
名人の栄誉、名人の死
十一月三日、文化の日。例年、文化の発展や向上に功績があった方々に文化勲章が授与される。今年は、落語界から初めて、桂米朝師が受章されることとなった。紫綬褒章受章、人間国宝指定に続く栄誉である。
蛇足かもしれないが、米朝師匠、元々落語家志望ではなかった。演芸評論を志し、正岡容門下にあったが、戦争前後で上方落語の演じ手が極端に少なくなり、絶滅寸前の惨状を見て、評論側から落語家へ転じ、四代目桂米団治の弟子となった。以来、故六代目笑福亭松鶴、故五代目桂文枝、三代目桂春団治とともに、上方落語四天王と呼ばれ、戦後の上方落語界を牽引した。
また、古い文献を整理、研究し、廃れかけた、あるいは速記でしか残っていない噺を復活させ、CDや書籍などにまとめた功績が大きい。最近は東京の落語家の方も手がける大ネタ『地獄八景亡者戯』が、その代表格であろう。ネタだけで一時間をはるかに超える長講を復活させ、演じる。研究者が実践で鍛えた芸を駆使して噺を語る様は、まさに上方落語、いや、お笑い界の重鎮と呼ぶにふさわしい。
上方落語の第一人者として各地でホール落語を開催して客を笑わせ、故二代目枝雀、二代目ざこばを筆頭に弟子を育て、今や御歳八十三。さすがに大ネタを演じる体力はなく、体調もあって、もっぱら座談や口上で高座に上がるくらいだが、存在感は健在である。
文化の日の直前、東京から悲報が届いた。五代目三遊亭圓楽死去。享年七十六歳。一昨年二月の口演を最後に現役を退き、それ以前から患っていた持病に加えてガンに冒され、闘病むなしく帰らぬ人となった。
誰のコメントか失念したが、圓楽師死去の報に、落語家が死ぬというのは淋しい、芸まで全部あの世に持って行ってしまう、と言うコメントがあった。桂歌丸師ではなかったか。
能、狂言、歌舞伎のように、家で伝える古典芸能というのは、詳細は異なれど、そのお家芸が継承される。しかし、落語は師匠から弟子への継承。名人上手の子が名を継ぐことがあっても、その芸風まで引き継ぐことは少ない。その一門が受け継ぐ得意ネタはあるだろうが。
五代目圓楽の弟子である三遊亭楽太郎が、六代目圓楽を襲名することが決まっている。五代目の端正で完璧を求める芸風まで継承されるか分からないし、六代目は六代目の話芸で圓楽という看板を背負えばいい。お手本の師匠はもういない。一代限りの芸、なのである。
多くの落語家は、CDやDVDに姿を封じて、その芸とともにあの世にたどり着く。世間に認められ、その功績が称えられるまで、長い時間がかかる。桂米朝師の今回の受章も、八十三歳まで活動したご褒美と言えなくもない。
逆に言えば、そこまで頑張らないと、世間や政府は功績を認めてくれない、ということだろうか。ただ、前例を作ったことで、後進の落語家は評価を得やすくなったかもしれない。そもそも、落語家で初めて人間国宝の認定を受けたのは、五代目柳家小さん師である。古典芸能と認定されることがいいこととは限らないが、先達の努力によって開かれた道は明るい。
当代の名人はまだいる。個人的趣味が入って申し訳ないが、立川談志、三遊亭円歌、柳家小三治、桂歌丸、桂春団治、笑福亭仁鶴、林家染丸、そして、そして……。
惜しまれて、聞き手の心にその芸を残してあの世に去った落語家たち。ここで数えるにはあまりにも多い彼らにも、栄えある文化の日の親授式に列席してもらいたい。米朝師は偉大だが、その業績は一人で成し得たわけではないのだから。
(了)
戻る