写本に挑戦!番外2
旋法


しばらく暫定版として公開します

はじめに

 グレゴリオ聖歌や中世・ルネサンスの音楽を聞くと、一般に「クラシック」と呼ばれる音楽(例えばベートーヴェンやモーツァルトなど)のメロディーとは異なった、独特なメロディー感覚を覚えると思います。これは、「クラシック」音楽が、多少の例外はあるものの、長調・短調を基本とした調性システムによる音楽であるのに対し、それ以前の音楽が旋法(モード)と呼ばれる独特のシステムに基づいているからです。

 簡単に説明するなら、通常の「クラシック」音楽は、長調であれば全音・全音・半音・全音・全音・全音・半音からなる音列c=d=e-f=g=a=b-cの最初のc=d=eが長3度をなしており、全音・全音の間隔からなる、明るい長3度の和声が基準となったメロディー・和声構成が全体の印象を決めます(以下、2度の全音・半音を区別する場合、全音間隔に=、半音間隔に-を使います)。短調の場合はa=b-c=d=e-f=g=aのa=b-cの、全音・半音からなる暗い短3度が基準となるため、暗い印象を与えます。

 一方、旋法の一種、例えばドリア旋法なら、d=e-f=g=a=b-c=dが基準になり、これはd=e-fの短3度が基準となりますが、その他の全音・半音の組み合わせは短調のそれとは異なるため、一種短調的でもありながら、何か別の印象も受けます。フリジア旋法なら、e-f=g=a=b-c=d=eになり、最初の3度は短3度ですが、半音・全音という構成なので、長調とも短調ともつかない独特の印象がさらに強くなります。

 もちろん、耳で聴けばちゃんと無意識的にでも分かるわけですから、理論を勉強するよるはむしろ、グレゴリオ聖歌などを聴く方がよほど分かりやすいですし(下の旋法の説明でMIDIも聞けます)、また、後で述べますが、旋法の理論自体も、完全に数学的厳密さをもって完成されたものではなく、その歴史を追うことは十分音楽学の素養が必要とされる作業で、我無人のような半可通では到底説明しきれるものではありません。ここでは極一般的に、中世・ルネサンスの音楽家たちが知っていたであろう、そして、我々にとってもまだ分かりやすい範囲の、旋法の知識をまとめておく事にします。


グレゴリオ聖歌の旋法の分類

 しばしば旋法は、グレゴリオ聖歌に特徴的に見られるため、グレゴリオ聖歌(あるいは中世・ルネサンスの音楽も)は旋法に従って作られている、と誤解されることも多いですが、旋法の考え方は、グレゴリオ聖歌の分類のため、後で作られたもので、グレゴリオ聖歌自体は、旋法の理論登場以前のずっと前から存在していました*註1。ですから、旋法の理論は、本質の一面を示しながらも、必ずしもグレゴリオ聖歌の全てを説明し尽くすものではなく、理論の隙間をうめるために、当時の理論家によって盛んに議論されており、実に複雑な様相を呈しています(かといって、新しくうまれる音楽には、その理論は反映されることになりますから、理論も重要性は否定はできないものではあります)。複雑な問題をここで取り上げるのは不可能ですから、その中で、ある程度一般的に共通する旋法の理解を述べるとすると、次のようになります。

 まず、旋法の分類の方法ですが、これはまず、終止音(finalis)と、音域(ambitus)によって、分類するのが一般的理解となっていたようです。

 終止音は、旋律の個性を担う音のことです。こう呼ばれるのは、特に曲の最後に出て来るという観察結果によるもので、これはd・e・f・gの四つの終止音に分類されます。つまり、dだと、その下に全音、それから上に全音、半音が続き、これがその旋法の独特の節回しになると考えられました。同様、eだと、下に二つの全音、それから上に半音、全音、全音が続く...という具合になります。これら終止音による分類はprotus (dが終止音)、deuterus (eが終止音)、 tritus (fが終止音)、tetrardus (gが終止音)の4つになります。

<註> protus、deuterus、tritus、tetrardusはそれぞれギリシア語の第1〜第4の意味ですが、別の第1旋法などとの混乱を防ぐために、このまま使います。

 さて、これらの旋律を特徴付ける音の他に、そのメロディーがカバーする音域(ambitus)も分類の基準になります。終止音の上1オクターブに音域が集中するものを正格(authentus)、それから終止音の下5度と終止音の上5度の間に音域が集中するものを変格(plagalis)と呼びます。これは後に、特にポリフォニー音楽の時代には、1オクターブが5度と4度からなるものと理解するしかたが定着して、例えばprotus (dが終止音)の場合だと、d-e-f-g-aと、a-b-c-dからなると考え、正格の場合はd-e-f-g-aとa-b-c-dから、変格の場合はa-b-c-dd-e-f-g-aからなる(斜体字は終止音)と理解されるようになります。これは必ずしも現実を反映するものではなく、実際の適用に際しては2度程度の音の余裕が認められますが、理論としてはすっきりしているので、ここではそれをまとめておきます。

