寺区伶人町 ( れいにんちょう )一番地



浮瀬亭跡(うかぶせていあと )
浮瀬俳跡蕉蕪園( うかぶせ はいせき しょうぶえん )
大阪星光学園内



清水寺より見た 浮瀬亭
浮瀬亭は 清水坂の崖の上に
あった豪壮な料亭であった。京都の
清水によく似た風光明媚な場所であった。

( 大阪歴史博物館のジオラマ )



水売りが浮瀬亭の前で滑ったジオラマ
大阪市中の井戸水は 塩分が多く、飲料水には
不適であった。上町台地の井戸水だけは 飲めた。
水売は 上町台地で水をくんで売るか 淀川の水と売った。
( 大阪歴史博物館のジオラマ )

大阪星光学園は 大阪市天王寺区伶人町 ( れいにんちょう )一番地にある。
伶人町(れいにんちょう)は由緒ある地名である。 飛鳥、奈良時代、 四天王寺
楽所(がくそ)の楽人( がくにん )が 住んでいたところである。 

日本書紀によれば、推古天皇20年(612年)、百済の人味摩之(えまし)が中国
南部呉から伎楽を日本に伝えたという。 752年 (天平勝宝4年)東大寺大仏開眼
供養で演じられたという。 620年頃、聖徳太子は 秦河勝(はた の かわかつ)
一族にその伝承を命じられた。

その後、伎楽は 唐楽、新羅楽を取り入れ 雅楽に発展し、 舞を伴い、平安時代
に作曲、作舞された作品も含み 四天王寺舞楽が天王寺楽所に伝承されている。
国の重要民俗文化財に指定されている。

毎年 聖徳太子の後命日の4月22日に 四天王寺聖霊会(しょうりょうえ)の舞楽が
演じられる。 午後1時から4時。 

篝の舞楽 8月4日頃 午後7時より

経供養舞楽 10月22日 午後1時より、太子殿 西庭にて

星光学園は  昭和25年 ( 1950年 ) カトリックの サレジオ会のマルジャリア神父
が創立した。 歴史は あまり 古くないが 現在では 東大、京大、 大阪大学に多数
の合格者をだす大阪有数の進学高となった。

イエスス会の宣教師 が安土桃山時代に日本に来たことを考えると  サレジオ会
は 歴史の浅い 修道会である。

サレジオ会は 1859年 ( 日本の江戸時代 末期にあたる。 ) に 北イタリアで
ドン・ボスコ
"Don Bosco" によって 創設された。 ドン・ボスコは青少年の教育に
熱心であった。 

ドン・ボスコは 1929年 ローマ法王 ピオ 11世によって 福者に列福され 
1934年 同じく ピオ 11世によって 聖者に列聖された。












天王寺七坂のうち 

清水坂

右 ( 北側 )は 大阪星光学園
左の 道を 行けば  有栖山 清水寺



伶人町
(れいにんちょう)




江戸時代から 明治時代の初期まで 清水寺の墓地
の北東に 料亭浮瀬亭(うかぶせてい)があった。 
現在は大阪星光学園の敷地である。




8月4日 四天王寺 「篝(かがり)の舞楽」の
楽人


江戸時代には ここに 「 浮瀬亭(うかぶせてい) 」 という 大阪料亭番
付け筆頭の 一流料亭が あった。 始めは小さい茶店だったそうであるが
大阪商人の財政力、文化活動がこのような大きな料亭を支えたのだと思う。

シーボルトは 江戸へ 行く途中ここを訪れている。 俳人 与謝蕪村は 二度 
訪れて句会を催している。 芭蕉はここで句会を度々 した。  太田蜀山人、 
滝沢馬琴なども 訪れ、十返舎一九の「 東海道中膝栗毛 」 にも 登場 
します。 芭蕉、 蕪村の死後も ここで 句会が開かれ 明治の初めまで 大阪の
文芸振興の大きな働きをした。 

浮瀬亭は 明治になっても あったが 明治20年頃 (1887年)売り払い 
料亭は 消滅した。 

昭和五十七年 ( 1982年 )は 大阪が生んだ俳人 与謝蕪村の二百年忌
にあたりまた 昭和五十八年 ( 1983年 ) は芭蕉の二百九十年忌にあたり、
また大阪星光高校創立 30周年にあたるので 記念事業として 西側を整備
して 蕉蕪園とし 植樹、 句碑をここに置いた。

谷町筋に面する 正門から 入り 広い校庭の角の崖を降りると 大阪で 亡く
なった 俳聖松尾芭蕉、 大阪が生んだ 偉大な俳人与謝蕪村の二人を顕彰する
蕉蕪園( しょうぶえん ) が あります。 


大阪星光学園の校庭



蕉蕪園 (  しょうぶえん )



蕉蕪園 (  しょうぶえん )



芭蕉の木

元禄七年 ( 1694年 ) 9月26日 浮瀬亭で 句会があり 芭蕉は いくつかの
句を作った。 9月13日には 住吉神社に 参った後 気分が優れず 句会に出ず
大阪の宿舎である 花屋仁左衛門の家に帰った。 9月26日には 体調が
少し よくなったのだろう。 この日の句会で 芭蕉は いくつかの有名な句を
詠んだ。



