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京都

がんこ 高瀬川 二条苑



がんこ 高瀬川 二条苑
京都府京都市中京区木屋町通二条下ル東生洲町484-6



がんこ 高瀬川 二条苑の庭園の水の取口、
東側を流れるみそそぎ川






みそそぎ川、 右 鴨川






がんこ 高瀬川二条苑は 慶長16年 (1611年) 角倉了以(すみのくら
りょうい) ( 1554−1614 )によって造られた庭園です。ここに角倉了以
の別邸があった。  その後、 明治の元勲 元帥、第三代、 第九代内閣
総理大臣 山県有朋( 1838−1922 )の別邸「第二無鄰庵」となり 日本
銀行総裁川田小一郎の別邸、阿部信行首相別邸等をへて 大岩邸となり 
現在 日本料理店 がんこ 高瀬川二条苑店となった。 東生洲町という
地名の通り、 このあたりには、 生簀(いけす)に 魚を飼って 新鮮な魚を
料理する店があった。 また 庭に 鶏、 鴨を飼っていた。

山県有朋は 近代の名作庭家 小川治兵衛( 1860−1933)に 庭園を
作らせした。  

がんこ 高瀬川二条苑は 角倉了以が 開削し高瀬川の源流です。 高瀬川は
鴨川河川敷のみそそぎ川から 取水をし この庭園より 始まります。 1614年
 角倉了以によって 開削された高瀬川は 1920年頃まで 京都、 伏見間の
水運に用いられた。

高瀬川二条苑のあたりから 五条まで 日本発の路面電車が 明治28年 
( 1895年 )が 開通した。 1920年代、 川原町通が拡張され 市電は 
川原町通に移された。 高瀬川にそって 四条あたりまで 木屋町の歓楽街
であり 桜の名所でもある。

高瀬川は 現在では 水深 10 センチにもならず 川幅も4 メートルぐらい
と思われるが 建設当時は 水深 30 センチあり 川幅も 8ーメートルあった。

昭和10年 鴨川の大氾濫で 鴨川の底を浚渫( しゅんせつ )したため
鴨川の水位が 下がり 高瀬川の水深が浅くなった。




 山県有朋( 1838−1922 )

山県有朋は 1838年 現在の山口県 萩市で下級武士の子として生まれた。
公爵、元帥、総理大臣まで 上りつめた。 長生きも芸のうちというが 近代陸軍
の創始者 大村益次郎は 木屋町で暗殺された。 坂本竜馬、 伊藤博文、
大久保利通も暗殺されているが 山県有朋は 江戸時代、明治、 大正まで
生き延び 85歳で亡くなり、 明治政府の元老となった。





木屋町と高瀬川





一の舟入

高瀬川には 舟入が数ヶ所あった。 舟入とは 貨物の積み下ろしをし 船の
方向転換をする船溜まりであった。




高瀬川開鑿者 角倉了以の屋敷は
現在の日本銀行京都支店になった。
その向かい側に別宅があった。


























日本最大といわれる燈籠









がんこ 高瀬川二条苑



高瀬川

京都 無隣庵

日本庭園



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公認 スペイン語 英語 通訳案内士 佐々木博昭