<註> 以下、終止音はで表しています。MIDIではその旋法の実例が聞けます。

protus 終止音d 正格 ドリア旋法(第1旋法)

例:Communio "Viderunt omnes" (キリスト降誕祭)


protus 終止音d 変格 ヒュポドリア旋法(第2旋法)

例:Communio "Domine Deus meus" (四旬節第一週土曜日)


deuterus 終止音e 正格 フリジア旋法(第3旋法)

例:Hymnus "Pange Lingua"


deuterus 終止音e 変格 ヒュポフリジア旋法(第4旋法)

例: Communio "Terra tremuit" (復活祭主日のミサ)


tritus 終止音f 正格 リュディア旋法(第5旋法)

例: Communio "Iustus Dominus" (四旬節第二週第三日)


tritus 終止音f 変格 ヒュポリュディア旋法(第6旋法)

例:Communio "Pascha nostrum" (復活祭主日のミサ)


tetrardus 終止音g 正格 ミクソリュディア旋法(第7旋法)

例:"Alleluia Pascha nostrum" (復活祭主日のミサ)


tetrardus 終止音g 変格 ヒュポミクソリュディア旋法(第8旋法)

例: Communio "Miserere mihi Domine" (四旬節第二週第四日)


 上の例では、protus, deuterusよりも一般的に用いられる名称を加えました。dが終止音の旋法をドリア旋法eフリジア旋法fリュディア旋法gミクソリュディア旋法と呼ばれ、これらが正格旋法の場合はそのままの名前で呼ばれ、変格旋法になる場合は、「下」を意味するギリシャ語の接頭辞の「ヒュポ」hypo-をつけます。つまり、ヒュポドリア旋法、ヒュポフリジア旋法、ヒュポリュディア旋法、ヒュポミクソリュディア旋法と呼ばれることになります(あるいは、ドリア正格旋法、ドリア変格旋法としてもいいと思います)。

 これらを第1-第8旋法と呼ぶ場合は、第1旋法はドリア旋法、第2旋法はヒュポドリア旋法、第3旋法はフリジア旋法、第4旋法はヒュポフリジア旋法、第5旋法はリュディア旋法、第6旋法はヒュポリュディア旋法、第7旋法はミクソリュディア旋法、第8旋法はヒュポミクソリュディア旋法となります。


その後の旋法の発達

 先に、オクターブを5度音程と4度音程の組み合わせにするという理論をあげましたが、これは後にヘクサコードによるソルミゼーションの場合の、読み替え(ムーターツィオー)の場所の固定化に結びついてゆきます。

 つまり、ドリア旋法(第1旋法)の場合、d-e-f-g-aとa-b-c-dの組み合わせとなりますが、この場合、re-mi-fa-sol-la/re-mi-fa-solと読み替えることになります(5度音程と4度音程の始まりと終わりは太字にしています)。ヒュポドリア旋法ではa-b-c-dとd-e-f-g-aの組み合わせになりますが、これはre-mi-fa-sol/re-mi-fa-sol-laと読み替えられます。以下、旋法毎に比較すると:

旋法の種類5度音程と4度音程ソルミゼーションの方法
ドリア d-a, a-d re-mi-fa-sol-la/re-mi-fa-sol
ヒュポドリア a-d, d-a re-mi-fa-sol/re-mi-fa-sol-la
フリジア e-b, b-e mi-fa-sol-la/re-mi-fa-sol-la
ヒュポフリジア b-e, e-b mi-fa-sol-la/mi-fa-sol-la→re-mi
リュディア f-c, c-f fa-sol-la/re-mi-fa/ut-re-mi-fa
ヒュポリュディア c-f, f-c ut-re-mi-fa-sol-la/re-mi-fa
ミクソリュディア g-d, d-g ut-re-mi-fa-sol/re-mi-fa-sol
ヒュポミクソリュディア d-g, g-d re-mi-fa-sol/ut-re-mi-fa-sol

 15世紀以降になると、ポリフォニー音楽における旋法が問題になって来ます。旋法の存在理由は、本来グレゴリオ聖歌の分類のためのものだったため、ポリフォニー音楽では、旋法が通用するのかどうかは、当時の理論家にとっても問題だったようです。

