ジョスカン・ルブロワット(通称デ・プレ)
Josquin Lebloitte (dit Des Prez)
1450から55年頃生-1521年8月27日没


MIDIサンプル
ミサ曲 モテット 世俗曲

関連テクスト 生涯 CD紹介(別ページ)

ジョスカン作品目録(別ウィンドウ)

MIDIサンプル

ミサ曲


フガによるミサ
Missa Ad fugam
キリエ
Kyrie
(2' 26)


ミサ「別の愛へ」
Missa "D'ung aultre amer"
サンクトゥス、汝のみが奇跡為す方(ベネディクトゥスの差し換え)
Sanctus, Tu solus qui facis mirabilia (in loco Benedictus)
(4' 47)
オケゲムの同名のシャンソンに基づくミサ。 初期のミサと考えられています。 ベネディクトゥスの代わりにTu solus qui facis mirabiliaが 用いられています。 これは第2部を加えられ、単独のモテットとして後に出版されました。 ミサ全曲は、
Nymphes des boys: Introduction a la musique de Josquin Desprez
で聴く事が出来ます。


ミサ「平安を与えたまえ」(偽作)
Missa "Da pacem"

キリエ Kyrie
(3'38)


第六旋法によるミサ「武装せる人」
Missa "L'Homme armé" sexti toni

アニュス・デイ
Agnus Dei
(6' 02)
ジョスカンは当時流行していた俗謡「武装せる人(L'Homme armé)」 に基づいたミサを二つ作曲しております。 この第六旋法によるバージョンのアニュス・デイでは、 ジョスカンはブリュメルにも通じる、極めて短い感覚で同一の旋律を 繰り返すことによるエコー効果をふんだんに使っています。 特に第三アニュス・デイでは一拍遅れの同度のカノンを、最上声部と アルト声部それぞれ二つにさせており、計4声部が極めて優雅な音の波を 織り出しています。


無名ミサ
Missa sine nomine
1514年のペトルッチのミサ曲集に含まれているミサ。 2声部が常にカノンになっています。 ミサ・パンジェ・リングヮにならんで、晩年の作品と思われます。

全曲通し
(28' 56)


キリエ
Kyrie
(2' 35)


グローリア
Gloria
(5' 07)


クレド
Credo
(7' 12)


サンクトゥス、ベネディクトゥス
Sanctus, Benedictus
(6' 16)


アニュス・デイ
Agnus Dei
(6' 22)


種々の音階上のミサ「武装せる人」
Missa "L'Homme armé" super voces musicales

キリエ
Kyrie
(3' 37)

第二アニュス・デイ
Agnus Dei II
(0' 44)
ジョスカンのもう一つの「武装せる人(L'Homme armé)」によるミサより、1つの旋律から3声部のカノンが紡ぎ出されるメンスレーションカノンの例です。ラ・リューの「武装せる人」ミサで、同様に4声部のカノンを紡ぎ出すアニュス・デイとの比較のため作成しました。


ミサ「めでたし、海の星」
Missa "Ave Maris Stella"
全曲通し
(23' 09)
1490年代前半頃の成立と見られているミサ曲で、晩課に歌われる聖母マリアの同名の賛歌をパラフレーズしたものがモチーフあるいは定旋律となり、全声部で模倣される通模倣様式が駆使されており、技法的にはジョスカン最後のミサ「舌よ、歌え」と同じ様式です。全く無駄のない完成度の高いミサ曲ですが、それだけに演奏は極めて難しいものだと思います。

グレゴリオ聖歌賛歌「めでたし、海の星」
Hymnus "Ave maris stella"
(0' 34)

キリエ
Kyrie
(2' 10)

グローリア
Gloria
(3' 51)

クレド
Credo
(6' 26)

サンクトゥス
Sanctus
(6' 07)

アニュス・デイ
Agnus Dei
(3' 55)
第一アニュス・デイではバッススとテノール、第二アニュス・デイ(デュオ)、第三アニュス・デイではテノールとスーペリウス声部のカノン。


