龍笛の音色
−天地を行き来する龍の嘶き−

建長寺「雲竜図」




龍笛の演奏

 龍笛の音色は、「天地を行き来する龍の嘶き」と言われます。
まさに龍笛は、その名の通り「龍の鳴き声を出す笛」なのです。
 龍笛は、息の流れを早くして出す高音の「責(せめ)」と息の流れを遅くして出す低音の「和(ふくら)」の吹き分けができます。
これにより「責」の音は天に昇るが如く、また「和」の音は地を這うが如く表現されているように思います。
また、龍笛は音と音のつなぎ目に入れる「経過音」や拍の手前で吹き始める「掛け吹き」などの奏法を用いて主旋律を装飾する動きが随所に見られます。これらの音の動きは、龍が身体をくねらせて空を舞う姿を連想することができます。


一音成佛

 
ふと耳をとらえる笛の音、それが静寂の中に響きわたる笛の音であるか、それとも荒々しく吹きすさぶ烈風の息の、ふと跡絶える間を縫ってかすかに届く笛の音であるか、いずれにせよ、笛の音が人の心をとらえるのは、ただ一つの音、笛の音それ自体のもつ音色の美しさによってであって、華やかな旋律を奏でる音の組み合わせの妙によるものではない。繊細でしかも素早い音の舞踊は、聴こう、と耳を傾けた人にとって、はじめて美しいものとなるのである。聴く耳を持たぬ人には、単なる騒音でしかないこともあり得る。喧騒の中に日々の生活を送る人たちにとっては、動きの激しい華麗な旋律がふさわしいかもしれない。しかし、その人たちとて、安らぎを求めるときには、豊かな笛の音色をえらぶのではなかろうか。ただ一つの音によって人の心をとらえる、そのような力をもった音色は笛の音の他には思いつかない。


笛の持つ迫力

 生命の素は気息にある。従って魂と気息とは極めて密接なるものである。仏教でも「阿吽の息」ということを言っている。この気息が音となって人間の体内から出て来れば声となる。それが音楽においては歌となる。従って歌は直接に人の心の表現となるのである。しかしそれは余りに人間的である。
そこでこの大切なる気息が口から出づる時に、それが物体に触れて音を出す。それが笛である。物体が空気に触れて音を発するのは自然の現象であり、もし自然の空気の流れに触れたのであれば、それは人間の魂には関係がない。それは天の響きである。然るに人間の生命の素なる気息が、天然と打ち合うて響くところに、魂と天との和がある。言い換えれば、我々の魂に最も近いところの天の音は笛である。それを私は笛の持つ迫力と言ったのである。


龍笛の謂れ

 龍のないてうみにいりにしに。またこのこゑをきかばやとこひわびしほどに。
竹をうちきりてふきたり。こゑにたりき。はじめはあないつゝをゑりたりき。のちになゝつになす。是が故に笛をば龍鳴といふ。また龍吟ともかく。をなじ心なり。

   大神基政撰「龍鳴抄」


笛ノ息ハ三品也

 
笛ノ息ハ三品也。一ニハ高クハシタナクイカメシキモアリ。二ニハ霞タル様ニテウツクシキモアリ。三ニハ笛ノ内ニ息充満シテ圓々ト聞コエタルモアリ。是ハ三ガ中ニ目出キ器量也。此三ヲハナレナンハ物ニナリガタシ。亦息大ニ成ヌレバシミジミト物ニ逢フ事カタシ。又小クシテシミジミトアルハ。物スクナナル時ハ能ナレドモ。吹物數多有中ニテハ。ウヅモレテ。笛アリトモ聞コエ不シテ口惜キ也。笛ノ内ニ息ミチタルハ。笛ノ手本ニテハ高フモ聞ヘヌサマナレドモ。ノキテハユルユルト漏出テ聞ユル目出度也。此様ヲ心指テハゲムベシ。

 「懐竹抄」大神惟季傳


「笛の音」  落合直文

 君をはじめて見てしとき
 そのうれしさやいかなりし
 むすぶおもひもとけそめて
 笛の声とはなりにけり
 
 おもふおもひのあればこそ
 夜すがらかくはふきすさべ
 あはれと君もききねかし
 こころこめたる笛のこゑ