片上鉄道:廃線ウォーク〜岡山:閑谷学校 06.02.11.土

地図です!よかったら見ながらいかが?
参考HPその1
参考HPその2


ベンガラ工場跡





岡山県久米郡美咲町吉ヶ原に柵原(やなはら)という、
昔、東洋一の硫化鉄鉱山として栄えてきた所がある。
この硫化鉄を日本全国に運ぶために、ここと国鉄(現在のJR)和気・片上を結ぶ鉄道が敷かれた
1923年(大正12年)には片上〜和気で一部開業。
1931年(昭和6年)には片上〜柵原(33.8km)が全線開通。
硫化鉄鋼を運ぶほか、今まで「高瀬舟」に頼っていた庶民の生活も変わった。

柵原鉱山は昭和40年頃の最盛期には年間90万トン以上もの鉱石を産出していたそうだが、
海外から安い硫化鉄が輸入されるようになると、次第に需要が減少し、
平成3年3月、時代の流れとともに閉山の時を迎え、75年間の歴史に幕を降ろしたそうだ。


それに伴い1991年(平成3年)6月、片上鉄道も廃線となった。
今では生活道路へと変化し、私達のような観光客やウォーキングなどに利用されている。
沿線では所々に当時の駅を残している。


柵原鉱山は田舎に帰ったとき弟が連れて行ってくれたのだが、鉱山資料館に入ったら、係の方が説明に来てくれた。
模型を見ながら、どんなに地下深くまで掘られているか、また掘ったが為に今後も管理をしなければならず、換気・排水等々・・で毎年かなりの予算を必要としている・・など、大変に面白い「鉱山・その後」の話を聞くことができた。
もし、行かれる方があったら是非!詳しく聞いてほしい。


この約34kmを3回に分けて歩くツアーがあった。
鉄道というのは割と平坦な所に敷かれている。
1kmで35m上がるのが限界角度とされてるらしい。
1kmで65mという鉄道があるそうだが、何だかどんなかして(ハハハ!忘れた!)上げるそうなので、そのまま上がれるには1kmで35mの角度でしか作られないという。

★ここで、ひと息〜らんさんより情報!                 
1キロに35mとか、線路の勾配がきつい時の登り方って
「アプト式」ではなかった?違ったかな?
箱根彫刻美術館に行く時乗った電車が、途中で
「ここが日本で1番きつい勾配です」と案内があったよ。

そうです!その通り!思い出した〜!
「アプト式」そんな名前でした!ありがと〜〜!

山好きの私は平坦なのは嫌だが、枕木の上を歩く〜トンネルを通る〜という誘惑に参加することにした。
それと!閑谷学校!(ここは後ほど)










11:23 出発地点の佐伯町:楽市楽座到着!
・・と言ってもトイレしかない!

ここでまずお弁当。風がすごかったのでバスの中で食べた。

12:03 トイレの所から道路を渡った所から廃線に出る。









12:10 ベンガラ工場跡。

ベンガラとは,インドのベンガル地方で産したことからその名が付けられた
赤色顔料で、陶磁器の顔料や,建築などに使用されるそうだ。

できれば、ここをゆっくり見学したかったが通り過ぎるだけ・・残念!



12:18 この川沿いに進んでいく。




12:27 実は・・閑谷学校以外では、ここが一番お気に入りだった



12:35 備前(びぜん) 矢田(やた)駅用着!




H3年2月。在りし日の姿。

12:52 陸こう門 12:58


13:00 車両を改良して
喫茶店が開かれている。

この横には右のように遮断機が。
踏切だったらしく、
このようにセットで残っている。


13:12
地元の神社。
何故か注連縄が斜めに・・

理由をご存知の方
掲示板の方へお知らせ下さい。

13:18


う〜ん・・トンネルといっても・・
もっと真っ暗を想像してました!











何だかトンネルよりも、
この山の天神山が面白そうです。

天神山は頂上に城があったそうです。

そんなに高くない山ですが
他の山城の例外ではなく、
険しそうな山ですが何だか楽しそうです
13:37 天瀬(あませ)駅
 




13:55 新田原井堰(しんたはらいせき)


この辺りになると、足が痛くなってきました。
今日の予定は10kmですが、枕木を楽しみにしていたのに全行程アスファルトでした。
もう〜歩くの嫌だ〜!と思った頃、ゴールの和気鵜飼谷交通公園。14:30
ここには温泉もあるが今日は無理。少し休憩の後、出発!



鶴鳴門(かくめいもん)
開け閉めすると
鶴が鳴くような音がするらしい
15:14 閑谷学校到着!  関連HP

武士の子弟が学ぶ藩校は、すでに今の岡山市内にあった(他の藩にも同じように藩校があった)が、ここ閑谷学校は庶民の学校・地方のリーダーを育てる藩校として1670年に創建された。
朔の日(さくのひ=一日のこと)には習芸斎で開かれる朱文公学規講釈には農民に至るまで聴講が許された。
身分差別の激しかった時代に、関ヶ原の戦いから間もないうちに庶民に開放された学校は、まさに画期的であった。

天下の三賢候(他は水戸光圀と・・・誰だっけ?)の一人と呼ばれる池田光政が
「この地は読書・学問、するによし」と、重臣・津田永忠に建設を命じた。
光政の死後、元禄14年(1701年)まさに「赤穂浪士」で有名な「刃傷松の廊下」が起きた年、2代目藩主・綱政の頃に完成した。


現存する、庶民を対象とした、学校建築物としては世界最古だそうだ。

ココでは屋根など全て備前焼!シャチホコまで備前焼!
学校を取り巻く石塀の長さは765m。
南側と東西の石組みは「切り込み剥ぎ式」と呼ばれる精巧なもの。

ひとつひとつの石を洗って重ね、後で削って丸くしてあるそうだ。
そのため、土が入っていないので草が生えない。

これは他に例を見ないという。
小斉は藩主が学生の勉学ぶりを
見に来られた時に控える小部屋
実に質素!
ここでは学生主体である



閑谷学校をアルバムにしました
説明文もありますから
興味があったらど〜ぞ!
注目は孔子を祭ってある場所にある
生け贄の動物をつなぎ止める石!
ただし形式的な物だったよう〜


孔子を祭ってあり
その右に小さく見えるのは
創設者の池田光政を祭ってある。
光政は孔子より一段低く
祭られてあり、質素である。

火除け山
ここより向こうには学舎・学寮があり
普段の学習や生活が行われていた
もし火が出ても、講堂などに
広がらないように木のない
土だけを盛って山のようにした。
16:12 もう少しで出発時間。ちょっと短かったけど仕方がない。

こんなソフトクリームがあった。みたらし団子のタレをかけてあるらしい。
お腹の弱い私のことだ・・食べたいけど・・ガマン、ガマン!

・・・というわけで、あとは一路大阪へ!