ジャック・アルカデルト
Jacques Arcadelt
1507年頃?生-1568年10月14日没



MIDIサンプル


シャンソン「私達は知っている、男達が」
"Nous voyons que les hommes"
(3' 13)
有名なアルカデルトのアヴェ・マリアは、 後世のフランス人がこの曲を賛美歌へ編曲したもの。 原曲は世俗曲で、MIDIでも分かる通り軽快な音楽です。 我々女性ははせっかく恋に相応しい肉体を持っているのに、 男のようには恋を自慢できない、 なぜなら女性にとって恋は不名誉な過ちだから、 という内容を歌っています。 原曲は恐らく女性に歌われることを想定して、 ソプラノ二人とアルトの声域になっています。


エレミア哀歌(5声)
Lamentatio Jeremiae (5 vv.)
(8' 43)
男声の声域で歌われるエレミア哀歌。 5声部、4声部、3声部と声部をかえながら それぞれ特色ある響きを産み出しています。 得に3声部が印象的で、アルカデルトが 宗教曲においても確かな腕前を 持っている事を認めざるを得ません。


マドリガル「ああ、なんたることか」
Ahi me
(1' 55)
アルカデルトのマドリガル集第一巻の冒頭を飾る曲。 ポリフォニーの技法を感情表出と両立させる マドリガルの特質をすでに完成させた名曲。




生涯


 アルカデルトの生まれと育ちについては、他の音楽家同様殆ど分かっていません。しかし、彼がフランドル生まれであることは名前と、後の呼称Jacobus flandrus(フランドルのヤコブス)から推定されています。しかしながら、フランス語化したArcadetという名前が印刷楽譜に常に使われているところ、また、生涯にわたって、フランス語のシャンソンを作り続けたところから、フランスで育ったと思われます。1530年代にはフィレンツェにおり、当地の実力者、メディチ家のアレッサンドロ公をパトロンとしていたようで、1530年半ば頃から、同じくフランドル楽派のフィリップ・ヴェルドロのマドリガルの様式を受け継いで、メディチ家の内外の人文学者の要請に答えて多くのマドリガルをものしています。1537年、アレッサンドロ公が親類ロレンツィーノに殺害された後に彼はローマに移り、1539年にはCapella Giuliaに加わり、教皇パウル3世の庇護のもと、特別に無試験でシスティン礼拝堂の歌手になり、1551年までそこに勤めたのち、フランスに戻り、1552年には枢機卿ロレーンに仕え、1568年にその職のまま亡くなります。1557年のミサ曲印刷本には、regius musicus (王の音楽家)とあるので、アンリ2世とシャルル9世にも仕えているようで、また、パリでは司教座聖堂参事会員職を与えられています。

 彼の創作分野の大半は世俗曲で、125曲のシャンソンと、250曲、印刷本5巻におよぶマドリガルにそれは現れています。彼の作曲の基本は、しかしながらマドリガルにあって、その発達に重要な貢献をしています。後の作曲家とは異なり、彼は4声のマドリガルを中心にしており、そのスタイルは簡潔ですが、テクストを慎重に再現しております。この膨大な世俗曲の創作にくらべると、ミサは3作、モテット26曲、マニフィカト1曲、エレミア哀歌3作と、数はかなり少ないですが、初期のものを除き、質の高い作品が残されています。

 アルカデルトは、聴かれる曲は本当に極一部のマドリガルのみが知られており、知名度の割にはその全貌はまだまだ知られていません。しかも、彼の名前を広めているのは、皮肉な事に、「アルカデルトのアヴェ・マリア」のような後世の編曲です。拙HPも、この偉大な音楽家の作品を少しでも知らせる役に立ちたいと思います。




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