受難のサンクトゥス
Sanctus de Passione
(4' 21)
ジョスカン初期の作品で、ミサのサンクトゥスのみの作曲ですが、ベネディクトゥスの前に、"honos et benedictio sit crucifixo filio, qui suo supplicio nos redemit ab inferno" 「その罰によりて我等を地獄より救いたまいし、磔にされた御子に名誉と祝福あれ」の一節が挟まれており、ここでは頻繁にフェルマータを用いて歌詞を歌い上げるdeclamatioの書法が使われています。


ミサ「舌よ、歌え」
Missa "Pange Lingua"

キリエ
Kyrie
(2' 55)
ミサ曲としてはジョスカン最後の作品。聖体の祝日の賛歌「舌よ歌え」をモチーフにしながら壮大な変奏曲が繰り広げられてゆく名作ミサです。


ミサ「不幸が私を打つ」
Missa "Malheur me bat"
作曲者不詳(Malcourt?)のシャンソン「不幸が私を打つ」に基づいたパロディ・ミサ。

全曲
(27' 00)
NEW

原曲「不幸が私を打つ」+全曲
(28' 35)
NEW

キリエ
Kyrie
(3' 05)
NEW

グローリア
Gloria
(3' 50)
NEW

クレド
Credo
(5' 25)
NEW

サンクトゥス
Sanctus
(8' 17)
NEW

アニュス・デイ
Agnus Dei
(6' 09)
NEW
第1アニュスはテノールは元の旋律のミニマ以下の音符をすべて除いて唱うカノン。
第2アニュスはテノールはセミブレヴィス1個分の間隔で2度のカノンの二重唱。
第3アニュスはコントラテノールとバッススがそれぞれミニマ1個分間隔の同度の旋律をつくるカノン。


モテット


「おお、善良かつ柔和なイエスよ」
Motettus "O bone et dulcissime Jesu"
(8'04)


「かの時にイエスは弟子を集めたり」
Motettus "In illo tempore assumpsit Jesus"
(6' 15)


「深き淵より我叫びぬ」
Motettus "De profundis clamavi"
(4' 47)
三重カノンを用いた作品。 これはフランスの王室関係者の死の際に作曲されたもとの思われ、 三重カノンは3階級(聖職者・貴族・平民)が みな集まって嘆くことであると曲の冒頭に明記されています。


「我らが父よ−めでたし、マリアよ」
Motettus "Pater noster - Ave, Maria"
(8' 40)
ジョスカンが、遺言で葬送の時に コンデの自分の家の前面に置かれていたマリア像の前で 歌ってくれと頼んでいた曲です。


「めでたし、マリアよ...麗しき乙女」
Motettus "Ave Maria ... Virgo serena"
(6' 39)
ジョスカンを代表する名作。 その完成度から、以前は晩年の作品と思われていましたが、 現在では写本の紙質の年代から、 ジョスカン20代、初期の作品であることが分かっています。 全体は、7つの部分に別れ、最後を除いて全てAve... で始まっています。


「御加護の中に住みたもう者」
Motettus "Qui habitat in adiutorio"
(12' 30)


「汝は祝福されたり、天の女王」
Motettus "Benedicta es, coelorum Regina"
(5' 44)
後々まで名作の誉れ高い絢爛豪華な6声部の作品です。 ヴィラールト、モラーレス、パレストリーナといった 後の大作曲家はこの曲をもとにパロディ・ミサを作っています。


「天使ガブリエルは送られた」(旧バージョン)
Motettus "Missus est Gabriel Angelus" (my old version)
(2' 46)


「天使ガブリエルは送られた」(新バージョン)
Motettus "Missus est Gabriel Angelus" (my new version)
(2' 16)
昨年の夏に作っていたおなじMIDIを、今度は写本の通常とは少しことなるバージョンと、今の自分のMIDIの作り方で再度挑戦してみました。進歩しているでしょうか。


