澤熊講師と歩く 中山道

2006.10.05.木 三留野宿から妻籠宿

いつものように車中では澤熊講師の説明だが・・実は今日の中山道は2回目なのだ。
一回目の中山道についての説明は、かなり長かったようだ。しまった・・一回目から来るべきだった・・

★中山道★
中山道の呼び方は江戸幕府から。それまでは「東へ行く海沿いの道・・東海道」に対して
「東へ行く山の道・・東山道」と呼ばれた。

1600年 関ヶ原の戦い
1601年 東海道が整備される。
1602年 中山道が整備される・・五街道全ての宿場を整えた。

★本陣&わき本陣★
本陣(大名・公家専用)・わき本陣(大名や公家が泊まらないときは一般にも開放された)

★問屋場★
人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというもの。
もう一つの役割が幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)という。
東海道では馬が100頭。中山道では50頭が常備された。

★高札場★
幕府が庶民に対して禁制や法度の「おふれ」を出した所。

★桝形・カギの手★
宿場には必ず、わざと道を直角に曲がらせてある場所がある。敵が攻めてきても真っ直ぐに進めないようにするため。これは後に明治になって道路を拡張する時のネックになった。町の中で不自然にカーブしている道があったら、この名残。

★旅籠★
今と同じで2食出る。

★木賃(きちん)宿★
素泊まり。従って料理に使う木の代金を払う。

★一里塚★
一里毎に道の両側に、こんもりと土を盛り上げて木を植えた。遠くからでも目印になったし、馬や駕籠代などのバロメーターにもなった。
これも道路拡張の時に邪魔になり、現在完全な形では残ってはいない。

■姫街道■
中山道は女性が多く通ったので「姫街道」とも呼ばれた。
東海道は「入り鉄砲と出女」の警戒が強く大変だったため中山道へ回った。

東海道には「大井川の渡し」があり「川止め」にでもなれば一週間も足止めをくらった。
それに対して中山道は峠が多く大変だが予定通りに行けるという利点があったため賑わった。

■守り■
この中山道は両側には3000m級の山々を配し、敵が攻めてきたときの守りは万全!木曽福島の関所で迎え撃てる。従って木曽福島には徳川の中でも特に信用のおける家をおいた。

■皇女・和宮様下向(幕末、公武合体論が起き、家茂と結婚)の折、中山道を通った■
皇女の下向とあって、本陣を建て替えた宿場がたくさんあったし、幕府の命が山ほど飛んで大変だった。
中には細々とした「枕を、1380個用意せよ」というものまであった。
京都かtら江戸まで25日をかけている。普通の倍の日数。

「君(天皇)と 民とのためならば この身は武蔵の 露と消えなむ」・・だったっけ・・?
それくらいの覚悟で下向したが、家茂は優しい人物だったため夫婦の仲は良かったそうな・・(これはマンガより仕入れる)

和宮は家茂の死後も、何とか争いを避けようと努力をし、その功績は大きい。箱根・阿弥陀寺に眠っておられるそうな・・

■CM合戦■
中山道を通るのは、せいぜい2週間(10泊か12泊)。どの宿場に泊まるか・・宿場の死活問題である!
そこで!登場したのが「宿場女郎」・・・かなり大切な役割?を担った。

江戸時代になると今とほとんど代わりなく・・・
十返舎一九による「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」なる本がベストセラーになると・・
すかさず!パロディー本が登場!「東海道中膝摺毛(ひざすりげ)」・・・各宿場の女郎本!・・・これがまたベストセラーに!しかも!値段も完全に収録!更に!値切り方まで・・・旅をする男性にはスターだったろうな〜・・あ・・ついでに?宿代も載ってマス!

東海道のが売れたとなると・・出るわ!出るわ!・・中山道も無論出た!・・澤熊講師は復刻版をもってるそうな・・見たい・・

2006.10.05.木 三留野宿から妻籠宿へ・・・