此道や

行人なしに

秋の暮れ

芭蕉

「暮れる」というのは 二つの意味があります。 まず 夕暮れになる。 
春が暮れる、 秋が 暮れるといえば ある季節が 終わって 次の季節に
なるという意味である。 冬が 暮れる、 夏が暮れるとは あまりいわない。

これは 芭蕉の真筆を写して 石碑に刻んだものである。

昭和58年5月24日 大阪星光高等学校第二十八期生が 卒業記念に
大阪星光高等学校三十周年を記念し建立した。 この年 芭蕉翁
 二百九十年期にあたる。


秋が くれるということは 秋が終わるという意味である。 しかし 秋のある日、
夕暮れになるとも取れる。 

二週間後の死をさとった 句であろうか。なんとも わびしい句である。


This road,

No one goes down it

Autumn's end


By lonely roads,

This lonely poet marches

into Autumn dusk

Beilenson

下記 スペイン語 

1a.- Por este camino
ya nadie pasa
se acaba el otoño

2a.- Este camino
ya nadie lo recorre
salvo el crepúsculo

この道」を 俳句の道と解釈するのは 考えすぎだとおもう。
当時 芭蕉の門人 崇拝者は 多数いて 蕉門十哲の
他にも 優れた門人は 多数いた。 蕉風俳句の絶頂期であった。  多くの崇拝者が
いた。 気心の知った多くの門人、 友人がいても とかく 人生は さびしいものである。 



松風碑 

浮瀬亭で 句会があった時 浮瀬亭の主人の四良左衛門( 四郎右衛門という 記録も
ある。) に頼まれて芭蕉が詠んだ句が

松風の 

軒をめぐりて

秋 くれぬ

芭蕉

”松風の軒をめぐりて”は 浮瀬亭が 夕陽丘の崖の上にある 軒の高い
数棟の豪壮な建物の大料亭であることを 表している。 上の 摂津名所図会の
絵の通りである。 句碑は 寛政12年 (1800年 ) 茅渟奇淵(ちぬの
きえん)が建立した。 現在 この句碑は 大阪星光学園の蕉蕪園に
置かれている。



此秋は

何で年よる

雲に鳥

芭蕉

江戸時代は 数え年で 年齢を数えた。 つまり 正月がくれば 一歳 年齢
が 増えるである。 しかし 元禄七年は 10月12日に芭蕉は 死去し その
年は 終わるのである。 この句も 死期をさとった句である。

雲に鳥の鳥は 日本から 去っていく 渡り鳥であろう。 これが 句にわびしさを
一層 つけくわえている。

浮瀬亭の 句会があった9月26日から 一週間後の 元禄七年 10月2日
病状は 急変し 10月12日 死去した。 




与謝蕪村の「うかぶせ句碑」。

うかぶ瀬に 沓ならべけり 

春の暮れ

蕪村

芭蕉より 約100年後に亡くなった 与謝蕪村( 1716 − 1783 年 )は
明和 天明( 1764−1789 )年間には 有名であった。 その後 蕪村は 
江戸末期には忘れさられていった。

これは 井原西鶴も同様であった。 明治になり 正岡子規が 与謝蕪村の
真価を認め 絶賛し 再び 知られるようになった。 また 与謝野晶子も 
与謝蕪村を崇拝した。

蕪村は ある春の終わりに うかぶ瀬亭の句会にでた。 句会の会場となる部屋
には すでに たくさんの履物が 並んでいた。 蕪村は その横に 履物を
脱いでならべた。 ただ これだけのことかという人は この句を理解していない。
予想していたより 多数の蕪村の門人、 崇拝者が 蕪村より 早く 来て 待ち
かねている。 参会者が多いので これを蕪村は喜んでいるのである。大阪一の
大料亭であるから 句会の参加者は 多かったと思われる。


小春凪

真帆( まほ ) も

七合五勺かな

蕪村

「小春凪 」とは 陰暦10月に 穏やかな 春のような 日が数日あり 海も 
穏やかである。 これを 小春凪という。

真帆というのは 風を直角に受けて 帆をいっぱい 張って 航行することをいうが
小春凪の頃は 75% ぐらいしか 帆が 開いていない。「 浮かぶ瀬亭 」には 
いろいろな 珍しい杯を秘蔵していた。 中でも有名なのは あわび貝でつくった
七合五勺の 大杯があった。 ここに 酒を一杯入れ一気に飲み干した者は 
「暢酣帳(ちょうかんちょう)」に名前を記載して 名誉を称えた。蕪村が 七合五勺
といったのは 浮かぶ瀬亭の大杯のことを言っている。 また あわび貝の形
は 船の帆に形がよく 似ている。




大阪の清水寺の舞台の下は 
墓地である。 京都の清水寺に対して
新清水といわれていた時期があった。



大阪清水寺

















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