「めでたし、マリア ... 汝は祝福されたり」
Motettus "Ave Maria ... benedicta tu"
(2' 31)
ジョスカンはアヴェ・マリアを二つ作っていますが、 これは有名なヴィクトリアのアヴェ・マリアを 先取りするような珠玉の小品です。


モテット「もっとも賢き乙女よ」
Motettus "Virgo prudentissima"
(2' 35)


モテット「悲しみに満てる御母は立ち給えり」(スターバト・マーテル)
Motettus "Stabat Mater dolorosa"
(8' 45)

歌詞(作成中)

スターバト・マーテルの歌詞には 古今の有名作曲家が好んで曲を付けています。 ジョスカンのこの曲は後世のものとは違って、節毎に別れておらず、 2部からなっており、前半はやや穏やかな曲風で、 後半は一転して目を引く技法が多く使われており、 三連符を目まぐるしく入れ替えながらクライマックスを迎えます。 全体を通じて、ジル・バンショワ(1400年頃-1460年)によるシャンソン Comme femme desconfortée「絶望した女のように」が定旋律としてオスティナート風に引き延ばされて歌われています。


モテット「喜べ乙女、キリストの御母」
Motettus "Gaude, Virgo, Mater Christi"
(2' 59)
ジョスカンの「めでたし、マリアよ...麗しき乙女」以前の作品とされています。ソプラノにのみ、ヘ調になり、ほかはハ調のままです。模倣などの類推から適宜ムジカ・フィクタがつきますが、このMIDIでは一部通常のムジカ・フィクタとは違う付け方を試してみました。


モテット「過ぎ越しの生け贄に」
Motettus "Victimae Paschali"
(3' 16)
おそらくジョスカン最初期の作品。復活祭のセクエンツィアで、グレゴリオ聖歌のそれを下敷きにしていますが、最上声部前半はオケゲムのシャンソン「別の愛へ」、後半ではハイネ・フォン・ギゼヘムのシャンソン「我が女は善き徳ばかり」の旋律を借用しています。


モテット「我を憐れみ給え」(Ver.0)
Motettus "Miserere mei" (Ver.0)
(13' 33)
ジョスカンがフェッラーラの宮廷の合唱隊長を努めていた1503年4月からの1年に、エルコーレ公のために書かれた作品。写本が通常の物と違うようなので、確認できるまでヴァージョン0です。




世俗曲


シャンソン「もしも私が恋人を失ったら」
Chanson "Si j'ay perdu mon ami"
(1' 10)


シャンソン「私は笑っているが涙を流す」(3声)
Chanson "Je ris et si ay larme" (3 vocum)
(1' 42)


シャンソン「私は笑っているが涙を流す」(4声)
Chanson "Je ris et si ay larme" (4 vocum)
(1' 44)
ジョスカンの3声バージョンにアルトゥス声部が別の手で加筆されたもの。


器楽曲「ジョスカンのファンタジー」
Instrumental "Ile fantazies de Joskin"
(1' 39)
初期の作品と考えられています。


シャンソン「バスクの娘」
Chanson "Una musque de Buscagya"
(3' 56)
同名の俗謡の自由な編曲。 主旋律を4度差のカノンにしています。 最初は俗謡、次にカノン声部を除いて、 下二声を撥弦楽器にしたもの、 次に全声部、最後に元の俗謡の冒頭を演奏させています。


シャンソン「サヴォワの羊飼い娘」
Chanson "Bergerette Savoyenne"
(3' 56)
元になった俗謡を、自由な模倣を使いながら 軽快な曲に仕上げた、世俗曲の名作です。 ブリュメルはこのミサを元にパロディ・ミサを作っています。


シャンソン? 器楽曲?「私は上手く言うことができる」
Chanson ? or Instrumental ? "Je sey bien dire"
(1' 29)
唯一の資料である1503年のペトルッチの印刷本には 歌詞は伝わっていません。 歌詞が失われてしまったか、器楽の曲であったと考えられます。


