大 阪 

   



がんこ 平野郷屋敷

大阪市平野区加美鞍作T丁目



がんこ 平野郷屋敷








がんこ 平野郷屋敷


平野は 歴史が古く 弥生時代(紀元前10世紀から三世紀
中頃)の 「加美遺跡」が見つかっている。 ここは 古代におい
ては 馬の鞍、武具を作っていたのが加美鞍作( かみ くらつ
くり ) という名前に 残っている。

大化の改新 ( 645年 )により、 渋川郡「加美郷」と名つけ
られた。 古代、 加美郷は 物部氏の所領であった。物部氏
が 滅びて 飛鳥時代 百済から 渡来の鞍作氏が 住み
着いた。 法隆寺 金堂の釈迦三尊像を刻んだ 飛鳥時代の
仏師 鞍作止利( くらつくり の とり )は鞍作氏の一族
である。 がんこ平野郷屋敷は 昔の加美郷にあるが 平野郷
の方が知名度が高いので 近くにあった 平野郷から 名前
をとった。 朝鮮半島から 渡ってきた 帰化人は 混血に
よって 消え去ったが それから 千数百年たって 1910年
韓国併合の後、新たに朝鮮半島から渡ってきた人々が この
辺りに住み着いた。 韓国の李明博(イミョンバク)第17代
大統領 の一家もがんこ平野郷より 近い 平野区加美南
福井戸三丁目52番地(現在の加美南三丁目)にあった 
島田牧場の社宅で1944年生まれた。   

平安時代の初め 東北の 蝦夷(えみし)を帰順させた 征夷
大将軍 坂上田村麻呂の子である 坂上広麻呂が当地を開発
したが 宇治の平等院に寄進した。 500 年の間  「平野庄」と
呼ばれた平等院の荘園であった。 

15世紀頃 環濠自治都市となった。 土塁と堀が 平野郷を
囲っていた。 町の行政は 坂上田村麻呂の末裔の平野氏から
でた七名家(末吉氏、土橋氏、辻花氏、成安氏、西村氏、
三上氏、井上氏)が 行なった。

平野郷の財政力に目をつけた織田信長法外な戦費を要求され
たので 抵抗しようとしたが 結局 屈服し 信長の直轄領と
なった。 

豊臣秀吉が天下統一を果たすと、町の有力商人は大坂・
天王寺村へ移住させられ、環濠は埋めさせられた。これが後
の大坂の役で 平野郷が 徳川方に付く原因となった。

 
徳川時代になって 大坂の役で徳川に協力したため 七名家のうち、末吉家
は 幕府の朱印状による朱印貿易を認められ 莫大な富を得た。末吉家の
ベトナム、 ルソンへの朱印船は末吉船 といわれる巨船であった。 杭全神社
が所蔵する末吉船(朱印船)の図の衝立は 堺市立博物館に寄託されて
いる。 清水寺にも末吉船の大絵馬がある。

末吉孫左衛門は 河内の国 河内郡と志紀(しき)郡の代官に任じられた。

大阪市中央区に長堀通国道308号)を通る末吉橋が 東横堀川
 に架
かっている。 この橋は 町橋で 江戸時代に 徳川幕府では 末吉家が 
資金を出して造ったもの。

宝永元年 (1704年)、河内平野の住民の長年の夢であった 大和川の付け
替えが完成した。 これによって 河内平野の農民は 水害の恐怖は ほとんど
なくなり 新田開発を始め、 綿花の栽培が 始まった。 

平野郷周辺の地域では 農地の七割以上が綿花栽栽 だった。 また 
摂津、河内、 和泉では 油の精製に必要な アブラナ/菜の花(なのはな)
が 栽培された。 平野郷では なたね油を精製した。

平野郷では 綿、 油などの加工、 販売等で 巨万の富を持つ豪商が
現れた。

明治29年(1896年)、 「輸入綿花及び羊毛関税免除法案」が 成立し
外国より 安い綿花が輸入されるようになり 綿花の栽培農家は 大打撃
を蒙り ついに 綿花の栽培は 姿を消した。




綿の花



菜の花

大阪市南部の平野区は 太平洋戦争の戦禍にあっていないので 古いお寺、
民家が今も残っている。 寿司、和食のチェイン店を経営している がんこ 
フッド サービスが 平野の豪農であった辻元家の屋敷を購入し 「がんこ平野
郷屋敷」店として 営業しています。


平野郷屋敷は 400年前の 江戸時代初期に建てられ 辻元家が所有して
いた 絵画、茶器など文化財が店内と衣装蔵だった「くらしの博物館」に 
展示されている。

兆殿司( ちょうでんす)/ 明兆 (みんちょう )の作とされる「飛鯉之図」の掛け軸
は 当店で 一番 高価なものです。辻元家は 江戸時代より 庄屋 村長など
の要職に就き 苗字 帯刀をを許された豪農です。








皿 茶碗類



「飛鯉之図」
兆殿司( ちょうでんす)
/ 明兆 (みんちょう )
の作



自在かぎ



茶器 漆器













神社



日本庭園

日本庭園は 大阪万博の日本庭園を作庭した 作庭家木戸雅光氏に
よって作庭された。 70種類の植物が植えられている。雑木林をイメージして
作られた。



寿司定食 

寿司とてんぷらと味噌汁で
税込み ¥1,134

京都なら これ程の雰囲気と日本庭園が あれば 大衆料金では食べれない。
JR大和路線で 天王寺から三つ目の加美まで 7分。 下車すぐ。

がんこは 大阪では 平野郷屋敷の他に平成21年9月10日 岸和田城の近く
に2,400 坪の岸和田五風荘 がオープンした。 五風荘は 旧岸和田
城主 岡部氏の新御茶屋跡で、明治維新後、銀行、紡績などの事業を起こした
泉北地方の財閥である寺田利吉氏が昭和4年(1929年)から10年の歳月をかけ
て作り、昭和25年 (1950年)、五風荘と名前を改めた寺田氏の旧邸宅。 
五風荘はその後 岸和田市の所有となったが、 有効に利用されていな
かった。 がんこ フードサービスが その実績を評価され 指定管理業者
に選定された。 

同社が 地方自治体と協力して 文化財を有効利用して事業を展開するのは
これが初めてである。







琴の演奏 

( 平日 昼のみ 土曜 夜 )





杭全神社境内の環濠

環濠は 200 メートル程 残っている。



杭全(くまた)神社境内の埋め立てられた環濠跡










がんこ 平野郷屋敷 



杭全神社 




   
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