A History of the Circle

円周率の計算はなぜ終わらないのか?

参考書
A History of the Circle
『円の歴史』 アーネスト・ゼブロウスキー著 松浦 俊輔 訳  河出書房新社

2006/06/01 作成

【円周率の計算の仕方?  基本概念(コンセプト)】


巨石文明と共に歩んだ古代人が、考えそうなことは、これは私の推測でしかないが、直線の上を円が転がるイメージから、発想されたものではないかと、思っている。

あと一つは、石切り場の技術者が、石と石を密着させるために、型を取る道具として用いられるコンパスと類似の道具から、発想されたものかもしれない。

古代のエジプト人達は、実用的な技術的側面を集積したが、古代のギリシャ人達は、その豊かさから、暇つぶしの為の学問を必要としていた為か、実用的ではない数学を発明するに至った。と、私は解釈している。

歴史とは、実在の参加者の足跡を、後の人間達が、時には、時の権力者の圧力に屈して歪められている。

その事については、エジプトのピラミットは「墓」だと、書き残した、古代のギリシャ人の例も、それである。

古代ギリシャからはじまる、哲学の歴史を辿ると、西洋人達は、昔の日本人よりも、伝統に貫かれた学問を守ってきたことが、よく理解できる。

円周率がなぜ終わらないのか?

子供の頃に不思議に思った私は、アインシュタインの相対性理論から、中国、インド、西洋哲学、などの古典的な思想書を読み漁り、結局は、人間の認識構造に問題を感じ、心理学へと進みました。



【数学は、幾何学と相対的関係】

古代ギリシャの哲学者 プラトンらの活動は、学問と政治を直接的に結び付ける思惑があった。

そう決め付けている方々は、権力がなによりも好きなのだと、分かってしまうかも。

ギリシャのパルテノン神殿を見る限り、ギリシャ市民は、時の権力よりも、「美しさ」の方が価値が在ったのではないかと、私は推測している。

極端な美しさへの欲望の表れとして、若い男と遊ぶのが、彼らの癒しになっていたと思われる。

若い男性と結婚するのも当時は常識だったらしい。

そういえば、ダビンチも、それに習って遊んだ為、囚人になりそこねた。そうだ?

天才の思考回路をビジュアル的に見ることは、現在は不可能であるが、我々の人体への理解力が集積されれば、少しは見られるかもしれない。

人間の思考とは、何なのか?

こう問いを立てると「哲学」になってしまうので、幾何学の歴史からアプローチしてみる。



【ピタゴラスの定理とは、夜空の星を眺めることから始まった?】

古代エジプト人たちが眺めた夜空は、星座の位置が現代と多少違うとしても、星を「点」として、直線で結ばれた線が描き出す模様は、当時の人間の「想像力」を、窺い知る貴重なデータですね。

星座の形や名前が、昔も今も、同じなのには、ビックリします。なぜって、言葉は時代ごとに変化するのに。

人類は「数字」に強いのか? 弱いのか?

ところが、三角形とか四角形とか、そこには知らなくても良い法則があって、これが、一度誰かが、証明した方法を、また、誰かが同じ方法を使って同じ結果になることが確かめられると、個人とは、はじめから弱い動物ですので、どうすることもできなくなってしまいます。

これが、学問のはじまりで見られる現象なのですが、繰り返しおこる現象を、記号を使って記述することが、やがて巨大なネットワークを完成する人類のデータ集積作業のはじまりだったわけです。

では、ピタゴラスの定理の応用で、(斜辺aの2乗)+(bの2乗)=(cの2乗) この時の2乗以外の自然数は存在しない。例えば3乗とかは存在しない。こんなことを証明するのにも、300年の時間を要しないとできなかった。当然、コンピュータは基本的な概念を発想しないので、無用の長物です。

この、基本概念の発想こそが、コンピュータに打ち勝つ最後の砦となりそうです。

では、なぜ? 突然「ひらめく」のか?

自分が自分と分かるとは、結局、どういう事なのか?

こどものころ、目に映る世界が全てだと、思ってませんでした?

でも、勉強すると、徐々に、目に見えない世界が実在することも理解できたのでは?