世俗モテット「愛しき武具よ」(偽作?)
Secular motet "Dulces exuviae"
(2' 23)
ヴェルギリウスが残したローマの偉大な叙事詩「アエネーイス」の第4巻651-654行に曲をつけたもの。契りをかわしたカルタゴの女王ディードーを、ローマ建国の本願を果すべく神にせかされて、アエネーイスは捨ててゆく。全てをアエネーイスに託していたディードーは、望みを失ってしまい、アエネーイスが先に贈っていた刀を使って自害する前に、彼女がアエネーイスからもらった形見の衣に向かって語る言葉がそのテクストです。
ローマの古典詩に曲をつける事は、まだジョスカンの時代には珍しかったはずで、ジョスカンに取ってもこれは彼の才能を印象づけるチャンスであったと思いますが、この曲はどちらかと言うと標準程度の作品の印象しか受けないものです。冒頭の模倣の部分のsuperiusの入りかたも少し不自然です。アグリーコラかデ・オルトを思わせるような、対位法が随所に見られ、これは明らかにテクストの表出を妨げていますし、クライマックスの部分は、尻切れトンボのような感じで終わっています。例えば極初期のモテット「喜べ乙女、キリストの御母」と比較しても、レベルの差に愕然とするでしょう。
この作品をジョスカン作としているのも、死後40年近く経った後の印刷楽譜で、ジョスカン の存命時代の写本では作者名はありません。最近はCDや演奏会でも取り上げられる曲ですが、おそらくジョスカンの作品ではないでしょう。
解説一部訂正(2004.10.10)

シャンソン「ギョームは暖まりに行く」(偽作?)
Chanson "Guillaume se va chauffer"
(0' 36)
この曲については、グラレアーヌスの音楽理論書Dodecachordonに次のような逸話が伝わっています。「フランス王ルイ12世は貧弱な声の持ち主であったが、合唱隊長であったジョスカンに、自分も歌えるような歌を作るように頼んだのである。王が全然音楽を知らない事を知っていた彼は、少し考えた後「主たる王様、私はあなたの栄誉に歌う場所が与えられるような歌を作りましょう」と語った。次の日に王が朝食を取り、音楽を聴きつつ休憩していると、彼は曲を持って来た。その歌は、二人の少年が同じテーマをカノンで十分繊細に弱く歌って、王の明らかに弱い声を聞こえなくしないようにし、王の声部は一音のみからなり、なおかつバスも半拍毎にオクターブで同じ音を歌い補強していた。王はその機智を喜び、報賞を与えて帰した」(要旨)。曲の内容は明らかにこの逸話の内容に即したものですが、ジョスカンの逸話は今や多くが真実性を疑われており、この曲の逸話も本当かどうかは確かめようがありませんし、ジョスカンの作とするには余りにも単純な曲とも思えます。とはいえ、ここまで大胆に単純化する手法も、逆にジョスカンの天才的ひらめきの一つの現れと言えるかもしれないわけで、真偽の判断は難しいと思われます。
MIDIでは王の声は、この逸話で言われている通りに、限り無く貧弱なものにしました。ピッチベンドとビブラートで音程がかなり不安定に聞こえるようにしています。


フロットラ「コオロギは良き歌い手」
frottola "El grillo e bon cantore"
(1' 29)
イタリアで流行していたシンプルな世俗曲で、マドリガーレの母胎となったフロットラというジャンルには、ジョスカンも僅かに曲を残すのみですが、その代表作のこの曲は、途中で早口などもはさんで、実に個性的で面白い曲に仕上がっています。MIDIでは最後の繰り返しに若干装飾を付けています。


シャンソン「さようなら、我が愛よ」
Chanson "Adiu mes amours"
(2' 27)
トランスクリプション 1 2 3 4
非常に流行したシャンソンで、数多くの写本によって伝えられています。ロンドーの定型に従っているようですが、参照した印刷本Harmonice Musices Odhecaton Aでは歌詞は付いておらず、分割を示す記号もなく、また構成上も区切りがはっきりと見つからないため、そのまま一度だけ通して演奏させています。ペトルッチの印刷本の画像は、http://gallica.bnf.fr/anthologie/notices/01182.htmで見ることができます(上のトランスクリプションもペトルッチからのものです)。


