龍笛音頭考


 龍笛の「音頭」は、他管に見られぬ重大な責務を持つものである。之によって、奏楽の良否が決定づけられるものである。
 楽は音頭に始まる。即ち、音頭によってその曲の楽想提示が始められるのである。これ故に音頭はその楽の根元であるので、これを奏するにはその曲の姿を余すことなく究めて、その真髄とするところのものを吹き出さねばならない。先ず、正しい律、正しい拍子、正しい気魄を以って、諸員にその楽の適切な速度や気合を確実に感じさせる吹奏を為さねば、付所以下の円滑な受継ぎは得難くなる。
 あまつさへ音頭中に律を損じて(調子をはずして)高くそれたり、低く下ったりするなどは、「音頭」を受け持つ價値のない者である。確信を持って正しく曲想を表現すれば、鞨鼓、太鼓も自然と音頭に随って打たれる。音頭は鞨鼓、太鼓をも導く力量を持たねばならない。音頭を耳にして自然と鞨鼓、太鼓が打ち入れられる事は、正しい律、正しい拍子、正しい気魄を備えた吹奏の證である。
 最も通俗となっている平調越殿楽の音頭は容易なものと考へられているが、之を雅正に吹ければ大した技量である。「音頭」は、各人個々の考へによって吹き出されるものであるが、之に古来の慣例もあり、律の正変の別もあって、その衡に當る時には、深い研究を要するものである。
 太鼓は楽句又は楽節の最高調点に配されている。即ち、太鼓の位置する小拍子が気魄の頂点であり、その後に「小息」と云って気合を伸張し、又気魄を盛り上らして、太鼓の位置にまで押し進める気合が大切である。この伸張や次第に盛り上らせる気合は、鞨鼓の正来が全曲を通じて表しているところのものである。
 息継には、本来のものと假のものがある。本来のものは楽詞(楽の言葉)の終始毎に○点を以って示されている。この楽詞には小拍子一つのものより小拍子八つに渉る長いものまである。楽詞はもともと一息に吹き結ばれるものであるが、假令早楽小節(四分の四拍子)二つの短きものにしても、之を一息に吹くに困難なものである。
 ここに假息継の要が生じて来るので、この楽詞本来の句点と假に用ひる息継に付いての研究は楽詞の真の姿を吹き出す為に非常に大切なことである。
 息篭は常に管内に充満して遅滞なく片寄なく、歌口の真正面より吹き篭める。息使の事は、単に吹管の事のみでなく、楽曲の生死に関する重要事である。息篭、息継は總て完全な息使の中に在るものである。音頭吹き出しにより、曲の吹止まで一貫した気合の充実と完全な息使の確保が吹管の要諦で、之により曲の生気が生じるのである。
 楽の進行中は、大なる一つの息使に終始する。それは、常に十の内の二分の息は体内に留めて、各息継は之を基にして吸気補ひつつ吹奏を進めるもので、譬え二分三分を要する大曲の一章なりとも、その間に息を使ひ切る事をしては曲の気合が切れるのである。
 ましてや、息継毎に息を使ひ盡してしまう奏法は、大音なりと云っても真に旋律の流れを人に感じさせる楽とは成らない。
かかる息使いが龍笛修業の要点である。十の息を使はんとすれば、十二分以上の實力保持に精進しなければならない。そして、楽曲の起、動、展、結各段の旋律に精進して気魄の高揚、伸張を吹き出して、始めて楽曲の姿が整ふのである。