空気は目には見えないけど、無いと死にますからね。

と、言うように、ギリシャ哲学のはじまりには、他人をいかに説得するかと言う「弁証法」と、言われる「技術」が、発明されています。それが、現代人の大好きな「理論」の大黒柱になっています。

私は猿から進化したが、猿ではない。

ある地球人が言った。地球人は全員嘘つきである。

これが、理論の穴、嘘つきパラドクス。私が思いつきました。

嘘つきと言うのは、実は、確定された状態ではなくて、現在進行形及び未来におこる事を意味しています。

つまり、理論とは、確定後の世界だけにゆるされたものであると、私は考えています。

アインシュタイン達は、未来は確実に予言できる。と、信じていました。

でも、この方法では無理です。ご苦労様でした。

よって、相対性理論は、人間の認識構造の法則としても利用可能であると、思われます。

この方法を突き詰めれば、やがて見えてくるのは、我々の意識の構造であるとの文学者の予言もあり、これからの脳科学の研究成果に期待しています。

「ある」「ない」とかの存在の謎は、その次の課題ですね。

では、現代数学の基礎理論「無限を数える」方法を見てみましょう。

ここに1枚の「葉っぱ」があります。こちらには1個のミカンがあります。

それでは、これからミカン1個に、葉っぱ1枚を必ず置くことにして、ミカンの最後まで、葉っぱを置いてから、最後に葉っぱだけを回収して数えると、ミカンの数を数えられたことに、なることに決めます。

1枚目の葉っぱの次が、無限という葉っぱにしました。ここで数えるのは終わり。

それでは、数字の基礎概念をもう一度確かめてみましょう。「1」と言う記号は、部分を持っていません。これは、ユークリット幾何学の決まりと同じで、我々の祖先が勝手に決めたことです。

当然、自然法則に、そんなものは存在しません。人間が便宜上、つまり、数えるのに都合が良いから、こうなっていると言った方が正確です。

「一対一対応」は、現代数学の基礎概念であると同時に、自然とは何の結びつきも無いことが、同時に理解できます。

だから、数学は直接儲からない。スポンサーがないとね。食べられない。

「数学」は、人為的に作られたものであると、同時に、自然を人間的に理解する為の道具(思考回路)であると言えるでしょう。

「数学」は、なぜ自然を写し取れるのか?

答えは簡単です。数学の基礎は幾何学にあって幾何学は、自然のなかに存在する法則だからです。

ですので、我々の祖先たちが必死で掴んだ自然法則を、なぜ゛?

と、言われても、偉人たちが「決めた」ことを元にしていますので、聞いても無駄です。



【文明の誕生】

http://www.geocities.jp/timeway/kougi-3.html

このサイトは、学校の先生が講義されている内容を紹介してます。私が高校で教わった「世界史」と、大分変わってきたようで、私も勉強させて頂いてます。

文明の誕生とは、農耕民族がはじめた、人類初の巨大な集団生活体

と、書くと、先生に叱られそうですが、現代人の我々も、古代人たちも、悩みは同じ

どのように集団生活すれば、良いのか?

これが、分かれば、もう少し豊かな生活ができそうだと、私は思ってます。

「努力した者が、報われる社会」とか、こんな、言葉を並べたところで、何の役にもたちません。

言葉で、飢えた人様を救えないように、現代の学問も危機的状態であると、私は思ってます。



【E=mc2】

アインシュタインが、1905年に発表した、単純で美しい方程式

(エネルギー)=(質量)×(光の速さ 秒速約30万キロ の2乗)

宇宙空間に存在するエネルギーの総量がこの式で求められるわけですが、質量とは?

「質量」と、言う言葉を使い始めた人物は、古代ギリシャの哲学者 アリストテレスなんです。

さて、質とは?

人間の見方で分けているだけです。

量とは?

誰かが決めた「単位」に過ぎません。

光の速さも、現代のつくば市にある実験室では1メートル単位の正確さで測れるといってますが、結局、相対的な速さです。

私の「意識」は、今、どこにあるの?

と、聞かれても、基準がありません。つまり、基準が無いと、測れないわけで、基準は?

と、尋ねられると、やっぱり、誰かが決めたことを、基準にしています。

では、アインシュタイン教授に、面白いことを、尋ねてみましょう。

根拠とは、どこにあるのですか?

誰かが勝手に決めた「単位」や「尺度」を方程式に組み込んで、未来は確定的に予言できるでしょうか?