シャンソン「千々の後悔」
Chanson "Mille regretz"
(1' 43)


関連テクスト


Serafino De'Ciminelli Dall'Aquila (1466-1500)による詩

Ad Iusquino
suo compagno musico d'Ascanio
アスカニオに仕える
同僚の音楽家ジョスカンへ
 
Iusquin, non dir che 'l ciel sia crudo et empio  ジョスカンよ 天は無慈悲で残酷だ などと言うことなかれ
Che te adornò de sí sublime ingegno,   それは君に至高の才能を与えているものを
E se alcun veste ben, lassa lo sdegno   また誰かが立派に着飾っていても 憤慨するのは止めよ
Che di ciò gaude alcun buffone o scempio.   人は愚行や醜行を喜ぶ故
 
Da quel ch' io te dirrò prendi l' exempio:  僕が君に言わんとすることについて 例を見るがいい
L' argento e l' or che da se stesso è degno   舞台や神殿に飾られる時は
Se monstra nudo e sol si veste el legno   それ自らに価値がある銀と金は
Quando se adorna alcun teatro o tempio.   常に裸のまま置かれ 衣を纏うは木切れだけ
 
El favor di costor vien presto manco  この世の者の寵愛はすぐに消える
E mille volte el dí, sia pur giocondo,   そして日に千度も変る もし心喜ばせるものだとしても
Se muta el stato lor de nero in bianco.   彼らの地位は黒から白へとうつろうもの
 
Ma chi ha virtú, gire a suo modo el mondo,  だが才能あるものは自分自身の方法で世界を動かす
Come om che nota et ha la zucca al fianco,   泳ぎながら脇に浮き輪を付けている者のごとく
Mettil sotto acqua, pur non teme el fondo.   水の中にいても、深みを恐れはしない
 
出典: LE RIME DI SERAFINO DE'CIMINELLI DALL'AQUILA,
a cura di Mario Menghino vol.primo, Bologna 1894, p.112.

セラフィーノ・デチミネッリ・ダッラクィラはミラノのアスカニオ・スフォルツァの元でジョスカンと同僚であった詩人で、音楽家でもありました。この詩はジョスカンが自分の才能に見合った待遇を受けないことをかこつのに対して、その才能こそがジョスカンの糧であると言う詩です。ただ、読んでいるとどこまでシリアスに語っているのか少々疑問になる詩でもあります。まず、神殿などに布をまいて木を飾ることがあるとは思えませんし、最後のうき輪を付けていれば深みを恐れることもない、というのもどこか滑稽なたとえです。ひょっとするとちょっと冗談めかして作った詩なのかもしれません。




ジョスカンの墓碑

Chy gist Sire Josse despres  ここに眠れるはジョス・デプレ師
Prevost de cheens fut jadis  かつてここの司祭でありし者
Priez Dieu pour les trespassés  世を去りし死者らがために神に祈れかし
Qui leur donne son paradis  神が彼らに天国を与えんことを
Trepassa l' an 1521 le 27 d' aoust  彼は1521年8月27日に世を去りし
Spes mea semper fuisti  汝ハ常ニ我ガ望ミナリシ



生涯


 ジョスカン・デプレの名前で現在でも有名な作曲家は、最近になって、その生涯の調査が新展開をみせており、数年前の情報はかなりの部分修正されなければならないようです。ここでは、新グローブ音楽辞典の最新の記事によって、その極要旨のみを記述していきますが、原典には実に興味深い事が満載されているので、是非とも参照をお勧め致します。

 ジョスカンの本当の名字はルブロワットで、一般に知られている通称 Des Prez 「プレ出身の」はエノ(Hainaut)地方にあるPrez村をしめしているようですが、この通称は父親も叔父も持っているため、祖父の出身を表すようです。ジョスカン自身の生まれた場所は、フランス王国になるヴェルマンドワ地方(Vermandois)の主要都市サン・カンタン(Saint Quentin)の教会で少年合唱隊員として活動しているという後世の証言や、その他の資料から、その近くにある村が出身と考えられ、ボウボワール(Beauvoire)村が従来候補に挙げられています。

