白 山 か ら 富 士 山 が 見 え る か
「岳人」1987年6月号
収録にあたり一部文字が落ちている箇所があります。

一、はじめに

本誌四月号本欄、田畑氏による「白山と富士写ケ岳をめぐって」は、興味ある論稿だった。その中で気になったのは、メインテーマではないが、白山から富士山が望めるということの紹介であった。引用されているように、そう述べた文献はかなりあるが、本当に白山(「厳密には」別山)から富士山が見えるのだろうか。 

というのも、本誌八六年四月号の拙稿「研究/富士山頂から展望可能な山と地域」(以下前稿と称する)で、「富士山と並び日本三霊山の一つである白山からは、残念ながら障害が多く(富士山は)望めない」と書いていたからである。

これは、地図とパソコンにより、計算により判断したものである。その後計算式に修正を加え、より現実に一致する方法で再検討してみたが、やはり最高峰の御前峰からは見えず、まして三○○mも低い別山からは絶望的という結論になった(田畑氏の引用からは、どこから見えるのかがわからないので、出典(『山と高原地図 白山』)にあたったところ、別山からであった。日本山書の会の藤本一美氏の協力を得て、幾つか文献をあたったたが、いずれも「(別山では)御前峰で見えなかった富士山も顔を出し・・・」(村松高『白山とその周辺』朋文堂一九六四年)といった記述になっている)。

以下前稿の補遺を兼ねて、白山からの富士山を舞台に、「山が見えるかどうか」の考え方について述べてみたい。

二、「見かけの高さ」の考え方

山が見えるかどうかの判定を行なう際のキー概念が、この「見かけの高さ」である。これは「遠くの山は、遠近法と、「沈み」から「気差」を差引いた分だけ小さくなるということを数量的に示したもの」(藤本、田代編著『展望の山旅』)である。式等は図 参照。出てくる値は一定の距離(基準距離)での仮の値ということになる。

ここで「沈み」とは、地球の丸さにより、遠くの山がより低くなることである。問題は「気差」である。光は空気の密度の違いにより屈折するため、幾何学的には見えないはずの水平線の下まで見えるとことになる。これを測量学では「気差」と呼んでおり、無視できない大きさになる(前稿では、幸い結論に影響はなかったが、これを考慮にいれていなかった)。計算上は「気差」の分だけ地球が平らになると考え、地球半径を拡大すればよい。ただ大気の状態が相手であり、幅のある値となるが、経験上一・一五倍に拡大している。

この「見かけの高さ」は、大変応用のきく概念であるが、見えるかどうかの判定は次の様に考えればよい。つまり同一視線上に二つの山がある場合、手前の山の「見かけの高さ」が奥の山のそれより大きければ、奥の山は見えないというわけである。

式をちょっと応用すれば、途中の山が何m以上(未満)なら、奥の山が見える、見えないということも求めることができる。単純な四則計算だが、結果を図で示せるようにパソコン用にプログラムを作成した。計算だけなら数行の式で可能である。これをもとに白山からの富士山を検証してみよう。



三、白山からの富士

式からわかるように「見かけの高さ」は距離の関数である。従って白山から富士山、そしてその間にあり、「障壁」となる中央アルプスまでの距離を測定しなければならない。色々問題はあるが、便宜上二○万分の一地勢図の「甲府」「飯田」「高山」それに「金沢」を貼り合わせることにした。地球を回転楕円体とし、二点の経緯度を入力すれば距離が求められるプログラムを作っていたので、地勢図上での測定値と比較して、実用上支障のないことを確認した。

さて、別山(二三九九m)から富士山(三七七六m)に直線をひく。距離は一九五・七m。これが中央アルプスとぶつかる所は空木岳と南駒ケ岳の間でその標高は約二七○○mである(『山と高原地図 駒ケ岳・空木岳』、五万分の一地形図「赤穂」参照)。距離は一○四・四mである。これらのデータを入力した結果が図 である。つまり、富士山が見えるためには、間になる中央アルプスは、    〓未満でなければならないわけである。現実にはその地点は二七○○m前後だから、あと  m低くないと富士山は見えないのである(別山からの直線の引き方の誤差を考えてもこの付近に二七○○m未満の場所はない)。

そもそも殆ど同じ距離にあり、間にくる「障壁」も同じような高さになる御前峰から見えないのに(この方法による計算でやはり見えず、文献を裏付けることになった)、それよりも三○○mも低い別山から見えると言うのはどう考えてもおかしい。あえて想像すれは、御前峰では御岳山にさえぎられるが、南へ下がればその裾から見えるはずだ、という思い込みが、空木岳あるいは南駒ケ岳のピークを富士山と見誤らせたのだろうか。「白山主峰から富士山は見られない。御岳山にさえぎられるが、別山よりは見られる」といった記述のある文献もあるからだ(御前峰−−御岳山−−富士山は同一視線上にはない。御前峰からの富士山を隠すのはやはり中央アルプスである。念の為)。



白山からの富士山は、残念ながらやはり計算上は望めない。特に視点の低くなる別山の場合は超蜃気楼(?)をもってしても無理だろう。それでも多くの文献に見えるという記述が続いているのは、富士山に対する思い入れの深さの現われだろうか。二○○kmものかなた故にその思いは一層募るのかもしれない。 もっとも「百聞は一見にしかず」、「証拠写真」があれば、それまでである。パソコンも現実には負けてしまう。超遠望に関心をお持ちの方のご意見をお聞かせ願えれば幸いである。

文献に関してお世話戴いた藤本一美氏に御礼申し上げます。 

                                        

 (日本山岳展望研究会)