あまりにも人間的で、人間の思考が中心的です。

確かに、方程式は、便利です。科学技術にも貢献してきました。

でも、「数学」には、ノーベル賞が無いように、学問の価値は、お金では測れないですね。

誰かが決めた方程式に縛られて不自由な生活を強いられているとしたら、間違ってますね。

大切なことは「自分で決める」こと。

学問に強いられて、決められなくなった時は、失敗を恐れず、挑戦することです。

結果は、必ず、後から付いて来ます。

はじめから、結果を期待するのは、間違いではありません。

しかし、余計な苦労だと思いませんか?

現実は、自分が挑戦しないと、何も変化がありません。それに、他の人も、頑張ってますから、ちょっとぐらいの努力では、目に見えるほどの変化は期待できないと思いませんか?

パチンコで勝人は、出る台以外では打ちません。台が空いてないときは、見てるだけなんです。

本当は、パチンコ好きな人には向かない。むしろ、パチンコが嫌いだけど、お金だけは頂きます。と、言う人が向いてます。

仕事も、異性との結婚も、自分が好きで「決めた」と、思うことが、幸せでしょうか?

自分を好きにならないと、はじまらないと思います。

ソクラテスが言ってます。

美しく愚かな女より、学問に秀でた醜い男の方が、人間的価値が有る。と、

醜い男は勉強することで、道が開ける。美しい女は美しさに見合うだけの学識を持たないと、もったいない。

こんなふうに、若者たちを学問へ追い立てたから、時の大人たちに反感をかって処刑されてしまったのでしょうか?

いずれにしても、老いた哲学者を処刑したギリシャ市民達は、その後、衰退し、滅亡へと進んだわけです。

現代の日本も似たような状況に成りつつあります。

学力の低下の原因は、学習することに魅力が無くなっているのも事実です。

努力しても報われない。そう、思っている、学生さんは、意外と、多いのかもしれません。

勉強することの本来の意味は、暇つぶしや「遊び」なのですので、直接的に人生の豊かさには結び付きません。

競争に勝ち残る事だけが、人生の成功ではありません。

「皆が共存できる」社会に挑戦することが、学問の本当の楽しみなのですが、たった一人で集団の犠牲になることは、間違った考え方です。

頑張っていれば、どこにいても、必ず報われます。

なぜって?

そんな人を、探している人もいるからです。

ソクラテスが言ってます。

「悪妻は、亭主を哲学者にする。」

私の奥様は悪妻ではないと思いますが?

そう言う、ソクラテスさん。

自分で決めたのでは、ないですか?

私は、何かに成りたいと思いましたが、あきらめるのが早い方で、何にも成れてません。

感情(愛情)が無いと、何も決まらない、決められない。

愛情が無いと、人間は成長しません。

しかし、感情は個人の禍の元でもあると言えます。

こんなことを考えている、私は、地球生命誕生から約 26〜28億年の歴史に貫かれた「何か」を守る為に、頑張っているのだと、思ってます。

くじけそうな時は、28億年も生き抜いてきた地球生命の末裔なのだと、思うことにしてます。

そう言えば、地球に酸素作るのに何億年もかかってしまった。とか、覚えていれば、もう少し、ましな生き方ができたかもしれません。



さて、話が詰まらなくなってきたので、ちょっと遊んでみませんか?

中国では「数学」が発達しなかったとか、聞いたことがあります。

私的には、彼等は実用主義だったのかと想像してます。でも、遊んでいた人たちは、いたみたいです。

「魔方陣」って、知ってます?

1から9までの数字を、正方形の9個の格子に入れて縦横斜めから、3つの数字を足して、15にするもの。


ここで、例えば、16個のマスでは、できないものかと、考えました。

実際にやってみると、最後の一列で駄目になります。偶数マスの時は、できないの?

では、問題です。25マスの時は、できるでしょうか?

25マスに、いきなり挑戦する前に、法則を探します。

5は、1から9の中心、9は最後、横3マスで、割ると、丁度15になります。

上の図は、15-5=10 を :予測して、5を中心に、両サイドの数字を足して、10になる組み合わせを、現しています。

この法則は、25マスでも、使えるでしょうか?