 生年も不明で、以前は、1459年にミラノ大聖堂にいたJudocho de Frantiaという人物、そして1473年と76年にミラノのスフォルツァ公の礼拝堂にいたJoschino Picardoという人物がジョスカンだと思われていたため、その活躍時期から1440年頃が生年とされていましたが、近年の原資料の再調査の結果、現在はどちらも作曲家ジョスカンではない事が分かっており、1450年から1455年の間に生年を置くのが適切とされているようです。

 サン・カンタンでの少年合唱隊員としての活動(後世の証言が正しいとしてですが)の後は不明ですが、カンブレ(Cambrai)での教会献堂の際(1472年)にロワゼ・コンペールが作曲したモテットOmnium bonorum plenaの中に出て来る音楽家の名前には、デュファイを筆頭に、理論家ティンクトーリス、ビュノワ、オケゲムらが登場し、その中にジョスカンも含まれています。この事は、ジョスカンが20代前後には既に頭角を表しつつあることを示していますが、サン・カンタンからカンブレがそれ程離れていないことを考えると、ジョスカンがカンブレで教育を受けている可能性も高いと思われます。初期の作品にはオケゲムの作品の引用が多く、またオケゲムの弟子であったという証言もあり、先のコンペールのモテット、あるいはジャン・モリネによる挽歌(ジョスカン自身が曲をつけています)にジョスカンらが登場することからも、オケゲムとのつながりは強かったと思われますが、この関係もよくは分かっていません。

 最初のジョスカンの公式の記録は、1475年から1478年までの南フランスのエクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)という都市での、アンジュのルネ善良王のもとでの礼拝堂歌手としてです。1480年の王の死後、1481年にはパリのルイ11世のもとの礼拝堂にいたと考えられます。1483年2-3月には、ジョスカンはコンデにいて、叔父と叔母の遺産相続をした公式の記録があり、ここへ同年訪問して来たミラノのスフォルツァ家と関係を持ちます。従来は後期の傑作とされていた、ジョスカンAve Maria ... Virgo serena (MIDIにあげています)は、この曲が書写された紙からこの時期ということが新たにわかっており、作曲家としては、バッハやモーツアルトらと同じように、早期にすでに完成されていたことになります。

 ジョスカンは、スフォルツァ家とつながりを維持しつつ、1984年にはブルジュの教区の聖オバン教会(St Aubin)におり、1984年に主任司祭の地位につきますが、同年アスカニオ・スフォルツァと共にミラノに行き、その後すぐローマに行き、再びパリに行ったのち、1989年以前にはミラノに再び帰ってきています。おそらくこの頃にアスカニオの下で同僚であった詩人でもあり、音楽家でもあったSerafino De'Ciminelli Dall'Aquilaは、彼に寄せる詩をものしています。1489年から少なくとも1495年まではジョスカンはローマの教皇庁礼拝堂の一員で、1495年の1月20日にはそこでMissa "lasse faire a me"が初演されています。その後は記録消失で居場所は不明ですが、1498年と99年にはジョスカンはアスカニオの元にいると思われる記録があります。しかし、以前から懸案であった、フランス王国国王シャルル8世と、その後を継ぐルイ12世のイタリア侵攻の後、アスカニオは後者の捕虜となり(のち釈放)、1500年にはジョスカンは前のパトロンを捕虜とした、このルイ12世に仕えることになったようです。名曲De Profundis (ここでMIDIであげているもの)はルイ12世の宮廷の誰かの死の際に作曲されたと見られています。