 その理由の一つは、和声では、単旋律ではない新たな規則が旋律を拘束することになるからです。例えば3全音は進行の上でも好まれなかったのですが、和声の上では取り分け嫌われ、これを防ぐために臨時記号がつけられることは頻繁にありました。また、終止音に至る前に3度あるいは6度が来る場合、その音のいずれかを導音化するという傾向から、ムジカ・フィクタがつけられ、半音上下されることが多かったのです。この半音のために、旋法そのものの個性はしばしば弱められます。

 また、15世紀以降になると、それまでは一部の例外を除き、不協和音としてあまり用いられなかった3度の和声が積極的に使われることになります。もちろん、旋法と矛盾するものではなかったのですが、次第にこの3度の和声の性格のほうが、旋法の性格以上に重要性を増してゆきます。

 同時代の理論家は、ポリフォニー音楽の分類については、極簡単に、多声音楽での旋法は、定旋律に使われているメロディーの旋法が、全体の旋法を代表すると言っていますが、これが作曲者の意識していたことかどうかは難しい問題でしょう。実際、定旋律は、多くの場合、旋法の個性の見分けがつかなくなる程長く引き延ばされています。聴いた上では、全体の印象をきめるのは、少なくともフランドルの音楽では、多くの場合、主旋律のスーペリウスが担っています。

 この理論をどの程度信頼すべきかはさておき、少なくとも作曲者自身は、旋法を何らかの形で意識しつつ作曲していたのは確かで、しばしば旋法の名前をともなった曲があることは、これの裏付けとなるでしょう。我々が聴いても、旋法的であることははっきり感じ取れると思います。


グラレアーヌスと新しい旋法

 1500年代には、グラレアーヌスという、旋法に関しては重要な理論家が登場します。彼は、1547年に出版したDodecachordon「12旋法論」の中で、幾つかの旋法に対する新しい知見を公開します。その内の一つは、4つの旋法、すなわちイオニア旋法、ヒュポイオニア旋法エオリア旋法、ヒュポエオリア旋法の提案です。これらはそれぞれ、現在の長調と短調の音階、すなわち、cに始まる音階とaに始まる音階に相当します。

終止音c 正格 イオニア旋法(第9旋法)

終止音c 変格 ヒュポイオニア旋法(第10旋法)

終止音a 正格 エオリア旋法(第11旋法)

終止音a 変格 ヒュポエオリア旋法(第12旋法)

 また、fが終止音になる、リュディア旋法とヒュポリュディア旋法の場合、f-g-a-bの音階は、長3度が3つ重ねされることになります。これはtritonus「3全音」と呼ばれ、その独特の落着きのなさは、和声でも旋律でも嫌われ、これをさけるために、bにはフラットがつけられることが実際には多かったのですが、グラレアーヌスはこれを明示しております。

 また、彼は、ポリフォニーの楽曲の旋法の説明のために、同時に複数の旋法をもつ、という理解の仕方を提案しており、その著書の中で、ジョスカンをはじめとする音楽家の作品を多く取り上げ、それらを実際に分析してます(モテットなどは全曲取り上げていることも多く、そのためDodecachordonはアンソロジーのような様相を呈しています)。これは確かに、分類の点では画期的なことですが、同時に、過去の作品を分析している訳ですから、その曲の創作時には存在しない理論によって分類していることになります。果して作曲者がそのような旋法理解をしていたのかは、疑問視されるところです。分類のための分類方法になってしまうという、旋法理論が最初から抱えていた矛盾を、図らずも露呈しているといってもいいでしょう。


脱旋法と旋法の再発見

 やがて、旋法の性格よりも、長3度と短3度の和声の性格がより重要視されて行き、この二つの性格を対比するイオニア旋法とエオリア旋法が、それぞれ長調と短調として、その後の調性音楽時代の「旋法」となってゆくことになりますが、それでも旋法の特性は、しばらくは作曲家たちに使われていました。古典派・ロマン派では一旦見捨てられたかのようですが、印象派以降になると、再び新しい可能性として、民族音楽などの旋法とともに見直されはじめ、さらに最近では、中世・ルネサンス音楽の復権とともに、それらに回帰するような一部の現代音楽の潮流の中に、意識的な旋法への指向が見られます。それ以前に、実はポップスやロックの中に、旋法的要素がしばしば見られていたことも、最後に付け加えておきます。



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註1 実は後から出来たこの旋法の理論そのものが、グレゴリオ聖歌の本来の姿に影響をおよぼしているとも考えられています。しばしば、理論家は、旋法理論にあてはまらない聖歌を、理論にあてはまるように改編したり、あるいは伝承しないということもあったようです。旋法理論は、音程を明確にする記譜法の発達とほぼ時を同じくする上、音楽理論家が両方の作業を受け持ったために、起こるべくして起こった弊害だと思います。(本文に戻る)




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