この図で求められた「65」を、あてにして、25マスに挑戦

いきなりですが、これが完成図

ちゃんと、縦横斜めから5つの数字をたして「65」になってます。

できるかどうか、分からない事を、やるから、学習なので、はじめから、分かりきったことを強いられるのは、労働に等しいと思います。

教育の現場では、毎日が真剣勝負でないと、教わる方も、退屈です。

かと、言って、毎日が真剣勝負では、過労死で亡くなるかもしれません。

数学は、他の学問に比べれば、教えるのが楽です。ので、各教科の仕事の重さにも違いがあります。

一番大変なのは、本当は「国語」の先生なはずですが、手抜きでも、生徒にバレナイのもこの、日本語が曖昧なことにも原因があると、思います。


「教えることは、実は、本当の勉強なんです。」

生徒のうちは、見習いの生徒で、本当に勉強している生徒は、実は、先生なんですよ。

授業料を払うのは、本当は先生の方で、本来は、生徒が、お金をもらう方なんです。

生徒の皆様。先生に騙されてはなりません。

しっかりと、元だけは、取って帰りましょう。




この遊びから、数学と算数の違いが少し、理解が深まったのではないでしょうか?

実は、「数学」は、文学的なセンスを必要とします。

単純な算数の力だけでは、歯が立ちません。

さて、気短な私は、「円周率が、なぜ終わらないのか」それを、先に、したくなりました。

古代ギリシャ直系の「科学の歴史」を辿ってからの方が、本当は、面白いのですが、それは、また、後日にして。

ユークリッド

参考書
『数の体系 (上下)』 彌永 昌吉 著 岩波文庫

この本は、なかなか入手できない本で、内容はかなり古いので、今更読む人も少ないと思いますが、ギリシャの哲学者から説明されている貴重な本です。

ユークリッドの原論なんて、今更読み返したところで、と、思われるかもしれません。

しかし、この原論の「穴」を知らないと、大変なことに、なってしまいます。

この「穴」について書いてある本は、私が知る限りでは、本書だけです。

【定義】
「点は部分のないものである」

この証明はどこにも見当たりません。「原論」では、考える時は、点も線も無いものとして、図形を描く時は、ちゃんと書きます。これが、幾何学を支えている定義なのです。

ので、この「点」と「1」の概念は、同じものと考えて良いでしょう。

実際、これから、自然観察をはじめて、点とか直線とか、発見できたら、凄いです。私は見たことが在りません。

つまり、直線とは、人間が考えた「理想像」に過ぎず、「点」も、古代からの認識に倣っただけで、常識だろ!と、言われれば、返す言葉がないわけで、証明しなくても、理解されていたと思われます。

点を虫眼鏡で見ても、顕微鏡で見ても、便宜上、同じ大きさで無いと、駄目なのです。

これは、便宜上の問題で、定義としては、何の説得力もありません。

虫眼鏡の時は、点で、顕微鏡の時は「円」では、使いにくいわけです。

幾何学の基礎には、無いものが有るわけで、

古代ギリシャの哲学者達は、有るものを定義としていましたから、当然の如く、ゼロを拒絶しました。

彼等は高等な数学を求めたのですから、ゼロの存在に気が付かないはずがありません。

パルメニデスと言う古代のギリシャ人が、面白いことを書き残しています。

彼はホメロス等の叙事詩に倣って、「ある」「ない」の区別をどうするか、長い詩にして書いてます。

パルメニデスは、ピタゴラスの影響下にあったとか、彼独自の説だとか、約2500年も前の話ですので、想像に近いのかもしれませんが、彼らの基本概念は「あるものを分割する思考」だったと、私は解釈しています。

無いものは分割できないわけで、確実な道では無かったわけです。

確実なのは、あるものを分割することだと「信じた」わけです。これは、自分で決めて、他人様を説得して、無理やり納得させる方法に、似てます。

点は部分をもたない。分割不可能な特別の存在。1神教のもとがこれですね。

キリストだけが特別だった。

時節柄、ダビンチコードの話になりますが、キリストに弟がいたとか言う本も出版されてます。

現在「ピタゴラス教団」として、彼らの活動は宗教活動だったとする説が有力です。

それらの関係出版物を読んでみると、「ピタゴラス教団」が滅んだ後、その後の、宗教団体が、知識を吸収しながらキリスト教まで続いているとか。

確かに、バチカンには科学アカデミーが存在してるし、キリスト教が科学実証主義を推進しているとは思えませんが、真実は、どうなってるの?

ダビンチコードの話に登場する「秘密結社」の歴代総長の名簿に、あの林檎で有名なニュートンがいたとか?

彼らが秘密を守ってきた理由とは何なの?

