吉弥結び,きちや結び,吉弥,上村吉弥
< 吉弥結び(きちやむすび) >



【本来の「吉弥結び」】               【江戸中期の「吉弥結び」】            【現在「吉弥結び」と呼ばれる結び方】
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  上の写真は「吉弥結び」と呼ばれている帯結びの写真です。

  時代と共に結び方が変化しているようなので、

  ここで「吉弥結び」の原点を探り、その変遷について記述したいと思います。



 そもそも帯は、安土桃山時代頃までは腰紐程度のもので、

 現代のベルトのような役割で、ただ結ぶだけのものでした。

 江戸時代に太くなりはじめ、中期に現在のような帯になったと言われています。


 延宝年間(1673〜1681) 歌舞伎の女形 上村吉弥が女性らしさを強調するため、

 太い帯で華やかな結び方「吉弥結び」を発表すると大流行となり、

 「吉弥(きちょう)帯」と呼ばれる幅広帯(30センチ幅)の帯が生まれました。

 現在の帯の幅とほぼ同じです。

 そして、吉弥結びの流行で女性の帯結びが様々な装飾結びになると、

 横結びである「カルタ結び」ぐらいしかなかった帯結びが、

 縦にも結ぶようになり、それまで前後左右自由に結んでいた帯が

 次第に後ろで結ぶものとして定着して行きました。






 では「吉弥結び」とは、どんな結び方でしょうか?



 江戸時代の浮世絵師菱川師宣の代表作<見返り美人>の帯の結び方が

 吉弥結びと言われています。帯の両端に鉛(しづ)を入れ、結び余りが

 だらりと垂れるようにしたのを吉弥結びと呼ぶとの表記もあります。

 これがもともとの「吉弥結び」の形と思われます。

見返り美人 吉弥結び
 ※「東京国立博物館より」

 これが江戸中期になりますと、右のような結び方を

 「吉弥結び」と呼ぶようになっています。

 “吉弥結び又こしもとむすびとも云”と書かれています。


      ※ 「こしもと結び」については、

        「やの字結び」の項をご参照下さい。

吉弥結び画像
『都風俗化粧伝』(文化10年<1813>)上方で出版された本
 (東洋文庫414)        

 しかし現在では、貝の口に似た結び方が「吉弥結び」として認識されているようです。

 いつ?誰が?この結び方を「吉弥結び」と呼び始めたのかは分りませんが、

 「吉弥結び」と言う名前だけが一人歩きし、結び方の形は大きく変化して行ったようです。



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