 その後、1502年に、その類いまれな信仰心と音楽家の庇護で有名であった、Este家のErcole公の支配していたフェッラーラの宮廷で、礼拝堂合唱隊長をしていたJohannes Martini(1497年没)の後任を選ぶ際(この職は音楽家の最高の栄誉でした)に、最終候補として挙げられたジョスカンとイザークのうち、そこの宮廷では音楽家としては未聞の最高年収200ドゥカットを要求していたジョスカンが選ばれます(イザークは年収120ドゥカットを要求)。ジョスカンは1503年4月末からその役目についたものの、その年の7月からはペストが流行し始め、1504年4月中旬、一年たらずでここを去ります。後任は年収100ドゥカットで礼拝堂合唱隊長となったオブレヒトですが、彼は1505年にペストで亡くなってしまいます。ここでは、名作Miserere Mei, Deus、 Virgo salutiferi (フェッラーラの宮廷詩人Ercole Strozziの歌詞による)が生まれています。

 ジョスカンは1504年5月3日にコンデ・シュル・エスコーに到着(直接フェッラーラから)し、そこのノートルダム教会の大聖堂主任司祭となります。このコンデは、規模としては直径1キロ程の堀に囲まれた小さな要塞ですが、1521年に没するまで、ジョスカンは結局17年もこの地にいます。少年を含めると22人に達する質の高い合唱隊があったことが一つには原因とあげられるでしょうが、ひょっとすると名声を求めるためにあくせくと動き回る以上に、作曲に集中したかったということもあるのかもしれません。ジョスカンは長くこの地でも活動的であったようで、Missa sine Nomine、最後のミサである、Misssa Pange lingua、Pater noster - Ave Maria、Mille regret (ただしこれは最近偽作視されることもあります)などの名作が生まれています。

 ジョスカンは1521年に没しますが、死の直前、1521年の7月21日、遺産関係の指示の他に、死後彼のために礼拝を行うこと、Pater noster - Ave Maria (MIDIであげている作品です)を、葬送の際に、彼の家の前に付けているマリア像の前で歌うこと、などを頼んだのち、その6日後の27日に亡くなっています。遺体はコンデのノートルダム教会に葬られ、フランス革命時に教会とともに墓碑は破壊されました(1797年)が、碑文の文面はフランドルの墓碑を転写した写本の中にあるのが19世紀に発見され、この年月日を示しています。

 ジョスカンの名声は生前から高く、それは膨大な写本群と、例外的に三巻にもおよぶミサ集を代表とする印刷本などの資料、それに理論家の証言などから明らかです。一例をあげると、宗教改革で有名なルターは、彼のみが音を支配するが、他の作曲家は音に従わなければならないと言っています(勿論、ジョスカンの真作の作品にも、試行錯誤の部分はないわけではないので、これを文字どおりに理解すべきではないでしょうが)。ジョスカンの音楽は、その先人にくらべると、より天才を感じさせるものです。音楽は聴覚的に訴えるところがより大きく、ジョスカンは曲ができると合唱隊員に歌わせて、気に入らないと書き直した、という逸話からもそれは伺われます。具体的には、同じ動機を全声部で模倣するという通模倣様式を徹底的に極め、また、言葉と音楽の関係をより密接にするという、学識のある人々の鑑賞の為にとっておかれた音楽(Musica reservata)を実現させています。

 その名声が余りに高いため、彼の名声を利用して楽譜を売るため、別の作曲家の作品(中にはラリューやコンペールもいます)を彼の物と偽ったり、あるいは自分の歌手としての就職に手心を加えてもらうために、ジョスカンの作品と称して無名の作曲家の作品を就職先に贈ったり、あるいは単なる間違いでジョスカンの作品とされたりもしているため、偽作は真作の数を上回るようで、作品の真贋についてはかなり議論がされております。


 録音はひところは本当に僅かしか手に入らない状態でしたが、ここ15年ほどで驚く程充実してきており、現在ではミサは3曲(Missa ad fugam, Missa "D'ung aultre amer", Missa sine nomine(ただしLPが出ているはず))を除き、真作と認められるものは全て録音され、モテット、世俗曲も90%は録音されていると思います。オケゲムについで、録音でほぼ全体像を知りうるフランドルの音楽家といえるでしょう。

参考資料 Macey, Patrick 他: "Josquin des Prez"
The New Glove Dictionary of Music and Musicians,
Second edition 2001 所載



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