現代学問の総量も半端なものではないが、その大本は謎だらけで、根拠らしい、根拠が、見当たらない。

だから、デカルトさんが「我、考える。故に、我あり」から、理論を据え直している。

この言葉だけでは、何の理解も深まらないのが、哲学をより深遠で困難なものにしている。

哲学の基礎は数学なんだけど、微分積分も知らない文学者が言葉遊びに埋没しても、何の進展もあるわけではなさそう。

より確実な道を選択したのが、ドイツの哲学者カントさんです。ヘーゲルの数学理論は、素人くさくて、読んでも吐き気がします。それで、シルクロードのお坊さんのこんな話もあります。

密教のお経、サンスクリット文字から、漢字に変換する作業は、その言葉の意味に正確で忠実し過ぎると、読むと吐き気がする。とか、私も日本語でギリシャ哲学書やドイツ哲学書を読んでいたとき何度か、吐き気がしました。
それ以来。言語の意味に忠実であるより、概念を読むことに主眼をおいてます。

コンセプトは芸術作品からも読み取れますので、思想書に頼らず芸術作品からも学ぶことは可能です。

現代芸術は、アメリカの「根無し草」「はりぼて」「メッキ」などの、いかに伝統の無い国から、出発するかの模索が影響されていますので、ある意味では、学問の真髄に共通なものを持っているとも考えられます。

私の10年に及ぶ哲学書集めの結果、から。

根拠と言えるものは、何も無い。

これは、哲学史上有名な哲学者が生前一度は発見していることで、そのつど、改善されたものでもあります。

つまり、哲学史を読むと、根拠の無いところで、いかに理論を構築するかの技法が学べるわけで、単純に、ドイツ語の勉強ついでに、ヘーゲルを読んでも、宗教家にしかなれません。と、書くと叱られそう。


【合わせ鏡】

鏡を向かい合わせに垂直に立てると、永遠に続く縮小された世界をのぞき見ることができます。

我々の「見る行為」も、これと、同様な現象を作り出すことが可能です。
















この図は、黄金矩形の描き方の図

一般的に言われている黄金比とは、正5角形の、各頂点からの、垂線の交点が、そのレシオ [ratio]

に成ってます。

土着の宗教には、この5角形が魔よけの効果があるとか、信じられているところもあるとか?

確かに、アメリカのペンタゴンには、ジェット機がよけた?

それ以来、私も建築設計に多用してます。





それは、ともかく、下の図をどこまでも拡大しても、中心にはたどり着けません。渦巻状ですから、物理的には限界がありますが、何と言っても、幾何学はその基礎に、部分を持ちませんから、この渦巻きは永遠と続きます。

幾何学には、無限に繰り返す図形が沢山あります。例えば、IBMのマンデルブローさんが有名にした「フラクタル」図形があります。

基本は三角形で学習可能ですが、コンピュータでシュミレートすると、意外な模様が発見されたわけで、話題になったものです。フラクタル図形は19世紀の数学者の発明らしいのですが、使い道が無かったとかで、ほったらかしだったのでしょう。


数学は「埋蔵教」

使われる日の前から存在している。

数学の基本は「概念」ですから、コンセプトが分からないと、誰も使えません。


これは、円の面積を計算する為の基本概念です。

この等角度分割を無限大にすると、円周は、限りなく直線に接近しますが、何と言っても、幾何学が定義する線は、幅を持ちませんので、どこまで、拡大してみても、円周の曲線と、直線が同じになることは、ありえません。

これは、幾何学の「定義」にも、問題を感じなくてはなりませんが、この方法で円周率を計算したとしても、絶対に終わる筈がないのは、私にも理解できます。


簡単ですが、円周率の計算が終わらないのは、幾何学の無証明な「定義」から発生するものだと、又、黄金矩形やフラクタルのように無限に繰り返される図形が存在します。

幾何学を使用して、渦巻状の図形を描くと、無限に続く連鎖「スパイラル [spiral]」が、発生します。2次元の平面で考えるから、終わりが見えます。3次元の立体模型を見れば、終わらないのは、誰でも理解できます。

私が観察を続ける限り、この渦巻きは、終わらない。

と、言うことにして、説明を終わります。


詰まらない話に、付き合ってくれて、ありがとう。


でも、でも、まだ、私が生きている限り、この話は、終わりません。


現実的に、真円は、存在不可能です。その理由は、ミクロな世界は波打っているからです。

詳細については「サイエンスチャンネル」で、ご覧ください。

原子の波が見えてきた 〜ボース・アインシュタイン凝縮の世界〜
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